十五歳、自覚

 成人の儀を終わらせて少し経った五月の中頃。単独任務を終えて朝陽を拝んだ杏寿郎は崩れゆく鬼の身体を見届けて刀を納め、ひとつ息を吐き出した。
 古くからのしきたりとはいえ、世間の成人は二十歳なので大人として扱われるのは父と親族からくらいのものだ。父が十五の頃と比べて己はまだまだ子供としか思えないが、今まで以上に模範となるべく努めなければならないと気を引き締めている。
 しかしまあ、少しばかり気が抜けてしまうのはやはりまだ未熟であるが故だろう。我が家ならいざ知らず、鬼を斬った後とはいえ任務地でこれは反省すべき点である。そして仕事に関係のない話を根掘り葉掘り聞かれるには些か親密度が足りなかったように思う。
「お! お前煉獄家の奴だろ。祝言挙げるんだってなあ」
 はて、彼は誰だったか。同じ任務についていた中にはいなかった隊士だが、別任務からの帰り際にでも通りがかったのだろうと思われる。頬に少しばかりの切り傷がついているが、軽々と一足飛びに杏寿郎のそばへと飛び寄ってきたあたり、手慣れていて腕も立ちそうだ。
「ああ、まだ少し先だが」
「ふうん。女隊士なんだって? 無愛想で近寄り難い美人って噂だぜ。隊内で嫁探したぁ、さすが炎柱のご子息様はやることが違うねえ」
 無愛想な美人。錆兎の言ったとおり彼女は任務中ずっと無愛想を張りつけているが、美人なのは普通に隠せていないようだ。とはいえ近寄り難いと言われているならかまわないのだろうか。
 どこか嫌味を含んだ物言いに杏寿郎は気がついたが、特に気にすることなく笑みを向けた。
「探したわけではないな! 元々許婚だ」
「まじ? お前変な奴だなあ。美人でもじゃじゃ馬じゃあ嫁にするにはちょっと敬遠しねえか?」
 努力家であり這い上がる強さを持っているほうが、何かあっても強く生きてくれると思うのだが。別に義勇がじゃじゃ馬だろうとかまわないのだが、このあたりで少し対応を間違えたと杏寿郎は考えた。そもそも殆ど話をしたことも、名前すら知らない隊士だ。これが錆兎や小芭内なら気にならないが、顔見知りですらなかった相手から問い質される内容ではない。しかも義勇についての話である。
「やっぱ女は愛嬌と色気がねえと。まあ許婚決まってたんなら選べねえか。それともなんか利点でもあんの? せめてこっちの具合は良いといいよな」
 隊士の拳が下品にも人差し指と中指の間から親指を覗かせ、杏寿郎は浮かべていた笑みをふいに消した。今日も無事だったことを喜ぶような朝だというのにこの男は下世話なことばかりを問いかけてきて、杏寿郎は珍しく会話をしたくないと強く感じたのだった。
「ま、俺は見たことねえから興味あっただけだけどさ……噂まわるくらいだし、今度会わせてくれよ。じゃあな」
 杏寿郎の機嫌が急下降したことに気がついたのか、男はそそくさと話を切り上げてさっさとその場を去っていった。爽やかな朝だったはずなのに、おかげでひどく不快にされて憂鬱な気分になってしまった。
「お前さん、気をつけとけよ」
「……宇髄殿?」
 共同任務についていた宇髄が見ていたらしく、隊士が去った後話しかけてきた。杏寿郎より二つほど階級が上の、煉獄家と同じくしきたりによる早婚で妻帯者だと聞いている。更には妻が三人もいると本人から聞かされた。家の意向ならばまあ、うん、そういうものなのだろうが、杏寿郎としては多すぎると感じてしまう。とはいえ仲良くやっているという話なので、他人が気にすることではないのだろう。
「さっきの奴、結構女遊び激しくてよ。素人にも手出してんだ。任務後にムラムラして、藤の花の家紋の家の娘を手篭めにしたりとかな」
「なんと」
「うちの女房の話も聞き出してきたことあってよお、人妻でも狙うって本人も言い触らしてる。お前の許婚は別嬪なんだろ? 気をつけてやれ」
「強いぞ」
「だからって男の腕力とかに勝てるかわかんねえだろ、薬盛られるとかあるかもしんねえしな。お前、夫婦になるんだろ? 嫁に良からぬ目向けるような奴なんか普通お断りだろ」
 呆れのようなものが宇髄から滲み出ている気がしたが、彼の言っていることに杏寿郎は納得した。一対一の手合わせなら義勇も無抵抗でやられたりなどしないが、薬を盛られるなどという穏やかではない方法を取られては確かに危険である。隊内でそんなことが起きると思いたくはないが。
「俺の女房だって別嬪だからな、あいつらはそういう目で見られることも慣れっこだが良い気はしねえよ。んー……じゃ、お前の嫁が知らねえ奴にオカズにされたりして、嫌じゃねえのか」
「お、オカズ」
「ん? お前だってするだろ」
「え!」
 朝陽の中突然いかがわしい話を振られ、更に経験を問われて杏寿郎は大いに狼狽えた。
 オカズ、に、義勇を。宇髄の言葉で脳裏に今までの共同生活が走馬灯のようにかけ巡る。居候し出してから両親も彼女を気遣っていて、許婚などすっ飛ばして家族のように過ごしていたように思う。性差が頭からすっぽ抜けて風呂に突撃しようとしてしまったこともあったが、あの頃は本当に失礼をしでかしたと申し訳なさが全面に出て。
 けれど、ああ、あの、入隊前の隊服。普段は隠された肌が晒されたあの隊服を恥ずかしそうに着ていた義勇を見て、あの時己は部屋に戻った時――。
「―――!」
 思わず口元を塞いだが、駆け上がってくるような熱の上昇に恐らく真っ赤になったことは間違いない。見ていた宇髄は何を思ったか、呻くように声を漏らしてから溜息を吐いていた。
「……えーと……お前、許婚のこと好きって思ってるんだよな……?」
「そ、そ、それは、本当に」
「あっそう……単に初心なだけ? ならまあ、そんな心配することでもなさそうだけどよ……いやでも祝言挙げるってまでなってんのに未だにそれは……」
「そ、それとは?」
「政略結婚なんて好意は二の次だもんなあ……ま、ちょっとは考えてみな、色々と」
 ぶつぶつ呟いたり声をかけたり、最終的には相談なら受け付けてやると告げて、宇髄はさっさとその場を後にした。

 考える。
 どうと言われても、許婚になってほしいと言ったのは杏寿郎なのだ。それに頷いてくれたから今の生活がある。本来なら鬼狩りにならず杏寿郎の帰りを待っていてもらうはずだったが、父と三人で何度も相談し、産屋敷とも協議した結果、子ができるまでは在籍することを決めた。戦いへの怖ろしさを感じつつも何もしないでいられなかった。そう考えるほど控えめな彼女にも勇ましい部分があるのだ。杏寿郎にとってはとても好ましい部分である。
 好きに決まっている。そうとも、宇髄に言われずとも好きに決まっているのだ。義勇は杏寿郎の許婚なのだから。
 まあ、あの隊服は不可抗力だったと言い訳しておきたい。歳頃の女の子の肌など見たこともなかったし、相手は義勇だったのだし。
 思い出せば未だに顔が熱くなってくるのを無理やり追い出すようにかぶりを振り、杏寿郎は息を吐いた。気づかれていないだろうとは思うが、こういうのは女性にとって嫌なことなのではないだろうか。知った仲だとはいえ、恥ずかしかっただろう格好を記憶の中で何度も思い出されるなど。それを……捌け口に使われるなどと。
 そうだ。夫婦になるとはいえ、どんなことでも義勇の嫌なことはしたくない。あの隊士のような輩に気をつけるのは至極当然のことだ。聞くだけでも不快だったあの隊士のことは、義勇もきっと嫌だろう。
 そう考えて宇髄の提案に納得し、杏寿郎は家路を急いだ。腹が減ったと考えながらせっせと足を動かしていると、前方に見知った後ろ姿が見えた。
 もうすぐ我が家に到着するというところで見えた黒髪の尻尾は義勇だった。リボンは外しており、代わりに葡萄色えびいろの羽織を纏っていつも任務に赴いている。大きな怪我もなさそうだが、隣にいるのは父ではなかった。
 はて、何故だろう。昨夜の任務は義勇が父に付き従っていったはずだが。
 しかし父の不在よりも意識を持っていかれたのは、早朝に声をかけてきたあの下世話な隊士が義勇の隣にいることだった。
 何故あの男がここに。一瞬にして杏寿郎の顔から笑みが消える。
 にこにこしながらなにやら話しかけてくる男を、無愛想のまま義勇は何故か煉獄家へ連れていこうとしているように見えた。背後からよく見える、値踏みするような視線。男の手が肩を抱こうとしているのが見えて、胃の腑がひどくむかむかとしたから。
「――義勇!」
 杏寿郎は思わず叫んだ。
 びくりとした隊士は手を引っ込め、義勇は無愛想のまま杏寿郎を振り返った。
 早く家に帰りたい。外だと錆兎の言いつけを守って笑わないようになったから、杏寿郎にもそれがとばっちりのように向けられるのだ。
「何か用だろうか!」
「ちっ……あーいや、藤の花の家紋の家行くわ。ありがとなー」
「……怪我は保つのか……」
 さっさと逃げていった男に向けて義勇は問いかけたが、声が小さくて聞こえなかったようだ。よかった。
「今の彼と知り合いだったのか?」
「知り合い……いや、錆兎の知り合いだそうだ。怪我をしたから傷を診てくれないかと言われたが」
 応急処置しかできないから医者を呼ぶつもりでいたのだが。錆兎の顔も見ずにいいのだろうか。などと義勇が気にしている。
「……歩けるなら大丈夫なのだろう。気にしなくていいと思うぞ。父上は?」
「そうかな……。槇寿郎さんは子供を送りに行った、先に帰ってろと。………、……なんか、怒ってるのか?」
 父がいればあの隊士は義勇に話しかけなかっただろうか、と考えたが今更だ。いつもと違う杏寿郎の様子に気づいたらしく、義勇は無愛想ながら眉尻を下げて杏寿郎の顔を覗き込んだ。心配してくれているらしい。今は錆兎も誰もいないから義勇の表情の変化を見るのは杏寿郎だけだった。
「いや……なんでもないんだ。帰ろう」
――いつか攫われるぞ。
 昔錆兎が言っていたことを、今頃になって思い出す。脳裏に過ったその一言は、いつまでも残ったままだった。

*

 仏間にある瑠火の遺影を見つめていた。
 清く優しく、凛とした女性だ。義勇は姉のようにも瑠火のようにもなれていないのが悔やまれる。もっときちんとした女性ならば、杏寿郎の隣に並んでも遜色なかったはずなのだが。
 しかし、杏寿郎の許婚は義勇であり、二ヶ月後には祝言を執り行う予定だ。せめて身体だけでも強くあらなければ。嫁いでからも研鑽は積んでいく所存である。
――祝言。
 姉の遺影もなければ叔父と連絡を取っているわけもなく、義勇の親族席はすかすかだ。見栄えを気にして鱗滝や錆兎、小芭内は恐らくこちら側に座ってくれるのではないかと思うが。
 姉は祝言を楽しみにしていた。義勇の祝言もいつか見るのだと意気込んでいた。姉にも、見てほしいと思う。だが、それよりも先に義勇の心中は恐怖が渦巻く。
 あの夜を思い浮かべてしまうからだ。鬼を斬る手立てを身につけたとしても、脳裏に刻みつけられたあの暗闇がまた来ると思うとひどく怖ろしく感じている。鬼など斬ってしまえばいいのだからと思っても、ぐちゃぐちゃと咀嚼する音と鉄の臭いが思い出すたびに湧き上がってくるようだった。
 居候先は鬼狩り一家なのだ。ここに居れば安全だと瑠火は義勇に言っていた。大丈夫なのに、どうしても不安が滲み出てくる。
「――義勇?」
 よく知る声が義勇の背中へかけられ、静かに足を踏み入れる音がする。近くまで寄ってきた気配が義勇の隣へ腰を下ろした。焔色が視界の端に映り込む。安心の色だ。
「母上に何か報告が?」
「……強い人だったと思って……」
「確かに! 厳しくもあったが、強く優しい人だった」
 本当の母のように甘えていいと言ってくれ、わからないと言えば思うようにすればいいと寄り添ってもくれた。姉は親代わりでもあったけれどやっぱり姉だったから、母というのは瑠火のような緩やかに包み込む優しさを持っているのだろうかと考えたものだ。
「……何か、不安でもあるのか」
 わかるものらしい。確かに、同じ屋根の下で暮らし続けてもう四年近くになる。それだけ一緒にいれば色々と違いもわかってくるのだろう。義勇も以前杏寿郎が珍しく機嫌が悪そうだったところに出くわしたことがあったことを思い出した。
 しかし、杏寿郎は義勇を逞しいと評してくれたのだから、祝言が怖いなんて話をしても情けないと思われてしまうかもしれない。すでに最終選別が怖かったとばれている以上、これ以上幻滅されるのは嫌だった。だからなんでもないと言おうと隣へ顔を向けた時、思っていた以上に真剣な顔が義勇を見つめていた。
 誤魔化すことを許さないとでも言いたげな、射抜くような視線。息を呑んでしまった義勇に、杏寿郎はふいに視線を緩めた。
「すまない。何かあるなら教えてほしいと思ったんだが」
「………」
 心配してくれている。義勇はいつもどおりでいたつもりだが、今のように隠しきれていないのだろう。杏寿郎に心配をかけるとは未熟。
 二度目の幻滅をさせてしまうとしても、話すべきだろうか。杏寿郎にはきっと取るに足らない不安を、義勇はいつまでも抱えて怯えている。
 けれど杏寿郎は、義勇の話を聞いてくれた。否定することなく励ましてくれて、知っていることを教えてくれたのだ。
「……祝言が怖いんだ。……正確には、……前日の夜」
 あの日が着々と近づいてくる。前日から三日間は非番にしておくと槇寿郎は言っていたから、夜は鬼を斬って気を紛らわすこともできない。まだあと二ヶ月あるというのに、不安が日に日に大きくなっていくのがわかり、つい縋るように仏間へ向かったのだった。
「鬼が、喰らいにくる。姉さんの、血が大量に」
「大丈夫だ」
 膝に置いていた強く握った拳を力強い手に包み込まれ、義勇は瞬いて杏寿郎へ目を向けた。先ほどの射抜くような視線は、温かさを含んだものへと変わっている。
「来たとしても、俺が鬼を斬る。きみが安心して過ごせるよう」
「―――、」
 その言葉は義勇が泣いていた時にも聞いたものだった。姉の葬儀で、誰にも信じてもらえないと蹲っていただけの義勇に、杏寿郎は力強く約束してくれた。何もできなかった義勇を強いと褒め、泣き続ける義勇の涙をずっと拭おうとしてくれていた。
「……うん。嬉しい」
「っ、」
 変わらない杏寿郎に恐怖よりも嬉しさが勝る。笑みを溢して久しぶりだと呟いた。
「昔と同じことを……」
「お、同じ?」
「葬儀の時、お前は今と同じことを言ってくれた」
「そ、うだったか。責務だからな!」
 杏寿郎の頬が赤みを帯び始めて可愛いと眺めつつ、懐かしむように葬儀のことを思い出した。姉の遺影を眺めて隅で泣いていた義勇は、暗闇も寒さも吹っ飛んだような気分だった。
「どれだけ安心したか、お前は知らないだろう。私の言葉を信じて、鬼を斬るとまで約束してくれた。鬼が恐れる陽の光のようで……ふふ、炎だったけど……」
 こういう時、言葉が上手ければもっと適切に伝えられたのだろうけれど、どれほどのものかを伝える術も義勇にはない。せめて少しでも伝えられたらいいと思い、義勇はもう少し言葉を続けた。
「怖くても……杏寿郎が居たら一緒に戦える」
 姉のように優しくたおやかで、瑠火のように凛として清らかな、強い人に。理想に近づける気すらするのだ。
 だから支えたい。強くなりたい。逞しいと言ってくれたように、もっと逞しくなりたい。そうすればなんでも、きっと杏寿郎すら守れるようになれるだろうから。
「そうか……希望である陽の光に例えてくれるのか……だから鬼狩りに。それほど……」
 普段は溌剌と話すのに、珍しくぶつぶつと呟いた杏寿郎に義勇が首を傾げた時、ぐっと肩を掴まれて引き寄せられ、思いきり杏寿郎の胸へぶつかった。肩から背中をぎゅうと寄せられて、抱きしめられているのだと気づいた時はひどく狼狽えてしまった。
「確かに俺は節穴だった。それから果報者だ」
「え、え? き、杏寿郎」
 近すぎる。が、抱きしめられて義勇は気づいてしまった。少し前まで変わらない体格だと思っていたのに、義勇よりもよほどがっしりとした体格になってきている。男の子が男の人になっている。
「――うん。そうだ。俺はきみが好きだ。……そうか、これが愛おしいという気持ちだ。俺はずっとこれを知っていた。きみに口づけられてあんなにはっきりときめいてたのに我ながら鈍すぎる! 不甲斐なし!」
「へ、あの、」
「鬼がきみを喰らいに来ても、必ず守る。……まだ柱にはほど遠いが、きみがそばに居てくれればなんでもできる! 見ていてくれ!」
 ほど遠くなどない。今は柱ではないとしても、義勇は未来の炎柱に嫁ぐのである。そう伝えたくてもはきはきと告げられた言葉がぐるぐると脳裏をまわり、間近で顔を覗き込まれて頬を撫でられ混乱している義勇に言葉を紡ぐのは無理だった。まったくもって未熟。
「……義勇? ちょっと待った、さっきの笑顔を何故消す? 俺の前で感情を隠さなくてもいいだろう!?」
 あまりに混乱した義勇は落ち着くために表情をすとんと消し、それに慌てたらしい杏寿郎は眩しいほどの潔さから一転して狼狽え始めた。
 隠しているのではなく、落ち着くための措置である。だからそう言われても困るだけだ。杏寿郎の腕から抜け出した義勇の表情は確かに消えていたものの、頬の赤みが消えていたわけではなかったが。