巣立ち
畳に額を擦りつけている錆兎の旋毛を眺め、とうとう来たかと槇寿郎は目を細めた。
少し前までは杏寿郎たちと和やかに騒いでいることも多く、鬼などとは無縁そうな振る舞いを見ていたが、ここ最近はどうにも思い詰めたような顔をしていることが多かった。それを気にかけてはいたものの、錆兎が何も言わなかったので杏寿郎たちも見守る方向へ収まっているようだったが。
やはり我慢ならなかったのだろう、ある時堪りかねたように錆兎は槇寿郎の部屋へとやって来た。理由は言わずもがな、最終選別に向かわせてくれという打診だ。
これを断ればきっと飛び出してでも行ってしまいそうだと思わせるような鬼気迫る空気があった。
「もしや槇寿郎さんは、杏寿郎が成人するまで俺たちの最終選別も待つおつもりでしょうか」
「何か問題があるか?」
「大有りです。俺は鬼狩りになるため鱗滝先生に弟子入りした。先生の修行を終えた俺は本来ここにはいないはずです」
遅すぎると言いたいのだろう。育手の下での修行は大体が一年、長くとも二年程度で最終選別への許可を得られることが多い。錆兎のような勇猛で才覚のある少年なら、もう鬼狩りになって階級も上がっていておかしくはないだろう。
生き抜ければの話だが。
煉獄家の男子は十五で成人の儀を執り行う。それまで修行に専念し、成人と同時に最終選別へと向かう。ついでに言えば帰還した後に祝言も挙げる。もちろん日数は多少空いているし槇寿郎もそうだったが、次期当主が成人となる十五の年はとかく色々とすべきことがあるのだ。それはともかく、錆兎よりも歳下の子供が最終選別に向かう中あと二年待たせるのは、代々柱を輩出してきた煉獄家の者が最終選別などで命を落とすわけにはいかないからでもある。錆兎のように雄々しく勇猛な若者が、忍耐と冷静さを会得するための方針だ。
血気盛んで堪え性がない。事態の見極めが未熟。まだ十四の子供にはよくあることである。
「仇討ちがしたいのか」
「………。最初はそうでした」
片眉がぴくりと反応し、槇寿郎は錆兎の旋毛を眺め続ける。
「朴念仁すぎてやきもきしてしまってたんです」
「は?」
「杏寿郎です。いや、あの二人。明らかに好きなのにまったく気づかない杏寿郎も、杏寿郎を見てるだけで満足そうな義勇も!」
姉を慮ってくれたと花開いたような笑顔を見せた義勇と、それに自覚なく見惚れていた杏寿郎。そんな場面を目の当たりにしてから、ことあるごとに脳裏に過る。最初は男らしくない、さっさと気づけと苛々してしまっていたけれど、今ではそのやり取りを見てやきもきしなければ逆にもやもやしてしまうほど。あの二人が楽しそうにしているのを見るのが好きになっていたと錆兎は振り絞るように告白した。槇寿郎は困惑した。
「鈍い……きっとあの部分だけ思考が止まってる……。それともあれが無念無想……?」
「違うと思うぞ」
良いように解釈しすぎだ。ちなみに朴念仁は女には普通使わんから気をつけろ。困惑のままに槇寿郎はとりあえず突っ込んでみるが、ようやく落ち着いたらしい錆兎は溜息を吐いた。
「杏寿郎は十五になったら鬼狩りになるのが決まってる。鬼なんかが居なければ、いくらでも二人でゆっくりもだもだできる時間ができたんだ。いくらでも朴念仁でいられた」
「………」
「最終選別に行かせてください。あいつらが少しでも憂いなく過ごせるように、俺が鬼を殲滅します」
頭を押さえた槇寿郎は、そういうことかと納得した。
言っていることは二人への文句のようなものが多かったくせに、最後の声音はどこか震えていた。それほどに友を想い、鬼を憎んでいるのだ。槇寿郎は深い深い溜息を吐き出した。
能力面でいえば、四人ともすでに最終選別に向かえる域には達している。だが子供故の精神面の幼さはまだ削ぎ落とされていない。特に錆兎の向こう見ずな気質は、本人の能力に裏打ちされた自信の表れでもあるのだろう。
「きみ一人を向かわせることはできない。最終選別は一人で行かせるつもりはない。彼らの気持ちも必要だからな」
「これは俺の問題ですから、杏寿郎たちは関係ありません」
「煉獄家に師事したのはきみだ。残念ながら、狭霧山も煉獄家での稽古もきみたち四人は共に鍛錬している。誰か一人でも否やが出れば行かせるわけにはいかんな」
三人とも否を告げることはないだろうと思うが、誰か一人でも欠けていた時、無事を祈って帰りを待つ義勇の思いは苦しいものだろう。恐らくは育手もやるせない思いを抱きながらも弟子を育てて送り出している。戻ってきた者であればいいが、最終選別では戻らない子供のほうが多いのだ。それを槇寿郎は幸運にもまだ知らずにいる。これからも知りたくなどないのだ。
「守るものがあるほうがきみは慎重になるだろう。三人で向かうことが条件だ。そして全員で帰還すること。できないなら隊士になどなれん。殲滅すると宣言するなら己の友を守りとおしてみろ」
錆兎は突っ走る傾向にある。無茶を無茶だと思わず進んでいくきらいがあった。彼を足止めし、制御するものがなければ危険だ。これは杏寿郎にはないものであり、鬼の襲撃に遭ったことで箍が外れている可能性もあるのかもしれない。その点は義勇もそうだが、勇ましい錆兎と物静かな義勇の性格の差が顕著に出ているのだろうと思う。
唇を噛みしめる錆兎を眺め、返事を待つ。
槇寿郎の懸念も仲間と一緒であれば、補い合える者がいれば危険は劇的に少なくなるだろう。
「………、義勇か?」
「え、」
近くにあった気配が動揺に揺れたことに気づき、持ち主と思われる名を呼んだ。庭から静かに現れたのはやはり義勇で、不安げに表情が翳っている。どこからか話が聞こえていたようだ。
「義勇! いつから聞いて……」
「……も、申し訳ありません。……全員で帰還すること、あたりから……」
大層複雑な顔で安堵の息を吐き出した錆兎に、そういえば杏寿郎と義勇のことを憤っていたなと思い出した。その部分は聞かれたくなかったのか、おかげで安心したのだろう。別に義勇なら聞かれて問題ないと思うが、まあいい。
「………。……あの、その守るものは、数が多ければ多いほどいいんでしょうか」
「え?」
「それは私もついていったら生き残る確率は上がるのですか?」
「何言ってる、義勇」
「……四人のほうが生き残る可能性が上がるなら、私もついていったほうが……色々なことを経験するよう槇寿郎さんもおっしゃいました」
「それは生死を懸けた戦いに向けた言葉ではない」
錆兎の制御役として、杏寿郎や小芭内が無理でも義勇が止めれば聞く可能性。誰かの言葉が冷静さを引き出すきっかけを作るとしたら、人数は確かに多いほうがいい。錆兎自身も女である義勇が危険な目に遭わないことを望んでいるので、もしかしたら杏寿郎と小芭内よりも義勇の思いを優先する可能性は、まあ、なくはないだろう。
しかし、最終選別の過酷さを知っている槇寿郎はおいそれと頷くわけにはいかない。
「単独行動をしなければいいのではないでしょうか!」
「杏寿郎!」
けたたましく開いた扉から杏寿郎が騒がしく現れ、その後ろから小芭内が静かに寄ってくる。結局この場に全員集まってしまい槇寿郎は頭を押さえた。しかも話を聞いているのだから錆兎も慌てている。杏寿郎たちもどうやら途中からしか聞いていないようで、錆兎の心配していた部分は耳にしていないらしいが。
「最終選別は七日間を生き残ることだろう。だったら必要以上に鬼を追わなければなんとかならないか」
「そんな消極的な作戦、情けないぞ。鬼狩りになるのに鬼を追わないなど」
「山の中で七日間だぞ? 普段の稽古とはまったく違う環境で、確実に身体にも影響がある。鬼を斬るのは俺だって当然のことだが、それは鬼狩りになってからでも遅くない。最終選別なんかで躓いていられないだろう」
「目的は隊士になって鬼を斬ることだからな!」
そもそも藤襲山の鬼は隊士ではない人間でも工夫を凝らせば倒せる程度の弱い鬼だ。徒党を組んで鬼に立ち向かうならばそうそうやられはしないはずだ。一人が怪我を負わされたとしても、他の二人が補えばいい。
「………」
三人で顔を突き合わせて話し合い始めたのを眺めていた義勇は小さく笑みを浮かべ、槇寿郎へ一礼し場を離れようとした。この調子なら義勇がおらずともどうにか乗り切る作戦を組み立ててくれるだろうと槇寿郎も考えたのだが、去ろうとした義勇に気づいた杏寿郎が相変わらずの声量で叫んだ。
「義勇、どこに行くんだ! きみもいないと作戦会議ができないぞ!」
「え……でも」
「杏寿郎、義勇は」
槇寿郎が宥めるために口を挟もうとしたのに、杏寿郎は曇りのない目で父を見上げてこう言ったのだ。
「父上は義勇の剣を褒めていらした。剣の腕は充分でしょう? 彼女も志願しようとしていました」
粗削りな今でさえ流れるような太刀筋が、あの形のない流水のごとき剣技が磨き上げられ極めた時、どれほどのものになるかを期待させられた事実を息子から叩きつけられたような気分だった。
七日を経て誰か一人でも欠けていたら、息子を、息子の友を、息子の許婚を殺した畜生に成り下がってしまうというのに。
ぐ、と苦悶に歪めた表情で感情を飲み込もうとしたが、結局人の親であることと、剣士であることは両立できないらしい。息子が見初めた許婚を戦場に放り出そうとするなど、すでに畜生以外の何であるというのだろうか。
「……義勇。お前たちも、七日間生き延びて必ず帰ってくると約束できるか」
「………」
「今から考えます!」
驚愕に目を瞠った義勇は言葉を失ったまま。杏寿郎は普段どおり溌剌と答えて小芭内が溜息を吐き、錆兎はひどく複雑な顔を晒していた。各々それぞれの反応で杏寿郎の言葉に同意したのを確認した槇寿郎は、義勇へと目を向けた。
「………、ど、努力します……」
猿真似でしかないと腐りかけたのに、一端にも槇寿郎は剣士だったようだ。
*
最終選別に向かってから七日後の朝。
槇寿郎が帰宅してから半刻ほど経った頃、子供たちは帰還した。頭に包帯を巻いた錆兎に肩を貸す小芭内と、杏寿郎に手を引かれる義勇の四人で。
皆どこかしら怪我をしているものの足取りはしっかりしていた。
七日間食事は持たせた携帯食と現地で調達するしかなかったが、狭霧山で修行していた四人にはさほど問題ではなかったようだ。まあ杏寿郎はぐるぐる腹の虫を鳴かせていたらしく、鬼に見つかることもあったようだが。
汚れきった四人が全員風呂に入り、とりあえず充分に寝かせた後に話を聞くことにして、疲れきった身体を一旦休ませることにしたのだった。
しかし安堵したのも束の間、何故か鬼殺隊当主である産屋敷から文が届いた。急を要することではないが、相談があるという。一体どうしたのかと不安に駆られるものの、指定された日時は翌日を示していたので一先ずは四人のことに集中することにした。
「申し訳ありませんでした。俺は驕っていました」
最終選別に向かうことを鱗滝へ報告した時、彼は餞別に四人分の狐が彫られた厄除の面を送ってきた。それを各々身に着けて入山したようだが、どうやら鱗滝に強い恨みを持つ何十人と人を喰った鬼が紛れ込んでおり、狐を標的にして襲ってきたらしい。
鱗滝のためにもここで必ず倒すべきだと考えた錆兎は三人の制止も聞かずに単身向かっていこうとしたが、鬼の身体の硬さに刀が折れた。杏寿郎と近くに潜んでいた参加者の一人が飛び出して鬼の攻撃を止め、無理やりその場を撤退し命を救われたのだとか。
基本は四人行動を共にしていたが、一人ではない心強さがあろうと鬼のいる山中での休息はなかなか難しく、後半になると注意も散漫になっていく中、動ける程度の怪我しかなかったのは素晴らしいことであった。錆兎はその手鬼以外には冷静に作戦どおりにしており、参加者の怪我も四人が手当をしていたという。結局最終選別では錆兎たちの救援で死亡者はゼロ。これは前代未聞のことである。誇っていいのだが、これでは喜べないようだ。
「鬼は倒しきれば皆死ななくて済むけれど、それができるのは実力の伴った剣士だけです。俺は逆に危険になって手を煩わせてしまった。未熟であることを痛感しました。……もっと精進します」
「そうか。精進できることに喜ぶといい」
精進も後悔も生きているからこそできることだ。痛感し反省できるなら伸び代は充分にある。本来錆兎は杏寿郎と同じくらい剣士として能力のある少年だ。今は若さ故の未熟さが目立っても、数年もすれば過信も隙もなくなっているだろう。
それでもしくじる時は命を落とすこともある。それが鬼狩りという生業だった。
*
「玉鋼を選んできた?」
「説明されてた女の人から選んでほしいと言われて……」
「ああ……お館様には俺から進言しておこう」
選別後に産屋敷の内儀から入隊の際の説明があり、義勇は隊士にならないと一応伝えたのだそうだ。通過者の決まりごとであるからと、玉鋼を選ばされ鴉までがそばに寄ってきた。困ったものの、あまり迷惑をかけるのも悪いと思ったのでそのまま帰ってきたのだという。
槇寿郎もちょうど本部へ向かうところだからとついでに産屋敷へ辞退を伝えるつもりで草鞋を履いたのだが、ふと選別後のこの機会に呼ばれたのはこれのことだろうかと思い至った。産屋敷としては合格者には隊士になってもらいたいだろうし、それがどんな人間だろうと等しく父で在ろうとしてくれる。家族を失った者たちにとって、救いの手の如く差し伸べてくれる。
しかし。
「あまねから玉鋼を選ぼうとしていなかった子がいたと聞いてね。槇寿郎のところの居候だと聞いたそうだから、少し話を聞きたかったんだ」
やはり目的は義勇のことだったようだ。
現当主の産屋敷耀哉は先代に劣らず聡明で、息子といくつか年齢差があるだけなのに槇寿郎よりも歳上ではないかと錯覚するようなことがある。呪いの短命は産屋敷家に先見の明と泰然さをもたらしたのかもしれない。
「……あの子は息子の許婚です。煉獄家の嫁として輿入れすることになっています」
現在面倒を見ている子供たちが最終選別に向かうことになったので、彼女にも協力してもらい四人で七日間を過ごしてもらった。不安は消えなかったが、帰還は参加者全員という予想していた以上の功績を残してくれた。
「成程。……でも最終選別を突破したということは、鬼狩りになる素質はある。どうかな、私は彼女にも入隊してもらいたいと思うのだけれど」
「い、いやしかし、煉獄家を支えてもらうことを踏まえると負担が、」
「うん、それなら期間を設けてはどうだろう。輿入れするまでの間、子が生まれるまでの間。私としては子が大きくなったら復帰もしてもらいたいけれど」
いくら当主の産屋敷といえど、あまりにもこちらの意向を無視した提案のように槇寿郎は思えた。
しかし、鬼殺隊が人手不足であることは間違いなく、産屋敷がどうにかして働かせたいという思いも理解している。特に、今回のように功績を残した時の通過者だ。
「力を貸してもらえないだろうか」
「………、………」
常ならば御意と答えるはずの産屋敷からの言葉に、槇寿郎は詰まってすぐに口を開くことができなかった。
*
「義勇。――こうして戻ってきた今、きみは鬼狩りになりたいと思うか」
木刀を仕舞っているところに声をかける。放っておけば思い詰めていきそうで、どうにも口が重かったが。
驚いた顔が槇寿郎を見つめ、問いかけてから口を開く様子が見えないとわかったのか、逡巡してから小さな声が耳に届いた。
「……本当は、怖かったんです。でも、戦えるとわかったら、……怖くても……やっぱり……役に立ちたいです」
三人のために共に七日間を過ごしてくれた義勇には、恐怖に震えながらも守りたいもののために刀を持てる強さがあることを槇寿郎は知っている。その太刀筋が成長を期待させ、槇寿郎が見てみたいと感じられるものであることも。
「……きみの輿入れは二年後と決まってるわけだが」
「はい」
「………。たった二年だ。死なないと約束できるなら、輿入れまでの期間を鬼狩りとして共に戦ってくれ。俺としては二年後に足を洗ってもらいたいが……その頃には、子が生まれるまでは鬼狩りでいてほしいと、要求があるかもしれん」
「え……」
「死なないと約束できるか?」
「………、……が、頑張ります」
当然だが返事は曖昧なものだった。どんな返事を寄越されても複雑な気分になっただろうが、義勇らしい答えは槇寿郎を少しばかり落ち着かせることに成功していた。
「……杏寿郎?」
道場から戻る道すがら、必ず通る渡り廊下で待ち伏せのように杏寿郎は壁へ背を凭れさせていた。
父との会話を聞くつもりはなかったが、聞こえてしまってはどうしようもない。
杏寿郎は鬼狩りになるのがどういうことか、真実わかっていなかったように思う。
最終選別を開催する藤襲山に捕らわれている鬼は、大した力を持たない鬼だといわれている。鱗滝の弟子を狙うあの手鬼が異質であり、本来ならあれほどの強さの鬼は藤襲山にいないはずだった。更には四人で行動を共にして事前に作戦もあったのだから、鬼狩りが受ける任務よりも生き残りやすいはずだった。
それでも鬼に襲われ怪我をする。逃げる。強張った顔のまま刀を向けて立ち向かう姿も、七日間で数え切れないほど見た。
――役に立ちたいです。
――節穴だな。
本当にそうだ。彼女は許婚で、いずれ杏寿郎の妻となるはずの人で、本来なら杏寿郎が守るべき相手なのだ。逞しいから強くなれる、志願したのだから、などと、己はなんと考えなしのことを言っていたのかと自覚した。
「……きみは、……リボンと簪を挿して笑っているのがあるべき姿ではなかったろうか」
「………。私は鬼狩りにはなれない?」
「、そういう意味では、」
話し合いを聞いていたことを咎めるよりも先にしゅんとした義勇が寂しそうに呟くものだから、鬼狩りの過酷さを無視してまたなれると口走ってしまいそうになった。
事実、最終選別を通過したのだから義勇は鬼狩りになる資格がある。太刀筋は錆兎や小芭内と共に父が認めた腕前だ。きっと強くなるだろう。――鬼に殺されなければ。
「だって、杏寿郎が頑張ってるのに……。……力になれないかもしれないけど……」
杏寿郎が頑張っているから。まさか鬼狩りになろうとしているのはそれが原因なのか。姉の死のことも影響しているだろうが、杏寿郎まで理由になっているなど考えたこともなかった。そして父に認められた腕前なのに随分自信がないらしい。
「そんなことはない! だって義勇がいることで俺の力になってる。きみとの約束は守らないといけないものだ」
「あんな約束破ったって」
「それは駄目だ、義勇が安心できるようにしなければ」
約束を反故にするのはいけないことだと母も言っていた。むすりと機嫌を悪くした義勇に杏寿郎は少し困ったが、やはりなかったことにはしたくないのだ。どうすればわかってもらえるかと少し悩み、あ、と杏寿郎は声を漏らした。
「ならきみが約束してくれ。父上もおっしゃっていたが、鬼には殺されないと」
「………」
「最終選別を経た今では難しいことも身に沁みている。でもそのくらいでなければ駄目だ、義勇が死ぬのは見たくない」
任務に向かった先にいるはずの鬼がどれほどの強さかなど、杏寿郎たちにはわかるはずもない。義勇が決めたことを否定もしたくない。鬼になんて襲われなければ、義勇は鬼狩りになるなんて言わなかったのではないだろうかと思うけれど。
「……なら、杏寿郎も。死なないで」
「っ、む、う」
「これを約束してほしい。……できない? 私には難しいこと言うのに……」
こちらを見つめる目が恨めしげにも見えて杏寿郎は狼狽えた。確かに、己は難しいことを約束してくれと言っておきながら、義勇が提案した約束をできないなどとは口が裂けても言いたくない。しかし、約束できないことは言えない。杏寿郎は悩みに悩み、やがて口を開いた。
「む、む……いや、努力する!」
「………。ありがとう」
はっきり約束するとは言えないところが情けないが、最終選別を経た今ではやはり軽々しく死なないなどとは言えなかった。今まではぴんときていなかったが、弱き人を助けるうちに命を落とすことだってあるだろう。
一瞬悲しげに表情が翳ったものの、義勇は笑みを見せて礼を告げ、そのまま杏寿郎へと一歩近づいた。
ほんの一瞬頬に触れた柔らかい感触と離れていく気配に、心臓がどくりとひと際大きく反応した。驚いたまま義勇の顔を見つめ、無意識に杏寿郎は問いかけた。
「今のは?」
「……おまじない」
見つめていた杏寿郎の視線から逃れるように目を伏せ、ぷいと踵を返してぱたぱたと廊下を駆け出し部屋へと戻っていった。義勇が近づいた左頬を確認するように指を這わせたが、先程の感触がどんなだったかもうわからなかった。
「おまじない……心臓をうるさくするおまじないか……?」
わからなかったけれど、それがひどく心臓に負荷をかけるものであったことだけは理解して、杏寿郎も惚けた頭のまま部屋へと戻ったのだった。