ひとくち話―とりどり―



「はしたなかった……」
 戸を閉めてからもそわそわと落ち着きなく頬を押さえ、義勇はかなり後悔していた。
 いくら許婚だからといって、頬に口づけるなんてはしたないことをしてしまったが、幻滅されたらどうしよう。そう思ったが、ふと思い出した杏寿郎の顔はさっぱりとぼけた顔をしていて、きっと意味をまったくわかっていなかっただろうと思うことができた。
 わかってなかったからよかった、などととりあえずは落ち着くことができたのだった。
――煉獄家の次期当主は、十五で成人し最終選別に向かう。
 杏寿郎はまだ十三だ。今回は錆兎や小芭内がいたから許可が出ただけで、本来はあと二年修行期間があった。それもこれも鬼狩りという稼業のためであり、代々炎柱を輩出する煉獄家の跡取りだからだ。
――杏寿郎だって、鬼がいなければ戦わなくてよかったかもしれない。
 そう考えたのは今に始まったことではない。杏寿郎が頑張っているから、いくら己が怖ろしくとも戦わなければならないと考えたのだ。姉を助けることもできなかった義勇が、杏寿郎のようになどなれるわけがないけれど。
 姉のように優しくたおやかで、瑠火のように凛として清らかな女性になりたいと思っていた。目標とした姉と瑠火に共通するのは芯の強さだ。
 けれど。彼女たちは強いけれど、身体だけは強くなかった。芯の強さだけで人は守れない。支えたい。強くなりたい。逞しいと言ってくれたから、心身共にもっと逞しくなりたい。そうすれば杏寿郎だって守れるようになれるかもしれない。
 長く一緒に居たいから、どうしても杏寿郎と一緒に戦いたいと思うようになっていたのだった。




「いやあ楽しみです! やはり炎柱様のご子息なら鮮やかな赤でしょうな!」
 最終選別から数日した頃、鱗滝が山を降りて煉獄家へ挨拶に来た。
 怪我をしつつも生きている弟子たちを見て涙し、まとめて抱きしめては何度もよく生きて戻ったと叫んだほどだ。鱗滝の弟子は多くを例の手鬼に殺されたと聞いたから、感動もひとしおなのだろう。さすがに手鬼の話は鱗滝にはできなかった。
 それから約十五日ほどして、刀鍛冶の里から鍛冶師が刀を届けに現れた。
 さすがに杏寿郎が赤以外に変化したら槇寿郎も驚くが、一先ずは見てからだと息子を呼んで刀に触れさせた。
「おおっ、さすがのご子息様です! 素晴らしい赤!」
「ああ、炎の呼吸だな」
「はい!」
 炎の家系である煉獄家から他流派に適性のある者は出ることがない。子を身篭った母が行う儀式は見た目以外にも関係しているだろう。
 もちろん他流派が出ないというだけで別の問題がなかったわけではないようだが、それは杏寿郎には無用の心配だったようだ。槇寿郎と同じく――否、もしや槇寿郎よりも鮮やかな赤である。きっと父よりも強くなるだろう。
 そうして他三人にも刀を握らせる。各々刀身を眺めて思い思いの表情を見せていた。
「錆兎と義勇は似た色だな!」
 殆ど同じといっていい、深く澄み渡った青だ。予想どおりというべきか、二人ともが強くなるだろうと思える色をしていた。そうして最後の一人へ視線を向けると、困惑した目が刀身を見上げていた。
「これは……」
 義勇と小芭内が炎の呼吸に向いていないのはわかっていたが、はっきりと青へ変化した義勇とは違い、小芭内の刀の色は薄く、青というより赤みが混じっていた。これは薄紫だ。
「水の呼吸は扱い難いか?」
「……いえ。そんなに違和感はなかったです。……俺は鬼狩りになれないのでしょうか?」
 不安げに揺れた目が槇寿郎と鱗滝へと向けられる。違和感がないと言うなら水の呼吸の系譜なのだろう。
「そうではないな。色は変わったから、きみに合う呼吸が別にあるんだ」
「呼吸が……」
「ああ、最初に習った呼吸と適性が違うことはよくある」
 あからさまに安堵した小芭内の背中を杏寿郎が叩く。三人は運良く師の呼吸法が一番合うものだったが、小芭内はこれから身につけていかねばならないのだ。
「水の呼吸に適性があるのが錆兎と義勇、錆兎は炎の呼吸も扱ったな」
「扱えてたか? 俺的にはしっくりこなかったが」
「ああ、結構悔しかったな!」
 錆兎の気性が杏寿郎とも近いせいか、炎の呼吸も難なく――本人的には難しかったようだが――扱っていた。
 対して義勇と小芭内に炎の呼吸はまったく合わず、型を繰り出すことも難しかったらしい。
「小芭内は水の派生なんだろう」
「……派生?」
「ああ。呼吸法は様々に枝分かれして作られることがある。というより――」
 ふう、とひとつ息を吐く。これを伝えるのは少しばかり気が重いが、己の陥りかけた不甲斐なさを乗り越えて強くなってもらえるのならそれでいい。恥を忍んで口を開く。
「……今の五大呼吸からして始まりの呼吸の派生なんだ」
「……なんだと?」
「我が家の先祖によれば、ですが」
 鱗滝が反応し、槇寿郎はひとつ付け足した。驚愕に目を丸くしている杏寿郎に視線を向ける。
「……お前は炎柱の書をまだ読んでいなかったな。あれは……正直、手記である故に主観的な書き方がされているから、つい書いた先祖に俺は感情移入してしまい、腐りかけたことがある」
「そうなのですか?」
「ああ。生前の瑠火に諭されて持ち直したが、……お前なら、そういうものかで終わるのかもしれんがな」
 父の恥を踏み台にしてくれれば、己も馬鹿だったと笑い飛ばすこともできるだろう。槇寿郎のように思い悩むことがあるとしても、諭してくれる誰かがそばにいればいい。ちらりと義勇へ視線を向けると、目が合った義勇は少し不思議そうに首を傾げた。
「――とりあえず、習った呼吸と違う色になったからといって悲観することはまったくない。ただまあ、一から作ることになれば大変だがな」
「一から?」
「ああ、一代限りの呼吸というのも古くから数多く存在した。小芭内の色は儂も見覚えがあるから、誰かしらが作ったものだと思うが」
 江戸から明治に移り変わる頃に現役だった鱗滝が見たことがあるのなら、歴史のある呼吸なのかもしれない。今の鬼殺隊に小芭内のような色の刀を持つ隊士はいなかったように思うが。
「水の派生といえば花の呼吸、あれは桃色でしたか」
「ああ、それと蛇の呼吸が似た色だったと思う」
「蛇……」
 首に巻かれる白蛇を撫でる小芭内を眺め、確かに蛇の呼吸なら彼の印象とも相違ないと考える。蛇の呼吸の刀身は見たことがなかった故気づかなかったが、炎柱の書でそういえば言及があったことを思い出した。
「詳しく載っていたわけではないが、蛇の呼吸なら少しは先祖の手記に書いてあったのを読んだことがある。……呼吸について不安はあるだろうが、現時点で水の呼吸を扱うのに不便がないなら追々覚えていけばいい。それから隊内でのお前たちの処遇だが、四人とも私の継子とする」
「継子ってことは……柱候補生」
 ぽつりと呟いた錆兎の言葉に驚いたような視線が集中する。杏寿郎だけはそうなれるよう幼い頃から言い聞かせて研鑽を積んでいたので驚いてはいなかった。
「勘違いはするなよ。これは候補生である前に柱の補佐としての役割が大半だ。候補になれるかどうかはこれからの働き次第」
「単独で死なせないための措置、それとも全員柱の素質があるということでしょうか」
 手を挙げた錆兎が問いかける内容に、槇寿郎は目を細めた。どうやらしっかりと意味を理解しているらしく、槇寿郎は思わず片側の口角を上げた。さほど人相が良いとは言われないので、普通に笑っても見る者によってはあくどい笑みだと思われることもしばしばあったりする。それはともかく。
「そんなことを考える隙があるなら鍛錬しておけ。以上だ」
「はい!」
 将来有望で聡明な彼らは、そうそう任務で死なないかもしれない。剣士であり人の親でもある槇寿郎は、相反するような処遇をさせてばかりいる。申し訳ないと思いつつ、強くなってその生き様を知らしめてほしいと思うのだった。




 ばたばたといつになく騒がしく帰ってきたのは、使いに出ていた義勇だった。居間の襖をすぱんと開けた時、大層目を輝かせて小芭内と錆兎の前に座り込んだ。
「すごい」
「何が?」
「すごく綺麗な子を見かけた」
 頬を紅潮させて、興奮していますと拳を握るさまがあからさまだが、小芭内は錆兎と無言で目を見合わせた。錆兎から疑問符が飛んでくるようだ。一人で使いに出たのかという圧と共に、義勇より綺麗な子なんているのか? という単純な、そして馬鹿みたいな疑問だ。それがわかるあたり、小芭内も毒されている。
「そんな奴いるか?」
「さあ。見たことはないな」
「嘘は言わない……なんでそんな疑うんだ」
 むっと顔を顰めた義勇にふと過去の出来事の話を思い出した。姉を鬼に殺されてから、まわりの親族は義勇が口にする鬼の話をまったく信じてくれなかったと聞いていたのだった。同じく思い出したのだろう錆兎がわかりやすく狼狽えている。
「い、いやだってなあ。義勇はなんでも褒めるから……」
「そうだ、お前の褒め言葉は正直あてにならん。息を吸うように褒めてくる」
「えっ」
「お前、よく知らん奴を手放しで褒めたりするなよ。絶対面倒なことになるからな。それでなんで俺たちを呼ばず使いに出てるんだ。護衛がいると前に話したはずだろう」
「ええっ。今日はハナさんと……」
 控えめで前に出ないせいかなかなか意見も言わないが、言ったら言ったで小芭内たち三人を褒めちぎりながら自分を卑下してくるのが鬱陶しかった。どう考えても錆兎と同様の刀の色をしているこいつは強くなるだろうに、嫌味かとネチネチ言いたくなってくる始末だ。まあ、悪気もそんなつもりもないのはそれなりの付き合いで理解しているが。使いについてももごもご言い訳しているのを無視し、小芭内は溜息を吐いた。
「で、どんなだって?」
 とりあえず目を輝かせていた綺麗な子とやらに話を戻してみる。思い出した義勇はまた興奮したように言い募り始めた。珍しいこの状況を杏寿郎が見ていないのがなんとも間の悪いことである。少しずつ意識している気がするので、いつもと違う姿は見せておいて損はないだろうと思うのに。
「えっと、髪が長くてつやつやで、優しくて、朗らかで……姉さんみたいににこにこして」
「………」
 ああ、そう。姉を彷彿とさせた子だったということか。だとすればこれは本当に綺麗な子だったのかもしれない、なんて考えているのは小芭内だけではないだろう。だって義勇の姉だ。姉は美人で優しくて、と聞けば褒め言葉しか紡がないが、杏寿郎も槇寿郎も義勇の姉のことは美人だったとちゃんと言っていたので、身内の贔屓目ではないということだ。そもそも義勇の姉なのだから美人なのは間違いないだろうが。
 その義勇の姉に似ているのなら、少なくとも整った容姿をしていただろうことは想像できた。こんなに騒ぐほどかは知らないが。
「ん? 何持ってるんだ義勇」
「……あっ、……持ってきてしまった……どうしよう」
 なにやら街で荷物を落としばら撒いていたから一緒に拾ったはずなのに、すべて渡しきれていなかったらしい。手のひらに収まるほどの小さな丸い容器は、義勇のものではなく他人のものだ。
「うーん、名前もわかんないならもうどうしようもないよな」
「まあな。会えるかわからんが持っておいたらどうだ。いつかは巡り合うかもしれんぞ」
「うん……」
 蝶の絵が蓋に施されていて、売り物にしては使い古されているようにも見える。蓋を回すと軽い力で開いたので確認すると、中身はどうやら軟膏のようだった。
「使われてるな。私物だったんだろう」
「私物……大事なものだったらどうしよう……」
「まあ、仕方ないだろう。そのうちまた会えるよ、街で会ったんなら向こうも生活圏内だろうしな」
「うん……」
 いつか会えたら、今度は名前を聞いて仲良くなってみるといい。引っ込み思案な義勇には難しいことかもしれないが、鬼狩りになるよりは簡単だろう。ぎゅ、と容器を握りしめる義勇に揶揄い半分で口にしてやると、嫌味も通じずどちらも難しい、としょんぼりされてしまった。




「よし、義勇も着替えてこい。お、おかえり杏寿郎。届いてるぞ、隊服」
 小芭内と錆兎の部屋から出ていく義勇を見送り、すでに隊服に身を包んでいる二人を見て杏寿郎もおお、と感嘆の声を上げた。
 真っ黒な隊服は父のもので見慣れているものの、錆兎と小芭内が着るとまた印象が変わる。ボタンも金ではないし、羽織もないから正しく駆け出しという出で立ちだ。
「ぴったりだ」
「成長した時はそのたび手直してくれるそうだ」
 父も成長期は直したり新しいものを頼んだりしながら着用していたのだろう。杏寿郎も真新しい隊服に袖を通すと、確かにぴったりな上にとても動きやすかった。少しの攻撃では破れもしなそうな生地である。父の羽織を真似て、着ていた長着を肩にかけてみた。
「ああ、似合うな」
「ま、槇寿郎さん見てればわかるしな」
「それはそうかもしれないが!」
 なんだか雑に流されたような気がするが、すでに錆兎の中で話は終わったらしい。廊下に出た錆兎は義勇の部屋の前で声をかけた。
「どうだ?」
 戸をとんとん叩きつつ、錆兎は開けずに廊下から声をかける。反応は特にない。
「まだか?」
「まあ女だからな、準備なりあるんだろう」
 試着にどんな準備が必要なのか杏寿郎にはわからなかったが、時間がかかるなら終わるまで待とうと杏寿郎は二人に声をかけ部屋へ戻ろうとした。
「……私のは間に合わなかったのかもしれない」
「は? どうした、何か不備でもあったか?」
 戸の奥から小さな声がそっと聞こえてきて、それがなんだか心許ないものに思えて杏寿郎は少し心配になった。隊服を試着するだけで一体何があるというのだろう。間に合わなかったということは、もしや未完成のものが渡されたのだろうか。
「なんかよくわからんが、着替えたか? 開けるぞ」
「えっ、待っ――」
 錆兎が開け放った時、義勇は部屋で慌てたように戸へ手を伸ばそうとしていた。恐らくは閉めようとしたのだろう、待ってと言おうとしていたように彼女の声が聞こえたのだ。そして戸の奥から現れた義勇の頬が染まり、身体を腕で隠そうとしたのを視界に入れた杏寿郎は、錆兎の脇をすり抜け殆ど無意識に羽織っていた長着を義勇へばさりと被せた。
「わぶ、」
「………。なんか……とんでもない隊服を着てた気がしたが……杏寿郎が真っ赤だ。……まあ、錆兎も真っ赤だが」
「女の子のき、着替え途中で開けるとは変態だぞ!」
「へんた……っ、ご、ごめん! 着替えてないなら早く言え!」
 唯一冷静だった小芭内が全方位に突っ込みを入れたが、そこは無視してほしかったところだ。長着を被せた義勇がもぞもぞし始め、半泣きの顔が隙間から覗く。ぎくりと全身が緊張した。
「着替えたらボタンが閉まらなくて……袴も短いスカートだ」
「もうほぼ裸だろそれ……あー、茹でダコ三匹にしてすまない。いや、杏寿郎が真っ赤なのは大した進歩だな……」
「一人で浸るな」
 何故褒められたのかさっぱりだが、そんなことより問題は義勇の隊服だ。ボタンが閉まらないだの袴が袴ではないだの、ぐるぐるその言葉ばかり杏寿郎の頭を巡ってしまっているが、これでは戦いどころか外に出ることも無理だろう。家の中を闊歩されるのもたまったものではない。どこを見ていいか困ってしまう。
「こほん、とりあえずは槇寿郎さんに相談だろ。行くぞ」
「このまま着てるといい」
「ありがとう……」
 未だもぞもぞする義勇に腕を通して長着を着るよう促しながら、しっかり完成品を送ってもらうよう父に頼んで伝えてもらわねば、と杏寿郎は考えた。

「女物の隊服の丈と大きさがおかしい?」
「はい」
 部屋で炎柱の書を読んでいた父は、報告した内容に眉を顰めて疑問符を浮かべた。
「ボタンが閉まらなくて」
「ぶっ」
「あとこれも……」
「うっ……」
 義勇からの報告になんとも形容し難い表情を浮かべた父は、顔を歪めては頭を押さえて時折こめかみをぐりぐりと押していた。やがて真剣な表情で義勇へと向き直る。
「……下は袴の履き忘れじゃないのか?」
「そこまで抜けてないです……」
「どうだかな。今回はないみたいだが」
 小芭内の軽口に少々機嫌を損ねたらしい義勇が唇を尖らせたが、なにやら思案していた父はふと小さく声を漏らし、そういえばと続けて呟いた。
「縫製係になにやら問題児がいるとか聞いたことがあったな……さほど迷惑を被ることがなかったから忘れてたが……さてはあいつだな」
「どなたですか?」
「前田という縫製係だ。まったく、嫁入り前の若い娘になんて格好をさせとるんだ。直談判してきてやる」
「あ、父上! 俺たちも行きます! 行こう義勇、自分でどんなものがいいかを言わないとな! 行ってくる!」

「………」
 慌ただしく出かけていった三人――うち義勇は長着を被ったままである――をなりゆきながら見送り、小芭内は錆兎と顔を見合わせた。
「まあ、槇寿郎さんがいるから大丈夫だろ」
「それはそうだが……あの人義勇のことほぼ自分の娘だと思ってるだろ」
「……まあ、自分の娘になるんだから間違ってはないだろ。というか俺たちのことも家族扱いだからな。先生といい、懐深い人だよなあ」
「あー……有り難いよ本当に……」
 なんだかしんみりしてしまったが、怒鳴り込みに行った槇寿郎たちが戻ってきたのは数時間後だった。半泣きだった義勇が安堵したように落ち着いていて、長着の下はきちんと小芭内たちと同じ形の隊服になっていた。次変なものを渡されたら言いなさいと義勇に言い聞かせる槇寿郎は正しく娘に過保護な父のようだったし、それにこくこくと頷く義勇もなんだか微笑ましいと感じるものだった。杏寿郎の亀の歩みのような心の進展も、本当はずっと眺めていたいものなのである。