転機と変化

 瑠火が旅立ったのは杏寿郎が帰ってきた翌日で、息子の帰りを待ってくれていたかのように息を引き取った。
 居候の子供たちは皆率先して手伝いを申し出てくれた。錆兎などは状況も殆ど理解できていなかったろうに嫌な顔ひとつせず、むしろ息子たちを気遣うように発破をかけて気を紛らわせてくれていた。槇寿郎が不在の間は義勇も小芭内もハナの指示に従いながら屋敷を走りまわっていて、ようやく法要もひと段落したところで稽古を始めることになった。
 狭霧山で水の呼吸を修めてきた四人だが、鱗滝の報告によれば杏寿郎はまったく水が表れなかったそうで、代わりに炎の呼吸の型をやらせればなんとも力強い炎が上がったと褒めていた。ただ、根っからの炎の家系であるという言葉は、なんとも揶揄われているような気分になってしまったが。
 他流派を知ることは勉強にもなるので、水が出なかろうと杏寿郎の身にはなっているはずだ。四人の中で一人だけ水の幻影が出せなかったことはそれなりに落ち込んでいたらしく、しばらくしょんぼりしていたようだ。
 杏寿郎の後、二人目に錆兎の実力を図る。
 一礼して顔を上げた錆兎の目はやはり強い眼差しで、杏寿郎とは違った力強さがある。男らしさを他人にも求める姿は少々頑なにも思えるが、将来が楽しみな少年でもあった。
 錆兎の太刀筋はやはり力強く、これほどの鮮やかな激流は柱にも見たことがあったかどうかと驚くほどだ。水の呼吸といえば冷静で落ち着きのある柱が多かったような気がするが、気性と呼吸は関係ないのかもしれない。炎とどちらに適性があるかと考えることがあるとは思わなかった。
 小芭内も四人の中で未だ小柄であることは間違いないが、以前の弱々しさは鳴りを潜めてしっかりと木刀を振っていた。錆兎ほどではないが水もしっかり色づいているし、水の呼吸との相性は良いように思う。間違いなく杏寿郎よりは。
 それから最後に義勇を呼ぶ。緊張しているのか不安そうな顔をしているが、鱗滝は彼女もしっかりと褒めていた。折れない根性とついてきた体力も相まって、三人ともなかなか良い勝負をしたそうな。女が苦手な小芭内とも早々に打ち解けられたらしいので、それだけでも共に行動させた甲斐があったように思う。
「きみが身につけてきたものをぶつけてきなさい」
「……はい」
 呼吸をして木刀を構えた義勇から怯えが消える。思わず目を瞠ったのは空気が一変したからだ。
 今までのくるくると変化する表情などまるでなかったかのように、凍った水面のような静けさの空気が義勇を包む。更に驚いたのは、義勇の放った型から表れた水が錆兎と変わらぬほどの鮮やかさを持っていたからだ。
 流れる水のように変幻自在の太刀筋。水柱を彷彿とさせるような気さえしてくる。
「……あいつ、やっぱり……強くなるんじゃないのか?」
「俺もそう思う!」
――ああ、俺もだ。
 全員将来が楽しみになるほどに。
 見てみたい。杏寿郎と共に強くなるところを。熱く激しい赤に深く鮮やかな青の刀がきっと二人の日輪刀だ。杏寿郎と二人。瑠火の言葉を思い浮かべ、猿真似でこのような鮮やかさ、力強さは出せまい、出せてたまるかと槇寿郎は強く思う。
 窓から滑り込んできた鎹鴉に気がついた槇寿郎は、ここまでと告げて木刀を下ろした。
「ありがとうございました!」
「ああ。鱗滝殿から聞いているとは思うが、一応こちらからも伝えておく。義勇も聞いておきなさい」
「はい」
 鴉が肩で待機するのが初見なのか、錆兎はじっと物珍しく眺めていたが、四人に向き直ると全員が姿勢を正した。
「鬼狩りになるには七日間ある最終選別を生き残らねばならない。受ける時期は私と、鱗滝殿の許可の二つを取ってからとする。すでに煉獄家に来ているからといって、怠けていれば狭霧山に送り返して修行のし直しだからな」
「はい!」
「それから、………。最終選別から必ず生きて帰還すること。これを目標に力をつけなさい」
 隊士にもなっていない素人が、七日間も鬼の追跡から無事に逃れるのがどれほど難しいか、槇寿郎はすでに経験して知っている。煉獄家のような稼業であればまだ対応も可能だが、鬼にトラウマを持つような子供は数多くいる。対峙した鬼を前に身体が動かず喰われてしまうことも、目の当たりにしたことがある。
 だが、応えられなければ死あるのみ。鬼狩りにはなれない。肝に銘じるよう言い渡すと、各々が返事をして頷いた。

 父が任務に向かってから、義勇には先に風呂へ行くよう伝えて男子三人は道場で輪を囲んでいた。現役の柱はやはり育手とは違う、と感服する錆兎に杏寿郎は誇らしい気分になった。
「……炎柱、義勇の太刀筋見て目の色変わったな」
「ああ、もしや最終選別に行かせるのかもな」
「そうなのか! したいことができるようになるならいいが!」
 狭霧山での修行は厳しいもので、最初こそ泣きそうになりながらついてきていた義勇だったが、慣れてきた頃は楽しいと言っていたのを思い出す。
 鬼狩りになりたいと思っているのなら、義勇が我慢を強いられるのはやはりよろしくない。母のように家で帰りを待っていてもらうのがきっと今までの煉獄家だったのだろうが、一代くらい共に戦う夫婦がいても良いのではないだろうか。
「……あのな、本当なら女が戦わなくたっていいんだ。俺たち男が頑張れば」
 わくわくしていた杏寿郎に神妙な顔をした錆兎は言い含めるように言葉を口にした。杏寿郎とて一応それもわかってはいるのだが。
「でも、彼女はなりたいかもしれないぞ。努力家だしきっと強くなる」
「……あいつは修行が楽しくても戦いたいわけじゃないよ」
「なんだ、お前義勇のことをちゃんと見てないのか。節穴だな。お前がそんなんなら、いつか攫われるぞ」
「―――、」
 二人の言葉は槍で思いきり突かれたような気分になり、杏寿郎は何を紡ぐこともできなかった。

「兄上ー、お風呂が空きました!」
「ん? 千寿郎が入ってたのか?」
 半刻ほど経った頃、ほかほかした千寿郎が道場へと現れ、機嫌良く杏寿郎のそばへとやってきた。
 せっかく風呂上がりのさっぱりした状態で、汗だくの兄に抱きつくのはやめたほうがいいと制すると少し寂しそうな顔をしたが、その後に入ってきた義勇もまた風呂上がりだった。
「えっ、」
 何故か驚いたように錆兎から声が上がったが。
「ハナさんに頼まれて一緒に……」
「そうか、すまないな!」
 弟妹のいない義勇は歳下を風呂に入れるような経験もなかったはずなので、慣れない中で頑張ってくれたのかと嬉しく思う。千寿郎が全部一人でやっていたから手伝うことがなかったと口にしたが、それが半分謙遜であることはすぐにわかった。
「義勇さんは背中を洗ってくれました」
「よかったな千寿郎! 俺たちも行こう!」
「……ああ……」
 なんとも複雑そうな顔を晒した錆兎が力なく頷いたが、それをこれまた複雑そうな顔で小芭内が見ていた。

「杏寿郎、お前……、……義勇のこと……その、どう思ってるんだ……?」
 三人並んで湯に浸かり息を吐き出した後、なにやら歯切れ悪く錆兎が切り出した。端にいる小芭内も何気に気になるのか顔をこちらへ向けていた。
「どう? 好きだが。声は小さいが直向きで好ましいと思ってるぞ!」
「……あ、そう……」
「諦めろ。まだお子ちゃまだ」
「なんだ、悪口か!? きみたちとは一つしか違わないぞ!」
 そういうことじゃない、と呆れた口調で錆兎が一言告げる。そうはいってもどういうことかがわからないし、どう思うのかと聞かれたから思っていることを伝えたに過ぎないのに。
「あっちは意識してそうなのにな……」
「ほんっとに盗られても知らんからな……」
「む。しかしきみはさっきから俺のことばかりだが、錆兎も義勇に対して遠慮があるだろう! 嫌いなのか?」
 問いかけてみれば不満そうに眉を顰め、大きな溜息を吐いている。相変わらず呆れていそうな空気が杏寿郎に突き刺さってくるが。
「嫌いだったら一言くらい物申してるし、一緒にいない」
「そうか、まあそれはそうだな!」
「こっちはこっちで思春期だろ」
「やめろ」
「思春期? 錆兎がか?」
「違う! お前たちが許婚だから、二人の時に話しかけるのは杏寿郎が嫌かと思って……」
「何故?」
「はあ……」
 今度は同時に溜息を吐かれる。
 妙な気をまわしている錆兎も大概だが、と小芭内は呟いたが、ぐぬぬとなんだか悔しそうに錆兎は黙り込んだ。
「最初はもやもやしたが今は仲良くなったからな! 隣で寝るのも大丈夫だぞ」
「……えっ!?」
 呆れも悔しさも吹き飛んだ二人は驚愕に表情を変化させて顔を見合わせた。勢いがつきすぎて湯が揺らぐほどである。先ほどと一転して嬉しそうな錆兎が杏寿郎の肩をばしゃんと叩いた。
「もやもやしたのか、そうか!」
「で、では千寿郎と義勇が風呂に入ったことは!?」
「手間を取らせて申し訳なかった! 千寿郎とも入りたかったな! まあ楽しかったようなのでいいんだが」
「くそっ!」
「いや、相手弟だからな、仕方ない!」
「なんの話だ!?」
 悪態をついて湯船の縁を両の拳で叩いたのは小芭内だったが、拳のほうが痛かったようだ。うって変わって錆兎は小芭内を慰めるように仕方ないと頷いた。先ほどから本当に意味がわからず、随分仲良くなったのだなあと二人を眺めていた。
「坊っちゃん方、お食事の準備が済みましたから、騒いでないで早くお上がりになってくださいね!」
「はい!」
 脱衣場からかけられたハナの言葉に元気よく返事した杏寿郎と錆兎は同時に湯船から上がりぺたぺたと歩き出す。なおも悔しがっている小芭内に声をかけて、彼もようやく立ち上がった。
「まあ、お前がそう言うならこれからはお前を気にせず義勇と話すことにする」
「そうしてくれ!」
「そうだ、いいぞ。もっともやもやさせろ」
 何故もやもやさせようとしているのかわからず杏寿郎は疑問符を浮かべたが(嫌がらせか?)、やはり二人はどこか楽しそうであり、ほんの少しばかり疎外感があった。
 しかしまあ、仲が良いのはいいことなので、それほど気にせずにいることにした。