狭霧山
「合格」
息を切らせて山から降りてきた杏寿郎に、天狗は静かに一言言い放った。
あばら家の中で待っていたのは天狗と、杏寿郎と歳の変わらない少年の二人だった。強い眼差しが杏寿郎を見据えてくるが、今は応対する暇がないほど呼吸が乱れている。
狭霧山の麓に辿り着いた一行は、すぐにあばら家を見つけることができた。
戸を叩くと出てきた天狗に一同驚いてしまったが、元水柱の育手であると聞いて杏寿郎は浮足立った。炎と水の歴史は昔から父に聞いていたし、実際に水柱だった人の稽古を受けられるとは思っていなかったからだ。
そうしてわくわくしている杏寿郎を制しながら、父からの文と杏寿郎たちの話を聞き、まずは修行を受けるに相応しいかどうかを見させてもらうと早速山へ登らされた。出稽古は了承したが、それを受けるに値する者でなくては指南するつもりはないと突き放されたのである。
三人で山を降りていたが、進むごとにやはり鍛錬の差が顕著になってくる。休み休み進んでいると、先に行ってほしいと二人から言われてしまった。ちゃんと向かうと義勇も小芭内も言うので、それを信じて先に降りてきたのだった。
「随分速いな。二人を置いてきたのか」
「………、待つなと言われてしまったし……大丈夫だ、義勇は逞しいし、小芭内も粘り強い」
「ふうん、居候だったか?」
「ふう。ああ、許婚と、小芭内は父が連れてきた」
「ふうん、……許婚!? な、なんで許婚と修行に来るんだよ!」
呼吸を整えながら答えていると、少年は許婚という言葉にひどく狼狽えて驚いていた。確かに、許婚は普通家で待っていそうな気はする。しかし義勇は逞しいので普通の許婚とは違うのだろう。
宍色の髪を持つ少年は名を錆兎といった。少し話しただけでもはっきりとした性格で、気に入らないことには否を突きつけるような強さを持っているように見える。明け透けな気性が好ましかった。
「女に鬼狩りの修行って……耐えられるのか? あんな……か、可愛らしい子が」
むすりと顔を顰めながらも、錆兎は頬を色づかせていた。どうやら義勇に照れているようだが、杏寿郎はそれがなんだか妙に気になったものの、なんと指摘すればいいのかよくわからなかった。
「義勇は一人で逃げ出してうちに来たから、すごく逞しいぞ!」
だからとりあえず義勇の逞しさを褒めながら錆兎に教えることにした。見た目は愛らしく性格も大人しく控えめだが、いざとなると自分の足で走り出すような子だ。父ですらお転婆どころかじゃじゃ馬では、と呟いていたのを知っている。そのくらい元気がなければ坊っちゃんについていけませんし、と笑ったのはハナだ。小芭内も逃げ出したところを保護したと父が言っていたので、二人の気質は実のところ似ている部分があるのだろう。
心配ないとまでは言わない。罠ばかりで杏寿郎すら危ない目に遭ったし、大丈夫だろうかと思っているけれど、信じることも大事なのだ。
がたん、とあばら家の外で何かがぶつかる音がして、鱗滝は戸を開けた。地面に蹲るぼろぼろの義勇を見つけ、思わず杏寿郎は駆け寄った。
「義勇、大丈夫か!?」
荒れた息の合間、時折苦しげに喉がひゅうひゅうと鳴っている。うまく息ができないのか咳き込む様子に背中を擦り、義勇を背負って中へと入った。
「なんだ。逞しいとか言っておいて、実際ぼろぼろなの見たら慌ててるじゃないか」
言っていることとやっていることが違うのではないかと指摘され、杏寿郎はつい目を逸らしてむっと唇をへの字に曲げた。そんなことをぼやきながらも、錆兎こそ義勇へそっと水差しを渡している。
「もう一人は?」
「………、待つなと言われて……」
待ったら今後居ないものとして扱うとまで言われて義勇は仕方なく先に来たらしい。荷物はあばら家に置いていたし、杖もないまま山を降りているのだ。本調子ではないことも影響して心配ではあったが、彼も決めたことは粘り強く完遂させる力がある。きっとそのうち戻ってくると励ませば、笑みを見せて頷いた義勇はぼろぼろなのになんだかきらきらして見えた。
その後しばらくしてまたあばら家に音が鳴り、戸を開けるとすぐそばで行き倒れのように突っ伏している小芭内がいた。手だけは戸に引っ掛けて叩いたのだろう。杏寿郎が運び込むと同時に鱗滝から二人とも合格と声がかけられ、嬉しそうに笑う義勇が小芭内にも良かったと声をかけた。濡らした手拭いを額に乗せると、小芭内は小さく笑ったように見えた。
「お前の荷物なんでそんなでかいんだ。男なんだから着の身着のままでもいいだろうに」
一先ず小芭内は寝かせたまま、杏寿郎が荷物を開けようとしたところで錆兎が問いかけてきた。
一理ある。鬼狩りの任務場所は山奥だったりもするらしいので、物資などが充分ではないこともあるだろう。それに対応するためにも着の身着のまま修行を受ければ慣れもしそうだが、しかし。
「食事情で迷惑をかけるわけにはいかんからな!」
「いや、その日に調達すれば食事は先生が作ってくれるぞ。採れなくたって……」
風呂敷の一部は確かに杏寿郎の着替えや怪我の時の手当用包帯など入れてあるが、大半は食材である。まるまる太った大根やさつまいもなどの根菜類、アジなどの干物、干し柿、なんでもいいから腹に溜まりそうなもの、とにかくたくさんのものを持たされた。父がハナに頼んで準備してもらったものだ。
「これは杏寿郎のご飯」
「はっ? 一人分か? これが? お前たちは?」
疑問符が錆兎からぽこぽこ飛んでくる。もちろん現地で調達することは大前提としているが、なにせ杏寿郎の胃袋は、否、煉獄家の男子の胃袋は常人とは違うらしいので。
「もちろん義勇と小芭内の分も込みだ! ただ大半は俺の腹に収まってしまうので……」
「……これは……何日分だ?」
なんだか神妙な空気で鱗滝が問いかける。食材を眺めて唸りながら杏寿郎は、できるだけ一食を少なくしてどれだけ耐えられるかを計算した。
「……二日……いや、三日保たせます!」
「は、はあ……?」
「……予想以上だな……」
鱗滝は父から一応聞いてはいたらしい。しかも鱗滝の代の炎柱も煉獄家の者だったと言い(恐らくは祖父か曽祖父だ)、そういえばあれも健啖家だったとどこか呆れたような、しかし懐かしげな声音で呟いた。
「……まあ、食で不便をさせるつもりはないから、好きに食べなさい」
「しかし、」
「子供が遠慮するな」
「でも明日からは全員手伝うんだぞ」
疲れているから今日のところは食事作りと風呂焚きを錆兎だけが手伝うと言い立ち上がる。
それを見送りながらも鱗滝の言葉に杏寿郎は少し困ってしまったが、休んでいた小芭内があまり食べられないことを伝えるのを聞いて、いいと言うなら甘えようと決めたのだった。
そうして狭霧山での初日が夜を迎え、明日からの修行に備えて寝ることになった。
といっても、あばら家は煉獄家とはまるで違い、子供とはいえ四人も居てはぎゅうぎゅうだ。こんな大勢で寝たことがないと不安げに呟いた小芭内だったが、それは正直杏寿郎もだったし、姉とふたり暮らしだった義勇もあまりなかっただろう。
――しかし、順番に悩んでしまうなあ。
俺はどこでもいいんだが、と呟きながら思案した。
義勇は女の子だから隅にしておきたいし、小芭内も気持ち的に隅がいいだろう。小芭内を隅にするには錆兎と杏寿郎が並べばいいのだが、初対面の錆兎の隣で小芭内は眠れるだろうか。
義勇と錆兎を隣にしてしまうのもなんとなく気に入らない。しかし義勇と小芭内が隣同士では、慣れてきているといっても小芭内が落ち着かないと思われる。うんうん唸っていると、不審そうな目をした錆兎が首を傾げて杏寿郎を眺めていた。
「唸ってないでもう寝るぞ」
「しかし、まだ場所取りが、」
「まだ悩んでるのか、男らしくないな。そこの二人はもう話がついたようだが」
なんだか貶されてしまったが、くいくい引っ張られる感覚に隣へ目を向けると、二番目の布団の上に義勇が座って杏寿郎の袖を掴んでいた。どうやら小芭内が隅を獲得したようだ。しばらくもそもそ話し合いをして、譲り合いになり結局はじゃんけんで決めたらしい。明日は交換するつもりのようだ。
「大丈夫なのか?」
「ああ、まあ……大丈夫だと思う」
はっきり答えず曖昧だったが、何を指しているのか理解して返事をくれたようだ。義勇は小芭内と同様煉獄家に居候しているが、小芭内の苦手な女の子だ。だから普段もあまり話しているところを見ない。
だがこの狭さで我儘を言っていられないというのと、ひと通り行動を共にしたのもあり大丈夫だと判断したらしい。結局確信したのかそうでもないのかわからないが、小芭内の照れ隠しのようなものだったりするのかもしれない。かくいう杏寿郎も小芭内が義勇の隣なら特にもやもやすることもなかった。
よかったよかったとようやく杏寿郎も布団に潜り込み、不思議そうにしている錆兎におやすみと声をかける。こちらを向いて寝転んでいる義勇の顔には湿布が貼られていて、杏寿郎は手を伸ばしてぺたりと頬へ触れた。
「腫れないといいが、……なんだかすっきりした顔をしてるな」
「……そう?」
「うん。慣れてないだろう、こんな殴られたような打ち身や怪我は。痛そうなのに」
「……痛いけど……あんまり気にならない」
「そうか! 来てよかったと思えたら父上も嬉しいだろうな」
「……そうかな」
「うん。おやすみ」
少しだけ会話をして、話を切り上げるように挨拶をすると頷いた義勇は目を瞑った。それを見届けて杏寿郎も目を瞑る。疲れきっているのは杏寿郎もだが、義勇たちは鍛錬も初めてなのだ、合格を貰ったことが嬉しくてすっきりした顔をしているのかもしれない。そう納得すると杏寿郎もなんだかすっきりした気分になった。
電気の消えたあばら家には、ほのかに藤の花の匂いが漂っていた。それに安心して引きずられるように意識は落ちていった。
*
「待った! それ俺が獲ってきたやつじゃないか? 大きさが違うぞ」
「そうだったか? でも下拵えは俺だ!」
「いや、皮剥いだくらいじゃ担当したとは言わないぞ」
「時間のかかる作業だと思うがな……」
焚火のそばで獣肉を焼きながら騒ぐのは錆兎と杏寿郎だ。それを少し離れた場所で眺めながらもそもそ握り飯を咀嚼する義勇と、更に離れた岩の上で休みつつ口を挟む小芭内。肉の焼けた匂いにあてられてしまったようで、握り飯も食べられないようだ。食べなくても問題ないと言って数日前も昼飯を抜いていたが、確かに身体の動きも鈍るようなことはなかった。
焼いているのは野ウサギだ。皮剥ぎから下拵えを錆兎はすでに経験済みであったから、杏寿郎に教えてやっていた。気性の似ている二人は喧嘩に発展しそうな勢いで言い合うこともあるが、基本は友好的な態度を取る。ひとつとはいえ歳の差があるものの、鍛錬の年季の差といい具合に相まったらしく二人の能力は現在互角だ。錆兎は負けん気が刺激されるらしく、修行中に張り合ってしまうようだった。
最初は話す余力すらなかった小芭内も、今では錆兎と杏寿郎の言い合いに一言口を挟んでは二人の様子を眺める程度の余裕が出てきていた。座敷牢に居たというから、少年二人のやり取りも物珍しく面白いのかもしれない。
そして、紅一点である義勇。引っ込み思案という話は間違いないようだが、許婚だという杏寿郎とはよく話しているし小芭内とも悪い関係ではないようだった。女が苦手だと聞いたが、小芭内自身も義勇が相手なら来た当初より遠慮をしないようになっていると感じられた。錆兎とはつかず離れずのような関係だが、思春期を発揮しているのか錆兎は義勇と二人の時はあまり話そうとしない。義勇自身は話したそうに背中を見ていることがあるが、杏寿郎が入らないと話しかけはしない。
とはいえ、嫌っているというわけではない。
錆兎は義勇と二人の時、なにやらひっそり隠れるようにして気遣うような匂いがあった。思春期ではないと仮定するならば、許婚という間柄を気にして話しかけないようにしているのかもしれない。
下手に意識するほうが気になってしまうだろうとは思うが、錆兎なりに二人を見守っているのだろうか。そうだとしたら、と鱗滝は微笑ましさに面の奥で人知れず笑みを溢した。
休憩している四人に深刻な怪我がないかを気づかれないよう木の上から見下ろしながら、本題である嗅ぎ取った四人の関係と実力を見定める。
現在岩を斬っているのは錆兎と杏寿郎。通常ならばこの時点で二人は最終選別に向かえるが、今回は煉獄家の炎柱が関わっている。それもこれも鬼狩りになりたいと言った小芭内のためと、義勇には腕っ節だけでも強くあれるようにと思ってのことだ。言葉にはしなかったが、恐らくは息子である杏寿郎のためでもあるだろう。
普段なら育手の許可を得て最終選別に向かわせるところを、この後炎柱の稽古が待っているのだ。
それに便乗させてもらったのが弟子の錆兎である。幾人と子供を送り出してきたが、幾人も帰らぬ子となって旅立っていった。助けることも、死に目に会うこともできない、もう子供を見送るのは嫌だった。岩を斬り、現役の柱からの稽古を受けてみっちり強くなってもらう。そうでなければ送り出せないと鱗滝は考えていた。