幕引き


 写真を撮っておいてほしい。
 蜜璃が言っていたから、杏寿郎も。来世も頼むと言うのなら、ちゃんと残しておいて。先にいって待っているから、長生きして孫まで見てきてほしい。妻にしてくれてありがとう。姉さんにたくさん報告ができる。杏寿郎の妻でいられたことはなにより幸せで、私の誇りでした。
 己こそよくよく身に沁みていることを妻はゆるりと口にして、嬉しそうに笑みを見せた。
 もしかしたら義母上もこんな気持ちだったかもしれない。そう呟く姿が母を彷彿とさせて、図らずも鼻の奥がつんとしてしまった。
 すぐに追いかけると言えば、彼女は無下にかぶりを振って嫌だと言う。
 娘を産んでから、妻は己との約束をひと月だけ守ってくれた。まだそばに、もう少し、せめて俺が追いつくまでは。そう縋りたくとも、こればかりは追いつかれるわけにはいかないと、寿命を無視して彼女こそ無慈悲なことを言うのだ。
 けれど、それでも律儀な妻は約束を守ろうとしてくれる。たくさん写真を撮っておいて、ちゃんと残しておいて。来世でそれを一緒に見たい。そんなことを言われては、己には頷くしかできない。繋いでいくのだ、残せるものを残せるだけ。義勇が言ったのだから己も努力するだけだった。
 きみの夫として恥じぬ男であるために。

「そんな熱烈な想いを読まされて、俺もたまらず感動してしまってな! 歴代炎柱の書の中で最後の代の炎柱が最強だったと聞いたんだが、人間性も素晴らしいのだそうだ! その素晴らしい人がベタ惚れだったのがひいひいお祖母様だ!」
「うん、まあ、聞いたのは俺だけどさ、それ答えに向かってるか?」
「何を言う、きみが聞いた挟まっていた写真の人こそがひいひいお祖母様だ!」
「なんでひいひいお祖母様の写真定期に挟んでるんだよ!」
「俺の初恋だからだな!」
「初恋ときたか……」
「ああ、清く逞しく美しい人だ! 子供の頃の家族写真、祝言の写真、あとは仲間と写った写真くらいでしか見たことはないが、あれほど美しい人を俺は知らない。ひいお祖母様も晩年すら美しい人だったが、ひいひいお祖母様は生き様が素晴らしい女傑だ! 俺はひいひいお祖母様のような人と一緒になりたい!」
「女傑ねえ……」
 熱弁を振るう友人を呆れた目で眺めつつ頬杖をついた。この男の家は戦国の頃から何百年と続いてきた歴史ある家で、炎柱なるものが代々立てられていたらしい。見る者が見ればプレミアだのなんだのと付きそうな古いものが蔵に納められているともいう。先祖代々綴られてきた炎柱の書などという妙なネーミングの手記を幼い頃から読み耽っていた友人は、ものの見事に心を揺さぶられたのだそうだ。
「煉獄の定期に挟まってる写真? あれ誰? 白黒のやつ、どっかの切り抜きか?」
 って、ちょっと聞いただけなのに。よく聞いてくれたとむしろ嬉々として腰を据えて話を聞かされているのだった。
 しかしまあ、人の家の歴史とはいえなかなか話は面白い。とはいえひいひい祖父様方もまさか百年後に子孫から互いの熱烈な想いを他人にばらされるとは思わなかったろうな、と呆れつつ考えた。
「ひいお祖母様を産んで間もなく亡くなってしまったが、とても強くて優しい方だったそうだ」
「ふうん。女傑って何やってたんだ? 薙刀振り回して泥棒退治とか」
「いいや。鬼退治だ」
「は?」
「夫婦で鬼退治をしてたらしい!」
 この男は嘘を吐くような人間ではないが、手記の話で突然冗談を言い出すのもなんだか変な話だ。ひいひい祖父様と見合いをして許婚になったが、ひいひい祖母様の姉が鬼に殺されてしまった。鬼狩りの家であることを知ると一緒に戦いたいと言ってくれたのだとか。手記とは小説だったのか。
「信じてないな!」
「いやいや、陰陽師とかの類だろ? へえ、お前んちそうなんだ」
「棒読みだな! 本当にあった話だ! っ、申し訳ない!」
 座っていたテーブルからがたんと立ち上がってまで向かいのこちらへにじり寄ろうとした友人は、椅子を背後に座っていた人物へぶつけてしまったようだ。慌てて振り向いて謝ったところで、動きが止まって特徴的な目が更に丸くなった。
「……いえ」
 凝視し続ける友人に呆れつつ、気持ちはわかると内心大いに頷いた。だって背後に座っていたのは女子で、少しばかり癖のある黒髪に、白い肌に分厚い睫毛が大きな蒼みがかった目を覆っていて、通った鼻筋と淡い色の小作りな唇があって、とにかく、そう、滅多と見ない美人がそこに居たからだ。あまりしっかりとは見ていないが、ちょっとあの白黒写真のひいひい祖母様に似ているかもしれない。
「見惚れすぎだ」
「――はっ、」
 がつんと椅子の足をテーブルの下で蹴ってやると、ようやく意識を戻した友人は謝りつつそわそわとし始めた。座るのか座らないのか優柔不断な状態に陥っているが、友人にしてはやけに珍しい行動である。それほどに見惚れたのはわかるが。
 背後の彼女もなんとなく逡巡しているような気がしたが、やがてテーブルから立ち上がって移動しようとし始めた。
「―――、待った!」
「おいっ! 零れる!」
 テーブルがまたも身体がぶつかって揺れ、乗せていたカップから飲料が零れそうになる。それほどに焦る彼はやっぱり珍しいが、気持ちはやっぱりよく理解できた。
 ひいひい祖母様が初恋だとか宣っていたくらいだから、現実にいる歳の近い女子になんて興味もなかったのだろうし、見惚れたのが初めてのことなのだろうとも。
「………、ご先祖の話、面白かった」
 席は背後で、友人の声はめちゃくちゃ通る。丸聞こえだったのだろう手記の話を、彼女はどうやら聞いていて更に楽しんでいたらしい。それに感銘を受けたのか頬を染めて手を震わせた友人は、はっきりと自分の知りたいことを口にした。それが真っ直ぐすぎて、眩しくて、どうにも気恥ずかしくて聞いているほうが照れてしまったが。
「きみの名前を教えてくれないだろうか! 俺は――」
 うまくいけば良いよなあ、と考えたのだった。