むすびに向けて
「入るぞ、義勇。……む、お前たちも居たか、ちょうどいい」
戸を叩く音がした後に顔を出したのは、随分と世話になり良くしてくれた第二の師である鱗滝だった。室内に居た義勇と蜜璃、禰豆子が迎え入れる。
「炎柱の羽織か」
「はい。……もう必要ないものだと言ってましたが、残しておきたくて」
「ああ。何百年と受け継がれてきたものなのだろうからな」
代々受け継がれてきた炎を模した羽織は先の死闘で例に漏れずぼろぼろになっていた。悪鬼滅殺を果たした証だからと杏寿郎は笑っていたが、先祖の魂や想いが込められ続けてきた羽織は煉獄家の歴史そのものだ。片腕となった義勇が一人で繕うには大変だったが、蜜璃が手伝うと言って羽織を押さえてくれ、二人で作業をしている。
義勇の羽織は昏睡中に禰豆子が綺麗に繕ってくれたものだが、不格好になってもこればかりは義勇の手で直したいのだ。炎柱の羽織が終われば伊黒の羽織を繕いたいと蜜璃が言ったのでそちらも二人で直すつもりである。
「禰豆子のように上手くはできませんが……」
「えっ? そんなことないですよ! びっくりするくらい綺麗だし、お二人とも息が合ってて……。私、お裁縫得意だと思ってましたけど、まだまだだなあって思いますもん。もっと頑張ります!」
ぼろぼろだった羽織が元通りになっていたことに感動した義勇は、こうして禰豆子に教えを請いながら羽織を繕っているのだった。蜜璃も感心しきりで禰豆子の腕を褒めていたから、間違いなく誰より裁縫の腕が良いのは禰豆子だ。彼女に謙遜されては義勇などひとたまりもないのだが、それはとりあえず置いておく。
「何かご用でしたか」
「ああ……見てもらいたいものがあったんだが……これを」
「あらっ、それは……」
羽織を置いて鱗滝へ問いかけると、少し逡巡したもののなにやら差し出してきた。義勇は一度だけ見たことがあり、蜜璃は何度も見たことがあったと笑うもの。受け取って表紙を開くと、そこには一人収まるうら若き女性の写真があった。
見合い写真だ。もう十年ほど経つが、確かに義勇も見た覚えがあるし撮った覚えもあった。
「可愛い人だわ!」
「わあ、写真ですか? 綺麗!」
「儂の元弟子だ」
「!」
鱗滝の弟子は多くが最終選別で命を落としたと聞いていたが、写真の娘は最終選別には行かなかったのだという。そんな人が居るとは知らなかった。
「本人は行きたいと言ったのだがな。遠縁が藤の花の家紋の家の者だとわかって、そちらへ引き取られた。もしや世話になったことがあるやもしれんな」
「見た覚えはないような……」
「そうよね、こんなに可愛い人ならきっと覚えてるだろうし……皆で会いに行けば喜んでくれるかしら?」
鬼の討滅については隠が藤の花の家紋の家へ行脚してくれたと聞いている。柱として自分たちも挨拶に向かうことを杏寿郎たちとも話していたが、楽しみがひとつ増えたと蜜璃は嬉しそうだ。
「彼女は鬼がいなくなるまで独り身を貫くつもりでな。あちらは今なら受けてくれるやもしれんと思うが、……錆兎は縁談を嫌がるものだから……」
「………!」
きょとんとしていた禰豆子と蜜璃同様、さっぱりそこに意識が向かなかった義勇もはっと気がついた。
鱗滝は錆兎の今後を任せる相手として、彼女はどうかと義勇たちに聞こうとしていたのだ。縁談を嫌がる錆兎もそういう思惑なく会いに行けば、壁を作らずに済むかもしれない。そういう配慮をしようとしている。
そして、錆兎に似合う相手であるかどうか、義勇たちの判断を聞きに来たのだ。
「な、名前は、」
「真菰という」
「可愛い名前だわ! 義勇さんたちの姉弟子ね!」
私も妹弟子に入るかしら、とはしゃぐ蜜璃を宥めることもできず、義勇は姉弟子という言葉で雷に打たれたかのような衝撃を受けていた。
姉弟子。姉弟子とは。義勇には姉が居たし、兄弟子も居るし弟弟子も居るし、妹弟子のような蜜璃と禰豆子も居るけれど、姉弟子だけは居たことがない。狭霧山で修行していた時点で存在すら仄めかされなかったものだから、この世には居ないのだと思っていた。それがまさか存在していたなんて。
「姉弟子……」
「義勇さん嬉しそう!」
「ふふ、私は義勇さんが姉弟子みたいなものだったけど……そうね、ずっと兄弟子ばかりだったものね!」
姉が好きだった義勇には、姉弟子も好きになる自信しかなかった。だって鱗滝の厳しい修行を受けていて、きっと藤の花の家紋の家に引き取られなければ最終選別に行っていた。女が戦うことを錆兎はずっと良しとはしていなかったけれど、自らの手で強くなろうと努力する人を嫌うわけがない。
「早く会いたいです」
「……そうか。ならいずれ連れてくるようにしよう」
「はいっ!」
見合いに進むことがなくとも、同門の友である人物との交流が続くといい。義勇たちは数年もすれば居なくなってしまうけれど、傷ついた身体だとしても、錆兎は痣を出していないのだから。
「母上また出歩いてる! 俺が行くといつも部屋に居ません!」
病室から出て庭で花を愛で、洗濯物を干す蝶屋敷の娘たちに声をかけては断られ、厨でこっそり金平糖を渡されたのでありがたく頂戴し、また庭へと降りて空を見上げる。敷地内をたくさん歩き回れるようになってきた頃のことだった。
無理なく動けるようにもなったのだからそろそろ我が家に戻ると杏寿郎が言うので、ついでに義勇も戻って療養を続ける手筈となっていた。義勇を見つけて駆け寄ってきたものの地団駄を踏む我が子へ謝りながら抱き上げようとしゃがんで手を差し伸べると、むすりとしながらもゆるりとかぶりを振った。一緒に来ていたという千寿郎は、杏寿郎に息子を任せると神崎たちの手伝いに向かったらしい。
寂しがらせてしまったから抱き上げようと思ったのだが、息子の後ろからついてきていた杏寿郎はにこにこと笑っているだけだ。
「いいのか?」
今度はこくりと頷くが顔はむすりとしたまま。たくさんの人が居るから抱っこを見られるのは恥ずかしいのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。短くなった右腕へ小さな手がそっと包帯越しに触れてきた。
包帯をしていた杏寿郎の左目は、ここ最近眼帯をするようになっていた。息子はそれに興味津々だったが、触れようとする時は綿毛が崩れないように触れるかの手つきだったのを思い出す。
片腕となったことも気にしているのだと義勇は思い至り、痛くしないようにと気をつけて触れる我が子の優しい思いにさすが杏寿郎の子だと嬉しくなりながら、抱き寄せて小さな背中をぽんと叩いた。
目が覚めてからよくやったと褒め称えては労ってくれた槇寿郎も、ついには親不孝者どもと涙してくれたものだった。煉獄家の直系である槇寿郎は、誰より責務を理解しているはずなのにも関わらず。責務を抜きにしてでも、家族として想われているという事実が義勇には大層嬉しいことだった。幼いながらも稼業を理解している息子が優しい子に育っているのは、やはり煉獄家で生まれ育ったからだろうと思う。
「……ありがとう蒼寿郎。心配かけてごめん」
「身体はあまり冷やすものではないしな。しかしくっつくと温かいぞ!」
様子を見守ってくれていた杏寿郎が息子ごと義勇を抱きしめると、むくれていたのが嬉しそうにむふふと腕の中で幼い笑みを溢すのが見えた。
そうして家族でくっつき合っていた時のことだった。鬼の脅威もなくなり呼吸を使うのも止められたもので、なかなか以前のような反応とはいかなかった。まあ、腑抜けていたのは間違いない。隊士ではない人物に家族のやり取りを見られていたことに気づかなかった。
「こら、お前たち何をしてる! こんなところで冷えるだろう、さっさと戻れ。……あれ。先生、いらしてたんですか、」
三人くっついているものだから温かいのだが、居合わせた錆兎の窘める言葉が義勇たちから別の方向へ向いたところで、揃ってそちらへと視線を向けた。鱗滝が連日顔を出してくれていることと、その近くに見知らぬ人物がいたこと。しかしその人物に見覚えがあること。なんだか色々脳裏に過ぎって義勇は何も反応できなかった。先に動いたのはその人物だったものだから、すっかり様子を眺めるだけになってしまっていたのだ。
鱗滝のそばを通り過ぎた人物は、義勇たちへ声をかけた錆兎へ真っ直ぐに駆け寄った。珍しく面食らったような顔をした錆兎の手を力強く両手で掴み、じっと目を覗き込んでから一言口にした。
「お勤め、お疲れ様でした! 本当に……凄い」
ありがとうと呟く人物の目尻には涙が滲んでいる。見合い写真で見るよりもずっと表情豊かで柔らかい印象の人だった。驚いたように固まっている錆兎の耳が赤くなっていく様子を、義勇は杏寿郎たちとともに見ていたのだが。
「錆兎。義勇たちも、この子はお前たちの姉弟子だ。真菰という」
「元ですけどねえ」
実際に鬼と戦ってきた鬼狩り様の姉弟子など恐れ多いと恐縮しつつ、それでもその人物は嬉しそうに笑みを見せた。掴んでいた錆兎の手を離し、義勇たちのそばへ駆け寄っては同じように手を握る。義勇と、杏寿郎と、息子にまで礼を口にした。
「なんと、姉弟子か!」
「姉弟子なら敬語も要らない」
「いや、元なんですけど……水柱様がそれでかまわないなら、よろしくね?」
ぱちりと瞬いたところで、知っていたのかと杏寿郎が驚いた。息子の小さな手を離した彼女はこくりと頷く。義勇に倣った杏寿郎もまた敬語は不要だと口にすると、困った顔をしつつも彼女はまた頷いた。
「藤の花の家紋の家は横の繋がりもあるし、鱗滝さんが教えてくれてたの。うちにも一度だけ来られたし」
「えっ」
「私は薪割りとか風呂焚きとかしてて、対応は基本叔母さんにおまかせだったから、会ってはないよ」
呼吸は一応使えるし、うちは男手がないから私がやるの。鱗滝さんに教わったことはずっと身につけていたいものだから、身体が鈍らないよう稽古したりしてたくさん役立てることができた。嬉しそうにそう口にする真菰は最終選別に行きたがっていたと鱗滝が言っていたのを思い出し、隊士にならずとも鱗滝の教えが息づいているのだと嬉しくなった。
「邪魔をするぞ、錆兎。小芭内たちにも会わせたいし、お前たちにも改めて挨拶したい」
「あ、ああ、どうぞ」
玄関へと向かっていった鱗滝と真菰を見送っていると、どうにも呆然とした錆兎に気がついた。
「……思春期か、それとも春か?」
「なっ、ば、違う! お前、俺を揶揄うつもりか!?」
「散々揶揄われたからな!」
「?」
慌てたような錆兎の様子と、楽しげな杏寿郎の様子。義勇は首を傾げたがよくわからない話をしているので、放っておいて付き添ってくれるらしい息子に甘えて手を引かれながら部屋まで戻ることにした。これがエスコート、なるハイカラな言葉で称されるらしいとは蜜璃から聞いたもので使い方が合っているかはあまり自信がないが、我が子の成長と優しさがしっかり伝わってきてこれは良い。あとで蜜璃に最高だったと伝えようと義勇は考えた。
*
小芭内と蜜璃の祝言が終わり、錆兎と真菰の縁談も順調に進められている頃のこと。
鬼殺隊は解散したものの、医療機関である蝶屋敷は引き続き開いている。怪我の後遺症や呼吸の常中をやめることで今後弊害が起こる可能性もあり、更に柱は痣の後遺症にも注意しなければならず、神崎と栗花落が中心となって管理してくれているのだった。
定期検診も行ってくれている中、杏寿郎は義勇と連れ添い蝶屋敷へと訪れていた。
療養中、体調が良かったり悪かったりと起伏があった義勇の身体は、隊士だった頃よりも細く頼りなくはなっていたが、怪我が完治してからは安定していた。しかしある日を境に体調を崩すようになり、顔色も悪く食事も満足にできなくなっていた。更には嘔吐したりとかなり体調の悪化が見られたのだった。
まあ、以前もあった体調不良に似ていることもあり、月のものが来ていないと義勇がふと口にしたのもあり、身に覚えもあり、もしやと二人は確認済みであった。煉獄家にはかかりつけ医がいるので実は蝶屋敷へ来る前に原因は把握しており、それの報告のために今回足を運んだのである。
「――え、あ、お、おめでたですか! おめでとうございます」
慌てたように、照れたように焦る栗花落に微笑ましくなりながら、そばで聞いていた神崎は普段どおりにはきはきと祝いの言葉を贈ってくれたが。
「……お身体に障りはありますか」
「つわりは前回よりも酷いようだな。布団から出られないこともよくある」
義勇は相変わらず隠そうとしていたが、どうしようもなく身体が動かない時もあった。
五体満足ではなくなって、常中をやめて、痣者となって。本来なら身体に負担のあることは避けておくべきだったかもしれないが。
「……二人が不安視してることはすでに話し合った後だ。身体にどんな影響があろうと、私たちは産むことを決めている」
最後の大仕事だと、まだ薄い腹を撫でながら呟いたものだから、縁起でもないことを言うなと縋るような声音で杏寿郎は窘めて抱きしめた。謝りつつも彼女はできる限り杏寿郎との絆を遺したいのだと口にするものだから、たまらなくなって更に強く抱きしめた。
しかし、彼女は自分を卑下する傾向にあるのだ。己の能力を低く見積もっては小芭内などを呆れさせてもいた。
「俺はな。許婚から夫婦となってからの今まで、一日一日をかけてきみに惚れ込んできた。義勇と一生を添い遂げると決めているし、きみのしたいことを止めたくはない」
最期まで添い遂げろという母の叱責もしかと杏寿郎の心に残っている。杏寿郎の心は決まっているのだ。あとは彼女が応えてくれるのを信じるだけだった。
義勇も腹の我が子も、どちらも失くしたくないと願うのは欲深いものかもしれないが、それこそが人の生というものではないだろうか。
「きみの逞しさは折り紙つきだ! 信じているとも。子を置いてすぐに逝ったりはしない」
腕の中でぽかんと呆けた顔が杏寿郎を見つめるものだから、満面の笑みで杏寿郎は受けて立った。煉獄家の嫁のまま、杏寿郎の妻のまま、息子の母のまま鬼狩りとして今日まで生きてくれた義勇である。杏寿郎の信じる義勇は強く逞しく、他者に寄り添う優しい人だ。
「な……そ、んなの……奇跡も起こせなかった私には……」
「奇跡? そんなものに頼らずとも、きみ自身がどうにかしてくれるだろう」
はて、奇跡とは一体なんのことだろう。そんな曖昧なものより、義勇という存在より縋れるほどのものはないはずだ。
もしも奇跡なんてものがあるならば、今生ではなくもっと先に起きてくれればいい。
「協力してくれ、俺は義勇とずっと一緒に居たい。きみは優しいから無下にはしないと信じている」
「……お前は無慈悲だ」
「ははは、頼んだぞ! 願わくば来世もな!」
「…………。……来世は知らないが、努力する……」
やがて小さな声で呟いた義勇の返事は、かつて鬼狩りになろうという時に父から問われた答えと同じだった。ならばきっと大丈夫だ。努力した結果、義勇はこれまで杏寿郎と生きていてくれたのである。
たとえできなかったとしても、悔やむ必要はない。恨むようなつもりもない。失敗したら化けて出てくれればいいし、けれどそれを伝えるつもりはなかった。追い込まれてなお現状に足掻いてきた義勇相手には、彼女の言う無慈悲のままでいることを決めたのだった。
そんなふうに決めたことを、蝶屋敷の面々には決定事項として伝えることにした。手放しで賛成するには懸念が多く、かといって反対などできようはずもない。命の尊さを思い知っているはずの彼女たちにとっても複雑な気分だっただろうが。
「……そうですか。お二人でお決めになったことなら我々は全力で支援いたします」
「ありがとう!」
「では不調も隠さず教えてくださいね! 早速本日の体調をお聞かせください!」
「……今日は大丈夫……」
「大丈夫かどうかは伺ってからこちらで判断しますので。体温計どうぞ!」
キビキビとした神崎の頼みに義勇はすとんと表情を失くし、隊士時代を彷彿とさせる無愛想を貼りつけた。相変わらず困るとこうして表情を消すのだから杏寿郎も苦笑いするしかない。そんな義勇の様子も神崎と栗花落は慣れたもので、にこにこ眺める栗花落とはきはき問いかける神崎に義勇はひっそりとたじたじになっているのだった。
「腹でけえ! 肥えたのか!」
「お前ね、お腹に子供がいるんだから当然なんだよ」
顔を出した元継子たちの騒がしさを恋しく思い始めていた頃、雲取山から遊びに来た四人は義勇の腹を見て思い思いの反応を示した。目を輝かせる者、体調を気にする者、誕生を心待ちにする者。その中でも伊之助はなんとも伊之助らしい感想を抱いたようだったが、善逸に窘められてからふと静かになった。
「子供……母ちゃんになんのか。すでに母ちゃんなのに」
「そうだな。……触ってみるか?」
「え、え、いいんですか?」
「優しくだぞ優しく!」
四人ともを手招きした義勇はまず伊之助の手を促し、主に善逸から注意を受けながら彼は下腹へと触れた。乱暴に扱われたところで義勇は伊之助の腕を捻り上げるくらいはできるし、伊之助自身もまさか殴るなんてことはしないだろうとは思っていたが。
予想以上にそっとあてられた手のひらは温かく、じんわりと体温が腹に移る。神妙な顔で腹を凝視するものだから、耳でも聞いてみるかと言ってみた。そうすると伊之助は猪頭を外して腹へとしがみついてきた。
「なんで腰にまで手回してんだこの猪! 許されたからってやりすぎだろ!」
伊之助からすれば未知のものか。好奇心でそわそわしているのだと思ったから気にしていないが、善逸は目を剥いて怒り出した。それを宥めながら炭治郎は笑みを浮かべ、禰豆子は次の番を所望した。
「ああ、おいで」
「うおっ! なんだやんのか!」
「馬鹿っ、動いただけだろ!」
禰豆子を呼ぶと同時に腹へ耳をあてていた伊之助が跳ね起きて慄いた。慌てたように善逸が声を荒げるが、腹の中からぽこんと反応があったことに伊之助はたいそう驚いたらしい。
「腹破けんじゃねえのか」
「恐ろしいこと言うなお前」
「きっとやんちゃな子ですね!」
息子もやんちゃなものだから、きっと煉獄家の血筋が活発な子に生まれるのだろう。男系一族であるとも聞いているので、腹の子は次男だと皆確信している。
「母親って凄いよなあ……」
「皆さん、お茶が入りましたよ」
「ありがとうございます!」
この中に人が入っていることが信じられないと善逸が呟いた隣で、伊之助はじっと手のひらを見つめている。盆を持ったハナが茶を運んできた後ろから杏寿郎も顔を出した。ハナが部屋を去ったところで伊之助の手はまた義勇の腹へとあてられる。
「そういえば、以前言っていた疑問はどうなったんだ? 聞いてみたか?」
義勇の隣へ腰を下ろした杏寿郎が伊之助へと問いかける。二回も触るなと善逸が怒りを顕にしているが、伊之助はそちらには反応せず杏寿郎へと目を向けた。
「同一人物かどうかと聞いてきただろう」
「あー。解決した」
「そうか!」
なんの話だろう。杏寿郎と伊之助の二人にしかわからない話かと思いきや、炭治郎と善逸もああと思い至ったらしい。首を傾げると柱稽古の時にしていた話だと炭治郎が教えてくれた。あの頃は一時的に錆兎の水柱邸で稽古をつけていたから、確かに義勇が知らないのも当然だった。
「母ちゃんだった」
「―――、」
「しのぶでも義勇でもなくて、母ちゃんだった。だから勘違いだ」
「……そうか」
息を呑んだのは炭治郎だったが、答えを聞いた杏寿郎は優しげに笑みを浮かべて頷いた。
すべてを理解したわけではないが、とにかく伊之助に母親を思い起こさせるようなことがしのぶか義勇にあったらしい。なんともいえない気分になって、義勇はただ会話を聞いていた。
「記憶の母君は優しかったろう」
「おう、すげー優しかったぜ!」
「それは良かった!」
記憶の朧げな母を思い出そうとする時、温かい腕が抱いてくれていたような気がしていつも穏やかな気分になる。そしてそれと同時に、義勇は瑠火を思い出す。姉は義勇にとって母代わりでもあったけれどやっぱり姉だったから、義勇にとって母親といえば瑠火だった。凛として優しい人だった。身体が弱くても家族へ惜しみなく情を、義勇にすら向けてくれていた。短い間だとしても、きっと伊之助の母もたくさん愛情を注いでいたのだろう。
「母上ー」
てちてち幼子の足音が聞こえてきたと思ったら、なにやら小さな身体で運んできた羽織を義勇の肩へと掛けてきた。最近の息子は以前に輪をかけて過保護になっており、義勇が無理をしていないかと気にしては声をかけ、薄着で過ごしていると気づけば羽織るものを持ってくる。それをありがたく思いながらも、最近は更に杏寿郎と似てきたなと義勇は考えていた。
「ありがとう、蒼寿郎」
「あっ、また蹴った!」
「ほら、俺の妹も心配してます!」
腹に触れていた禰豆子が楽しそうにはしゃぎ、息子へ笑いかける。むふふと得意げに笑い返した息子は羽織を義勇の肩に掛けたあと、禰豆子の呼びかけどおりに杏寿郎と義勇の間へと座り込んだ。
「煉獄家は男系一族だからなあ、生まれるのは弟かも知れないぞ」
先祖の手記を見ても女児が生まれたという記述はなく、家系図に書かれた名も男ばかりだったという。杏寿郎と千寿郎はもちろん、槇寿郎の兄弟も男ばかりであった。
「俺には伯母上がいたので妹も生まれます! 妹が生まれたら兄が一番可愛がってあげるんです」
すでに兄気分の息子を微笑ましく思いながらも、妹が生まれると信じてやまない様子に義勇は少し眉尻を下げた。確かに義勇には姉がいたが、それが己の腹にも関係するかどうかはわからないのだ。実際に息子が生まれている以上、煉獄家の遺伝が強そうでもあるのだが。
「なんだ、蒼寿郎は弟が生まれたら可愛がらないのか?」
「そんなことはありません! 叔父上のような優しい方になってもらいたいので、たくさん可愛がります」
「下の子ってそれだけで可愛いものだものなあ」
「父上のようではないのか?」
「父上は……」
千寿郎は確かに幼い頃から愛らしく優しい良い子だったし、彼のようになってもらいたい気持ちはよくわかる。しかし、息子にとって一番身近な理想は父である杏寿郎だと思っていたので意外だった。
問いかけてみると息子は言い淀んだものの、むすりとしながら口を開く。
「父上は目標なので可愛がりません。俺は父上のようになって母上のような人と結婚します!」
時が止まったように感じたのは義勇だけだろうか。周りの空気は相変わらず和やかだったけれど、あまりの内容に義勇は唖然としてつい苦言を呈した。
「それはどうかと思うぞ。世の中には素晴らしい女性がたくさんいることはいずれ蒼寿郎にもわかるように……」
「だって父上と一緒に鬼をたくさん倒して、鬼舞辻無惨も倒しました! 逞しく一緒に戦ってくれる人と結婚します!」
息子の言葉に目を丸くしていたら周りは妙に微笑ましそうな笑みを浮かべていて、それが随分と生ぬるい温度を持っているような気がして義勇は頬を染めつつ眉を顰めた。幼子の世界は狭いからよくあることだと知ってはいるけれど、それがまさか義勇自身にも向けられるとは思っていなかった。親のような人と結婚する、などと。
「親分、遊んでください」
「伊之助なんかと遊んだら馬鹿になるよ〜、いでっ!」
宣言して話は終わったとでも思ったのか、庭先に出て遊び始めた伊之助と息子を眺めながら、義勇は隣でにこにこ見守っている夫をじとりと睨みつけた。
「何を吹き込んだ?」
「失礼だな。何も吹き込んでないぞ」
「理想の女が私ではどうしようもない」
「そんなことはない。蒼寿郎が母上と結婚すると言ったのでつい、義勇本人は渡せないから似た人を探すようには言ったが! この世で一等素晴らしい人だからな!」
「やっぱり吹き込んでる!」
「言い聞かせたと言ってくれ!」
痴話喧嘩と称されてしまった諍いは炭治郎と禰豆子によって諌められてしまったが、それすら義勇にとって気恥ずかしいことだった。