夫婦と親子と兄弟と

「あらあら蒼寿郎くん、お見舞いに来てくださったのですか。炭治郎くんたちはこちらのお部屋です。錆兎おじさまにお会いするならご案内しますよ」
 任務帰りに様子を見に来てくれていた善逸が、蒼寿郎が来ていると教えてくれた。
 蝶屋敷に蒼寿郎が来るのは炭治郎が知る限り初めてだ。しのぶたちと面識があるのは煉獄家で会っていたからだと思っていたが、行き来はしていたのかもしれない。
 覗いてくれるだろうかとそわそわしながら握り飯を食べていたら、廊下を素通りする足音が聞こえてきた。ほんの少しだけ寂しく思ってしまったが、錆兎の見舞いが主目的なのだと納得した。小一時間ほど経ってから炭治郎の病室の戸をこつこつと叩く音が聞こえてきた。
「こんにちは! お加減はいかがですか!」
「こんにちは蒼寿郎くん、随分良くなったよ。義勇さんもありがとうございます」
 てちてち寄ってきた蒼寿郎の背後には水柱と蟲柱。小紋柄の着物に簪を挿した義勇と隊服のままのしのぶが部屋へと足を踏み入れた。失礼しますと座っていた善逸の膝に挨拶をし、よじ登って炭治郎の寝台へと座り込んだ。慌てたようにこらと窘める義勇の声がかけられたが、蒼寿郎はわんぱくではあれどとても品行方正で良い子なのでさほど気にすることでもないと思う。炭治郎としては弟妹の大暴れも慣れているのでもっとやってくれてかまわないのだ。しかしまあ、赤子の頃は今より更に暴れん坊だったらしく、当時は破られた障子の数々に槇寿郎が肩を落としていたのだとか。
「上弦の陸を倒した話を聞きたいらしい」
「たいそう強い鬼をたくさん倒したと聞きました!」
「皆で戦って倒したんだよ。宇髄さんには話を聞いた?」
 宇髄の名を反芻した蒼寿郎がかぶりを振ると、生まれてから会わせたことがなかったと義勇が補足した。てっきり柱は皆蒼寿郎に会っていると思っていたが、悲鳴嶼と宇髄は機会もなく会ったことがないのだそうだ。
「蝶屋敷に遊びに来てくれたのも初めてですね。義勇さんもよそ行きの装いでとても素敵ですよ。その簪、見たことがありますねえ」
「今日はこれだと蒼寿郎が……」
「ふふっ。よくお似合いです」
 鬼狩り稼業に関係のない普段、義勇の髪には彩りが添えられている。リボンだったり白藤が揺れていたり、今は黒地に水と金魚が描かれた簪を挿していた。白藤よりも少し大人っぽく見えるもので、しのぶの言うとおりとてもよく似合っている。
「蒼寿郎くんが選んでくださるなら、簪の数増やすべきかもしれませんよ。渡した髪飾りも使っていただけたら嬉しいんですけどね。普段にも使ってくださいな」
「………、わかった」
 どこか寂しげな匂いを醸した義勇と反対に、しのぶはとても嬉しそうな匂いだった。炭治郎たちの知らないことが二人の間にあるのだろうが、それが何なのかは想像するくらいしかできなかった。
「炭治郎さん! お話は!?」
「わっ、そうだねごめん。じゃあ鬼を見つけたところから話そう!」
 部屋の隅で重ねられていた丸椅子を取り出したしのぶが義勇へと勧め、促されるままに寝台近くへ置いて座る。その近くにしのぶも座り、何故か女性二人まで聞く体勢を作られてしまった。少々気恥ずかしいが、楽しみにして頬を赤くしている蒼寿郎を抱えながら話し始めることにした。
 
「本当に恨むわお前を」
「ええっ。なんでですか?」
 鬼退治の話を聞き終えて興奮したままの蒼寿郎を抱きかかえた義勇が部屋を後にしたのを寝台から見送った時。ひっそりと部屋の片隅で呟いた声に炭治郎は問いかけた。
「当たり前だろどう考えても場違いすぎただろうが! 引き止めやがって空気読めよ!」
「そんなこと言われても、誰も怒ってませんでしたよ」
「存在を認識されてたかも怪しいからな!」
 目を剥いて声を荒げ始めたのは隠の後藤だった。義勇たちが来る前から見舞いに来てくれており、蒼寿郎が入ってきた時点でいとましようとしたのだが、炭治郎が引き止めたことで気配を殺して片隅に居たのだと言う。そこまで気にせずとも義勇は後藤の名前も知っているし、しのぶだって関わることも多いだろうに。
「しかし、似すぎだろお子様」
「あっ、そうですよね! 笑顔は義勇さん似で」
「えっ」
「えっ?」
「いや、お内儀……水さんの遺伝子がどこに行ったのかって話な。まず炎柱の生き写しなのが第一に来るからさ……」
 先代も特徴は同じだったし、と後藤が呟いた。
 煉獄家で関わるようになって知ったのは、義勇の笑い方がとても可愛らしいことだ。花が咲いたように眩い笑顔を見せてくれることもあるが、それとは別に含み笑いをする時がある。ひっそりと楽しんでいる時によく見かけるものだ。
 蒼寿郎もむふむふと笑う顔が義勇によく似ている。間違いなく杏寿郎と義勇の子だと炭治郎にはわかるのだが、関わりが深くなければあまり見えないところなのかもしれない。
「煉獄家に伝わるしきたりがあるそうですよ」
「え、そっくりになるしきたり? 凄えな」
 身篭った際に行う儀式があると聞いたが、詳しい内容までは知らない。大正の時代になっても続くしきたりは時代錯誤で古めかしいものかもしれないが、竈門家に伝わる神楽舞と似たようなものだ。繋いでいかねばならないものである。
「膝に乗ってくるのはたまにあったけど、踏み台にされたのは初めてだったなあ」
「可愛かったよな」
 膝を借りて炭治郎の寝台に登っていた蒼寿郎だったが、彼は善逸にではなく善逸の膝に挨拶をしていた。さすがに善逸も幼子のやることに目くじらを立てることはないが、どんな反応をしていいのか悩んで何も言えなかったそうだ。
「水さんも相応の格好すると柔らかい表情すんのね。びっくりしたわ」
「義勇さん、煉獄家では笑ったりして可愛いっすよ。その手の虫避けだって話。禰豆子ちゃんにもそういうの必要じゃないかな」
「あー、美人だしな。そういや昔はヤバい奴がいたし、当然の措置か」
「昔?」
 そういえば義勇たち四人が槇寿郎の継子だったということは聞いたが、当時の様子がどうだったかなどは聞いたことがなかった。今の炭治郎たちのように、柱の任務に付き従ってともに向かうことが多かったということは教えてくれたが。
「そ。あの方らの代の最終選別は全員生存したけどさ、隊士になりたてで継子にするなんてどうなってんだって訝しんでた奴が多くてな」
 それだけの功績を残したからだと後藤は理解していたらしいが、やっかみやら何やらで冷ややかな目を向けて見ている隊士も多くいたそうな。炎柱の嫡男である杏寿郎を差し置いても、残り三人は一体何なのだ、と。
「当時から水さんは嫡男さんの許婚って一部で噂になっててな。無愛想で近寄り難くて遠巻きに眺める奴が多かったけど、一部危険な奴も居たもんだから自衛にはもってこいだったんだろ」
 隠である後藤にはそれなりに噂も耳に入ってきていたらしく、どうやら当時祝言間近の頃にちょっかいを出そうとした隊士が居たそうだ。未遂に終わってどこかの任務で帰らぬ者となってしまったようだが、道を踏み外さなかったことはよかったと思っていたらしい。
「嫁ぐ先が決まってる人に手出すなんてアホのすることだよ。しかも炎柱の継子。バレたらどんな制裁受けるかわかったもんじゃねえ」
「槇寿郎さん、義勇さんのこととても可愛がっていますしね」
「……娘の隊服作った縫製係に怒鳴り込んだのめちゃくちゃ話まわってたからな。隠の間じゃ伝説のように……あいつ泣いてたわ。蟲さんには燃やされるし……いや自業自得だけどさ」
「まじかあ、甘露寺さんみたいなやつですよね〜見てみたかったなー」
「命知らずだなお前。旦那が黙ってないだろ」
 実際に善逸が下心を出した最初に思いきり牽制を食らっていたので今更だ。しかし義勇自身は善逸のことも弟程度に見ているようだから、時折世話を焼かれてしまうのである。善逸はそれを嬉々として受け入れているが、杏寿郎が来るよりも用心棒の如く時透が邪魔をしに来る頻度が増えてきていた。そして代わりに世話を焼かれていたりもするので、それを見た善逸が怒りにまみれることもよくある。
「まあでも、煉獄家に居たから義勇さんは楽しそうなんですよね」
「子供の頃杏寿郎さんに救われたそうだし。やっぱり杏寿郎さんは凄いんだな!」
 炭治郎の両親のように仲睦まじいところも微笑ましいものだ。煉獄家の皆が大事にしたがる理由は炭治郎にも理解できるものだった。

*

「善逸さんは時透様に敵対心をお持ちなのですね」
 隊士が来なくなったと言って煉獄家に現れた時透を恨めしく眺めていた善逸を見かけたらしく、以前から態度の悪い善逸の様子を思い出して千寿郎は問いかけてきたようだ。
 柱稽古の真っ只中、期間中は各自の屋敷で行うため煉獄家に義勇は現在居ないのだが、時透は杏寿郎にも懐いているし炭治郎がこちらに居ると聞いて来てくれたようだった。そのうち水柱邸にも寄ると言っているのでまた善逸が騒ぐのだろうなあと思っている。
 煉獄家の道場はこれまた普段より人口密度が高い。邪魔にならぬように槇寿郎は庭先で千寿郎に稽古をつけていて、休憩を取るたびに柱稽古の様子を眺めていた。あんなに厳しくされたことはないと恥ずかしそうに千寿郎は言っていたが、さもありなんと炭治郎は思う。兄からすれば、歳の離れた弟はそれは可愛いものなのだ。
 千寿郎は呼吸に適性がないと聞いているが、それでも稽古は続けたいらしく今もこうして槇寿郎に教えを請うているのだそうだ。呼吸の有無は置いておいて、鍛錬は心身を鍛えるものなのでやらない選択肢はない。しかし思うところもあるだろうに、腐ることもやっかむこともなく、直向きに稽古を続けるその心持ちは尊敬に値するものだった。
「善逸は女好きだから義勇さんに触りたいんだけど、時透くんがいると近寄れなくて嫌なんだ」
 あっちが良くて俺が駄目な理由を教えてくれよと散々泣き喚いていたのを思い出したが、今思い出しても恥晒し以外の何ものでもない姿だったと炭治郎はしみじみ考えた。あんなに強いくせに生き恥を晒してどうして恥ずかしくないのか謎だ。
「杏寿郎さんや伊黒さんのように煉獄家の関係者に止められるのは仕方ないと思うみたいだけど、時透くんは居候じゃないのにと」
「成程。時透様が義姉上を慕われているのも気になさっていそうですね」
「うん、まあ……なんか申し訳ないな……」
 義勇の身内は千寿郎なのに、家族ではない善逸が時透へ怒りを向けるのはお門違いというものだ。まあ善逸は甘露寺に時透が懐いていても怒りを顕にするだろうが、それをして怒るべきなのは甘露寺の身内である。
「時透様が義姉上を慕われるのはとてもよくわかりますし、善逸さんがかまわれたがるのも微笑ましいですよ。気にせずにいられたらいいのですが」
「微笑ましいかあ……大人だなあ千寿郎くんは……」
 善逸より歳下なのにとても穏やかで理性的だ。その上とても気が利くし、家族の顔に泥を塗らぬようにと日々精進していることを炭治郎は知っている。善逸には千寿郎の爪の垢を煎じて飲ませておくべきではないかと炭治郎は真剣に考えていた。
「慕われるのはよくわかる、かあ。確かに義勇さんは厳しいけど優しいよな」
 その気持ちは確かに炭治郎にも身に覚えのあるものだ。当時打ちのめされていた炭治郎は怒鳴られたわけだが、あれは炭治郎を思うあまりにしてくれた叱咤だった。衝撃や悲しみでそれどころではなかったけれど、落ち着いて思い返せば義勇の匂いはずっと炭治郎を慮っていたし、強い言葉の裏側に潜んだ想いはとても優しかった。
「義勇さんが蒼寿郎くんのお母さんだからかなあ……二人を見てると俺は母を思い出すよ。時透くんもそうなのかもしれないね」
 狭霧山で会っていた時はそうでもなかった。煉獄家に身を置くようになってからだから、母である義勇を見ているから己の母を連想してしまうのだろう。見た目も性格も似ていないのに彷彿とさせるのは、義勇の優しさはそうしたところから来ているのかもしれないと考えたことがある。
「………」
「千寿郎くん?」
 ふいに稽古をつける杏寿郎へと視線を向けた千寿郎はじっと見つめたまましばし黙り込み、変なことを口にしただろうかと炭治郎は少し悩んだ。だが千寿郎の匂いはどちらかといえばなんだか柔らかい。
「……確かに蒼寿郎くんの母親ではあるので、それも関係してるかもしれませんね」
 ようやく口を開いた千寿郎は、炭治郎の言葉を肯定してくれたのだが。
「でも大半は、義姉上自身がお優しいからに他ならないと思います。……私にも幼い頃、寄り添ってくださいました」
 母が亡くなり、寂しさと心細さはきっと家族も同じなのに、兄に縋っていいのかわからなかった。そうしたら義勇は声をかけてくれた。自らの思い出を教えてくれて、お前は優しいと千寿郎を褒めてくれた。兄のそばに居てやれと言ってくれたのだと口にした。
「……恥ずかしい話ですが、兄と三人、一緒に寝てくださいました。そういう方です。兄も嬉しそうでした」
「……そうか。そうなんだね」
「はい」
 そうだった。炭治郎自身も子供がいるなんて知らない時、その心に触れたのだった。義勇だから優しいのだ。その優しさに時透も救われたのだろう。

「本人のいないところで噂話?」
「わっ。時透くん!」
 千寿郎と二人で休憩しているところに、二人の間からにゅっと顔を出してきたのは時透だった。道場を見渡すと、杏寿郎の稽古はまだ続いているのに善逸が倒れている。どうやら時透が扱き倒したらしい。煉獄家でしているのは炎柱の柱稽古なのに。
「僕が義勇さんに懐いたのがそんなに不思議?」
「不思議じゃないよ、わかるなあって話だったんだ」
 義勇の優しさがどこから来ているのかということも考えていたけれど、決して陰口を叩いて噂していたわけではない。膝に頬杖をつきながらじとりと眺めてくる時透に少しばかり焦りつつ、炭治郎は問いかけてみた。
「どうしてあんなに優しいんだろうか」
「さあ……炭治郎も似たようなもんだと思うけど……性格と環境じゃない? 両親亡くなって、お姉さんと二人暮らししてた頃があるそうだし」
「そうなのか! え、そんなことまで教えてくれたのか!?」
「まあ、狭霧山で倒れた後に」
 炭治郎についてなにやら評価を貰ったものの、そんなことより気になる話が飛び出てきた。
 時透が記憶を取り戻し、懐くきっかけになった時のことだ。家族を亡くしてからようやく身体が快復したが、記憶が霞のようにどこかへ漂って消えかけていた頃。日の呼吸の使い手の子孫であるからと、ヒノカミ神楽を見てもらったものの記憶に反応は見られずだったのを思い出す。数日狭霧山に留まった時透にたくさん話しかけてみたのだが、取り付く島もなかったりしつこいと雑にあしらわれたり、かと思えば炭治郎の修行をじっと眺めていたり、薪を割る鱗滝を見て考え込んだりと、とにかくいろんな様子を見ては心配していた時のことだった。
 そう、確か、情けは人の為ならずという言葉の話をした後のことだった。何故それほどにかまうのか、時間の無駄、お前に得などひとつとしてありやしない、なんて散々言われたものだったが、人のためにしたことは巡り巡って自分に返ってくるのだから、結局は自分のためになるのだと諭したのだ。すぐでなくたって、いつか、いずれ。時透もわかる時が来る。そう口にすると目を丸くして瞬いて、ほんの少し泣きそうな目で炭治郎を見つめたのだった。
 朝の修行に向かった炭治郎がふらりとあばら家を出ていった時透の様子を見ることはできなかったが、頭を押さえて地面に膝をついた彼を見つけて鱗滝が駆け寄ろうとした時、任務終わりに立ち寄っていた義勇が寄り添ったのだと聞いた。
「あの時は……頭が混乱してて、ズキズキして、とにかく誰だかわからない人の顔と声がして。頭の中もぐちゃぐちゃになっていくんだと思ったんだけど」
 本人も気づかぬまま、脳裏に浮かぶものを虚ろに呟いていたのだそうだ。情けは人の為ならず。それを最初に教えたのは誰だったか。あの子と同じ赤い瞳。あの子って誰。自分で思い浮かんだ言葉に自分で疑問を投げかけながら、時透はようやくそれが父であったと気がついた。肺炎を拗らせて死んだ母と、母のために薬草を嵐の中取りに行って死んだ父。赤い瞳の優しかった父だった。あの子、炭治郎と同じ赤い瞳をしていた。
 そこまで考えた時に自分の身体が誰かに抱きしめられたことに気がついたけれど、混乱していた時透は確認できるような状態ではなかった。ただぼんやりと、よく頑張ったと励まして背中を擦ってくれる誰かの腕が優しくて、抱きついたまま眠ってしまったのだった。
 意識を取り戻してからは己の身の上も、誰に救われたかも、誰に世話になったかもすべて覚えていられるようになったのだそうだ。
「狭霧山で起きたら心配そうに皆覗き込んできててさ、大丈夫だってわかったら皆喜んで、義勇さんも笑ってて。この人こんなんだったっけって記憶を探ったり」
「ああ……最初は笑ってくれなかったもんね」
 今では義勇にそんな素振りもないが。とにかく安堵する炭治郎たちを眺めながら、時透は抱きしめてくれた人が誰なのかを考えたそうだ。
 時透よりは大きくて、ほどよい柔らかさもあった。朧げな声は女のようだった気もしたが、色々考えた結果、結局はその場の全員に問いかけたのだ。
「僕を宥めてくれた人は誰?」
 一部始終を見ていた鱗滝が、しかと義勇を指したのだった。
「ほどよい柔らかさってどういうことですかね」
「聞いてたんだ、きみに話してないのに」
「聞きたくないのに聞き捨てならない言葉が聞こえただけですけど!?」
 耳の良い善逸には丸聞こえだったようで、時透の話に思いきり文句をつけに寄ってきた。どこよりもまずその言葉に食いつくのはさすが善逸だと炭治郎は呆れたが。
「居候じゃないくせに義勇さんに触ってるってどういうことなんだよ!?」
「話を聞いてたならわかるだろう善逸。時透くんを介抱してくれたのが義勇さんだったからで、」
「妬ましい」
「きみは本当そこにしか脳が働かないよね」
「うむ、サボってる暇があるならまだまだ大丈夫だな!」
「いやいやいやいや休ませてください! 休まないと死ぬ!」
「死なないよう調整してるから大丈夫だ!」
 善逸がキィキィ歯軋りしていると杏寿郎が迎えに来て、首根っこを掴まれて騒ぎながら引きずられていった。杏寿郎も大概不穏なことを口にしていたが、死なないと言うなら本当にそうだとは思う。千寿郎は顔色を青くして心配そうにしていたが。
「まあでもあのくらい言ってくるのもはっきりしてて悪くないよ」
「時透くんは善逸のこと割と好きだよね」
 刀鍛冶の里で出会った小鉄もざくざく言葉を投げかけてくる子供だったが、時透は彼と文通をしているらしい。文字を書く練習にもなるし、小鉄の文を読むのは面白いそうな。遠慮のない相手が好ましいのかもしれない。
「他のだらしない連中よりはまだ扱き甲斐あるし。うるさいし生き汚いけど、足捌きは正すところなかったしな……」
「柱の人から見ても善逸って凄いんだなあ」
「調子に乗ると鬱陶しいから褒めないけどね」
「て、手厳しいですね……」
 善逸は褒めたほうが伸びることもあると思うが、これは時透の意地悪さが原因していそうだ。記憶がなかった頃の時透は誰に対してもひどく残酷で思いやりがなかったけれど、今だって自分が認めた相手以外はことごとく辛辣であった。炭治郎がこうして和やかに話せるのも、結局は時透に認められたからである。まあ、認められていても善逸のような扱いになることもあるようだが。
「結局のところ鬼殺隊は強さがすべてだから。ああいう殺しても死にそうにない変なのは……ひとりふたりは居てもいいんじゃないかな。皆そう思ってるんじゃない?」
 柱稽古は宇髄、時透、義勇、甘露寺、伊黒まで抜けてきており、現在煉獄の扱きを受けている。炭治郎は怪我のため後から追う形になったが、煉獄家でようやく善逸たちに追いついたのだ。あれだけ泣き喚いていたところで、結局実力は確かなのである。それが柱にも認められたということなのだった。

「ところで、今日は猪がなんか変なんだよね」
 善逸が騒がしいのはいつものことであり、特に心配するようなこともないわけだが、騒がしさで善逸と双璧をなしている伊之助が今日は随分神妙として大人しかった。
 何かを考え込んでいるような、稽古も少し身が入っておらず、とにかく妙なのである。
「うん。昨日義勇さんがこっちに寄ってから、どうも何か考えてるみたいだ」
「蒼寿郎くんがぐずっていて義姉上が宥めていたのを伊之助さんと一緒に私も見かけたんですが、それから考え事をなさってる気がしますね」
 それほど気にかかるものだったのかと炭治郎は千寿郎へ問いかけた。柱稽古中、義勇は水柱邸で寝泊まりしているせいか、毎日一緒だった母が何日も戻らないことに不安を覚えたらしく、蒼寿郎は義勇を呼びながら泣き出したそうな。杏寿郎があやしても駄目だったので呼び戻したのだという。すんすんと部屋の隅っこで静かに泣いていて、膝を抱えて蹲っていたのだとか。蒼寿郎は泣く時も元気に泣いていたところばかりを見ていたが、寂しい時はそうして泣くのかもしれない。その仕草は義勇似なのだろうか。
「二人はどんな感じだったんだろう」
「普通だったと思いますが……抱っこして泣いてるのをあやして……」
 居候していれば母子二人の様子はよく見ていたはずだったが、伊之助にとってその時の二人が重要な行動をしていたということか。炭治郎にはいまいち理由が想像できなかった。
「あんな状態で煉獄さんの稽古やれるわけないのにね」
「伊之助も強いから大丈夫だよ。自分でちゃんと考えて……」
「おい、ギョロギョロ目ん玉」
 居候していて尚あの呼び名が変わらないのはもはや肝が座っているなんてものではない。煉獄家の中で義勇だけは、しのぶからの度重なる訂正に間違えることなく呼ぶようになったが。
 善逸を扱いていた杏寿郎のそばに寄った伊之助が声をかけた時、相変わらずの妙なあだ名に申し訳なくなりつつも炭治郎はつい聞き耳を立ててしまった。どうやら千寿郎も気になるらしく、時透も素知らぬふりをしながら会話を聞いている。
「まだ扱き足りないか!」
「あ? あんなもんが限界なわけねえだろ! ……って、そうじゃねえ。なあ、義勇としのぶは同一人物か?」
「は?」
 白目を向いていた善逸が思わずといった様子で声を漏らしたが、問うた伊之助の表情は真剣そのものであり、嘘や揶揄いといった匂いもしなかった。問いかけられた杏寿郎は首を傾げたが。
「同一人物では困るな! 俺は義勇と夫婦なのであり、胡蝶と結婚したわけではない!」
「じゃあなんで、……いや、いい。同一人物じゃねえんだな」
「そうだな!」
 頓珍漢にも思える伊之助の疑問にも、杏寿郎は笑うことなくはっきりと答えていた。二人が一緒に居るところも見たことがあるというのに、同一人物などという疑問は何故生まれたのだろう。
「何故そう思ったんだ?」
「………。……昔……会ったことがある、気がするから」
「二人とか?」
「そうだ」
「ふむ。胡蝶のことはわからないが、義勇は十年ほど前にうちへ来たから俺は大体交友関係を知っている。もっと前だろうか」
「わかんねえ……」
「そうか。蒼寿郎を宥めにまたこちらへ戻るはずだから、その時にでも聞くといい。同じ時期に連続して二人と関わったことがあるのかもしれんな!」
 十年前となると義勇もまだ子供の頃だ。伊之助は山で過ごしていたのだろうと思うが、義勇は特に山育ちというわけではないと聞いている。人里に降りてきて交流したということだろうか。
 内緒話というわけではないと思える声量で話していたので意識のある者は少ないながら聞こえているだろうが、聞き耳を立ててしまったことに反省しつつ炭治郎も稽古を再開するために立ち上がった。つられるように千寿郎も立ち上がり、よければ夕餉もついでにと時透を誘っている。
「義勇さんたちの何かが記憶に引っかかったんだな。そこで同一人物に結びつくのはさすがだね」
「褒めてないよね時透くん……」
「褒めるところないし。ご飯お呼ばれしようかな」
 そうかもしれないが辛辣さは相変わらずだ。それはともかく、会ったことがあるのなら義勇としのぶには思い出してあげてほしいし、なかったとしても伊之助が抱えた疑問はきちんと解決すればいいのだが。