ひとくち話―よもやま―



 瑠火が休む部屋から窓を開け、庭で遊ぶ千寿郎が見えるようにと紙飛行機を飛ばしていた時のことだった。
 母と共にせっせと折り出来上がった紙飛行機は、義勇のものよりよく飛んだ。きゃあきゃあはしゃぐ千寿郎が可愛くて微笑ましかった。
 幼子とはあまり縁がなかったが、千寿郎は距離を図りかねていた義勇におずおずと近づいてくれたし、打ち解けると杏寿郎とはまた違った優しい良い子だった。今ではこうして二人で遊ぶことも少なくない。今日は体調の良い瑠火が眺めているそばで過ごせて楽しそうだった。
 そうして何度目かの飛ばし合いで、風に煽られた紙飛行機の一つは塀の上、もう一つは庭の木の上に収まってしまった。落胆したような声が千寿郎から漏れ出した。
「兄上が戻ってきたら取っていただきましょう」
 槇寿郎はなにやら鬼狩りの会議らしく不在、杏寿郎はご近所に誘われさつまいもを頂戴しに行っている。塀の上に落ちた紙飛行機を拾いながら義勇は木を見上げた。
「……大丈夫」
「え? わわっ」
 手に持った紙飛行機を千寿郎に渡し、髪に結んでいた紅梅色のリボンを外してそれも預け、義勇は着物の裾を持ち上げた。帯に挟み込んで尻端折りにし、紙飛行機の乗っている木の幹へと手をつく。焦ったような声を上げた千寿郎を振り向くと、目元を小さな両手のひらで隠していた。みっともない姿を見ないようにしてくれているらしい。
 姉が生きていた頃、今よりもう少し昔。生家の庭にも立派な松の木が立っていた。姉は木に登るようなはしたない真似はしないと思っていたが、実は義勇と同じくらいの歳の頃に木登りを嗜んでいたのだとこっそり笑っていた。叔父が駄目だと言うからしなくなったけれど、義勇はもう少しだけやっていていいからね、と姉は言っていたのだった。
 きっと姉と同じように、歳頃になれば自然とやめると思われていたのだろう。婚約者ができた姉はどんどん綺麗になり、いつしか庭で義勇に付き合って泥だらけになることもなくなっていた。
 木登りは久しぶりだ。裸足で枝をひょいひょいと登り、紙飛行機が引っかかっている場所へと辿り着いた。
「千寿郎。落とす」
「えっ、わあ……凄いです、義勇さん」
 地面から見上げてくる千寿郎に向けてそっと紙飛行機を落とす。無事拾い上げたのを確認して離れるよう促してから、義勇も地面へ帰還した。
「義勇さん、あなた……、すごく、軽やかに登るのですね」
 瑠火は千寿郎と同様に驚いた目をしていた。端折った裾を戻して土埃を落とす。瑠火の容体に影響がないよう、少し離れて立ち止まってから。近寄ってリボンを手渡してくる千寿郎に礼を告げ、はしたないところを見せたことを謝りつつ昔話を口にする。
「裏庭に松の木が立ってて……叔父さまは、女の子が木登りをするなと言うのですが、姉さんは楽しんでいたので」
「……それはそれは。叔父上のおっしゃることも仕方ないとは思いますが、子供のうちは駆けまわっていてよいのですよ。姉妹で楽しめたのなら良かったですね」
 優しげに目を細めて義勇を見る瑠火を見ていると、記憶の薄い母とはこういう人だったのだろうかと思いを馳せることがある。優しげに、或いは毅然として、静かに子を見守る姿。義勇の理想は姉のようにたおやかな女性になることだけれど、瑠火は姉とは違う女性の美しさがあった。姉とは似ていないのに、瑠火のようになりたいとも思ってしまうのだった。




 父の遣いで隣町まで出ていた杏寿郎は、一軒の店先で立ち止まった。
 見ていかないかと店主に声をかけられたからである。普段なら見向きもしない売り物に、杏寿郎は目を瞬かせた。
 遠出した際の家族への土産を杏寿郎が選ぶ時、大抵が食べ物に集結する。杏寿郎自身が食べたいものと、両親や千寿郎が食べられるもの、母の身体を思って栄養価の高そうなものなど様々に考えることが多い。居候という名の許婚が同居しているので最近は義勇の食べられるものも考えたりはするのだが、彼女は好き嫌いがあまりないものだから助かっている。好物は煮物だし。
 店に並べられているのは簪だった。普段の母は臥せっているから髪をいじるようなことはないが、めかし込んでいる時につけていることがある。綺麗な文様だと溜色の簪を眺めると、父上がくださったものなのですよと嬉しそうに教えてくれたことがあった。
 義勇は一つに纏めた髪に紅梅色のリボンを結んでいるが、時折確認するように触れていることがある。あれもきっとお気に入りなのだろう。違う色も似合いそうだと思ったが、懐に入っていたのがあのリボンだけだったそうなので、一つしか持ち出してこなかったのだろう。
「特別な人に簪を贈るのさあ」
「母上?」
「あはは、まあ母上も特別だわねえ。でも、想い人に想いを伝える慣習だからね、惚れた相手や、婚約者に贈るものだよ」
 坊やには婚約者は早いか、と店主の後ろから顔を出した女将が笑う。特別といえば確かに義勇もそうであると杏寿郎は納得し、だから父は母に簪を贈ったのかと理解した。
「いる! 俺の許婚だ」
「おっ。その人のことは好きかい?」
「好きだ! 良い子だし優しい、逞しいから見習いたい!」
「逞しい……? そっちの好意かあ」
 姉を喪って辛かったろうに、それでも環境を変えようとへこたれなかった精神は感服する。気力を失くしてしまっていたら杏寿郎とは再会できなかっただろうし、とても強い人だ。好ましいと思っている。
「ま、まあとにかく、その人に贈るためにつけてほしいもの、似合うものとかを考えて渡せばイチコロさあ」
「イチコロ?」
 なんだか不穏そうな言葉に聞こえたが、見てみてはどうかと促されて断る気にはなれなかった。
 端から順に眺めていく。髪紐もあり、簪の中には杏寿郎の小遣いでも手が届きそうなものもあるようだ。色とりどりで目にも楽しいが、義勇お気に入りのリボンとはまったく違うものである。
「……俺があげてもつけてくれるだろうか」
「そりゃもう、好きな殿方に渡されたら嬉しくて舞い上がっちまうよ」
 舞い上がる義勇は想像がつかない。普段は大人しく声も小さく、騒ぐというようなことがない。この前木登りをして紙飛行機を取ってくれたと千寿郎が興奮しながら教えてくれたが、あの時も少し慌てて話を止めようとしていたくらいだった。
 でも、舞い上がる義勇は、少し見てみたい。
 リボンではない違うものを髪につけているところも見てみたい。とはいえそう思っても、お気に入りを外させてしまうのはなんだか寂しい。杏寿郎は考えた。
 リボンと一緒につけても邪魔にならなそうなもの。それなら義勇もつけてくれるかもしれない。見比べながら探し、やがて一つの簪に目が留まった。
「お、お目が高いね。つまみ簪だよ、しだれ藤を模して作ってある。控えめながらも揺れるから、皆釘付けにしてしまうだろうね」
 簪とは古くから魔除けとしての意味があり、なんてうんちくが店主からつらつらと話しているのを聞きながらそっと簪を手に取った。
 白い藤。簪が魔除けというなら藤の花も相まって厄除けの効果はかなりのものになりそうである。そしてなにより、白藤が控えめに揺れる姿は義勇と似ている気がして、とても似合いそうだと感じたのだった。
「坊やが初めて想いを伝えるなら安くしといてやんないとねえ」
「ありがとう!」
 想いなら常日ごろ家族共々伝えているので初めてではないが、なんだか女将がはしゃいで口を挟む隙がなかった。まあいいかと杏寿郎は手渡された簪を懐に仕舞い、有り難く店を後にした。

「義勇、これを貰ってほしい!」
 反応を早く知りたくて勢いがついてしまったようで、ずいと差し出した手に義勇は仰け反りかけていた。
 似合うと思って、と、呼び止められて選んできたと伝えた簪をじっと見つめるものだから気に入らなかったかと少しばかりしゅんとした。杏寿郎の様子になにやら気がついた義勇はおろおろと手を彷徨わせた。
「……なんで」
「想いを伝える時に渡すと聞いた! ……嫌だったか?」
 ぶんぶんと音が聞こえそうなほど勢い良くかぶりを振るので、嫌ではないのは間違いない。ほっと安堵して再度差し出すと、おずおずと簪に触れる。
「綺麗」
「そうだな! つけてみてくれ! ……あ、リボンはつけたままでいいんだ」
「え?」
「気に入ってるんだろう? きみはリボンを恭しく触るから。……義勇?」
 黙り込んだ義勇は杏寿郎を見ていたが、やがて簪へと視線を落としてしまった。
 気に入らなかっただろうか。いやしかし、つい先ほど彼女は綺麗だと言ったのでそういうわけではないと思いたい。
「俺はまだ鬼狩りじゃないから、今はこれしか渡せないが、」
「……嬉しい」
 今度は緩くかぶりを振って、義勇は一言呟いた。その言葉にようやく安堵した杏寿郎はほっと息を吐いた。どうやら思ったより不安になっていたようだ。
「そうか! でもいずれはもっと相応しいものを渡すから待っててくれ!」
 次はまた勢いをつけて頭が横に振れる。見つめていた簪を胸元でぎゅっと力強く握ったと思ったら、義勇が顔を上げて杏寿郎へ視線を戻してきた。
「……ありがとう」
「、………?」
 柔らかい笑みを浮かべて嬉しそうに口にする。とくんと妙に大きく鼓動した心臓になんだと疑問符を浮かべたが、小さな声が義勇から聞こえてきたから気を取られたのを無視して顔を上げた。
「リボンは、……姉さんが気に入ってつけてたものだ」
「そうか」
 形見だったのか。それであんなに優しく触っていたのかと杏寿郎は納得した。リボンの端にそうっと手のひらを這わせたり、解けてはいないかと結び目を気にしたり。その仕草がどうにも不思議な気分にさせて、理由が何なのかいまいちわからなかった。
 今もわからないままだけれど、リボンを大切にする理由を教えてくれたから一つ謎は解けた。
 鏡台の前に座った義勇はリボンに触れるような手つきで恭しく、そっと簪を髪へ挿した。見ているとくすぐったくてむずむずしてしまったが、紅梅色のリボンのそばで控えめに揺れるしだれ白藤に、杏寿郎の目利きは間違いなかったと自信をつけさせてくれた。
「似合うな!」
「………、……ありがとう。大事にする」
 頬を色づかせてそわそわと視線を彷徨わせた義勇は、嬉しい言葉を口にして今度は満面に笑みを見せてくれた。この笑顔を見ることができたら、杏寿郎も渡した甲斐があったというものである。
 一旦は無視した胸の違和が再発したことに気づかなかったのは、嬉しくてそれどころではなかったからだ。それに気づくのはもう少し後になってからだが、満足感に気を取られて部屋を出る時にはもう忘れてしまっていた。




 鬼狩り講習。
 杏寿郎の自室で文机を借り、義勇は筆と半紙を用意して臨んでいた。普段窓のそばに置いてある文机は、部屋の真ん中へ移動している。
 その文机の前に向かい合う形で座っているのが杏寿郎だ。実は義勇の隣にもう一卓文机を並べているのだが、そこには千寿郎が同じように筆と半紙を前にして座っていた。ここでひと悶着――と思っているのは恐らく義勇だけだが――が起こった。
 準備している段階で昨日に貰った簪をつけていないことに気づかれ、つけてくれないのかとしょんぼりされてしまったのだ。綺麗で勿体ないからと、外出時につけるつもりだと伝えると杏寿郎は納得したようだったが、まったく目ざといものである。
 あの簪を毎日つけろなど、とんでもない。
 結婚を約束された許婚なのは義勇自身も理解しているが、肝心の杏寿郎はまるで友達に対する態度だった。だから義勇も自然で居られたのだ。あの風呂でのことは抜きにしてである。
 近所に居た意地悪な男の子を諌めて優しくしてくれた子と同じくらいの感覚でいたのに、毎日簪をつけたら毎日意識せざるを得なくなってしまう。そんなのは身が保たない。汚れるのも失くすのも嫌だ。
 結局、義勇の個人的な都合でめかし込む時にだけ出番を作ることにして、それに杏寿郎も納得したのだから良かったのだが。そういう機会を実は楽しみにしているのも、義勇のなけなしの乙女心が反応しているようだった。
「ではこれから鬼狩りについて講習を行う!」
「よろしくお願いします」
 気を取り直し、頭を下げて教えを請う。どこからか教鞭のようなものを持ってきた杏寿郎はご機嫌だった。普段は明るく優しく、鍛錬をしている杏寿郎は義勇より強いのに、持つ予定もなかったものを持って喜んでいる様子は、まだまだ遊び盛りの少年であることが全面に出ている気がして微笑ましくなる。
「まず、この世には人に害をなす鬼が存在する。人の血肉を喰らい、太陽を嫌う連中だ。鬼は陽にあたると身体が灰になってぼろぼろ崩れていくから、夜に行動することが多い。だから俺たちは夜外に出ないようにしているんだ」
 太陽を嫌う。姉と共に逃げ、夜明けまで粘ればもしかしたら死なずに済んだのだろうか。もしもの話などしても姉は帰ってこないし、叔父は信じてくれないことを思い知っていたのに、義勇はそれでも考えてしまう。ひっそりと落ち込んでいたが、杏寿郎は気づかなかったのか話を進める。
「鬼は人より相当頑丈で強い肉体を持つ。傷を負わせてもすぐに回復してしまうし、腕を斬り落としても生やすことだってできる。異能を持つ鬼もいるらしい!」
 不安げに眉尻を下げた千寿郎の筆が半紙を彷徨い、蚯蚓がのたくったように蠢いた黒線を引いている。にっこりと笑みを見せた杏寿郎が千寿郎の頭を撫でた。
「太陽の光と、もう一つ。頸を斬ることで鬼を倒すことができる。それには特殊な刀が必要だ。日輪刀というんだが、それを用いて頸を斬り落とす。日輪刀があれば陽光の他に頸が鬼の弱点になる」
 特殊な刀の日輪刀で斬り落とせば、傷口が再生することなく鬼の身体が崩れて死んでいくそうだ。
 しかし、いくら鍛錬した強い剣の達人が相手したとして、再生する鬼を倒すなんてそうそうできるのだろうか。
「鬼と渡り合うための呼吸法がある」
 義勇が心中で考えていた不安に気づいたかのように、杏寿郎は戦い方について説明を始めた。曰く、呼吸法を習得することで身体能力を向上させることができるのだとか。鬼狩りはこの呼吸法を扱えなければなれないらしい。
「俺はまだ使えないけど、隊士になったら約束どおり義勇たちが安心できるよう戦う!」
「………。姉さんのこと、槇寿郎さんが謝ってくれたけど……」
 槇寿郎が怪我をしているところを見たことはないが、煉獄家に来てから一度ぐったりとした誰かを抱えて帰ってきたことがある。槇寿郎と同じような黒服を着て、頭から血を流し朦朧としたまま誰かに謝っていた。おろおろする義勇を尻目に杏寿郎が医者を呼びに走っていき、槇寿郎の指示にハナも従っていて、結局義勇は千寿郎を頼むと言われただけで、千寿郎を抱きしめながら瑠火の部屋で大人しくしていただけだった。
 あんなに怪我をしていたのだ。槇寿郎だっていつかは大怪我をしてしまうかもしれない。呼吸が使えたって死んでしまう可能性もあるだろう。杏寿郎は自分が戦うのだと言うが、甘えて任せきりになって本当にいいのだろうか。
「槇寿郎さんが……怪我をしたら大変だ」
「……義勇は優しいな」
 ぽそぽそと呟いた纏まりのない義勇の言葉に、杏寿郎は嬉しそうに笑みを見せて褒めてくれた。
 けれど、義勇が優しければ姉の代わりに鬼に喰われたはずなのでそれはない。優しいのは煉獄家の面々だと言いたかったが、それより先に杏寿郎の口が動いた。
「鬼狩りは鬼殺隊という組織に属している。隊士である鬼狩りは数百人いるそうだが、その最高位に立つのが父上だ。何百人の中の一番強い人なんだ」
「そんなに……」
「うん! 父上にはどんな鬼も敵わない! 何年も柱として戦っておられる! ……だからきみの姉君を助けられなかったことは、本当に悔いておられた。……でも、鬼と違って人は疲れたり、怪我をしたら動けなくなることもある。以前運び込まれた隊士も、不意を突かれて怪我を負ったそうだ。階級の高い隊士でもそうなることはあるという」
 父は強いのだとわかっていても、一瞬の隙だったりするものが鬼狩りにとっては命取りだという。怪我をすれば治療に時間がかかり、致命傷であれば命の危機。鬼のようにすぐ治るわけがないからだ。
「うん……あの人、無事で良かった」
「……そうだな!」
 どこか普段より柔らかい目で笑みを向けられたが、義勇が首を傾げる前に杏寿郎は次の話題へと移っていった。