居候、お守り

「どういうことだ、杏寿郎!」
「父上とも話し合った。もう決めたことだ」
 目元を引き攣らせた小芭内が言葉を紡げずに溜息を吐いた。
 許さない信じないと口にしていた小芭内のことだ、わかっていてもそれを現実にはしたくなかっただろうことが窺える。二人は随分杏寿郎と義勇を気にかけてくれていたものだから。
 無限列車での任務は、上弦の参と交戦ののち鬼を取り逃がしたことで幕を閉じた。下弦の壱を討伐した直後に体術を使う上弦の参が現れ、陽が昇るまでに頸を斬ることが叶わなかった。
 感じる重さに違いはあれど皆このような気持ちだったのかと、今頃になって隊士の思いを推し図れることとなった。病で亡くなる時とは違い、苦しいほどの怒りが渦巻いていくのだろう。
「甘露寺の時は反対する権利もない故に何も言えなかったが、今回は言うぞ。義勇を柱になどして蒼寿郎はどうなる。あいつは母親なんだぞ!」
「お館様の打診もあった。彼女なりに受け止めた結果なんだ。思うところはあるだろうが、俺は……義勇の思うとおりにしてもらいたい」
「………っ、」
 錆兎はずっと義勇が、女性が刀を持つことを反対していた。
 しかし錆兎の後任として、杏寿郎は義勇以上に水柱として相応しい者はいないと思うのだ。命を懸ける生業でなければすぐにでも推していた。それほどに流麗な剣技を持って鬼を斬る姿は目を奪われる。これは決して贔屓目に見ているからではない。
 もちろん、葛藤がなかったわけではないが。
「だが! 継子を取ることを条件としたのでな!」
「継子といってもな……。………、……まさか杏寿郎、お前……」
 さすがに小芭内は察するのが早く、憤りを治めた直後に顔を歪めて杏寿郎を凝視した。まさかお前、正気かと、目で訴えてくるものだから。
「うむ、あの兄妹を継子に」
「鬼は要らん! 何考えてる」
「大丈夫だ。錆兎が認めた鬼だからな!」
 そして残りの黄色と猪は杏寿郎が後を担うことに決めたのである。充分なほどに黙り込んだ小芭内が顔を上げた時、よほど腹に据えかねたのだろうことだけは杏寿郎に伝わってきたが。
「………。俺はしばらくここに住む」
「ああいいぞ、久しぶりだな! ハナさんに部屋の掃除を頼んでおこう!」
 どちらかといえば煉獄家全体の継子となりそうだ。目の据わった小芭内は頭を抱えて溜息を吐き出したが、気が滅入るよりはいつもどおりのほうがいい。立ち止まって嘆いている隙は鬼狩りにはないのである。

*

「……父上。竈門炭治郎さんがいらっしゃいました」
 障子越しから千寿郎に声をかけられ、槇寿郎は顔を上げた。
 錆兎の鎹鴉が案内して連れてきたのだそうだ。
 常に付き従っていた鴉は無限列車の任務の後にも、煉獄家へと立ち寄り錆兎の言葉を伝えてくれていた。
 鬼が人を守り戦う姿を見せられた錆兎は、結局のところ竈門禰豆子を認めるに至った。食欲を抑える理性がいつか崩壊する可能性を危惧していたとしても、最終的には信じることを決めたのだ。
「すみません、突然……水柱……錆兎さんの言葉を伝えに来ました」
「煉獄家を頼れという話だな」
「、え……あ、それも、おっしゃってました」
 客間に通された竈門炭治郎の隣には背負っていたらしい箱が置かれてある。ちらりと視線を向けながら、槇寿郎は窓枠に留まる鎹鴉からの報告があったことを伝えた。
 無限列車の任務に当たったのは竈門兄妹の他に二人居た。四人ともに対して煉獄家を頼るよう伝えたのだという。
 きっと良くしてくれる。槇寿郎は子供を無下にはしないし、杏寿郎は俺よりよほど素晴らしい男である。義勇だって誰より懐が深く、小芭内は憎まれ口が多いものの、部下を決して見捨てたりはしない。
 泣くな、喚くな、歯を食いしばれ。そう発破をかけた錆兎はたくさんの人を守り抜いた。
「それから……ずっと見ていたかったと。その意味は俺にはわかりませんでしたが……」
「ああ、大丈夫だ。……錆兎息子の言葉を伝えてくれてありがとう」
 錆兎が何を見ていたいと願ったか。真意を知るのは槇寿郎と小芭内くらいのものだろう。錆兎にとって杏寿郎と義勇がどれほど大切だったかを垣間知ることのできる言葉だった。きっと小芭内にもそういう想いがあるのだろうと想像できるほど、彼らは互いに思い合って大事にし合ってきたのを見てきたのである。
「じじ上!」
 暗く落ち込んでいた客間の空気にすぱんと文字どおり割って入ってきたのは孫だった。うまく戸を開けたはいいものの、指が障子紙を突き破っているのでほぼ意味がない。しかし以前までは全身で突進してきていたので充分に成長している。我が孫可愛さに槇寿郎は気を取り直した。
「こら蒼寿郎、客人だ。部屋に戻っていなさい」
 沈痛な面持ちだった竈門炭治郎も面食らったらしく、きょとんと驚いた顔が孫を見つめていた。煉獄家の血をしっかりと受け継いでいる幼子は杏寿郎にうり二つだが、ということは槇寿郎にもそっくりなのであった。孫だと伝えると、竈門炭治郎はぱちりとひとつ瞬いた。
「……もしかして、その子が錆兎さんの言っていた……」
「ん? ああ……幼子の話をしてたならこの子のことだろうな。私の孫……正確には、息子と嫁の子供だ」
「………?」
「煉獄蒼寿郎といいます! 三歳です!」
 同じではないのかと疑問に感じたのが手に取るようにわかったが、槇寿郎にとっては、錆兎にとっても同じではなかっただろう。槇寿郎の膝に乗ったまま挨拶をした孫に、気を取り直した炭治郎は笑みを向けて返事をくれた。
「よろしく、蒼寿郎くん。とりあえず……よかった、伝えられて……」
「………っ、竈門くん!」
「大丈夫ですか!? ……父上、熱が高いです」
 どさりと上体を畳へと倒れさせた炭治郎に控えていた千寿郎が駆け寄り慌てて額に手を当てると、かなりの高熱が出ているようだった。まだ動ける状態でもなかったのだろうに、必死にここまで鴉の後をついてきてくれたらしい。
「無理をしてここまで来たようだな。すまんが蝶屋敷へ伝えてくれ、竈門くんはこのまま引き取る。千寿郎は医者を呼んできてくれ」
「はい!」
 ひと声鳴いた錆兎の鎹鴉は羽根を広げ、窓から飛び立ち蝶屋敷の方角へと向かっていった。
 そうして部屋の用意を頼むために廊下へ出たところで、来ていたらしい甘露寺が義勇の肩を抱いているのを発見した。二人の目尻に少しばかり涙が滲んでいるように見えるのは気のせいではないだろう。どうやら話を聞いていたようだった。
「義勇、杏寿郎が継子にすると言っていた少年二人もいずれ呼び寄せるようにしてくれ」
「……はい」
「こんにちは」
 母の元へと駆け寄った我が子を抱き留めた義勇が返事をしたところで、玄関先から戸が開く音とともに声がかかった。
「あらあら小芭内さん、こんにちは」
「伊黒さん!」
 出迎えたハナの声に玄関先を確認すれば、煉獄家へ顔を出したのは小芭内だった。いつもは軽装だが、珍しく大荷物を抱えている。
「来ていたんだな甘露寺。槇寿郎さん、勝手ではありますが、またお世話になります」
「ああ、かまわんが……急に大所帯になったな。隠居したはずの俺まで駆り出されそうだ。ハナ、竈門くんの部屋の用意を頼む」
 稽古に顔を出しに来てはいたが、小芭内がこうして煉獄家の居候となるのは久しぶりだった。昔の子供だった彼らとの生活を思い出して少しばかり懐かしさがこみ上げ、亡き妻の言葉も思い出した。
 考え込みすぎる己のために向けられた優しい言葉だった。すっかり大人になった子供たちとまた忙しくしてみるのもいいだろう。せっかく槇寿郎とて日の呼吸の見取り稽古にも参加したのだし。
「こっちに住むのか」
「ああ、お前の継子だろうと俺も口を挟むからな。すべては寝こけている馬鹿のせいだ。文句があるならあいつに言え」
「ない」
「ふん。ないなら蒼寿郎の前でしみったれた顔をするな。今までしぶとく生き残ってきたんだ、きちんと起きるに決まってるだろう」
「……うん」
 蝶屋敷で昏睡状態である錆兎の容体は予断を許さぬ状況だ。目を覚まさぬままこの世を去る可能性は快復するより高いと蟲柱は告げた。心臓が動いているのが奇跡のような状態だが、それでも錆兎は生きてくれているのだ。
「……そうだな。蒼寿郎、おいで」
 小芭内の言葉に頷いた義勇はそのまま踵を返し、玄関先までついてきていた蒼寿郎を呼んで廊下を戻っていく。元気がなくなっていた様子からは少し上向いたようで安堵したが、なにやら客間へと入っていくのを見守ってから槇寿郎たちは追いかけた。
「………っ、何してるんだお前」
「挨拶」
 廊下から覗くと客間に置いたままになっていた木箱の前へと座り、中へ聞こえるようにこんこんと音を鳴らした。皆が見守る中、幾度目かの呼び出しに応じたらしく箱の扉がゆっくりと開かれた。
 ひょこりと現れたのは、孫よりも少し歳上程度の幼い娘だった。竹枷や長い爪は異様ではあるが、娘の目は随分と幼気いたいけで柔らかかった。
「蒼寿郎、彼女は竈門禰豆子だ。これからここに住む」
「煉獄蒼寿郎、三歳です! よろしくお願いいたします!」
「むー」
 大きな目が瞬いてから、幼子を見て嬉しげに細められる。爪の伸びた手が幼子へと向けられ、やがて優しく頭を撫でた。人の子がするような仕草を鬼の娘がしていたのだった。
 実際に目の当たりにすると、なんとも奇妙な光景だった。しかし、こうでなければならない鬼なのだ。つくづく義勇の判断はとんでもないものだと思える。
「……こんにちは、禰豆子ちゃん! 私は甘露寺蜜璃っていうの!」
「むー」
「お兄さんは今お医者様を呼んでるから、ちょっとの間待ってようね! 一緒に遊びましょう! 蒼寿郎くんは何で遊びたい?」
「蒼寿郎、禰豆子はお外に行けないから、お部屋でできる遊びをしよう」
「………、………」
 触発されたらしい甘露寺が客間へ入り込み、朗らかに鬼へ笑いかける。
 とんでもなく引き攣らせた目元で彼女たちを凝視していた小芭内は、やがて大きな長い溜息を吐き出して頭を押さえた。
 鬼と遊ぶなど鬼狩りの姿ではないのだろうが、錆兎も認めた兄妹なのだ。鬼であろうと人のことわりを忘れていない娘は、やはり人を喰おうという素振りはなかったのである。

*

「……錆兎の着物……貰ったら怒るだろうか」
 帰宅してひと息ついた頃問いかけられた言葉に杏寿郎は瞬いた。
 無限列車での任務は下弦の壱との戦闘だったが、討伐直後に上弦の参の襲撃によって錆兎は重傷を負うこととなった。上弦の鬼と相対して生きて運ばれただけでも驚くべきことだが、錆兎は未だ目を覚ましていない。目を覚ます保証もまったくない状態だ。
 とはいえ鬼も時間も待ってはくれない。鬼殺隊の水柱は常に炎とともにあり、途切れることなくそこに在った。産屋敷は是非にと後任を義勇へ打診してきたのである。悩みに悩んで結局は水柱として拝命することとなったのだが。
「何故着物を?」
「お前は髪紐をくれたが、錆兎の着物をお守りにして戦いたい」
「……ああ、いや、それくらいなら大丈夫だと思うぞ。怒ったとしても、俺も一緒に謝ろう」
 安堵したらしく久しぶりに薄っすらながら笑みを浮かべた義勇の頭を撫でた。
 胡蝶カナエが亡くなった時、義勇は彼女の妹であるしのぶから贈り物を貰っていたようだった。小物入れの奥深く、そっと仕舞ってある小さな蝶の髪飾り。使うわけでもなく、眺めるわけでもなかったが、それは義勇よりも形見として持つべき者が他にいるからだろう。錆兎は決して死んだわけではないが、先代水柱として力を貸してほしくなったのかもしれない。
「どうせなら一着貰ってしまおう! 片身替りにするのはどうだ?」
「……派手……」
「粋だ!」
 義姉の羽織と錆兎の着物。どちらかという結論には至らないのだから、やはりここは片身替りにするのが妥当だ。義勇が羽織るには確かに派手かもしれないが、慣れればきっとそういうものとして受け入れられる。
「すべてが終わったら、返せるようにしておけばいい」
「気の遠くなる話だ」
「そうでもないと思うぞ。あの兄妹が現れたのだからな」
 義姉の羽織を持ち出して広げる。色々文句を言ってはいたが、片身替りとすることは賛成しているようだ。珍しさに目を引き、容貌で更に目を惹く想像がありありと浮かぶが、義勇の想いに水を差すようなことはしようと思えなかった。

「……何してるんだ?」
 かつて間借りしていた部屋の片付けも粗方終わった頃、夫婦の部屋を覗くとなにやらせっせと繕い物をしている義勇とそれを眺める杏寿郎がいた。
 破れやほつれを直しているのかと思いきや手にしている生地は似た色というわけでもなく、なんならとても見覚えのある二種類だった。義勇がずっと纏い続けている姉の羽織と、どうやら片方は錆兎が着ていた着物のようだ。
「片身替りにしようと思って」
「ふうん。……まあ、悪くはないな」
「そうだろう!」
 着物を貰う許可など今は得られないわけだが、別にそんな許可を取らなくとも錆兎は差し出すだろうと小芭内には想像できる。なんだかんだと義勇にはやはり弱いのだ、あいつは。
 もしかしたら本人も気づかぬうちにはつ恋相手なんてことになっていた可能性もあるが、杏寿郎と義勇の行く末を見守っていたのは他ならぬ錆兎だ。そんな詮索すら野暮というものだろう。色恋を差し置いても、杏寿郎や義勇から慕われることは嫌ではないのだ。着物くらい内心喜んで渡してくるに違いない。
「小芭内も何か欲しい」
「何かとはまた、大雑把なことを言い出すな」
 急に振られた小芭内の場合は、差し出せるものなど大してなかったりする。別に肌見離さず持っているものもないし、鏑丸を差し出されるつもりも義勇には更々ないだろうし小芭内としてもあり得ない。かといって無下にするのは忍びないと思えるほどには、やはり絆されてしまっているのである。本人には言わないが。さて、どうすべきか。
 繕っていた手を止めた義勇は畳に羽織を置き、不思議そうに首を傾げた杏寿郎と同じく小芭内も様子を眺めることにした。文机に向かい筆を執り、なにやらさらさらと手短にだろう文を書きつけ、老齢の鎹鴉を呼んで脚に括りつける。以前も見ることのあった光景である。
「寛三郎、蜜璃に頼む」
「承知シタ……」
「……甘露寺?」
 鴉を充分に見送ってから小芭内は一言呟いた。
 義勇と甘露寺は元々仲が良い二人だが、一体何をするつもりかと小芭内は眉を顰めた。この話の流れで予想できることではあるが。
「お守りが欲しいと伝えた。小芭内も早く」
 催促するように手のひらを見せられ、寄越せと訴えてくる。呆れて溜息を吐き出してもこういうところが憎めないのだ、二人とも。
「俺も貰おう!」
「乗るな! ……くそっ、勝手に持っていけ! ――おい、だからって羽織を切り取ろうとするな、嫌がらせか! もっと丁寧にしろ!」
 それこそ髪紐だとか色々あるだろうに。
 どうせならもっと良いものを寄越せと言えばいいものを、二人揃って小芭内を囲んでまで切れ端などを欲しがるのだから始末に負えない。懐だけは探られないよう気をつけつつ、呆れつつもやはり絆されてしまった小芭内は諦めることにしたのだった。

「こんにちは義勇さん、お待たせ! 悩んで全部持ってきたわ! 皆もくださるって聞いてとっても楽しみにしてきちゃった!」
 そうして賑やかに煉獄家へ顔を出したのは甘露寺だ。義勇が文を送りつけて呼び寄せたから来てくれたのだが、おかげで小芭内は落ち着きなくそわそわしてしまっていた。
「あら、それは伊黒さんの羽織かしら?」
「ああ」
 うきうきとしたまま甘露寺が懐から取り出した包みを開くと、そこには色とりどりの髪紐が収められていた。甘露寺が選ぶよう促すと、髪紐を手渡しながら義勇も開いた包みを覗き込んで吟味し始める。
「蜜璃の色……」
「ありがとう! 青は義勇さんの色よね!」
「俺も渡しておこう!」
「とっても力になってくれそうだわ!」
 桜色の髪紐を摘み上げた義勇に倣い、隣で覗き込んだ杏寿郎もまた一本手に取った。嬉しそうに赤と青の髪紐を握りしめる甘露寺を眺めていると、義勇がいそいそと小芭内の切れ端を取り出した。
 桜色の髪紐を使って、小芭内の羽織の切れ端を結ぶ。どんな意図を篭めたのか聞き出して文句をつけるべきだったのに、視界の端に映った甘露寺の頬が桜色に染まったのを流すことができなかった。
「それで、小芭内は?」
 にこやかに問いかけたのは杏寿郎だ。甘露寺の頬が染まっているのを眺めていた小芭内は、己の頬が熱を持っていく自覚もばっちりとあった。これは確信犯だろう。あれほど鈍感で野暮天だった杏寿郎からこのような含みのある問いかけをされるとは。まさか知っていたのかと怪しんでしまうほどだ。
 甘露寺への贈り物は初めてではないけれど。
 だからといって物が違うのだ。ぐ、と眉根を寄せて歯を食いしばり、小芭内は懐へと手を差し入れた。
「………っ、………、これを」
「えっ……これ、……リボン?」
 簪や櫛でなければ、と小芭内は欲を出してしまった。髪に飾るものを贈るなど、身の程を弁えぬ馬鹿なことを考えたとずっと渡せなかったものだ。靴下と同じ色のリボンは、その時似合うだろうとつい手に取って買ってしまったものだった。
「……きみの、髪に……似合うだろうと思った」
 出してしまったこと自体が間違っていたが、話題を振られて無いなどと伝えることは小芭内にはできなかった。桜色が更に赤みを帯びて、甘露寺は差し出した贈り物をじっと眺めていた。
「こ、こういうのは、義勇さんやしのぶちゃんのほうが……」
「俺は、きみにこそ似合うと思ったんだ」
「そ、そ、そ、そうかしらっ!? ……あ、……ありがとう伊黒さん……」
 あまりに熱くて落ち着きを取り戻すこともできず、小芭内は夫婦がいつ部屋を出ていったか不覚にも気づくことができなかった。

 羽織と髪紐を抱えながら部屋を出た後は、足音を立てずに廊下を歩きつつ二人で笑い合った。
「蜜璃は髪を一房でも貰えたらと言ってたが、良かった。贈り物を買ってたの知らなかった」
「俺も見たわけではなかったが……好いた相手には渡したくなるからな」
 柔らかな頬に赤みが灯る。
 己が贈ったものを身につけていてほしい。似合うと思ったらついつい手が伸びてしまうものなのだ。夫婦となってから義勇は贈り物など要らぬときつく言い含めてきたわけだが、そこは男の性なのである。
「しかし、甘露寺はやはり小芭内を、」
 むっと眉を顰めた義勇が杏寿郎の唇に人差し指を押さえつけ、しいと声を潜めて言葉を遮った。
「乙女の詮索は不要だ」
「……ふむ。それは答えを言ってるようなものだと思うが」
 鈍いのは子供の頃だけだ。杏寿郎とて様子を見ていれば察するものもある。触れていた手を掴んで繋ぎながら、杏寿郎は笑みを浮かべた。
「俺の次に果報者だな、小芭内は」
「……お前は盲目すぎる……」
「きみがそうするんだから仕方ないな」
 伝わったらしい杏寿郎の言いたいことにはやはり難を示したが、それが照れ隠しであることもお見通しである。義勇に盲目であるのも、彼女がそれほど素晴らしい人であるからだ。小芭内にとっての甘露寺も、誰より美しく素晴らしい人なのは間違いなかった。