見舞い

「たのもー。煉獄の嫁平気そうか?」
「お邪魔しますゥ……」
「なんだ、来たのか。……ハナさん来客だ、茶を二つよろしく。二人とも、宇髄と不死川が来た。客間に通したぞ」
 部屋の外、廊下から聞こえる錆兎と同僚二人の声に杏寿郎は頷いたが、借りてきた猫のようにしおらしい声の主を思い浮かべ、何事かと驚きそうになってしまった。
 他人の家だからか、それとも身重の女性が居るからか。どちらにしろ他者を慮った故の声音のはずだが、普段と違いすぎて別人のようだ。まあ、彼は見た目によらずそういう気遣いをする節がある。
「そういえば見舞いに来ると言ってたな、来ないから流れたものと思ってたが」
「……風柱様か……」
「無理しなくてもいいぞ。宇髄は妻帯者だから色々と嫁御殿に聞けることもあるだろうが。なにせ三人もいるからな、多すぎる!」
「杏寿郎も欲しいのか」
「この流れで何故!? 俺はきみひとりが良いんだが!」
 障子を開けたまま眺めている錆兎の顔が呆れたものへと変わっており、目の前で惚気るなと少々苦言を呈されてしまった。特に惚気たつもりはなかったが、天然を超えた義勇の発言には言い返しておかねばならないものである。
「行くのか? なら手を貸そう」
「過保護……」
「そう言うな。労りたいのと触れたいのとだ」
 呆れた錆兎はさっさと客間へ向かったらしく、すでに姿はなかった。大きくなった腹を抱えて立ち上がる義勇に手を差し伸べると、文句を言いながらもそっと重ねてくる。思い返せば、父もこうして母の手を取ることがよくあった。似た者親子だと錆兎や小芭内なら、知った時揶揄ってくるのかもしれないが。
「宇髄、不死川!」
「よくお越しくださいました、音柱様、風柱様」
「よお、急な任務でごたついてよ。予定よりかなり遅くなっちまった。お、冨岡、えらく可愛い簪つけてんな」
 行くと宣言した直後に急な長期任務が入ったらしいが、不死川は先に見舞っておけばよかったのにと宇髄は適当なことを口にした。連れていくと言ったのは宇髄だった気がしたが、さほど義勇とも仲良くないようだし、というより杏寿郎の妻が義勇であることを柱合会議の時点で知らなかった。不死川も一人で見舞うつもりはなかっただろう。今も知らないままだったことは呆けた不死川の様子でよくわかる。それでも個人として見舞い品を渡してくれるのは律儀なことである。
「気に入ってくれている!」
「可愛い子からの貰い物だったので……」
「ああ、煉獄の贈り物ね、へえー。おっ、なんだよ。もう少し派手に笑えよな」
 白藤を褒められてご満悦にしているが、宇髄には口元を緩ませたくらいにしか見えなかったようだ。特定の人間の前以外で笑うなと言いつけた元凶は二人とも、素知らぬ顔をして茶を啜っている。四人揃っている場に居るせいか義勇の表情が緩んでいるのだが、まあ、宇髄と不死川なら二人も許してくれるだろう。
「むう、可愛かったか? 男気があったと思ってたんだが」
「すごく」
 よもや、かつての己を可愛いと称されてなんとも複雑な気分になった。潜めた声だが錆兎が笑っているのは明らかであり、揺れる肩を恨めしげに眺めていると今度は小芭内まで同意し始めた。
「まあ、杏寿郎が可愛かったというのは間違いないからな」
「くくっ、俺が出会った頃はまだ義勇のほうが大きかったしな」
「背丈がほんの一寸だ! すぐ追い抜いた!」
 微笑ましいとも揶揄おうとも思われているような気がして弁解してみるも、仕方ないのだと錆兎が訳知り顔でにやついている。あの頃の義勇は杏寿郎や小芭内より上背があり、錆兎と同じくらいだったと思う。もちろん指の先程度の差だったし、体格や厚みは杏寿郎のほうがあったが。
「おーい、放心してっけど不死川大丈夫か?」
「お、おう……てかお前の嫁って……こ、こいつ、冨岡!?」
「そうだな!」
「ようやくかあ」
 鬼殺に没頭しているためか、それとも杏寿郎たちに興味がなかったか。とにかく誰からも教えられることなく不死川は今日知るところとなったようだ。祝言からどれだけ経ったやらと小芭内がネチネチ呆れながらぼやいている。
「そう、知ってる奴は知ってんだけどなあ。煉獄の旦那が現役の頃から許婚って噂もあったし、最近任務でも見なかったし、わかりそうなもん……悪いな、鈍感だったか」
「うるせェ」
 事実とはいえ噂がまわっていたとは知らなかったが、鬼殺に必要な情報かといえば他者には不要だ。不死川の様子が当然の反応なのだろう。杏寿郎の親族も産屋敷も皆祝福してくれたが、婚姻を結んだなどとわざわざ公表することはしなかった。
「まあ俺もそうだったから驚きはなかったけど、鬼殺隊はそんなもん縁のねえ奴だっているからなあ。けど冨岡がお前らにだけ気安いって噂はずっとまわってたし。目立ってたからなー」
「まじかァ。お前らも教えてくれりゃいいのによ……」
「お前はあれだ。もう一人の花にお熱だったな」
「なんの話っ……違ェわ馬鹿が!」
「誰のこと考えて否定してんだか」
 宇髄の揶揄いに不死川は怒りを顕にしながら怒鳴り散らし始めた。杏寿郎と小芭内の間に座っているので不死川たちの対角線上に義勇は居るが、ほんの少しばかり肩が揺れた。
「茶が溢れるから暴れるなよ」
「ふん。癸の隊士が炎柱の継子に何故収まっているのかという値踏みの噂もあったろう」
 注視していなければ気づかないほどの肩の揺れだが、恐らくは錆兎と小芭内も気づいたのだろう。杏寿郎が声をかける前に錆兎が二人を窘めた。夫である杏寿郎を過保護と認定する前に、この二人の保護者ぶりに文句をつけてもらいたいものである。なにせ色々な噂を仕入れては杏寿郎の耳に伝えてきたりもしてきたのだ。
「おー、悪い。いや、まあな? 大体はすぐに霧散してったな。お前らが実力で黙らせてったわけだが、旦那の見る目は確かだぜ」
「その点は俺も自信があるから父譲りだな!」
「はは。なにせ元柱と現役の柱の二人に師事していたしな」
「んだそりゃ、随分手厚い修行じゃねェか」
 諸々の事情が絡み合った結果、恐らくはどこよりも手厚い修行を受けたと思われる。最終選別を突破するのも当然でなければならないほど作戦を立てて臨んだが、戻ってきたら鱗滝はよかったよかったと涙を溢して喜んだものだった。あれは恐らく、今までの弟子が帰らぬ者となっていたことも相まった反応だろうと錆兎は言っていたか。
「けど育手によって育成の差が出るのは問題だよな。この前の最終選別、生き残りはゼロだったって話だ。お前らの代との差がでかすぎる」
 そして柱が何人も集まれば、話題は仕事にも向かう。最近の隊士の質が悪いと宇髄がぼやき、それに同意するのは小芭内と不死川だった。当時の最終選別が全員生還したことについて言及されてしまったが、鍛錬の質も量も杏寿郎たちが恵まれていたのが大きいといえるだろう。
「深追いするな、一人で行動するなと言い含められていたからな。それに俺たちは一緒に暮らしていたし、事前に作戦が立てられた」
 生きて戻ってこいと父から言われていたし、全員が全員を死なせないと誓っていた。それが功を奏したことは間違いない。
「そう、その上実力を正しく把握できてねえから死んでいくんだ。甲の冨岡が休んだ穴を埋めるのに何人必要になったか」
「母になる女が抜けた穴を埋めるのにも苦労するとはな……この馬鹿より頼りない隊士は由々しき問題だが、まさか尻拭いのような真似をさせることにならんだろうな」
 宇髄の指摘に背筋を伸ばした義勇が息を詰めたが、その前に小芭内は庇うように口を開いて愚痴混じりに言葉を漏らした。どうやら義勇の鬼狩りとしての今後を心配しているらしい。
「小芭内は義勇が好きだな!」
「変な解釈をするんじゃない」
「尻拭いしろとは言ってねえよ。ま、だから水柱と蛇柱がしっかりしてくれねえとな」
「当然だ。柱たる者とは何か、それを知るために継子としてずっと炎柱のそばにいたんだからな」
 義勇にとっては鬼殺隊のことも心配の種になるのだろうが、これから控えている出産に向けて不安はできる限り取り除いておきたいものだ。つい最近柱を任命された小芭内もまた、溜息を吐きつつ同意していた。

「失礼します、義姉上……花柱様がいらっしゃいました」
「え?」
 聞いていなかったのか、義勇が慌てたように立ち上がろうとしたところを千寿郎が手を貸し、それにまたも困った顔をしつつ、二人揃って玄関へと向かった。特に問題なければこの客間に通してもいいだろうが、女同士のあれやこれやがあるならば私室へと促したほうがいいだろう。
 見送っていた不死川がなにやらそわそわし始め、宇髄がにやつきながら肘でつついている。
「どうした?」
「いや? いいと思ってる女が来たことか、それとも美人に囲まれることねえから緊張してんのか」
「うるせェんだよ本当に」
 蝶屋敷を運営する花柱――胡蝶カナエは確かに見目麗しく、深窓の令嬢といった淑やかな女性だ。妹も今でさえ整った容貌をしているのだから、さぞ美しく成長するだろうと言われているのを杏寿郎は聞いたことがあった。不死川はどうやら花柱のような女性が好みらしい。
「ごめんなさいね〜急に来ちゃって、こんにちは。ふふ、行くって口だけかと思ったらちゃんと来たのねえ」
「なに、噂してたわけ?」
「前にお見舞い来た時に聞いたら、来てないって言ってたんだもの」
 客間に案内することにしたらしい義勇と、後ろから胡蝶姉妹が顔を出した。花柱である胡蝶カナエはにこやかに揶揄うようなことを口にしているが、客間の面々を見た妹は少しばかり眉根を寄せた。どちらかというと杏寿郎の中では不死川より胡蝶しのぶのほうが怒りっぽいという認識だった。
「たくさん栄養摂らないとと思って、野菜売ってたからちょっと買ってきたの。差し入れよ」
「………、ちょっと……?」
「そうよお、それから甘い物も食べられるって言ってたから、カステラと羊羹ときんつばとお饅頭と最中も買ってきちゃった。たくさん食べて体力つけてね!」
 ずっしりとした風呂敷の中には大根だのかぼちゃだのと質量のある野菜がぎゅうぎゅうに収められており、更には菓子まで買い込んだらしい様子に義勇の表情がすとんと落ちてなくなった。花柱の妹は呆れた顔を晒しつつも、手に持っていた包みを卓へと置いて義勇へ差し出す。中身は花柱があげつらっていたものと、その他いくつか、だそうだ。いくつかで済むのだろうか。
「買いすぎだろ」
「残ったら俺が食べよう!」
「あら? 駄目よ、義勇ちゃんとお腹の子のための栄養だもの、旦那様が食べたって意味ないでしょう」
「よもや!」
 いくら二人分の栄養が必要とはいえ、義勇は杏寿郎ほど食べられるわけではない。遠い目をしてしまった妻への心遣いとして口にしたことだったのに、花柱は辛辣に却下した。
「こんなに食べられない……」
「大丈夫よお、休み休み食べればいけるわ」
「一応止めましたからね、私は」
 あくまで姉の独断であると主張する妹を恨めしげに見つめた義勇に、胡蝶しのぶはぐっと唇を噛んでさっと目を逸らした。彼女のこんなたじろぐ様子は初めて見たような気がするが、女同士ならよくあるのかもしれない。
「他人事なのにすごく浮かれてるんです。諦めてください」
「………」
「なんですかその顔は。私が悪いみたいじゃないですか!」
 むすりと唇を尖らせてやはり恨めしげに野菜たちを眺めた義勇に、堪りかねたらしい胡蝶しのぶは声を荒げて文句を言った。不死川が目を剥いて、宇髄は口笛でも吹きそうな様子で義勇を眺めている。
「案外ころころ表情変わるな? 無愛想だったのによ」
「……良からぬ虫を排除するためだ。こいつは本来百面相」
「昔、知らん男から是非嫁にと言われたことがあってな。俺たちの前以外で笑うなと言い聞かせたことがある」
 数年前のことだ。修行を終えて煉獄家に戻りしばらくした頃、買い出しに街へ向かったところで起きた事件であった。といっても杏寿郎たちは憤慨するハナから話を聞いただけに過ぎないが、あれから千寿郎すら総動員して護衛となった経緯がある。懐かしい思い出だが、今となっては妙なことに巻き込まれなくてよかったとつくづく思う。
「……あー……てことは話さねェのも……?」
「お前との出来事は不死川の剣幕に驚いて話せなかっただけだな。そうだろう義勇」
 苦虫を噛み潰したような顔を晒した不死川が小さく謝ったことで義勇が後ろ髪を逆立てて驚き、彼女も頭を下げて謝った。見ていた宇髄が笑い出したので揶揄うような空気ができあがっていた。義勇が不死川へ苦手意識を持っていた様子は見ていたので、彼の振る舞いに面食らってうまくやり過ごせなかったのは慣れないせいだったことをわかってくれたのなら良かった。義勇は謝られたことに恐縮してしまっていたが。
「誤解も解けたみたいだし、仲良くしましょう。ふふ、伊黒くんたちがなんで笑うなって言ったか、予想が当たってたわ」
「姉さんも真似したら?」
「安らぐって言われちゃったからこのままでいいのよ、私は」
 宇髄が言うには義勇が甲に上がったあたりから三大美人と称されるようになっていたらしい女性陣だが、お近づきになりたい隊士はかなりの人数だという。有象無象からすれば特に高嶺の花であるはずの花柱にそのような言葉を贈るとは、なかなかやるねえ、と宇髄が楽しげに口を挟んだ。
 しかし、それは一人の剣幕によってかき消され、杏寿郎以外に聞こえたかは定かではない。
「は? 誰に言われたのよそんな口説き文句!」
 勢い良く詰め寄ったのは妹である胡蝶しのぶだ。彼女の姉への過保護ぶりは隊内でも有名であり、少し花柱と目があっただけで睨みつけられるという。世間話をしようものなら近づくなと距離を取られる。相手が柱であれば何も言わないが、視線はずっと牽制しているのだとか。杏寿郎も花柱の薬が効くと聞いて初めて蝶屋敷へ訪れた際、姉目当てと思われた妹に怒鳴られたことがある。許婚がいると伝えると懐疑的な目を向けつつ謝られたが。
 とにかくそんな調子なので、妹が怒るのは予想できたことだった。
「私の許可も得ず姉さんを口説くなんて不届き者! そいつの名前教えて!」
「義勇ちゃんだけど」
「きっちり制裁を加えないと気が済まっ……気……、義勇さん?」
「そうよ」
「……制裁は……子が産まれてからでもいいか?」
「……あなただったら制裁は結構です……」
 一瞬にして意気消沈した妹は咳払いをしつつ、眉間に皺を刻み込みながら座り直し、失礼しましたと客間の面々に詫びた。制裁を加えられることには特に文句がないらしい義勇に宇髄が笑いを噛み殺しつつ、仲が良いのかと花柱へ問いかける。新たな発見をしたようだった。
「そうなのよ、祝言の翌日だったかしら。私が怪我してね、煉獄家が近いから挨拶ついでに場所を借りようって悲鳴嶼さんがおっしゃって、それで。失くした薬も返ってくるなんて思わなかったわ」
「薬?」
「ええ、街で荷物落としたことがあって、拾ってくれたのが義勇ちゃんだったのよ。すっごく綺麗な子が拾ってくれた! ってしのぶに教えたんだけど全然相手にしてくれなくて、知り合ってからようやく紹介できた時は目をまんまるにしてくれたわ」
 驚いたしのぶが可愛かった、と頬に手を当てながら思い返す花柱も、結局のところ妹には強い愛情を向けているのだろう。杏寿郎も弟は可愛いので気持ちはとてもわかる。
「……だって姉さんより綺麗な人なんていないと思ってるもの。本当に同じくらい綺麗な人だったなんて……」
「それ身に覚えあるな。義勇もあの時興奮しながら報告しにきたっけ」
「ああ……なんでも褒める馬鹿だったから怪しさはあったがな」
「ふふ、しのぶが褒めるの珍しいのよ。私たち綺麗なんだって!」
 花柱がつんつんと義勇の頬をつつくと、眉尻を下げて困った顔にほわりと赤みが灯る。見慣れていても義勇の照れた顔は目を奪われるものである。錆兎と小芭内の当時の措置は正しかったと杏寿郎はやはり思ってしまうのだった。