日輪探し

 小芭内の蛇の呼吸が形になった頃、炎柱の継子である四人は着々と階級を伸ばし、杏寿郎と錆兎は柱へ手が届くところにまで近づいていた。
 四人は現在、任務の合間に探しているものがあった。
 炎柱の書を読んだ杏寿郎は、槇寿郎が打ちのめされかけた最強の御業、日の呼吸が廃れる前にどこかで継承されてはいないかと問いかけてきた。
 最強であるはずの呼吸がここまで姿を消したのは何故か。鬼殺隊に受け継がれておらずとも、最強の御業というならどこかで生き延びている可能性はないだろうか。
 あり得ない話ではない。日の呼吸の剣士が現れれば、鬼殺隊にとってもっとも重要な戦力となる。手がかりは日輪の耳飾りだけだが、探し出す価値はあるだろう。ということで、槇寿郎は継子四人へ任務で赴いた地でそれらしきものがないかを探すよう伝えていた。
 その合間に下弦を倒し、柱になれる権利をもぎ取ったのは杏寿郎と錆兎だ。つい数日前に当代の水柱が上弦にやられたと訃報があった。水柱には錆兎が任命されるだろう。
 いやしかし、想定していたことだったが子の成長とは早いものである。少し前まで未熟な部分が前に出ていたものだというのに。
 畳まれた羽織を撫で、小さく息を吐く。
「……俺もお役御免だ。炎柱は二人も要らんからな」
 真剣な顔をした杏寿郎を見やり、炎柱の羽織を後継へと手渡す。恭しく受け取り一礼するのを道場の隅に控えた三人は静かに見守っている。代々受け継がれてきた羽織は手直ししてばかりで年季が入っているが、先祖の思いが込められてきたものだ。悪鬼滅殺を果たすまで繋いでいくものである。
「……さて、義勇。体調が優れないと聞いている」
「は、……はい」
「大事を取って休みを進言しておくから、医者にもかかっておくように。瑠火と同じ轍は踏ませないでくれ」
 ここ最近の顔色の悪さは気になっていたが、吐き気や目眩が多いようだと杏寿郎からの報告があり、槇寿郎は病を不安視した。何事もなければそれでいい。家のことはハナに任せている部分が大半だが、それでも嫁として何かと頑張ろうとしている姿は皆が見ていた。
「……はい」
 単なる過労ならそれでも安堵できる。治しようのない病でなければ。

「ああ、かまわないよ。順調であればきてもおかしくないものね」
 産屋敷へ休暇の許可を得に伺えば、何故か嬉しげに彼は二つ返事で了承した。いつかなあと思っていた、と槇寿郎より訳知り顔で微笑んでいる。また先見の明が仕事をしたのだろうかと考えたが、色々と落ち着くまでは休んでかまわないという破格の待遇を得られたので一先ずは良しとした。
 炎柱の継子であり、才覚溢れる者には辞めてほしくない。柱ではない隊士でありながら、良い評判がたくさん耳に入ってくるからと喜ばしく感じておられるようだ。人の親としての槇寿郎はなんとも複雑な気分なのだが、彼ら自身が辞めないので言えることはない。そして彼らの仕事ぶりに助かっていることも事実なのだ。
 しかし、順調。そろそろ。いつになるか、など、なんとも義勇の体調不良を待ち望んでいたかのような言い草だった。病だったらと気が気ではないのだが、ともやもやしている時にふと槇寿郎は思い当たった。
「……あ」

「おかえりなさいませ、旦那様……」
「……医者は来たか?」
 気の抜けたハナの出迎えに予想は当たっているのだろうと槇寿郎は考えたが、己のとぼけ具合に情けなさがこみ上げてくる。言い難そうにしているものの、にやけた口元が喜びを隠しきれていない。やはりあの不調は。
「ええ……おめでただそうです」
「やっぱりか……」
 喜ばしいことである。産屋敷はこれに気づいてあのように言ってくれたこともはっきりした。
「若様も義勇さんもぽかんとなさっておいでで」
 それはそうだろうな。誰も気づいていなかったのだ。
 ちなみに祝言の翌日早々に若奥様と呼んだら物凄い顔をして真っ赤になり、頼むから名を呼んでほしいと懇願されたらしく、現在もハナは義勇を名前で呼んでいるという経緯がある。子が生まれたら容赦はしないらしいので、若奥様と呼ばれるのが先延ばしになっただけだが。
 しかし、産屋敷にそれとなく匂わされてようやく気がつくとは。いや言われる前に気づいてもなんかアレだな、と思い直し、一先ずは二人の顔を見ておこうと引き戸を閉めた。
 息子夫婦の部屋の前まで来ると、なにやら中でどったんばったん騒がしい。腹に子がいるというのにまさか身体に負担をかけるようなことでもしていまいかと焦ったが、声をかける前にすぱんと目の前の障子が開いてつい仰け反った。
「あっ! お帰りでしたか父上! 申し訳ありません、義勇を寝かせるのに必死で気づきませんでした!」
「おかえりなさい義父上。杏寿郎を止めていただきたいのですが」
「何も止めることなどないぞ、身体が辛いのに働こうとするからだ!」
「働くといっても家のことだ」
「ハナさんが持てないからといって米俵を持とうとしないでくれ! そういうのは俺がやる! というか今も辛いのだから寝ててほしいんだが!?」
「もう治った」
「それは“今はましになった”というやつだ!」
「喧しい……とりあえず、義勇は寝なさい」
 がーんと音でも聞こえてきそうな義勇の表情と満面の笑みの杏寿郎が出来上がった。とはいえ撤回するつもりはなく、布団を指してやれば渋々義勇はそこに座る。掛け布団ごと上半身を倒そうとする杏寿郎にそっと寝かせろと一応釘を刺すと、これまた渋々義勇は押されるがまま仰向けになった。
「父上、報告が! 子ができました!」
「ああ、おめでとう」
 ハナからすでに聞いていたが、喜びすぎて杏寿郎がだいぶ興奮しているらしい。おかげで槇寿郎は冷静になったし、義勇は少々恥ずかしそうだ。
「体調不良はつわりだったわけだ……お館様は予期していらしたようで落ち着くまでは休むようおっしゃっていた」
「ありがとうございます……」
 子がある程度大きくなるまでは、ということだろう。正直休みより除隊してもらいたかったが、そこはもう仕方ないのかもしれない。なにせ義勇の階級も三人と同じく甲まで上がっているので、そうそう辞められては困るようになってしまった。出産後の母体が今と同様の酷使ができるかは、通常ならば難しいだろう。義勇ならば戻しそうではある。それもどうかと思うが。

*

 鬼殺隊の柱が集結するという半年に一度の柱合会議は、父と錆兎とともに臨むことになった。
 炎柱である父の引退と、新たに杏寿郎と錆兎が炎と水の柱の地位に任命されたためだ。父は引退後も鬼殺隊への助力は惜しまぬと伝えていた。
「それから、珍しくおめでたい報せだよ。後任の炎柱、杏寿郎の奥方が懐妊したと報告があった。今は体調はいいのかな?」
 まさかそんな私的な話を振られるとは思っておらず杏寿郎は驚いたが、子ができたことに対しては全力で言い触らしたいほどに喜ばしいものだ。恥ずかしがった義勇に全力で止められたので結局はできていないが、近所の奥様方には何故か普通にばれていた。大きな声を出すからだと義勇はぷんすか拗ねていたが、杏寿郎に叫んだつもりは露ほどもなかったので言いがかりである。
「はい! 体調が落ち着いてるせいか働きすぎて止めるのが大変です!」
「そう。あまねも五つ子を産んだ先輩だ、何かあれば力になるよ。けれど奥方にも無理をしないよう言っておいてね」
「ありがとうございます!」
 気軽に相談などはさすがにできようもないが、産屋敷自らそう気にかけてもらえるのは光栄なことだ。
 会議は滞りなく終了し、父は杏寿郎と錆兎を伴って我が家へ帰ろうとした。しかしそれは宇髄に阻まれ、にこやかに祝いの言葉をかけてくれた。更には見舞いも進言してくれた。
「ああ、事前に連絡をくれれば聞いておく!」
「えっ。煉獄……の嫁さんと知り合いなのかよ?」
 その場には父も居たので少々呼び名に躊躇したようだが、半年前に風柱となった不死川が放心しながら宇髄へ問いかけた。ひとつ瞬いた宇髄はしばし黙り込んでから、ああ、とぼんやり声を漏らした。
「お前噂に疎そうだもんな。ついでだ、不死川も連れてくわ」
「かまわないが、仲が良かったか?」
 さあ、とにやつきながら知らぬと宇髄が答えたが、それを眺めていた父は少々呆れた顔をしていた。しかし、錆兎はあ、と小さく何かに気がついたようだった。
 何かあったかと問いかける前に、杏寿郎の隊服をぐいと引っ張られて足を踏ん張った。
「あのっ! 私もお見舞いに行きたいの!」
「ああ、かまわないぞ! 妹君も連れてくるといい!」
 杏寿郎のいないところで交友を深めていた胡蝶は、興奮したように目を輝かせて喜んだ。とはいえ直接教えてもらえなかったことには拗ねているようで、会ったら文句を言うのだと拳を握っている。胡蝶姉妹の妹のほうが気が強かったと思うが、どうやら言いたい文句は姉も言うようだ。仲が良い故だろう。
「若えくせに嫁なんて取んのか。大したもんだなァ……」
「なんで若者が親父のような言い方をしてるんだ……」
 呆れていた父はついに不死川の呟きに顔を歪め、本人は頭を掻きながら驚いたのだと言い訳している。このような生業で嫁を取るということも、子を残すということも考えたことがなかったらしい。確かに、悪鬼滅殺以外に見向きもしない者はそう考える者もいるだろう。
「つっても家業は跡継ぎ作んねえとなんねえしな。俺も十五の時点で嫁いたし」
「まじかァ……そういうもんなのかねェ」
 連綿と続く血はそうして繋いできたものだ。人の生を感じられるものは美しく素晴らしいものだが、懐妊報告が気恥ずかしいというのも理解はしている。
 とはいえ、めでたいことに変わりはない。祝ってもらえるのは杏寿郎も嬉しいし、照れていたとしても義勇とて嬉しいだろう。

「見舞いに宇髄が来ると言っていた。不死川は知ってるか?」
「音柱様と……風柱様だな」
「ああ」
 帰宅した足で私室へ入ると、義勇は卓上の引き出しを開けて鏡台へ向かおうとしていた。
 任務終わりに柱合会議へ参加したので今朝の様子はわからなかったが、どうやら今日は少しばかり不調がぶり返したらしく、大事を取ってハナに寝ていろと言われたため遅い起床だったようだ。そのおかげか顔色はさほど悪くはない。
「何度か任務で。風柱様も来るのか?」
「ああ、宇髄が見舞いに連れていくと。不死川はきみが妻だと知らないようだったから、ついでだと」
 柱合会議で懐妊を祝われたことを伝えると義勇は相変わらず困ったような顔をしたが、それもそのうち慣れていくだろう。
「風柱様は……怒りっぽくないか? 見るたび怒ってて……ヘマをしたらどうしようと緊張して何も話せなかった」
 初対面で話しかけられたことがあるが、隊士に怒鳴っていたのを見ていたせいか言葉を発せなかったらしい。別に無理をして仲良くせずともいいと思うが、不死川は悪い人間ではない。女子供にも優しいと聞く。
「まあ、相性もあるのかもしれんな。何かあれば俺が間に入ろう!」
「頼りすぎるのも情けない……」
 ただでさえ頼りきっていると義勇は未だしょんぼりしたままだ。どちらかといえばもっと頼りにしてもらえたらいいと考えているのだが、義勇は良しとしない。むしろ杏寿郎を支えようと奮闘してくれていることを知っている。
「不死川と仲良く話していたら妬いてしまうぞ」
「………」
 しょんぼりしていた横顔が色づき始める。表情は少しむすりとしているが、これは照れているのを隠そうとしている顔だ。本気で隠されたら本当にわからなくなるので、今のこれはとてもわかりやすい。
「ほら、どちらを挿すんだ?」
 引き出しの中にはリボンと簪が並べられている。選べるほどの本数はなくとも、義勇が大事にしてくれているものの中に杏寿郎が贈ったものがあることが嬉しい。
 そっと取り出したのはリボンと白藤の簪。義勇にとって一番はやはりそちらになるらしい。
「うん、よく似合う。黒甲は人気がないな、きみに見合うから渡したのに」
「そういうわけじゃない。……黒甲は出かける時。白藤は……家で」
「成程! 楽しみだな」
 出かける用事を作るには大きな怪我などしていられないというわけである。

「……もやもやが嫉妬に進化してるのはいいことだ」
 図らずも夫婦の睦まじい会話を盗み聞きしてしまった形になってしまい、小芭内と錆兎は少々居心地が悪くなっていた。
 それでも喧嘩などと無縁のやり取りは微笑ましさも一応感じられたわけだが。
「まあな、……無事に産まれるといいが……」
「赤子か……」
 家族などというものに希望などなかった小芭内だが、杏寿郎と義勇の子ならば良い子に育つだろうという確信があった。煉獄家のしきたりには身重の嫁である義勇にも必要な儀式が存在すると聞いている。大変そうだが小芭内たちにできることは殆どないのである。
「しかし、あいつと不死川は相性悪そうだな」
「まあ、口調も荒いし驚いたんじゃないか? 元々義勇はご令嬢だしな」
 杏寿郎は声が大きいものの品行方正な良家の子息であり、千寿郎は義勇と似た引っ込み思案さがある。槇寿郎は落ち着いた大人の男性であるし、錆兎はしばらく義勇と二人で話さなかったから、恐らくは見ていて話し方も慣れていたのだろう。そもそも全員そんなに口調は荒くない。そして小芭内も、距離を図っていた時期がある故に慣れやすかったのではないかと思われる。周りに不死川のような荒々しい男がいなかったのが原因か。
「緊張までするとは……呼ぶのやめたほうがいいんじゃないか」
「まあ、人の家で粗相はせんだろう」
 しかも一応女相手だし、杏寿郎もいるそばで突然義勇に怒鳴ったりは……恐らくしないだろう。仲良くなれるかは知らないが。
「ん? なんだ、こんなところで内緒話か?」
 障子を開けた杏寿郎が廊下の曲がり角で立ち話をしていた小芭内たちに声をかけてきた。開かれた部屋の奥で畳んだ布団を持ち上げようとしているのが見えてつい声をかけると、振り返った杏寿郎が苦笑いをして無理やり布団を奪い取った。
「お前はもう少し身重という自覚を持ったらどうなのかね」
「つわりは治まった」
「今日の不調は治まったらしいが、む、冷えたかもしれんな」
 布団を奪い取る際に触れた手が冷たかったらしく、押入れに仕舞い込んだあと両手を掴んで杏寿郎は温めようとし始めた。布団程度なら持てると不満げだが、赤子に慣れないこちらからすれば不安で仕方ないのである。
「義姉上、大丈夫そうですか?」
「うん。皆大袈裟だ」
 むっつりと不機嫌が顕になっている。とはいっても、腹に子を抱えた女は労るものだと錆兎も言うし、無事に産んでもらわなければならないのは全員がそうなのだ。逞しいと称していた杏寿郎すらも。まあ杏寿郎は身重関係なく単に義勇を気にかけたいだけなのだろうが。
 ハナから手渡された生姜湯には礼を告げて熱がりながら飲んで美味しそうにしている。千寿郎も貰ったらしく二人で息を吹きかけながら飲んでいる様子は、杏寿郎からすれば癒やしの空間だろう。口にはしないが、小芭内と錆兎にとっても。