祝言

 一礼した杏寿郎が顔を上げ、驚愕を見せた男に口を開いた。
「義勇さんは煉獄家にいらっしゃいます」
「………、……やはりそうか……、そうだろうな」
「ご存じでしたか」
 どこかぼんやりとした口調の男は、やがて目を瞑り何度も頷いていた。諦めのようにも、納得しているようにも見える。
「いいや。……あの頃、皆が腫れ物を扱うように義勇を見ていた。きみたちだけが同じ目線に立って、あの子と話したように思う。……我々は、あまりにも怖ろしい妄言を聞いて閉じ込めるしかできなかったからな」
「……閉じ込める」
「気が触れるほどあの子は悲しくて怖ろしかったんだ。見たくないものに蓋をしていれば、いずれ忘れていくだろうと、そう願った」
「彼女は鬼が殺したと」
「ああ、そう言っていた。言い訳にはならんが……当時は私も冷静じゃなかった。周りから口々にどうするのかと詰め寄られ、気が触れたあの子を気遣いきれず憔悴していた。蔦子の婚約者だって自暴自棄になるくらいだ、幼子が恐怖で見間違えたのだから、気遣って寄り添ってやればよかった……」
「見間違いではありません。鬼は実在するのですから」
「……そう言ってやればよかったか」
 現実主義者とはこういうものだろうか。実際に目で見て戦っている杏寿郎たちもまた現実主義者というものではなかろうかと思うが、鬼を知らぬ彼からすれば妄言を吐く異端者でしかない。そうして気にかけていたはずの義勇にすら強要するくらいには、男も追い詰められていたと思うと少々不憫だが。
「きみが攫ったのか?」
「いいえ。彼女は自分の足で、確固たる意思を持ってここを飛び出した。我々は受け皿になっただけです」
 彼女が逃げると言わなければ、杏寿郎は連れ出したいとは思わなかったかもしれない。どれだけ否定されても嘘だったなどとは言わなかった。強く清廉であろうとしていた。本当は悲しくて怖ろしくて仕方なかっただろうに。
「……そうか。待っていなさい」
 ふいに男が屋敷内へと姿を消し、しばらくしてから戻ってきた手には風呂敷を抱えていた。
「義勇に渡してくれ。家族写真と遺影だ。……破談にはなってないんだろう」
「もちろんです」
「……祝言を挙げる時は、見せてやってくれ」
「あなたは?」
「……いい。私に会う資格はないし、あの子も会いたくないだろう。話は以上だ、失礼する……」
「お待ちください。最後にひとつだけ」
 無理矢理のように風呂敷を抱えさせられ、杏寿郎もしかと受け取った。彼は義勇を慮ってやれなかったことを後悔しているようだが、それでも鬼の存在は信じていない。子供だった義勇が悪意なく見間違えてしまったものと思い込んでいる。
 子ができたら杏寿郎にも、理解できるものになるのかもしれない。それに文句を言う気にはなれなかったけれど。
「………?」
「一発殴らせていただきたい!」
 はきと普段どおりの声音で一言告げると、男はひとつ瞬いてからしばし沈黙し、やがて細く長い溜息を吐き出した。
「……いいだろう。その代わり、私にもきみを殴らせてくれ」
「ええ、では叔父上からどうぞ!」

「というわけだな!」
「それで殴られたのか……」
 錆兎が頬に湿布を貼った杏寿郎を見かけた時はどこか照れくさそうにしていたが、まさか義勇の叔父と話をつけに行き、殴り合ったなどという顛末があったとは。
「男だな……お前、格好良いぞ」
「そうか! 錆兎に言われると自信がつくな!」
「ああ、俺なら三時間説教くらいで済ますが、まさか殴らせるとはな……」
「そっちのが嫌だな、ネチネチしてて」
「何?」
 小芭内はともかく、錆兎だとしても確かに殴りには行ったかもしれない。しかし、杏寿郎に殴られた義勇の叔父は無事だったのか気になるところだ。問いかけてみると加減はしたと何故か自慢げに言われた。いくら男でも相手が鍛えていなければ加減は当然のことだと思うのだが。
「む。しかし義勇を泣かせたのだから俺はそれなりに叔父上のことを恨んでいる。いや祝言を挙げられたんだから結局はよかったんだが」
「まあな……年寄り連中はその叔父に理解を示すかもしれんが、俺には理解し難い」
 言葉を信じず否定し続けて、それがたった一人の家族を失った守るべき子供に対する仕打ちならば、錆兎だってその場を飛び出すだろう。
 祝膳が錆兎たちの前にも置かれていく。そう、今は祝言の儀も終わり、祝宴の準備が進められているのだ。このような祝いの席で話すには些か暗い話になってしまった。
 新郎側に座る煉獄家親族と、新婦側に座る冨岡家家族の遺影、そして錆兎たちと鱗滝。錆兎と小芭内は席の都合のような気もするが、鱗滝は喜んで新婦側親族として列席している。炎柱の息子の式だからか鬼殺隊当主の産屋敷夫妻も列席してくれた。初めてお目にかかった二人は明らかに他と一線を画す空気を醸していた。
 そして杏寿郎の隣には角隠しと金と赤の刺繍が施された黒打掛へと色直しした義勇が座っており、煉獄家親族女性に話しかけられている。年嵩の親族たちは席で祝言について盛り上がっていた。
 姉の白無垢は血でどうにもならず、そもそも冨岡家から持ち出すこともしておらずだったので、花嫁衣装はすべて瑠火のものを着付けられていた。恐縮する義勇に槇寿郎は瑠火も喜ぶと口にしていたのを錆兎たちも聞いていた。義勇の髪に飾られているべっ甲(白甲というらしい)の花笄はなこうがいも瑠火のものだそうだ。
 その槇寿郎はといえば、何故か義勇の白無垢姿を見てずっと泣きそうな顔をしていた。途中、俺の娘が……なんて呟きが聞こえた気がしたが、その呟きを聞いたらしい鱗滝がうちの娘だと名乗りを上げたので、空耳ではなかったことが確定している。遺影があるにも関わらず鱗滝まで張り合うんじゃない。突っ込みたかったが俯くだけに留めた。娘を泣かせたら骨を折る。俺の息子が泣かせるわけないだろ。そんな尊敬すべき師同士のやり取りに少々引いていたからだ。仲は悪くなかったと思うのだがこの二人。
 いやまあ確かに、鱗滝の手を取って入ってきた義勇の白無垢姿はその、綿帽子の奥から覗く目が驚くほど優艶で、紅を乗せた口元が見惚れるほど美しい花嫁だったわけで。煉獄家の親族なんて息を呑んで凝視していた。かくいう錆兎も、随分長いこと見惚れてしまっていた。
 いや、最初から義勇を可愛い女の子だと認識はしていたけれども。おかげさまで女の基準というものがすっかり高くなってしまったもので、なんとか小町なんて呼ばれる町娘を見かけても、ふうん程度にしか反応できなくなっていた。鬼狩り稼業に支障はないが、隊士からは引き攣った目で見られた。
 だって本当に綺麗なんだ。小ぶりな口元がやんわり笑んだだけで空気が変わる。杏寿郎と目を見合わせるたび幸せそうだった。
 相手が杏寿郎なら幸せにならない道理はない。錆兎ですら唸るほど、口喧しい小芭内すら全幅の信頼を置くほどの男である。
「凄い。褒めたい。しかし口に出すと全部陳腐になりそうで何も言えん……」
「懸命だ。言葉は杏寿郎が尽くすだろうよ」
「確かにな。言葉も行動も全力で示してくるもんだから、惚れるしかあるまい」
 錆兎たちが気を揉まずとも、義勇は最初から杏寿郎を好きだと自覚していたはずだ。女はその手の成長が男よりも早く、ませた子供がいたりもする。それより杏寿郎がしっかり義勇を意識していることが嬉しい。いや、本当に長かったな。
 たった数年、しかし濃い数年。感慨深いのは槇寿郎たちだけではないのだ。

*

「杏寿郎坊っちゃん」
「坊っちゃんはやめてくれ、ハナさん」
 閨盃を済ませ厠から戻ろうとしたところで呼び止められたが、さすがにもう成人の儀も祝言も終えて一人前と認められたはずである。まだ今日は終わっていないからと言われてしまえば何も言えないが、今は義勇以外に気を遣う余裕がなかった。
「では若様とお呼びしましょうね」
「なんでもいいが、その、ハナさん。やっぱり本当に隣にいるのか」
 しきたりとはいえ夫婦となった二人が床入りする部屋の隣に待機するのはやはり勘弁願いたい。離れた別室ではどんちゃん騒ぎとなっているので彼らはいずれ酔い潰れてくれるだろうが、経験のない杏寿郎にはひどく難易度が高かった。覗かれる趣味も恐らくないはずだし。
「ええ、ええ、わかっておりますとも。何を隠そう旦那様と奥様の時もいい感じに誤魔化しましたから」
「えっ」
「適当な頃合いでうまくいったと報告するのですよ。厨に居ろともおっしゃってましたねえ」
「………。埋め合わせはしよう」
「はい、心得ました」
 年配の使用人であるハナは杏寿郎よりも煉獄家に詳しい。その上やり手であり手玉に取るのはなかなかに骨が折れる。そして若かりし両親の色事を仄めかす話をされて、色々と複雑な気分になった。

 奥の間の前まで戻ってきた杏寿郎は廊下で立ち止まった。
 過去に類を見ないほど緊張しているからだ。油断すれば口からまろび出そうな心臓に、最終選別でもこれほど暴れまわっていなかったと思い起こす。落ち着きを取り戻すために目を瞑って深呼吸をしてみるが、義勇のあられもない想像の姿が脳裏に過るばかりで逆効果である。
 角隠しの下に贈った簪までつけているとは思わないではないか。ハナにやんわり止められても、杏寿郎から貰ったものだからと黒甲の金魚を忍ばせていたらしい。白藤もつけたかったがさすがに隠れそうになかった、などと言われては子供だった杏寿郎もさぞ歓喜するはずだが、義勇は杏寿郎をどうしたいのだろう。こんないじらしいことをされて正気を保てる気がしない。
 しかし、成功しようと失敗しようと未遂に終わろうと、待たせて不安がらせるわけにはいかない。そっと襖を開けて部屋へと足を踏み入れると、視界に入るだけで平静を保てないような寝床にはすでに義勇が背中を向けて横たわっていた。
 理性の糸が千々に破れ散っていきそうだったが、既のところで引き留めた。怯えさせないよう、できるだけ静かに隣へ潜り込むと、ぎしりと背中がぎこちなくなるのがわかる。緊張が伝わってくるようだった。
 固くなるなとは言えない。杏寿郎自身も緊張と興奮でどうにかなりそうだからだ。ハナが隣に居たほうが、暴走せずに済んだかもしれないと今更考えた。だからといって聞き耳を立てられるのはやはり嫌だが。
「……情けないが、俺も緊張している、が……きみの嫌なことはしたくないんだ。怖ろしいなら言ってくれ」
 作法などかまうものか。この緊張が怯えからくるものであれば、弱々しい理性を総動員して杏寿郎は止まらなければならない。本音を言えば見たいし触りたい。余すところなく触れて、内の内まで杏寿郎を受け止めてほしいと思っている。だから。
「だが、赦してくれるなら。俺にすべてを晒して委ねてほしい。……精一杯きみを慈しむつもりだ」
 理性を保つ自信はあまりないが、それでも気持ちだけは愛おしむと誓える。思わず起き上がると隣を見下ろす形になってしまった。知識は座学としてのみ、結局はなんの経験もないわけだが、約束を違えたら急所を攻撃してでも止めて逃げさせよう。いや、やはり手心は欲しいので急所を全力で攻撃するのはやめてほしいが、ああ、緊張と興奮で杏寿郎の思考もどうにもならないところまできているようだった。
 もぞもぞと隣が身動ぎし、背を向けていた義勇が仰向けに寝返りを打った。重力に沿った寝衣が義勇の身体の線を浮き彫りにしているが、本人は気づいているのだろうか。じっと杏寿郎を見つめ、やがて意を決したように手を伸ばしてくる。
「……ん」
 杏寿郎に向けて、両手を伸ばして抱っこをねだる幼子のようにも思える仕草だったが、表情は幼子とは違う艶やかさがあった。眩むような色気に杏寿郎は視界がまわりかけていた。
「……杏寿郎の……妻にしてほしい」
 幼子ではない。許婚の期間は終わり、二人はこれから夫婦となる。決まっていたことではあるが、言葉で頼んできた義勇の目は羞恥故か潤み、薄暗がりの中で頬はりんごのように真っ赤になっているのだろう。
 引き寄せられるように杏寿郎も手を伸ばして抱きしめる。至近距離で顔を覗き込んだ時、潤む目が伏せられ厚い睫毛が杏寿郎を迎えた。