求婚の贈り物

 簪とは魔除けの意味も込められている。想いを告げる時に渡すもの。昔そう教えられた杏寿郎は許婚に白藤の簪を贈った。
 子供だったから高価なものには手が出せず、店主の厚意でまけてもらい、己の小遣いが手の届く範囲で購入したものだ。かといってそれが高価なものに劣るとは思わない。現に義勇はあの時とても喜んでくれていた。
 しかし、給金を貰うようになった今、あの時の約束を果たすことができる。
 真黒のべっ甲に波打つ水と朱金の金魚の蒔絵が施されている簪と櫛が目に入った時、やはり杏寿郎の脳裏には義勇の顔が思い浮かんだ。成長して美しくなった義勇には、きっとこの簪も似合うだろう。金魚がまるで波打つ彼女の想いに包まれた己のようだと、柄にもなく考えてひとり照れてしまい赤くなった頬を誤魔化すように咳払いをした。己の気持ちを自覚してから折に触れ、こうして何くれと思い浮かんでは照れることが増えてしまったのは少々自制すべきだが。
 想いを告げる時、求婚のために渡すもの。お誂え向きである。
「……うむ!」

 そっと玄関を覗き込むとちょうど廊下の奥にいる義勇の後ろ姿があった。紅梅色のリボンでひとつに纏めた髪のそばには白藤が控えめに揺れている。昔は出かける時にしかつけなかったが、鬼狩りになってからは任務以外、家でもつけてくれるようになっていた白藤だ。厄除けにと言った甲斐があったかもしれない、と杏寿郎は笑みを浮かべた。
「ただいま!」
「おかえ……、どうした。任務中の怪我か?」
 そのわりには一箇所以外は特に怪我をした形跡もなく、切り傷でもなさそうな。頬に大きな湿布を貼って帰ってきた杏寿郎に義勇は不思議そうに首を傾げた。
「うん、任務ではなかったからな! まあ俺の中で責務のようなものではあったが」
 義勇の部屋へと向かわせるために背中を押して促し、杏寿郎も一緒に足を踏み入れた。入ることはあまりないが、今ばかりは廊下などで終わらせる話ではないのだ。頬を気にする義勇を座布団に座らせてから、ずいと風呂敷を差し出した。
「ほら、受け取ってくれ」
「前に貰った……」
「それは子供の頃の簪だろう! せめて開けてからにしてくれ。ほら」
 強めに推すとしかめ面を見せた義勇は風呂敷を受け取り、膝に乗せて静かに解き始めた。中身が視界に映った時、彼女は陽で蒼く煌めく目を大きく瞠り、驚愕のままに顔を上げて杏寿郎を凝視した。
「………っ!」
 声も出ないとはこのことだろう。その驚愕した表情も愛おしく見えたのは少しばかり照れくさくなったが、そういう相手なのだから仕方あるまい。満面の笑みで迎えうち、杏寿郎は口を開いた。
「叔父上からの預かり物だ。あ! 殴り込みに行って返り討ちに遭ったとかじゃないぞ。向こうも同じく頬を腫らしてるはずだからな」
「……なんで……」
「なんでも何も、きみの叔父上だろう」
 父にも相談して野方へ行ってきた杏寿郎は、冨岡家の庭で手入れをしていた男に見覚えがあることに気がつき、義勇の叔父と会ってきたのだ。要件というのはもちろん、冨岡家の息女を煉獄家へ迎えるための挨拶である。まさか一度の訪問で会えるとは思っていなかったけれど。
 ひと悶着ありはしたものの、義勇の両親と姉の写真を預かってきた。親族席のことを気にしていた義勇も、これなら家族も彼女の晴れ姿を見ることができる。
 父は最初良い顔をしなかったものの、お前がそうと決めたなら行ってこいと言ってくれた。だからきちんと話をつけてきたのだった。
 震える指がそっと姉の写真を撫で、両親の写真にも触れる。伏せる前の目は揺れていたが、溢れる寸前で耐えているらしい。
「きみが望むなら、祝言を見ていただこうと思うが」
「………。……大丈夫」
 風呂敷ごと写真を胸に抱き、浸るように目を瞑ったまま呟く。震えた声は大丈夫そうには思えなかったが、表情は大層穏やかだった。
「叔父さまは自分で見たものしか信じない。鬼を知らない親族が居ては、煉獄家の親族の方々もやり難いはずだ」
「……まあ、それは確かに」
「ありがとう……」
 写真に顔を埋めながら、義勇は小さく礼を告げた。今度こそ涙が出ているかもしれないが、杏寿郎には見せてはくれないらしい。夫婦となるのに隠されるとは少しばかり残念だが、追々見せてもらえばいいかと今日は諦めた。そもそもいろんな義勇の表情を杏寿郎はたくさん見てきたのだった。無愛想でもなんでもない、素顔のままの義勇の姿を。
「私は、お前に何も返してやれない……」
「そんなことはないぞ。母が亡くなった時、きみは寄り添ってくれただろう」
「あんなの、」
「俺にはあんなものではない。きみが俺に陽の光を感じてくれたように、――嬉しかったんだ、本当に」
 思えばあの時、悲しみや情けなさと共に嬉しさがこみ上げて、胸がいっぱいでどうしていいかわからなくなっていたように思う。己は義勇を褒めて励ましてと言葉を尽くしたが、彼女は千寿郎にかけるべき言葉をかけてくれ、杏寿郎ごと慰めるように抱きしめてくれた。どちらも自分なりに相手を気遣った結果、きっと互いの心を打ったのだろう。
「それに恩返しというよりは、単なる挨拶なんだ。きみを貰い受けると伝えに行かねば、きみが受けるべき祝福を貰い損ねてしまうだろう」
「………」
 緩くかぶりを振りながら義勇は額を押さえているが、隠れていない耳が赤くなっている。どうやら杏寿郎の行動に胸を打たれて照れているとみた。手を退けて顔を見せてほしいが、そうすると義勇はきっと表情を隠してしまうだろう。
「それから、これをきみに」
「………? あ、まさか……」
「こっちが俺からの贈り物だ! 貰ってくれ」
 ずいと差し出すと諦めたのか、受け取った義勇は桐箱をそっと開けた。中に収まっているのは真黒と呼ばれるべっ甲の簪と櫛だ。己と彼女のように見えてしまったから、相応しいと感じたから渡したくなったのだ。
「この先を俺と共に生き抜いてほしい。鬼狩りなのだから難しいこともわかってるが、できるだけ長く健やかなまま、きみが嫁いでよかったと必ず思えるように努めよう」
 桐箱を眺めながら頬が更なる赤みを帯びていく。唇を噛み締めて簪と櫛にそっと触れるのを見つめていると、小さな声がこれまたそっと言葉を紡いだ。
「……高そうだ」
「言っただろう、相応しいものをまた渡すと」
「ひとつで充分嬉しい」
「それもわかってるが、俺がきみに渡したかった。それだけだ」
「贅沢品」
「そうでもないぞ。求婚には相応しいものを渡さなければ」
「……もう決まってるだろう、嫁ぐことは」
「求婚の形式のようだからな」
「古臭い」
「そう言うな、煉獄家は古くからのしきたりが残るんだ。……義勇?」
 言葉の応酬に勝つつもりはなかったのかもしれない。胸のあたりに義勇の頭がとんとぶつかり、杏寿郎は不覚にも緊張した。自覚のなかった時や感動した衝動で抱きしめたことはあったが、こうして落ち着いている時に近づかれるとたいへんにどきどきする。
「……本当は、鬼狩りにならないほうがよかった?」
「……何故そんなことを。きみがしたいことを止めたくないし、確かに危険な仕事だが……俺を支えてくれるんだろう?」
 夫婦のあり方は人それぞれだ。きっと共に戦うことも夫婦の形だろう。確かに産屋敷の要望に応えた形ではあったが、怖くとも戦うと言ってくれた義勇の想いを抑圧したくはないし、後悔もしてほしくなかった。そう伝えれば顔を伏せたままこくりと頭が頷く。
「……姉さんは……喜んでくれるかな……」
「姉君が喜ぶのは、きみが幸せだと感じた時だろうな」
 優しい笑顔の人だった。妹が大事だと表情から伝わってくるほど。戦う手段を持たない女性が、鬼から妹を守りきったのだ。妹が幸せになって恨むような人ならば、そもそも守ることもしないだろう。
「……なら……とても喜んでくれてるな」
「―――。ああ、俺も嬉しい」
 間近で顔を上げた義勇の心底嬉しそうな笑みに見惚れて頬に熱が篭もったが、すでに幸せであると伝えられては喜ぶほかなかった。背中に手をまわし、もっと引き寄せて抱きしめる。おずおずと義勇の腕も杏寿郎の背中に触れた。
「ただいま戻りました!」
「千寿郎坊っちゃん、先に膝を洗いましょう。汚れを落として手当をしないと」
 引き戸が開く音と元気な弟の声、そしてハナの声に二人揃って飛び上がるほど驚き、一人分の間隔が開くほど瞬時に逆方向へと同時に飛び退いた。
 どうやら出かけていた二人が帰ってきたが、弟はどこかで転びでもしたのだろう。ばたばたと井戸のある庭へ向かったようだった。
「か、帰ってきたようだな……。さ、挿してみてくれないか!」
 驚きのあまり未だに心臓がばくんばくんと忙しないが、二人を出迎えるより先に見せてほしいものがある。要望を伝えると同じく頬を真っ赤にした義勇はそろりとリボンを外した。
「あ、リボンは、」
 止めようとした杏寿郎の言葉を遮るようにかぶりを振る。
「……これは、求婚の印なんだろう? リボンは冨岡のものだから」
 婿を取るはずだった姉の気に入りの物だからと、リボンを外した義勇は鏡台へと向き直った。煉獄家の嫁になるということを暗に宣言していることに気づき、杏寿郎の頬も赤みが治まらない。
 しかしそれなら白藤も外してくれと伝えると、逡巡したものの義勇はそれもリボンの上へ置く。壊れ物を扱うようにそっと箱から取り出された簪が、真っ黒な髪に恭しく挿し込まれた。
「ああ、よく似合う。やはりきみは美しいな」
「………、見立てが良いからだが……ありがとう」
 ぽろりと溢れるように飛び出した心からの褒め言葉は、卑下することの多い義勇も比較的素直に受け取ってくれた。