痣の話と彼岸花の話と拗れた二人

「しかし、痣ねェ。透き通る世界と併用できりゃ爆発的に身体能力は上がりそうだなァ」
「透き通る世界が視えない者も痣が出せれば能力は上がる。むしろ痣の発現が重要だな、不調も無視できるのは有難い」
 体調の優れない産屋敷の代わりにあまねが取り仕切った今回の柱合会議。柱を辞した煉獄と病み上がりの甘露寺、時透も参加している。
 病み上がりとはいえ二人はほぼ傷は完治しているし、任務にも復帰できるという。怪我の治りすら早められる痣は確かに鬼狩りをやる上であって困らないものだ。
 だが。
 その後に伝え聞いたことは、義勇の心に重くのしかかるものとなった。
 痣の発現者は、例外なく二十五を迎える前に命が尽きる。
 出してしまった者はもう先がないことが確定してしまった。年頃の娘である甘露寺も、まだ幼い部類に入る時透も。そして、義勇の弟子として過ごす炭治郎も。
 それに。
 悲鳴嶼は必ず痣を出す。悪鬼滅殺のために命を厭わないのは柱であれば当然のことだ。たとえ二十五を超えていても、その後どうなろうと構わないと考えている。
 皆そう思っている。ただ、義勇は死んでほしくないと思う者がいるだけだ。
 これが女々しいというのなら、もうそれでもいいと思うくらいには、何をおいても生きてほしいと思う者たちが。
「冨岡さん」
 解散から少ししてようやく義勇が立ち上がろうとした時、時透が初めて声をかけてきた。
 記憶も戻ったという時透はぼんやりしていた声音がしっかりしていて、本来の性格もよく見えてきていた。
「全然覚えてられなかったけど、皆わざわざ捕まえて稽古連れてってくれたよね。あれ、僕も本格的に入れてほしい」
 会議が終わればふらりといなくなる時透を捕まえる者は日によって様々で、すり抜けて帰ってしまうことも多々あったし、顔を合わせなければ捕まえられないのだから、稽古に来る頻度は皆より少なかった。だが捕まえて鍛錬を勧めれば時透はきちんとやっていたし、覚えていられないだけで、鍛錬自体はやっておかねばならないものという考えはあったと義勇は認識している。
「柱は皆やってたんだよね。確か岩とか使ってた」
「お前は動かした後だ。皆大体好きに乗り込んでくる」
「そうだったっけ……今からやる? 行っていい?」
「ああ。柱稽古はすぐに始まるが」
「どうせ冨岡さんたちは柱稽古中もやるんでしょ。僕もやる」
 もはや日常そのものなので、やらない選択肢は義勇にはない。義勇としても誰かが新たに参加することは拒んではいないが、今のところ柱以外の隊士は殆どが途中で脱落していた。神崎もついていけないと落ち込んでいたことがある。炭治郎とカナヲとその同期くらいで、おかげであの三人とはそれなりに会話をする機会もできていた。
 まあ、嘴平は会話よりも突っかかられることが多かったし、玄弥に関しては不死川と顔を合わせるわけにはいかず隔離するしかなかったが。

「改めて見ると、かなり上級向けだよね」
「元々悲鳴嶼さんがしていたことだからな」
 記憶のない間に時透は岩を一町動かしていて、竹刀で岩を細切れにして、決められたことはすべてこなしていたらしい。
 その割に皆より劣って感じるのは単に経験の差。戦闘経験や鍛錬量も差があるということだ。
 時透が忘れていた間、捕まらず稽古に参加できなかった間、冨岡たちは毎日稽古を続けていた。それだけの差だ。
 だがその差こそが大きなものだった。柱しかついていけないと言われるのも理解できてしまうあたりが、隊士の質が悪いことの裏付けのようであるが。
「記憶さえ残ってたら毎日来たのにな……」
「充分取り戻せる」
 冨岡にそんなことを言われるとは。
 意外。いや、そもそもどんな人かをようやく知られるようになったのだから新鮮な驚きは当然だ。そんなことを言われるくらいには時透を知ってくれているというのも、何だか有難い話である。
 煉獄も時透を見てくれていたし、周りは意外と気にかけてくれていたのだろう。それに気づけただけでもよかった。
「でも自分の稽古に時間かけられないのはちょっと面倒だよ。時間が惜しいよね。蝶屋敷もずっと手伝ってるし、冨岡さんはどうやって時間作ってるの?」
 柱になってからずっと蝶屋敷の手伝いをしていると聞いた。それは蝶屋敷が開設してからずっとということだそうだ。五年ほど経つらしい。
 そこまで来るともはや稽古と同じく生活の一部になっているのだろうけれど、それに加えて弟子まで取っているのだから配分はどうなっているのか気になった。
「炭治郎の修行もつけてたんでしょ?」
「……あの頃は、蝶屋敷に行く頻度は減らした。隠さなければならなかったし」
「そうなんだ。そういえば禰豆子を匿うのが目的だったんだっけ」
 あくまで炭治郎はおまけだったのだろう。だが禰豆子を守るためにも炭治郎自身が強くならなければならず、その結果冨岡という師を手に入れたというわけか。
 冨岡の教え方というものを時透はよく知らないが、実力的にはこの上ない師匠であることは間違いない。炭治郎も玄弥もかなり恵まれている。
「配分はしのぶに聞け。あいつのほうが余程上手く時間を使ってる」
「ふうん。確かに胡蝶さんはずっと忙しそうだもんな。特に最近は姉妹二人ともいないこと多いし」
 上弦の参、及び肆との戦闘からしばらくは蝶屋敷で顔を見たが、治療が終わればまたどこかへ外出でもするのだろう。任務も治療も毒の研究もして、確かに誰より忙しいのではないだろうか。
「とりあえず、やっておきたいことだし僕も参加するね」
「ああ」

 痣の寿命の話があまねから出た時、義勇の空気はいびつに歪んだ。
 ともすれば泣き出してしまいそうなほど揺れた気配は、一瞬で平静を取り戻したもののなくなることはなかった。
 本当にいつまでも変わらない。悲鳴嶼の知る幼い頃のままだ。
 強くなった。人を守れるようになった。守りきった上で自分も生きて帰って来られるほどに。
 変わったことはいくつもあるのに、一本の芯だけは何も変わらない。
 姉妹が隊士として戦えるのも、禰豆子がこうして生きているのも、全ては本人たちの弛まぬ努力があったことだ。だが全て、義勇の優しさがきっかけを作っていた。悲鳴嶼が街を歩けるのも、人を恨まずに生きているのも。
 柱としてできることは全うする。それは己が命を差し出してでも。死に躊躇していては柱の責務を果たせない。それは義勇もわかっているだろうが。
 生きていてほしいのは義勇だけが考えることではない。だが鬼舞辻無惨を倒せるのが今の柱しかいないのならば、それは命を懸けて成さねばならぬことである。
 それが例え、抱えられぬほどの恩がある優しい子であろうと。
 そして。
 優しいからこそ、求められるままに強くなってしまったのだ。彼がいなければ戦力は大幅に落ちてしまうといわれるほどに。
 義勇の言いたいことは悲鳴嶼には伝わっていた。悲鳴嶼自身口にしてしまいそうなことを、必死に我慢したのだろうことも理解している。己の未熟さを恥じているだろうことも、悲鳴嶼にはわかっていた。
 ――私には、充分過ぎるほど頼りになるのだがな。
 義勇がいなければ竈門禰豆子はそこいらの鬼と変わらぬまま、頸を斬られて死んでいた。太陽を克服した竈門禰豆子がいることを、鬼舞辻無惨はすでに把握しているだろう。あの男を滅殺するための布石は着々と進んでいるのだ。その手筈は産屋敷と義勇を中心に整ってきている。
 理想は産屋敷にもある。義勇にもあって良いものだ。だがその理想を実現するのはひと筋縄ではいかない。誰も死ななくて良いような理想は、夢物語でしかないことを義勇自身もわかっている。
 それでも、そこに向かって足掻きたいという気持ちは、悲鳴嶼とて理解しているのだ。

 お前は痣を出してくれるな。
 お前だけは。
 言いたいことを苦し紛れに飲み込むのは、随分久しぶりのような気がした。
 それが幸せなことであるのを義勇は知っていたし、だからこそそう伝えたくて一度は口を開いてしまった。言ってしまえばしのぶの努力を全て否定してしまうことになりそうで、言えなかったし言ってはならないと口を閉じたが。
 驚いた目が義勇へ向けられていて、何でもないと誤魔化しにもなっていない言葉を告げ、義勇はその場から歩き出した。

 何かを言おうと口を開いて、やがて何も紡がぬまま貝のように閉じられた。一言だけ、何でもないと呟いて彼はそのまま去っていったが。
 なんて顔をしているのか。こちらを見た目が一瞬だけ泣きそうに見えたのは、恐らく見間違いではないだろう。義勇の心情が明確に表れていたのだ。
 しのぶだって言いたいのを我慢して我慢して、ようやく普段通り耐えていたところだったのに。
 充分強いのだから、痣なんて出さないでと感情のままに言ってしまいそうだったけれど、そんなことは柱である自分が言ってはならないことだ。それを義勇もわかっているから口にしなかった。もう、充分過ぎるほどこちらに伝わってしまったけれど。

*

 届けられた報告書には、このまま珠世の元に向かうと書かれていた。
 カナエが錆兎とともに探しに行った青い彼岸花は、どうやら首尾良く見つかったらしい。
 一日前には何もなかったはずの場所、誰かの墓の前でひっそりと蕾の状態で佇んでいた。
 眠る誰かのために植えられたものか、青い彼岸花の生息場所に墓が作られたのかはわからない。手を合わせて頭を下げ、花を持っていくことを許してほしいと懇願した。鬼のいない夜明けのために、平和を迎えるために力を貸してほしいと日を跨いでは頼み込むと、蕾が開き青い彼岸花は花を咲かせたという。
 それがカナエの望みを許してくれたように見えて、そっと摘むことにしたと書かれていた。そしてそのまま珠世の元へ向かうと。
 鬼の出没はぴたりと止まり、束の間の、仮初めの平穏が訪れていた。
 鬼舞辻無惨が禰豆子を探し、襲撃に来ることを予想した産屋敷は、この平穏の間にできる限りのことをするよう命を下した。柱稽古を開始することは確定していたが、これに関して参加できない柱が一人いる。
 カナエの報告書とは別に、義勇としのぶ宛に手紙が同封されていた。
 最終段階に入った薬の研究のため、しのぶをこちらへ滞在させること。受け持っている地区の指令も、珠世との合同研究中は免除してほしいというものだった。
 薬の研究についてはしのぶたちにしかできないことだが、鬼が出た時の担当代行、そのくらいなら義勇にもできることであり、それくらいしか義勇にできることはない。そもそもカナエの提案してくる依頼に否を言うつもりはない。
「準備ができたら向かえ」
 報告書を受け取ったその足でしのぶのいる薬剤室へと向かい、義勇は遠慮なく扉を開けて手紙を差し出した。目を丸くしたしのぶが手紙を受け取り中身を改めながら、眉根を寄せて黙り込んだ。
「……探し物が見つかったんですね」
「そのようだ。鬼の出没も止まった今なら昼夜ここを離れても大丈夫だろう。神崎も問題なく対処してくれている。出没が始まったとしても、俺がお前の担当地区を受け持つ」
「……それが一番手っ取り早いですね。わかりました」
 機嫌はあまりよろしくないようだ。
 しのぶと二人できちんとした会話をするのは随分久しぶりのような気がする。特務に指名してからは蝶屋敷を不在にすることが多くなり、いたとしても隊士の治療で義勇と話すことはない。痣の話が出た時は自分の感情を押し込めることに気を取られていたが、改めて顔をまじまじと見た時、疲労が滲んでいるように見えた。
「……疲れてるな」
「………っ!」
 伸ばした義勇の手が頬に触れる前に、しのぶは勢い良く振り払い、椅子をがたつかせて立ち上がった。驚愕したように義勇を凝視したしのぶを、義勇もまた固まったまま見つめた。
「あ、ご、ごめんなさい。急に、視界に入ったのでびっくりして。……でも、いい加減妙齢の女に不用意に触るのはやめましょう。あなた目立つんですから、他の方も勘違いしますし」
 目立つのはしのぶのほうだが。
 何かを我慢しているような、苦しげな表情を見せたしのぶが、以前もあった妙な勘違いの時と似た表情をしているように見え、義勇は呆れる前にふと思い出した。
 しのぶと話している時、自分の口にした言葉に首を傾げたことがあった。
 あれは確か義勇の屋敷で、炭治郎と禰豆子がいて、しのぶが不機嫌にも悲しげにも表情を翳らせていた。
「また、何か」
 勘違いをしていないか。
 そう聞こうとした義勇の声は出なかった。その指摘をすることが何故かできなかった。
「またとは何です。疲れてなんていませんから。大丈夫です」
 強がるしのぶの言葉を耳にした時、唐突に義勇は理解した。
 いや。唐突ではない。自覚がないままにずっと感じていたことだった。ああ、そうか。だから要らぬ言葉を無意識に付け足したのだろう。
 お前には。お前だけは。そう口にしてしまったのが、今まで積もり続けた結果の義勇の感情だったのだ。
「そうか。……悪かった」
 しのぶにも、義勇自身にも迷惑に成り得るこの感情は、さっさと捨てるか奥底に封じる他ない。悲鳴嶼は人の恋というものを見守りながら喜んでいたが、自覚しても義勇は少しも嬉しくなどなかった。
 鬼を狩るのに邪魔な感情は、全て義勇は押し込めてきた。今までどおりにすればいい。大一番の任務が控えているのだから。
 色んな意味を込めて謝った後、義勇は薬剤室を後にした。

「………」
 何よ、今のは。
 急に振り払って拒絶したしのぶこそ謝らなければならないことだろうに。
 驚いたと同時に傷ついたような顔をして、しのぶはついやめてと心中叫んでいた。
 そんな思わせぶりな顔をするのはやめて。昔馴染みの面々を大事に思っているのは知っているけれど、しのぶが手を振り払い拒絶したことが、泰然自若な義勇の感情を乱すほどのことだったと気づかせるのはやめてほしかった。適当な言い訳で触れるのをやめろと言いつければ、その後すぐに義勇の表情は消えた。
 失敗した。そんなつもりはなかった。顔を合わせないまま任務に向かっていれば、傷つけるようなことは起きなかったかもしれないのに。


ひめ→←ぎゆ 比較的CP色強い