ふれあい

 せめて顔を覚えておきたい。
 柱合会議で一瞬だけ滲んだあの空気はなく、義勇は何も言うことはなかった。悲鳴嶼に言いたいことがあっても、言ったところでどうにもならないことを知っているからだろう。悲鳴嶼自身もそうだった。
 頭を撫でる。頬に触れる。義勇の顔がどういうつくりをしているか、カナエが言っていたことがある。隠も隊士も噂しているのを聞いたことがあった。
 しのぶが義勇の顔に傷が残るのを嫌がるほどだ。千差万別の好みを置いておいても、義勇の顔のつくりは整っているのだという。子供の頃はまろい頬と黒目がちの目が印象的だったが、にこりともしないから作り物めいた人形のようだった。狭霧山で笑みを見た時、愛らしさと人らしさが見えてほっとした。そう言ったカナエもまた、周りは大層美しい顔をしていると言い、他ならぬ義勇が姉妹二人を可愛いと称していた。
 厚い睫毛が縁取る瞼を親指で撫でる。
 義勇はなすがままだ。悲鳴嶼がしでかすことに絶対的な信頼を置く。それが大層嬉しくもあり、心配にもなった。
 瞼を撫でた親指が鼻筋を通り、小振りな唇をなぞる。少し力を入れると閉じていた唇は小さく開き、戸惑ったように腕に触れて悲鳴嶼を呼んだ。
「うん、すまない。……顔を覚えておきたいんだ」
「………」
 そう告げると義勇は黙り込み、また悲鳴嶼の好きにさせようとする空気を感じ取った。溜息が零れそうになった。
 顎を伝って首筋に触れる。詰襟の奥の鎖骨を通り心臓へと辿り着き、そのまま音を確認するように隊服の上から手のひらを当てた。とにかく肌に触れておきたくて、肩に置いていた手を義勇の袖口から少しだけ侵入させた。悲鳴嶼をもう一度呼ぶ声が、少しばかり先程とは違う声音に聞こえた。
 己が命を惜しむ者など柱の中には存在しない。己の命ならば。
 鬼狩りとなることを止めきれなかった悲鳴嶼が、今更惜しむなど馬鹿でしかないが。
 誰にも漏らさず、祈ることくらいは許してほしかった。
 この心臓が止まらないことを祈る。肌の熱が消えないことを。そう心中で祈った時、義勇の手が悲鳴嶼の胸へと押し当てられた。悲鳴嶼が触れた場所と同じところの心臓に、音を確認するかのように触れた。
 同じ思いであることはわかっている。口には出せないものを、今だけは甘んじて滲み出てしまうことを許すことにした。

「………、悲鳴嶼さん」
 あまりに驚いて名前しか呼べなかった。
 いや、昔は抱き着いたりも頬擦りしたりもしたことはあったが、それは歳を取るごとになくなっていったものだ。
 頭を撫でられるくらいなら今もよくある。頬に手を当てられるのも、ごくたまにだがある。
 唇同士を合わせることは、さすがに今までなかったことだ。
 目と鼻の先にある悲鳴嶼の見慣れた顔が今にも泣きそうに見えたのは、恐らく考えていることが義勇にはよくわかっているからだろうが。
「……すまない。触っていたら当たってしまったな」
 未だ離されない悲鳴嶼の手が義勇の頬を挟み、親指は唇をむにむにと柔く力を込められた。どう反応していいかを悩み、少しばかり視線を彷徨わせてから小さく口を開いた。
「………、いえ。悲鳴嶼さんなので……俺は構わないんですが」
「………」
 喋りづらい。唇を触る親指が邪魔をしているが、義勇が話すと指の動きはぴたりと止まった。
 顔を確認している今は悲鳴嶼の顔も近かったから、間違えて口が当たることもあるかもしれない。こんなことをされたのは今日が初めてなので確認のしようもないが、悲鳴嶼がそう言うのだから、他の誰が否定してもあるのである。そもそも男である義勇は口を当てられようとさほど気にしない。相手が娘であったならば気の毒に思うが。
 しかし。
 悲鳴嶼に気にかけてもらえるのは嬉しいし、確認したいというなら好きにしてくれればいいとは思うが、割と長い時間このままである。
 この先の戦闘で、生き残る保証は悲鳴嶼にすらない。そう思うと確認の時間を長く取るのはおかしいことではない。
 どこか狼狽えたような気配が悲鳴嶼から漂い、義勇は悲鳴嶼の胸に当てていた手を無意識に動かした。悲鳴嶼の頬に自分の手を触れさせる。驚いたのか悲鳴嶼は少し身動いだ。
 今まで悲鳴嶼には何かと世話を焼いてもらうばかりだったが、義勇だって触れて確認したいと思ってしまったのだ。
「擽ったいな」
 瞼から唇まで指を這わせていたら、笑んだ声が悲鳴嶼から漏れた。
 義勇は擽ったさより心地良さを感じていたから、悲鳴嶼の力加減は絶妙だったようだ。世話を焼き慣れていて、頭も撫で慣れているから、人に触れるための加減はよくわかっているのだろう。難しい。
 そうしてしばらく触り合っていると、やがて悲鳴嶼が根負けしたかのように、謝りながら義勇の頬から手を離した。
 謝らなくてもいいのに。死んでほしくないと思うのは義勇もである。誰にも死んでほしくないと口にすることはできないけれど、それでも心底では思い続けているのだ。
 大きな手が離れていくのを、随分寂しい気分で義勇はただ見送った。