蝶屋敷医院・四
* しのぶ十六歳
再建した蝶屋敷に荷物を運び終えたカナエとしのぶは、アオイとカナヲとともにひと息ついていた。
結局のところ蝶屋敷は隊内では隠すことはなく、交代で隊士が警備にあたることになってしまった。藤の花に囲まれた蝶屋敷は、以前のように空から襲撃されればひとたまりもないだろうが、警備中の隊士の判断で何やら迎撃するための武器がついているらしい。
要塞ではないのだからとカナエは少し笑ったが、隊士は皆一様に必要な措置であると言うのだ。とにかくそこの仔細は主人であるカナエには教えてもらえず、代わりに安心してほしいと言われるだけだった。
「私たちは使わないのに道場までついて」
「まあ隊士の方が訓練に使うでしょうし、必要じゃないかしら。稽古も見学できるかも。カナヲも見たいわよねえ」
柱から療養している隊士の機能回復訓練というものを実施してほしいと打診もされている。鍛えているわけではないカナエたちでは意味がないのではとも思ったのだが、蝶屋敷の住人に勝てないようでは任務に復帰するなど無理だ。その判断をするためにもまずはカナエたちが相手を、そして勝てた者は隊士同士で訓練をさせる予定だという。
色々大変なのね、とカナエは書面を読み込んでいた。治療だけではなく他にも隊士に貢献できることがあるなら引き受けるが、少々不安もある。例えば柱が療養していた時など。
カナエたちでは全く歯が立たないだろうし、他の隊士も危ういのではないか。柱が二人療養しているなら大丈夫だろうが、そんな事態になったとしたら世の中も大変なことになりそうだ。まあ面倒見の良い隊士なら、アオイやカナヲの相手をしてもらえたりもするかもしれないけれど。
「病み上がりの稽古で無理しないか注意もしないといけないし、見ておく人も必要よね。うん、皆で見学しておきましょう」
「見たいだけじゃないの」
「だってしのぶだけずるいもの。私も風柱様と水柱様の手合わせ見てみたかったなあ」
冨岡の屋敷で見たという手合わせは、速すぎて何が何だかわからなかったとしのぶは言っていたが、最終的に二人の木刀が壊れて続けられずに中断したのだという。どんな技を出せばそんなことになるのかわからないけれど、凄かっただろうことだけは伝わっている。
「そんなに根に持たなくても……こっちに来たら頼めば見せてくれるかもしれないじゃない」
「そうかな? だと良いなあ」
「寝台の準備してきます。カナヲ、行こう」
「ありがとう、アオイ、カナヲ」
揃って部屋を出ていった二人を見送り、カナエも茶を飲み終えたら荷解きを再開しようと考えていたのだが、ふいにしのぶから小さな声が問いかける言葉が聞こえてきた。
「例えばなんだけど」
「うん?」
「……特定の条件が揃うと、動悸がし始めるのは病気だったりするのかしら」
「……え、うーん? どういう状況の時なの?」
「条件というか……特定の人と一緒にいる時、とか」
何だか妙なことを問いかけられたカナエは、首を傾げつつもしのぶの顔を覗き込んだ。そわそわと落ち着かない様子で指を弄んでいる。特定の人、動悸がする。嫌いではない人の前でだけと付け足したしのぶに、カナエはああ、と納得して笑みを向けた。
「病気だったら義勇さんに怒られるかも……」
「心配されるだろうからね」
ようやく自覚したのかと思ったが、しのぶは何だか頓珍漢なことを言っている。全く自覚していないのが良くわかってしまい、カナエは一瞬笑みを崩しかけた。
放っておけば斜めの方向へ向かってしまいそうなしのぶに、理解させるべきか否かをカナエは悩んだ。無意識なしのぶも可愛いけれど、やっぱりはっきりと自覚すればもっと可愛くなれるだろう。まあ冨岡の感情はカナエには読めないのだが、しのぶのことは好きだろうとも理解している。どの好意かはわからないが。
*
「良し、お前らこれから暇? たまには色街でも行く気ねえ?」
新設した蝶屋敷に顔を出し、薬と藤の毒を補充した宇髄はともに玄関先で立ち止まった冨岡と煉獄に問いかけた。
連れてってやろうかと笑うと二人して色街、とぼんやりした声音が呟く。いやいや、何で大の男が初めて聞いた単語のような反応を示すのか。よもや知らぬわけではあるまい。遊郭だと言い直すと少しばかり表情を歪めた冨岡とともに、煉獄もまた複雑な笑みを向けた。
「遊郭」
「何と! 俺は必要ないぞ!」
「それがよお、会ってきてほしい女が、おっと、悪いな」
男三人が玄関先に留まっていたせいで、洗濯物を手にしたしのぶが目を丸くして立っていた。通れなかったかと宇髄は一つ謝ったのだが、しのぶは会釈をしつつも不機嫌そうに眉根を寄せていた。
動かないまま冨岡を睨みつけたしのぶに合点がいき、宇髄は顎を擦りながらははあ、と心中で呟いた。
「たまに遊郭や銘酒屋なんかに女房を潜入調査させてんだよ。欲望塗れの閉鎖空間てのは鬼の住処になりそうだろ。今んとこどこも報告はねえんだが」
二人の首に腕をまわし、しのぶには聞こえないよう小さな声で説明した。
くノ一である宇髄の女房たちは、遊郭以外にも鬼の動向の調査をしてくれている。成りすまして潜入するのはお手の物だ。危険性はないと判断できれば調査は終了、今回の報告で問題がなければ女房たちの任務は完了とするつもりだった。
「そういうわけだ、二人とも良い女に会わせてやる」
「……そういう話なら、まあ」
「そうだな! 承知した」
宇髄の視界の端で唖然としたしのぶが冨岡を凝視し、悔しいのか悲しいのか複雑な顔に怒りを乗せて俯き、再び顔を上げると眉を釣り上げて睨んでいる。洗濯物を握り締めて。
しのぶの空気に気づいたらしい冨岡が、首を傾げてどうかしたかと問いかける。この唐変木は今まさに話していた内容を理解していないのかと宇髄は首をひねったが、まあ冨岡なのだから仕方ないかと考えた。隣で笑みを向ける煉獄も恐らく似たようなもののようだ。
「……何でもありません」
顔を背けて屋敷へと入っていったしのぶを冨岡は眺めていたが、不思議そうにしつつも女房の名前を問いかけてきた。
こいつ、まさか自覚していないのではないか。遊郭に対する反応も薄ければしのぶに対する反応もぼんやりしたものである。憎からず、いや相当好いているだろうと思っていたのにこれだ。そういう関係ではないというのは何となく察したが、良い年頃の男女のくせにこれではしのぶも辛かろう。可哀想に、としのぶに同情したのだが、こちらも自覚などさっぱりしていなかったということに宇髄が気づいたのは、もう少し後だった。
*
「さぞお楽しみだったんでしょうね」
「何が?」
音を立てて卓に置いた湯呑みの茶が揺れた。口を尖らせたまま呟くと、義勇は首を傾げてしのぶへ問い返してきた。
何がとは。色街でのあれやこれをまさかしのぶに言わせるつもりかと頬を染め、不機嫌を隠しもせず眉根を寄せた。宇髄に連れられて行ってしまうのを引き止めたい気分になったが、隊士同士のやり取りに口を挟むこともできず、しのぶはその場を逃げるように離れたのだ。
義勇が乗り気になったことに心底驚愕して茫然として、やがて何故こんなに腹が立つのかと私室で布団を叩いていた。しばらく悶々としながら過ごし、怒りを落ち着かせることもできないまましのぶは義勇と顔を合わせたのだ。
昼間から女を買うなど、それを開けっぴろげに話すなど不潔だ。別に遊女に偏見があるというわけではない。しのぶにとっては関わりのない人たちではあるが、身一つで生きている女性は大変だろうとも思う。遊女に怒っているわけではない。義勇が女を買うなどという事実に怒っていた。
何よそれ。柱ともなれば給金は相当渡されているというのは噂に聞いたことがある。遊ぶ余裕は持っているのだろう。こんな澄ました顔をしておきながら義勇も所詮女を求めるのだ。
というか、義勇がそういうことをするなどと思いもしなかったしのぶとしては驚くばかりだ。確かにもう十九になるのだからあるのかもしれないけれど。
そんなのはせめてしのぶの預かり知らないところでしていてほしい。というかそもそもしないでほしい。わけもわからないまま嫌悪ばかりが募っていた。煉獄には年頃の男性はそんなものだろうと思えるのに。
「お。おい冨岡、お前この間色街行ってきたんだろ? 鬼の気配はどうだったよォ」
「……ああ。ひと通りまわったが、須磨のところには気配はなかった。問題ないだろう」
現れた不死川の言葉の後に答えた義勇の言葉にしのぶは動きを止め、目を丸くして固まった。
「宇髄には報告してある」
「煉獄んとこもなかったらしいなァ。あとは?」
「まきをのところへは宇髄が行ったようだ」
ふうん、と相槌を打って不死川は用を済ませに診療室へと向かい、茶を啜る義勇はまた黙り込んだ。
鬼の気配。問題ない。報告。全て任務の一環であることを察したしのぶは顔を上げることができなかった。
勝手に勘違いして勝手に怒りを膨らませ、勝手に事実に気づいて意気消沈している。全て義勇の言動のせいだったのに、本人は全く悪くなかった。
物凄く恥ずかしい。何故怒っていたのかも理解できないままだった。何故しのぶはこんなに機嫌が悪かったのか。唇を噛み締めながら深呼吸をしていると、機嫌が治ったのかと義勇は呟いた。どうやらしのぶの纏う空気が怒りから困惑、そして消沈していくのを感じ取ったのだろう。
「………、べ、別に、機嫌なんて悪くないですから」
「……そうか……? まあ、治ったのなら良い」
少々訝しんだが義勇は一先ず納得し、また湯呑みを傾ける。
任務なら任務だと教えてくれればしのぶだってここまで不機嫌にはならなかったのに。まあ隊士ではないしのぶに言うことでもないのは確かにそうなのだが、それにしたってしのぶが嫌がっているのを気づいてくれても良いものを。義勇が別の女とそんな関係になるのが嫌なことくらい、しのぶの気持ちくらい察してくれたって良いだろう。
「………」
もう十九になるのだからそういう相手がいてもおかしくない。物分りの良いことを考えていたこともあるのに、女を買うのも特定の相手がいるのも嫌だと感じていた。いや、何で? あるだろう義勇にも。だってもう昔とは違い成長しているのだから。
気になってしまった恋仲の相手がいるのかを確認したくなったが、しのぶは少し躊躇した。
もしいたらどうしよう。こんな感じになってしまったから、てっきりいないものだと思い込んでいたが、しのぶの知らないところで相手ができている可能性もある。何せ柱である。憧れる者も中にはいる気がする。しのぶほど話す者はいないだろうと勝手に思っていたが、もしかしたら本当はいるかもしれない。
「……義勇さんには、その、仲の良い女性はいるんですか?」
「………? しのぶ」
「あ、そうですか……」
意図した質問の答えではなかったが、消沈していた気分が浮上していくのを感じていた。しのぶ以上に仲の良い女性は今のところはいないようだ。義勇は嘘は言わないから事実なのだろう。
「………。………」
「……何か? 普通の世間話ですよ」
「そうだな」
義勇の空気が何だか先程よりも柔らかくなり、表情も何だか緩んでいる。何を考えたのかと問いかけても義勇は答えなかった。その反応は一体何だというのだ。しのぶは良くある質問をしただけなのに、機嫌が良くなるようなことは言っていないのに。
「頼まれた以外で色街に足を運んだことはない」
「……そうですか。別に行ってても私は構いませんけど」
しのぶの機嫌が色街関連で浮き沈みしていたことをついに気づかれたらしい。むすりとしていた顔が熱くなっていくのを自覚した。今顔色が変わるのはやめてほしい。感情の制御ができないなど未熟者である。
「俺が会いたいと思うのはしのぶしかいない」
耳に届いた言葉にしのぶは目を丸くした後、落ち着かなくなって視線を彷徨わせた。
何だか心臓が痛いほど主張し始めて、いたたまれないような気分で逃げ出したくなった。
そんなことを口にしなくても良いのに。恥ずかしいからやめてほしかったけれど、確かにしのぶは怒りと困惑で憤る感情が沈んでいたのに、それがはっきり霧散していくのを感じた。
*
「あ、は、初めまして! 師範……炎柱様の使いの者です。甘露寺蜜璃といいます!」
元気良く挨拶をして現れた女の子は、髪色のように華やかな女の子だった。
隊士になって日が浅いらしいが、彼女は炎柱である煉獄の継子なのだという。カナエとしのぶが挨拶を返すと、嬉しそうに甘露寺は笑みを向けた。
カナエが甘露寺様と呼ぶと、驚いたらしく慌てながら蜜璃と呼んでほしいと口にした。隊士をそんな気軽には呼べないと断っても、彼女は懇願するように嫌がった。どうやらまだあまり知り合いがいないらしく、歳も近いのだから仲良くなりたいと口にした。
そういうことならと三人の時だけは名前で呼ぶことを提案すると、まだ少し不満そうではあったが甘露寺は頷いた。
「鬼殺隊の方は皆家族を亡くした方か、炎柱様のように代々続く家系の方くらいかと思ってたわ。蜜璃ちゃんの家族はご存命なのね、良かった」
「ええ、お父さんもお母さんも心配してたけど、私が楽しそうだからって喜んでくれたの」
力が強く見合いも破談になってばかりで、先行き不安になっていたところに鬼殺隊の存在を知り、ここでなら自分の力を活かせるのではないかと感じ入隊したのだそうだ。それともう一つ、探したいものがあるのだという。
「添い遂げる殿方を探しに来たの!」
「へ、あ、そ、そうですか……」
しのぶが面食らって殆ど返せないでいる。カナエも少々驚いてしまった。
鬼殺隊は頑張れば頑張るほど評価してくれる。自分より強い人たちがわんさかいる。自分も柱になればもっと皆褒めてくれるかもしれないし、役に立てるかもしれない。怖がられてばかりだった甘露寺がここにいたいと思える居場所なのだそうだ。
「この間は水柱の冨岡さんと同じ任務についたの。静かな人だったなあ。気づいたら鬼を斬ってて驚いちゃった。私が落とし穴に落ちたら引っ張り上げてくれたの! 優しかったわ!」
あらあら。冨岡はしのぶ以外にも優しいようだった。甘露寺から話される冨岡の話に興味はあれど、どこか不安そうな様子も見せたしのぶは相槌を打っていた。
「師範にはあんまり理解してもらえなかったけど、私は素敵な人と恋をしたいの。添い遂げるのが好きな人なんて凄く憧れるわ!」
恋に並々ならぬ憧れを持っているらしい甘露寺は、どこか浮ついた様子で頬を染めていた。好きな人の言動に一喜一憂したり、浮かれたりそわそわしたり。感情が溢れて止まらない恋をしてみたいと言う。確かに、カナエも興味はある。
「一緒にいたいと思える人と出会いたいの。手を繋いだり、だ、抱き締めてもらったりとか! デートがしてみたいわ! しのぶちゃんたちは恋をしたことある?」
「、え、ええ、と」
困惑したような顔でしどろもどろになったしのぶは、甘露寺へ曖昧に誤魔化していた。カナエは思い当たったが、本人はまだ自覚していないようだった。
「私はあるわよー」
「ええ!?」
「そうなのね!? 聞きたいわ、聞いても良いかしら!」
カナエの返事にしのぶは驚愕し、甘露寺は勢い良く話題に食いついた。
分不相応ではあると思うのだが、どうしてもカナエは忘れることができないでいる。意識がないまま抱えられていたのを少し後悔するくらいには、カナエの心を占拠しているのだ。
「そうねえ。きっと誤解を受けやすい方だと思うんだけど、優しい方よ」
「顔を見ると嬉しくなったり、お話したいとか思う?」
「ええ、思うわ。何もなくても顔を見たいし、危険な目には遭わないでほしい」
隊士である故それは難しいが、大きな怪我をしないでほしいと思っている。蝶屋敷は医療機関なので大抵隊士は怪我をして運ばれてくることが多いのだが、普通に顔を見せに来て少しばかり世間話をして、挨拶をして帰ってくれれば嬉しい。
「話してるとどきどきするし、近づかれると緊張するわ。変な顔してないか不安になるのよ」
「恋する乙女だわ! カナエさん可愛い!」
「ちょっと優しくされてる女の子が羨ましくなったりね。本当に分不相応なんだけど」
「そんなことないわ。カナエさんならどんな人でも、……もしかして、柱の方かしら」
黙って笑みを向けると甘露寺は喜色を見せてはしゃぎ、しのぶはまた驚いたらしく目を丸くしていた。蝶屋敷にいれば隊士たちと関わることも多いのだから、いずれは気づかれることでもあるかもしれない。カナエはできるだけばれないように隠してはいるが。
「やっぱり柱の方は皆素敵な人なのね! 私はまだ師範と冨岡さんしか会ったことがなくて」
「凄い方ばかりよ、岩柱の悲鳴嶼さんには私たちも助けられたし、風柱様にも助けられてしまって。水柱様も良くしのぶに会いにいらっしゃるの」
「そうなの!? 素敵!」
目を輝かせた甘露寺がしのぶに振り向き、びくりと肩を震わせたしのぶが狼狽えた。恋の話が大好きだという甘露寺は心底楽しそうだが、しのぶは視線を彷徨わせて困ったように頬を染めた。
「え、ええと、水柱様は、昔馴染みといいますか」
「そうなのね。冨岡さんて寡黙な人だって聞いてたけど、しのぶちゃんとはお話するのね!」
「はあ、まあ、話は、そうですね。……あの、ちょっと……すみません、頭が追いつかないといいますか」
首を傾げた甘露寺は不思議そうにしていたが、カナエはしのぶが狼狽えている理由を察していた。頬を真っ赤にしたしのぶが唸りながら頭を抱えた。心配そうに声をかける甘露寺に返事をすることもできないようだった。
しのぶにとっては寝耳に水のような事態だったのだろう。今ようやく自覚したのだろうとカナエは察したが、恐らく間違ってはいない。恋の話を聞いて思い当たることがあったはずだ。きっとしのぶの脳内には冨岡の顔が浮かんでいるだろう。
自覚すればもっと可愛くなると想像した通り、唸りながら狼狽えるしのぶは誰より可愛かった。
*
義勇の屋敷に行く約束を今ほど反故にしたいと思ったことはない。せめてもう少し後にすれば落ち着きも戻っただろうが、鬼狩りを生業とする義勇に会わずにもし何かあったらと思うと、やはり約束通りの日に行っておきたかった。
一緒にいると緊張してどきどきする。でも顔が見たい、話がしたい。そんな気持ちを二人は恋だと言って話していた。まさか自分が恋をしているなど思いもよらなかったしのぶは、義勇の顔が浮かんだ時の内心は相当混乱していた。
だというのに、よくよく考えてみればおかしなことではない気もしたのだ。しのぶを案じて会いに来てくれる義勇は優しい。初めて会った時から優しかった。しのぶが義勇を好きになるのはわかりきったことのような気もする。
というか。というかだ。
どちらかというと、しのぶが自覚するのが遅すぎた。頭を整理して考えてみれば、何故気づかなかったのかと自分で自分の思考がわからなかった。
あれもこれも全て恋というものに当てはまることばかりだった。馬鹿すぎて泣けてくるくらいだ。
まあ、義勇がしのぶを恋の相手として好いているかはわからないのだが。
隊士である義勇は鬼狩り以外に考えることはないだろうし、しのぶを案じるのは錆兎の件があったからだ。そう考えると特別な感情は持っていないように思う。昔馴染みだから会いに来て、感極まれば昔のように触れてくる。まあ再会してから抱き締められたのは二回だけだったが。
そういえば抱き締められたのだった。考えてから色々とまた恥ずかしくなってしまい、しのぶは一人頬を染めた。
考え事をしながら歩いていたしのぶは、見知った屋敷の前に辿り着いて深呼吸をした。いつの間にやらもう着いてしまった。向かっていたのだからいずれは着くのだが、落ち着かないまま顔を合わせることになる。
今日ばかりはさっさと顔を見てさっさと帰ろう。そう考えて引き戸を開けて声をかけた。
「ごめんください……」
いなければ仕方ないと思いつつ、約束したのだから義勇はいることもわかっていた。上がり框に足を乗せ、しのぶは勝手知ったる屋敷の中を歩いていった。
「こんにちは。……どうかしました?」
「……何でもない」
少しばかり眉根を寄せて目を瞑る義勇のそばから、鴉が飛び立つのをしのぶは見送った。報告か何かだろうか。表情は固く、しのぶと話す時の柔らかさはない。
「お邪魔でしたか」
黙って首を横に振る義勇の様子は、恐らく柱としてのものだろう。しのぶが見ることは殆どない鬼狩りとしての義勇の姿だ。
「………。村田という隊士を知ってるか」
「村田さん。ええ、存じてます。今日も任務明けに来られていました」
「……そうか」
生きているか。小さく呟いた義勇の声がしのぶの耳に届いた。
村田との関係をしのぶは聞いたことがない。だが義勇が身を案じているらしいことはわかる。生きていることで安堵していることも。
いつかの任務で仲良くでもなったのだろうか。人当たりも良く面倒見の良い隊士だったことを覚えている。何が何でも生き残らないといけないと口にしていたことがあった。階級は下のほうだと卑下した彼もまた、何度も死地を潜り抜けてきた隊士であることをしのぶは知っている。
「……お会いします?」
「いや。生きているなら良い」
小さく口にした言葉は、誰もが祈りを捧げたくて考える言葉だった。
しのぶの落ち着かない心など置いておこう。落ち込んでいるようにも見える義勇を一人にするのは嫌だった。しのぶがいることで気が紛れるなら、自分の浮ついた心など押し込んでいられる。ふいに瞼を上げた義勇が目を向けたので、しのぶは応えるように小さく笑みを見せた。