蝶屋敷医院・二

 人の親切は裏がある。しのぶは今まで何度かそれを体験してきたはずだった。
 勿論無償の親切をしてくれる人も沢山いたが、見極めなければこうして痛い目にあうのだ。
 乱れた羽織を肩にかけ直して陽の落ちきった夜道を走る。出てきた時は陽が出ていたというのに、しのぶは焦りながら走っていた。
 早く帰らなければ鬼が来る。捕まって人質のようにでもなって隊士の足を引っ張るわけにはいかない。鬼に喰われるわけにはいかないのだ。
「最高の夜だなあ」
「………!」
 藤の花の香り袋は揉み合った時に落としていた。散々な夜であると舌打ちしたくなった。
 しのぶの目の前に一体の鬼。怯えない様子が奇妙だったのか、鬼はしのぶをしげしげと眺めた。
「まあ良いや。こんな別嬪喰えるんなら何でも」
 後退りをした背中に壁がぶつかる。あまり騒ぐと人が出てきてしまうし、それでは鬼の恰好の餌食となってしまう。隊士ではないしのぶは誰かを守るようなことができない上、自分の身すら危ういのだ。
 毒を持っていれば試すこともできたというのに、色々と落としてここまで走ってきてしまった。財布は大して入れていなかったが、お守りはいただけない。あれがあるだけで気持ちも安心できたというのに。
「いただきます」
「………! ぁ、痛っ」
 しのぶに向かって飛び込んでくる鬼を間一髪で避けたが、離れようとした時鬼はしのぶの腕を掴んで力を込めた。二の腕に爪が食い込み着物に血が滲み始める。ともすれば千切れてしまいそうで痛いどころではない。助けを呼ぼうにも周りは民家ばかり。隊士を呼んで手間をかけるのも忍びない。そんなことを考えている間にしのぶは喰われてしまうのだが、それでも冷静な部分が色んなことを考えてしまっていた。
「ぎゃっ!」
 鬼の腕が素早い何かで切り取られ、足が浮いて気づいた時には屋根の上だった。抱えられているのか温もりを感じて、しのぶの二の腕を掴む鬼の腕が引き剥がされ地面へと落ちていった。誰かが鬼の腕を斬って助けてくれたのだとしのぶは理解した。
「ここから動くなよ」
 屋根へ座り込んだしのぶは鬼へ刃を向ける背中をただ眺めていた。
 鬼の攻撃を涼しい顔で捌きながら、助けてくれた人はもう片方の腕も斬り落とした。初めて見る鬼を斬るその姿は間違いなくしのぶの目に格好良く映ってしまったのだが、助けてくれて安堵を感じたのに何だか落ち着かなくなった。
 ふいに懐から何かを取り出し、袋のようなものを宙へと投げた。何のはったりかと嘲笑う鬼の胸の真ん中に突き出した切っ先が袋を巻き込んで突き立てられた。
「頸も狙えねえのか、大した鬼狩りだな! ……あ、何だ? これ」
 突き立てられた刀からは抜け出せないのか、鬼は馬鹿にするような言葉を喚きつつも蠢いているだけだった。やがて何やら苦しいと騒ぎ始め、突き刺した部分からじわじわと腐っていく。しばらくすると鬼はこと切れたように動かなくなった。
「満足のいく効果だったか」
 問いかけるように聞こえた声に、しのぶは我に返って気づいた。
 あれはしのぶが作った藤の毒を入れた巾着だった。しのぶに効果を見せるために使ってくれたのか。
「……はい。義勇さん、ありがとうございます」
「……消えはしないらしいな。人目もあるから頸を斬る」
「ええ、そうしてください」
 義勇が頸へ刀を振り、胴から離れると鬼の体は崩れ始める。毒は鬼の体を残してしまうようだった。陽に当たれば恐らく消えるのだろうが、今のように市街地では夜だろうと残すのはまずいだろう。
「怪我は」
「大丈夫です、掴まれただけで、っ、」
 蝶屋敷へ帰れば問題ない。そう口にする前にしのぶは痛みに顔を歪めた。空からこちらへ向かってくる鴉を眺めていると、一人の隠が声をかけてきた。
「水柱様」
「頼む」
 肩に止まった鴉の指令を聞いた義勇は、言葉少なに隠にしのぶを託し行ってしまった。最後に一瞬だけしのぶへと目を向けた。今宵の無事を祈りながらしのぶはその背中を見送った。


「何故あんな夜に出ていた」
 表情がなくなっているくせに不機嫌さだけはしかと伝わり、しのぶは眉根を寄せつつも義勇の怒りは最もであると一先ずは甘んじて受けた。
 しのぶが鬼に襲われた翌日の朝、珍しく義勇は自分から蝶屋敷に現れた。普段は怪我をして誰かに引っ張られてくるか、怪我をした隊士を連れてくるか。まあ蝶屋敷自体が医療機関ではあるので普通なのだが、とにかくよろしくない状態で現れるし、なくても単に薬を取りに来るくらいだ。それが今日は大した怪我もなく、無事な姿でしのぶに話があると言うのだ。何やら療養していた隊士たちは妙に色めき立っていたが、義勇の冷えきった表情を見て青褪めすごすごと部屋へ戻っていた。
 正直にいえば非常に怖い。隊士の最高位である柱だからかは知らないが、底冷えするような視線と空気が怒りを伝えてくる。確かにしのぶは夜道を走ってしまったが、それには深い理由があるというのに。
 こんなに怖くなってしまって、錆兎より鱗滝より怖い。何ともいえない気分になりながらしのぶは口を開いた。
「外に出ていたのは昼間だったんですよ。帰り際は確かに夕方でしたけど、途中で泥濘に嵌まってしまって。親切な人が風呂場を貸してくれたんですけど」
 この先を口にするのが少々言い難く逡巡したのだが、最後まで言わないと義勇は納得しないだろうことは理解している。仕方ないと息を吐いて続けた。
「足を洗っていたら急に抱き着いて来られて、脱がされそうになったので、夜だったけど逃げてきました」
「………」
 しのぶの答えが予想外だったのか、義勇は一瞬目を丸くして瞬いた後、大層困惑したような顔を見せてから額を押さえて大きな溜息を吐いた。
「……妙に着崩れてたのはそのせいか。その、大丈夫か」
「うん、必死でしたし。この通り無事です」
 叫んだり暴れたり、とにかく必死に逃げ出して来たのだ。確かに夜を出歩いたのはしのぶも良くはないと思うが、理由はあるのだからあんまり怒らないでほしいとも思う。
「……危機感が足りない」
「普段は出歩きませんよ、気をつけてます」
「そっちじゃない」
 人相手の危機感ということのようだが、しのぶだってまさかこんなことになるとは思っていなかった。たまたま泥濘に足を取られ、たまたま風呂を貸してくれた人が豹変したなんて予想できるか。そう愚痴ると義勇の眉間に皺が刻まれた。
「怪我の具合は」
「ああ、それも大丈夫ですよ。まあ爪が皮膚を傷つけてはいますけど、大した怪我じゃありません。……心配しました?」
「当たり前だ」
 笑みを見せると義勇は少し狼狽えるように視線を逸らし、困った顔をして目を瞑った。何を考えているのかわからなくなっている割に、意外と表情が変わるのだ。まあどれもこれもさほど良い感情ではないようだが。
「……最初から人攫いに捕まってたな」
「! いや、あの時は急に捕まえられたからで」
 人攫いに捕まるところは忘れたい過去なのに、思い出したらしく義勇は納得したように頷いた。何を納得したというのか、わからないが恐らく嬉しいことではないだろう。甚だ心外である。

「じゃあ、ちゃんとまた来てくださいね。今度そちらへ伺いますから」
 きちんと頷いた義勇に笑みを向けると、少し黙り込んだ義勇がしのぶの肩に手を置いた。瞬いて顔を見上げると、屈んだ義勇が言い聞かせるような口調で呟いた。
「もう騙されるなよ」
「そうですね。知らない人には気をつけます」
 しのぶの返事を聞いた義勇がふと口元を綻ばせた。あまりに突然で驚いたしのぶは、至近距離から離れていく義勇を目で追いながら背中を見送った。
 笑った。昔とは違う控えめなものだったけれど、義勇はしのぶに笑みを見せた。錆兎が死んでからきっと笑わなかっただろう義勇が。
 あんまり驚いたのか、しのぶは喜ぶよりも妙に落ち着かなくなった。やけに顔が熱くて何だか気恥ずかしくなってしまった。何でそんな気分になるのかと疑問を抱えながらも、しのぶはとりあえず屋敷の中へと戻ることにした。

*

「おお、まじか」
 ぎくりと肩を震わせてしまい、声の先へと目を向けると宇髄が立っていた。よお、と軽い挨拶を交わし、不死川は今目の前で繰り広げられ見てしまった光景に驚いていた。
 まあ、同僚ではあれど話したことのない奴のことなど気にすることはないのかもしれないが、何だか見てはいけないものを見てしまったような気分だった。
「いやあ、水柱は蝶屋敷の次女と逢瀬繰り返してるって噂があったが、まじでまじかもな」
「へェ。どうでも良いけどなァ」
 笑わない水柱という噂は不死川も耳にしたことはある。任務の中で笑うことなど煽る時くらいのものだろうが、あれが大層珍しいことであるのは蝶屋敷の住人の反応で何となく察した。
「元々知り合いっぽかったし、あの反応は成程なあ」
 蝶屋敷に用があって訪れたところ、玄関先に冨岡の姿があったのを見かけたのだ。そばには蝶屋敷の次女であるしのぶがいて、やけに近い距離で何かを話していた。かと思えば冨岡の顔が薄っすらと笑みを作り、それを見たしのぶが頬を染めていた。誰とも馴れ合わないなどと聞いていた水柱が、どうやらしのぶとは仲良くしているのだろうことはわかったが。
「いやあ、青春だねえ。お前も頑張れよ」
「何がだよォ」
「悲鳴嶼さんから聞いたぜ、どことは言わねえがあるところのお嬢さんに懸想してるって」
 またも肩を震わせた不死川は怖いと評判になってしまっている顔を思いきり強張らせ、楽しげに笑う宇髄を睨みつけた。
 何でそれを、何で悲鳴嶼が知っていて宇髄に言っているのだ。余計なことを、しかも宇髄に揶揄われるなど最悪だった。悲鳴嶼は頼りになる先輩ではあるが、こういうところはいただけない。
「あら、こんにちは風柱様、音柱様」
「よお、元気そうで何より」
「ふふ、皆さんもお元気そうで良かったです」
 蝶屋敷の主人であるカナエと和やかに話す宇髄を眺め、不死川も会釈をして屋敷の中へと足を踏み入れる。玄関奥には先程冨岡を見送って戻っていったしのぶがおり、こちらへ挨拶をして立ち止まった。
「お前冨岡と知り合いなんだよな。柱じゃないって何?」
 冨岡の名に少しばかりぎこちなくなったしのぶの動きを宇髄は指摘せず、何やら良くわからないことを問いかけた。招き入れられるままに客間へと通される。
「それは、ええと」
 言って良いのか悩んでいるらしく、口篭るしのぶを口説くかのように宇髄は言った。
 共同任務がないわけではないこの鬼殺隊において、協調性のない冨岡の生態を知って対策を考えたい。不死川はまだ冨岡のことを大して知らないのでそれほどかと思うのだが、どうやら宇髄にとって相当ノリが悪いのだと言う。宇髄の言うノリは知らないが、任務に支障をきたしそうなほど協調性がないのなら治してもらいたいと思うのは理解できる。
 茶を淹れて来るとカナエは席を外し、本人には言わないからと促す宇髄に困りながらもしのぶは口を開いた。
「……ご本人は柱になれるような器ではないと」
 目を丸くした宇髄の横で、不死川も少し驚いた。
 本人と話したことがなかろうと、噂は耳に入ってくる。主に隊士たちが話していることが勝手に耳に届くだけなのだが、一般隊士は往々にして任務の話、鬼の話、興味のある話をする。その中で柱の話は多い。特に宇髄の派手さや悲鳴嶼の怖さにびびっていることが多いが、水柱である冨岡のことも話しているのを聞いたことがある。
 一貫して柱の強さは桁違いであるという会話の中で、水柱は静かに任務を遂行する仕事人のようである。気づいたら鬼に向かっていて、気づいたら鬼の頸が転がっている。宇髄の身のこなしは素早すぎて見えないが、派手に爆破を伴うからわかりやすい。なのに冨岡は瞬きしている間に終わっているのだと。
 間違いなく水の呼吸の頂点は冨岡だ。そんな噂を耳にしていたから不死川は手合わせをしてみたいのだが、中々話しかける機会がなかった。初めて柱合会議に出た時は不死川がやらかしてしまい、周りから窘められてしまっていたせいもあるが、静か過ぎていつ帰ったのかさっぱりわからなかったのだ。
 しのぶの一言で何やら察することがあったらしく、宇髄は面倒そうに溜息を吐いた。
「面倒くせえなあいつ」
 そんなことは不死川だって思ったりもしたが、それでも拝命したからには柱としての責任を全うするつもりだ。頑な過ぎるのか何なのか、宇髄の言うことも理解できる。恐らく不死川にとっても非常に面倒そうな奴だと感じた。
 まあ話したことがないのにそんな印象を持っていてはどうかと思うが、とにかくあれだけの噂をされていようと自身を認めてはいないらしい。
「つっても前より多少は取り付く島できてきたような気もするし、たぶんお前のおかげだよな」
 冨岡としのぶが再会したらしい場面に遭遇したのだそうだ。宇髄の言葉に少し狼狽えたしのぶは、どこかそわそわと落ち着かない様子だった。
「今なら手合わせできるかもよ」
「へェ……まあどうしてもしてェわけじゃねェけど。面倒そうだし」
「わかる。けどなあ、あいつの立ち回り意味わかんねえんだよな。協調性皆無のくせに組んだ時はやたらやりやすい。邪魔にならねえし。助勢が上手いというか」
「はァ」
「たぶん視野が広いんだと思うがな。あいつ以上にやりやすい奴は今んとこいねえよ、戦闘に関しては」
 一言付け足していたが、冨岡が褒められたことが嬉しかったのか、しのぶは口元を綻ばせて話を聞いていた。途中茶を持ってきたカナエが誰の話かと問いかけ、冨岡の話だと宇髄が答える。
「ああ、“義勇さん”」
 思わず目を剥いた不死川と違い、宇髄はそういえばと納得したように頷いた。
「そういや妹が知り合いなら姉もだよな」
「いえ、私は蝶屋敷にいらした時が初対面です。悲鳴嶼さんに保護された時、しのぶとは一年ほど離れ離れになった時があって。その時水柱様の育手の方のところでお世話になっていたと聞いています」
 家族が鬼に殺された後、悲鳴嶼は二人を保護していたらしい。藤の家紋の家に行く途中、しのぶが逸れた時に会ったのが冨岡だとか何とか。宇髄は成程と納得していた。
「人攫いから逃げていた時に出会ったらしくて、一緒に私を探してくれるって仰ったそうなんです。だから冷たい人でも人形でもないって知ってるんです。あまり話したことはありませんけど、しのぶとばかり話しているから」
「姉さん」
「ふふふ。二人で話してる時は水柱様も柔らかい雰囲気で、見てるとこっちも何だか嬉しくて」
「姉さん!」
 慌てる妹を意にも介さずカナエは続ける。冨岡としのぶが蝶屋敷で話している様子は、カナエにとっては非常に心躍る光景らしい。
 何ともいえない気分になり、不死川はとりあえず小さく相槌を打っておいた。


「あ、風柱様」
 冨岡の屋敷の戸を叩いたはずが、蝶屋敷で見ていた顔が出迎えて不死川は目を剥いた。
 昔馴染みであることは聞いていたが、まさかこんなところで見るとは。先客がいたことで不死川は帰ろうとしたのだが、蝶屋敷の次女は止める前に家主の元へと促した。
 遊びに来ているのか、それともやはりそういう関係なのか。別に良いのだが少々気にはなってしまう。何せ良く世話になっている蝶屋敷の住人なのだし。
「あ、よォ。ええと、手合わせがしたくてなァ」
 気のない素振りをしたものの、宇髄の言ったことに少なからず興味を持った不死川は、冨岡との手合わせができるならと私用のついでに足を向けた。特に話をしていたわけでもないし、しのぶがいるなら断られる可能性のほうが高いだろう。黙ってこちらを眺めていた冨岡と、その後ろで何やら念でも送っているかのようなしのぶがいた。
「……俺で良いんだろうか」
「お、おォ。良くねェなら来ねェよ」
「………。わかった」
 すんなり了承された。しのぶが満足げに笑っているので、不死川のことで何か話していたのだろうか。協調性皆無の人に興味がない水柱様と聞いていたが、やはり蝶屋敷で聞いたことが真実なのかもしれない。
 しかし、人となりのことは一旦置いておいて、冨岡との手合わせはそれなりに実入りのあるものではあった。柱であり実力も拮抗しているのか、庭で打ち合っていたらどんどん乗り気になっていき、ついには互いの木刀がぶっ壊れるという事態に発展した。手を止めて双方黙り込み見るも無残な木刀の残骸を眺め、やがてしのぶの休憩の言葉に顔を上げた。
 宇髄の言った助勢に関してはさすがに手合わせでわかることはなかったが、実力については大体把握した。柱ではないなどと卑下しているらしいが、正直こいつが柱でないならどんな奴が相応しいのかと思う程度には馬鹿らしい考えだと思う。何か腹が立つので口には出さないが。
 しのぶが淹れてくれた茶を啜りながら、何故か不死川は冨岡と並んで縁側に腰掛けていた。
 手合わせが終わればすぐ帰るつもりだったのだが、引き留めるようにしのぶが茶菓子まで用意したのだ。それがおはぎだったのでつい足を止めてしまった。冨岡に持ってきたものではないのかと思うのだが、多めに作ってきたからと不死川の内心を読んだかのようにしのぶは口にした。
「風柱様はおはぎがお好きなんですよね」
「いや、別にィ……」
「他のお菓子より手を出すのが早いですし」
 観察されていたらしい。ぐう、と呻くような声を漏らして不死川は黙り込んだ。楽しげに笑うしのぶに何を言うこともできず、恨めしげに睨むだけにしておいた。
「では、私ちょっと食事の用意してきます。風柱様も如何です?」
「はァ? いや俺は要らねェよ」
 何やら冨岡の腕をつついているが、何で夕飯まで相伴に預からなければならないのか。手合わせをしに来ただけなのだから、茶菓子を食べ終えたら帰るつもりだった。頑張れと冨岡に言ったしのぶが腰を上げてどこかへ消えた。頑張るって何だ。
「……俺は、話すのがあまり得意じゃない」
「はァ……まァそうなんだろうなァ」
「けど、話したほうが良いと言われた」
「そりゃな。何考えてんのかわかんねェし」
 不死川の言葉に黙り込んだ冨岡を見ると、どこか神妙な表情で顔を触っていた。
 まさか自覚なしだったのか。全く顔色も表情も変わらない水柱の噂は隊内でも良く話題に上がっていたが、本人の耳には入っていないのか。というかその顔はもしかして生まれつきだったりするのか。
「いや、本当にわかんねェよ。表情出てねェから」
「そうか」
「そうか、て……」
色々と言いたいことは出てきてしまったが、話すのが苦手というし、とりあえず待ってみることにした。
「仲良くなりたくはあるが、話しかけるのが苦手だ」
「はァ……適当に世間話でもすりゃ良いだろ」
 良い天気だとか何だとか。それが難しいと言われるともう何も思いつかない。不死川とて別に話好きというわけでもなく、世間話よりは技の話や興味のあるものについて話をしたいとも思う。というか。
「お前、胡蝶の妹とは話してんじゃねェのかよ。同じようにすれば?」
「しのぶは大体話しかけてくれる」
「人任せかい」
 筋金入りだ。昔からこうなのかいつからかこうなったのか。まあどちらでも良いが、確かにこれでは話していても皆離れていくだろうと思う。正直不死川も帰りたい。縁側に座って話を聞き始めてしまった手前、帰るのも悪いという気分だけでここに留まっているだけだった。
 まあ、仲良くなりたいらしいので無下にはできないというのもあるが。
「あー……お前さァ、視野が広いんだって? 宇髄が言ってたけど」
「………? 普通だと思う」
 他人の視野など知らないのだから、そう答えるのが普通だろう。宇髄が言っていた立ち回りについて掻い摘んで話をすると、冨岡は首を傾げてわかっていないような素振りを見せた。
「良くわからないが、邪魔をしないよう気をつけてはいる」
「ふーん。それがやりやすかったらしいぞォ。協調性の欠片もないくせにって、……いやそんな顔すんのかよォ」
 宇髄の悪口のような言葉を告げた瞬間、冨岡の澄ました顔が眉根を寄せた。何に対しても変わらないのかと思ったら、不快に思えば表情は変わるらしい。それもどうなのだと思うが。
「お前、協調性がない自覚はねェのかよ」
「……俺が、柱の面々といるのは、気が引ける」
 これがあれか。柱ではないと自称することが関係しているのか。お前込みの柱なんだが、と不死川は面倒になりながら溜息を吐いた。宇髄の言う通り冨岡は本当に面倒な奴だった。関わるのをやめておけば良かった。悪気があるわけではないようだが。
「つっても今柱に任命されてんのお前だし。代わりが来るまで務めあげろよ」
 早々代わりなどいてたまるかと思うような剣筋だったが、まあこのくらいは言っても良いだろう。柱ではないと言うのなら柱になれるよう輪を乱さないように努力すれば良い。できないのならそれまでである。勝手にしろ。
「……代わり……」
「まァこっちはぽんぽん代わられんのも面倒だけどなァ。お前が柱としての自覚を持てば良い話だし」
「………。……努力する」
 何をかは言わなかったが、とりあえず一先ず話は終わっただろうか。すでにおはぎは食べ終え、茶を飲み干した不死川は立ち上がった。
「……帰るのか」
「お前らと飯食うのも何かおかしいだろォ。俺は手合わせしに来ただけだし」
「……そうか。残念だ」
「任務もあ、ええ……お前楽しみにしてたのかよォ……」
「不死川と話ができたから」
 帰ろうと立ち上がった不死川を眺め、どことなく落ち込んでいるようにも見えた冨岡に顔を歪めて口を噤んだ。
 この顔が全ての元凶ではないのか。表情と言葉が全く合っていないのだが、本人は全くわかっていない。帰るのか、ともう一度問いかけてきやがった冨岡に不死川はぐ、と言葉を詰まらせた。
 不器用ぶりを目の当たりにしてしまった不死川は、何ともいえない気分になって黙り込んでしまった。
「風柱様、生姜はお好きですか? あら、立ち上がってどうなさいました?」
「帰るらしい」
「そうなんですか。良いんですか義勇さんは」
「邪魔をするのも悪い」
 菜箸を持ったまま現れたしのぶは、冨岡を眺めて少し眉尻を下げた。残念ですねえ、と呟く声に、残念だと反芻する声が聞こえる。何が話すのは得意じゃないだ。しのぶ相手なら随分手慣れたように阿吽の呼吸を発揮するではないか。
「………っ、食えば良いんだろォ!」
 その言葉を待っていたとでもいうようにしのぶは楽しげに笑みを見せ、冨岡は少しばかり表情を明るくさせて不死川へ目を向けた。