蝶屋敷医院・一
「きゃあっ!」
獣道を只管走っていた時、小さな影にぶつかった。
「ごめ、」
「どこだ義勇! 戻ってきなさい!」
手短に謝ろうとして遠くから叔父の声が聞こえ、義勇は顔を上げて振り返った。
逃げなくてはならない。身奇麗な格好をしていた叔父が追ってくるのも驚いたが、そんなことに気を回している隙はなかった。地面に立たせた小さな影から離れようとした時、人影は義勇の手を掴んで引っ張った。
「こっち!」
口に人差し指を当てて声を上げないよう指示をしてくる。獣道から少し離れた草むらを掻き分けると、奥はあまり深くない洞穴があった。子供二人くらいなら隠れる余裕がある。草むらを戻して入り口を誤魔化し、人の気配がなくなった頃二人して小さく息を吐いた。
「ありがとう」
「良いの。私も逃げてたから」
義勇が追われていることを察してくれた小さな影は、自分が隠れていたという洞穴に見つからないよう案内してくれた。松明もマッチもない状態で影がどんな人間なのかは見えなかったが、義勇よりも小さい影と声で子供であることはわかっていた。
「姉さんと逸れて、人攫いに捕まったの」
義勇が落ち着くと影の声が震えていることに気づき、思わず手を伸ばして背中であろう箇所を擦った。大丈夫かと問いかけると、小さくうんと口にした。涙が出ていたのか、慣れ始めた暗闇の中で影が袖で顔を拭うのが見えた。
「あなたは?」
「……似たようなもの。病院に連れて行かれそうになった。行ったらたぶん出られなくなる」
「どこか痛いの? 私のお父さんお医者様だったから、怪我してるなら」
「俺はどこもおかしくない」
座り込んだ洞穴で義勇は頭を抱えた。
獣に殺されたのだろうと痛ましげに口にした大人たちに、そうではないと否定した。獣ではなく言葉を話していた。あれは人ではなかったけれど獣なんかより悍ましいものだった。義勇は見たことを口にしただけだった。
「姉さんを殺したのは本当に鬼だった。嘘なんてついてない」
頭を打ったわけでも心が壊れたわけでもない。義勇は事実を伝えたけれど、叔父はそれを姉が死んだことでおかしくなったのだと判断した。医者に診てもらいゆっくり養生しようと言って、どこか遠くの土地へ連れて行こうとした。途中で逃げ出した義勇を探して追ってきていたのだ。
「嘘じゃないのわかるよ」
しがみつくように着物を掴まれ、体温が義勇へと伝わった。そばにいた影が義勇を労るように触れてくれているのだと気づき、膝に埋めていた顔を上げた。
「私のお父さんとお母さんも鬼に殺された。鬼狩り様が助けてくれたの」
「……鬼狩り……」
「うん。でも姉さんと逸れてここがどこかわからなくなって」
途方に暮れたところで人攫いに捕まり、隙をついて逃げ出して今に至る。じわじわと涙声になっていく影の頭を撫でると、影の小さな手が彷徨いながらも義勇の頬に触れた。
「泣かないで。私も我慢するから」
「……ごめん」
鼻を啜る音が互いから聞こえ、義勇は少しばかり気が楽になった。信じてくれる人がいなかったのに、目の前の影は同じように鬼に家族を殺されたといった。姉が死んでから休まらなかった心が、今少し安堵できたような気がする。
草むらを少し掻き分けて暗闇の外を確認し、義勇は今のうちに移動しようと影へと告げた。
「どこに?」
「わからない。人攫いがいなくて、叔父さんの来ないところ。安全なところに着いたら逸れた姉さんを探そう。手伝うから」
「……うん」
手繰り寄せた手を掴むと、影からも応えるように力が込められる。
「ねえ、名前は? 私しのぶ」
「……義勇」
外を警戒しながら洞穴を抜け、二人は夜の獣道を逃げ出した。
*
体力の限界まで走り続け、辿り着いた先で保護された天狗面の老人。鱗滝はかつて鬼狩りだったようで、今は鬼殺隊という組織の隊士を育てているのだといっていた。
狭霧山で出会ったのは鱗滝とその弟子だという錆兎と名乗った少年だった。錆兎は義勇と同い年で、二人はすぐに仲良くなって鱗滝の修業に毎日ひいひい言っていた。しのぶも一緒にやりたかったのだが、まだ幼いからという理由でやらせてはもらえなかった。
義勇は逸れたしのぶの姉を探したいと鱗滝へ伝え、快諾した鱗滝は二人に修業をつける傍らで文を飛ばして探してくれていた。鬼狩りに保護されたのならそのうち見つかるから焦るなと鱗滝は言うし、錆兎と義勇はしのぶを構ってくれていたので寂しいとは思わなかった。
「しのぶ。お前の家は診療所を開いていたといったな」
「はい」
二人が修業に明け暮れている時、鱗滝はしのぶへ問いかけてきた。
「藤の家紋の家に胡蝶カナエと名乗る少女が保護されているようだが、お前の姉と同じ名前だな?」
「………! そ、そうです! カナエ姉さん! 会えますか!?」
四方に手を尽くして聞いてくれたおかげで、しのぶの姉は無事藤の家紋の家に保護されていると知らされた。
良かった、本当に良かった。
鬼狩りに保護されたのなら組織に関連するところにいるだろうと判断した鱗滝は正しかった。たった一人になってしまった家族と再会できる。嬉しくてしのぶはつい鱗滝に抱き着いた。
すぐにでも義勇に教えたかったが、戻ってくるまで待つようにと鱗滝はしのぶを宥めた。探してくれると最初に言ったのは義勇だ。見つかったことを教えれば喜んでくれるだろうし、会ってくれるかもしれない。姉にも義勇を紹介したい。興奮して色んな希望を言い募るしのぶを抱き寄せながら、鱗滝は快く頷いた。
「見つかった? 本当に?」
ぼろぼろになって戻ってきた義勇と錆兎はしのぶの話に驚き、鱗滝が頷くと顔を見合わせて笑みを見せた。良かったとしのぶの頭を撫でる義勇がはたと何かに気づいた後、少し眉尻を下げてしのぶを見つめた。
「姉に会ったらもうそっちに住むんだな。ちょっと寂しい」
「仕方ないよ、家族がいるんだから一緒に住むのが普通だ」
そうだ。カナエが見つかって住んでいる場所があるのなら、しのぶはここに戻らないことになるのか。せっかく義勇とも錆兎とも仲良くなれたのに、会えなくなってしまうのはしのぶも寂しかった。
「会いに行ってやれば良い。鬼狩りにならずとも、藤の家紋の家ならば隊士に助力するのだし、危ないこともしなくて良いのだから、お前たちも最終選別は行かずに」
「いや! 俺たちは鬼殺隊に入るって決めたんです。なあ義勇」
「うん」
そのために修業をしているのだと錆兎が言い、義勇も同調して頷いた。鬼と闘うのは死んでしまうかもしれない危ない仕事だと鱗滝は言うし、彼らが怪我をしたりするのは心配だし不安だった。
最終選別はもうすぐだ。二人が無事に帰ってきたら姉のところへ行く。すぐに会わなくて良いのかと鱗滝はしのぶを気にしたが、不安なまま姉のところへ行くのも何だか嫌だ。しのぶはまだ小さいからと修業はつけてもらえなかったが、せめてきちんと二人が帰ってきたのを見届けてから別れたかった。
抱き締める鱗滝を振り払い、山の中へ走っていく義勇の背中をしのぶは追った。
唇を震わせて我慢しようとしていても、義勇の目から大粒の涙が溢れるのを見た。しのぶは信じられない気分でいたが、面の隙間から顔を覆う鱗滝が泣いていて、事実であることを悟ったのだ。
木のそばで膝に顔を埋めて座り込む義勇にしがみついても動くことはなかった。いつもならすぐに腕をまわして笑ってくれるのに、隣にいた錆兎がいないから義勇は泣いている。本当なら錆兎が生き残るはずだったと言っていた。鱗滝は違うと言い聞かせようとしたけれど、義勇はその言葉を聞くことなくこんなところで蹲っている。つられるようにしのぶの涙も止まらなかった。
暗くなってきた空に気づき、嗚咽を引っ込めた義勇が顔を上げた。普段の柔らかい表情ではなく、悲しみに暮れていた顔に感情は乗っていなかった。
幼かったしのぶは言い知れぬ不安に包まれたけれど、あとになって思えば、あれが心を殺した瞬間だったのだろう。どこか遠くへ行ってしまうのではないかと漠然と感じて、しのぶは手を離せなかった。ゆらりと立ち上がった義勇を見て、目元を乱暴に拭ってしのぶも立ち上がった。
錆兎は藤襲山の鬼を、一体を残し全て斬ったのだと聞いた。錆兎だけが死んでしまった最終選別は、今まで一番戻ってきた者が多かったのだという。
虚ろな目をして、それでも日々の日課となった修業だけは欠かさず義勇は日輪刀と隊服が出来るまで狭霧山で過ごしていた。何かをしていないと考えてしまうのだろう、今までよりも長く厳しく山を駆け回っていると鱗滝は言った。義勇の姉と錆兎の着物を縫い合わせながら、鱗滝はずっと義勇を案じていた。
「……私も鬼狩りに、」
「やめなさい」
鬼殺隊の隊士として、世話になった礼を告げて深く頭を下げた義勇は山を降りていった。あんな状態の義勇を一人にするのが心配で、しのぶは小さく呟いたのだ。両親を殺した鬼を退治する鬼狩りになれたら、しのぶも姉を守ることができるし義勇だって助けられるかもしれない。そう思ったのに、鱗滝は厳しい声音でしのぶを止めた。
「……お前までいなくなったら、今度こそ義勇の心が死んでしまう」
錆兎が死んで感情を殺してしまったが、しのぶがいるから今はぎりぎりの状態で保っているだけだと鱗滝は言った。保っているのか、あれで。しのぶがいたら大丈夫なのか。義勇は鬼殺隊になってここを離れるのに、しのぶも姉の元へ行くというのに。生きているとわかっていれば、義勇も無茶なことはしないだろうと口にした。しないでくれと言っているようにも思えた。
頼むからやめてくれと鱗滝に懇願されてしまっては、しのぶも無理やり鬼狩りになるとは言えなくなってしまった。
*
狭霧山から藤の家紋の家に居を移したしのぶは、あの最終選別の後姉と再会し、そこで治療の手伝いをしながら過ごしていた。
「医療機関を開こうと思うの。鬼と戦った隊士たちを治療するための場所。助けてくれた大きい人覚えてるでしょ? 悲鳴嶼さんに頼まれて、そういう場所を提供してほしいって言われたの」
どうやらカナエは悲鳴嶼と文通をしていたらしく、医師の娘であるカナエとしのぶの医療従事者としての手腕を買われたらしい。更にしのぶが個人的に調べていることも伝えたらしく、鬼殺隊を率いる産屋敷家の当主に打診しようとしているそうだ。上手く行けば運営するための資金も出資してくれるという。
「藤の花から鬼を殺せる毒を作り出せれば、鬼狩りの任務に貢献できるだろうって」
「まだ出来上がってもいないのに」
「それはそうなんだけど、しのぶなら作っちゃうと思うし。研究費用と研究所も併設してくれるって言うから」
何だか大掛かりなことになっている。世話になっている藤の家紋の家の者たちは快く頷いて助かるだろうと言うし、しのぶの心持ち次第で悲鳴嶼に返事をするという。確かに隊士の手助けができるならそれは喜ばしいことではある。
「そういう機関を作って薬も渡せば任務先で応急手当もできるだろうし、“義勇さん”も来てくれるかもしれないわよ」
「……そうかな」
錆兎が亡くなってから音沙汰がなくなった義勇は、しのぶのいる藤の家紋の家にも来ることはなく、会わなくなってもう三年が経つ。鱗滝から生きていることは聞いているが、それでもやはり心配は心配だ。一応返事がなくとも季節の折に文を送ってはいるが、隊士である以上任務で忙しいだろうとも思い、出す頻度はさほど多くない。
もう両親や錆兎のように誰も死んでほしくない。隊士の、義勇の役に立てないかと色々と文献を読み漁り、しのぶは魔除けとして使っている藤の花から鬼を殺す毒を作れないかと考えてひっそり研究していた。隊士ではないしのぶは鬼と対峙しないようお守りを持っているが、研究費用が出るなら毒の効果も試してもらえそうではある。
「……そうね。良いんじゃないかしら」
「良かった! じゃあ喜んでって悲鳴嶼さんに返事しておくわ」
そう言って部屋を出ていったカナエを見送り、しのぶは少し考え込んだ後、気合いを入れるように良し、と口にして顔を上げた。
* しのぶ十四歳
医療機関である蝶屋敷が開かれた当初から、怪我をした隊士たちは沢山訪れた。
鬼は血鬼術というものを使い、人を殺す以外にも色々と小賢しい真似をしてくる。そんな普通の医師では治せないような病状も看る蝶屋敷はなくてはならないものになっているらしい。
隊士にとって不可欠なものになっているなら有難い。有難いのだが、しのぶが会いたい者はやっぱり顔を出すことはなかった。
そのうち来てくれるとカナエは慰めてくれるが、顔も見たくないのかと少ししのぶは落ち込んだ。あんなに寂しいとか言っていたくせにと不機嫌にもなる。そうして治療と研究を続け、人手も必要だからと増やし、毒が形になった頃それは訪れた。
「頼もー。薬くれ」
療養中の隊士たちの診察がひと段落したカナエが返事をして立ち上がる。しのぶはそのまま寝台の敷布を剝がしていた。
「音柱と水柱来てる。しのぶさん会ったことある?」
見舞いに来ていた隊士が玄関先を覗き、敷布を抱えたしのぶに問いかけた。音柱はたまに薬が欲しいと蝶屋敷へ顔を出すし、毒の研究について進み具合を確認もしていく。対して水柱はその存在を知っているだけで、そういえば来たことはなかった。
「水柱様はないですね。薬が入り用になったんでしょうか」
「俺藤の家紋の家で一緒になったことある。めちゃくちゃ静かな人だよ」
「そうなんですか」
特に興味も湧かなかったしのぶは、抱えた敷布の洗濯のために部屋を出てそのまま庭へと向かおうとした。ちらりと玄関先に佇む三人へ目を向けた時、敷布は音を立てて床へと落ちた。
「………っ、義勇さん!」
驚愕したまま声を上げると、瞬いた目がしのぶを見た。昔と印象が変わっても見間違ったりなどしない。驚きに目が丸くなっていく様子に思わず駆け寄ったが、昔のように抱き着こうとしたしのぶから距離を取るかの如く義勇は一歩後退った。
「……お前、しのぶか」
「うん。……無事で良かった」
今度は手を伸ばすとまたも一歩後退り、しのぶは眉根を寄せて義勇を見た。顔を逸らす義勇の隣で興味津々に眺めている音柱がいる。見られているのが気にはなるが今はそれどころではなかった。
「何で避けるの」
「……血がついてる」
「あれ? お前怪我してたの?」
「えっ? 大変、治療しましょう、水柱様」
「怪我!? 早く上がってください、水柱様……、——水柱?」
今日は良く聞く気がする言葉だ。訝しげに顔を見ると、義勇は澄ました顔をして黙っていた。この顔、久しぶりに顔を見たが、やはりあの時から全然感情がわからなくなっている。
「義勇さんが水柱様?」
「違う。……俺は、柱じゃない」
「はあ?」
何言ってんだこいつ。音柱の顔が正しくそう表れている気がしたが、とりあえず音柱よりも四年ぶりの義勇である。怪我をしているとなればさっさと治療しなければならないし、話したいことは沢山ある。それはもう山程。
しかし、義勇が水柱。そんなに強くなっていたなんて。でも本人は違うと言う。何が何だかわからずしのぶは混乱した。
「と、とりあえず治療ですね。お二人ともどうぞ」
「治療はしなくて良い。血は隊士のものだ」
抱えた時についたものらしく、本人に怪我はないと言う。本当かと訝しむしのぶと口を噤んだ義勇を眺め、面倒そうな顔をした音柱が診てもらえと口にした。
「何か知り合いみたいだし、診察ついでに話でもすれば? こいつが話すかは知らねえけど」
錆兎が死んで必要最低限しか話さなくなった義勇のままのようだ。音柱は世間話などしたことがないと口にした。
塞ぎ込んだままずっと変わらなかったのだろう。しのぶは何を言うべきかを悩み少し俯いた。
「ずーっと来てくれませんでしたね」
「……すまない。しのぶがいると知らなかった」
知らなかっただと。蝶屋敷はそうかもしれないが、藤の家紋の家にいた頃は知っていたはずだろうに。頻度は少ないながらも出していた手紙に書けば良かったと内心反省したものの、義勇が音沙汰がなかったせいだと口にした。
「待ってたのに。……手紙もくれないし」
「ごめん」
素直に謝る義勇は表情こそ死んでいるが、昔とそれほど変わらないようにも見えた。塞ぎ込んでも本来の性格は変わりない。背丈が伸びて逞しくなって、会わない間に男の人になっている。ほんの少しだけ寂しい気分になってしまった。
「……大きくなったな」
「義勇さんも」
本当に怪我はないのかときっちり触診して確認した後、カナエが気を利かせてしのぶの部屋に通してくれた。客間は人がいるし、二人で話をしたいだろうからという理由で。今は薬を取りに来た音柱の対応をしてくれている。
「……何か変な感じ。私も呼吸を習っていれば隊士になって、」
「やめろ」
義勇のように強くなれたかもしれない。言い切れず強い口調で遮られた言葉とともに、しのぶの体が引き寄せられた。抱き締められたのかと気づいた時、苦しげな声が耳に届いた。
「お前までいなくなったら俺は」
あの時鱗滝が言ったことは本当だったのだろう。しのぶが義勇の心をぎりぎりで繋ぎ止めていた。しのぶがいなくなったら義勇はどうなってしまうのか。だったら会いに来てくれれば良かったと頭の隅で考えたものの、軽々しく口にしたことを反省しながらしのぶは義勇の背中に手をまわした。だというのにふいに義勇の動きが止まり、しのぶの肩を掴んで離された。
「……ごめん」
「別に良いのに」
どうやら成長してしまったので子供の頃のように抱き着いたりするのは駄目だと思っているらしい。そんなことをわざわざ気にしなくても相手はしのぶだし、義勇なのだからこちらも気にしたりしないのに。
「あともう一つ、柱じゃないって何ですか? 音柱様も訝しんでいましたし、ちゃんと水柱様なんでしょう?」
「違う。……最終選別を突破していないのだから、俺が柱になって良いわけがない」
鬼殺隊で階級を上げるには、鬼の討伐数が必要だと聞いたことがある。何十体と斬り、柱になるには普通なら五年はかかるのだとか。義勇は今十七で、最終選別は十三の時だった。いつから水柱になったのかはわからないが、五年以内に上り詰めるくらい鬼を倒していた。きっと駆けずり回ったのだろう、錆兎への贖罪のような気分で。
「そんなことない。あなたは柱です、ちゃんと。お願いだから卑下しないで。私も悲しくなる」
今度はしのぶから抱き着くと、少し困ったような気配を感じたものの、義勇もしのぶを抱き締めてくれた。
錆兎のことをずっと考えているのだろうけれど、義勇が柱になったのは紛れもなく義勇の実力だ。修業から戻ってくるあのぼろぼろの姿を思い出す。あの時などお遊びと思えるほどの血反吐を吐いて鬼を斬っていたのだろう。
錆兎には内緒だと言って、義勇はしのぶにこっそりと教えてくれたことがある。本当は戦いたくないけれど、姉のように人を殺す鬼を斬らなければならない。でなければ安心して眠れないのだと。そんな穏やかな義勇が柱になるくらい、休む間も惜しんで鬼の頸を斬っていたのだ。
「………。……わかった」
しのぶが言うなら努力する。卑下しないことを努力しなければできないというのもどうかと思うが、少しは前向きになってくれるのなら嬉しい。顔を見せに来てほしいと言うと頷き、義勇の屋敷にも行きたいと言えば場所を教えると言ってくれた。また交流ができるとしのぶは喜んだ。
「そうだ、私藤の花から鬼に効く毒を研究してて、ちょうど形になったところなんです。義勇さん、試してみてもらえませんか?」
柱である義勇が使い、効果を見せれば隊士たちも使ってくれるだろう。驚いた目がしのぶを見つめた。
「悲鳴嶼さんにも使ってもらえば、二人の柱から太鼓判が貰えればきっと他の隊士たちも使ってくれるだろうし。頸を狙わなくても鬼を殺せるかもしれません」
使用方法はきっと色々ある。霧状にして動きを封じることができれば難なく頸を斬れるだろうし、直接打ち込んでやるのも良いだろう。あとは想定通りの効果をもたらすことができれば良いが、こればかりは試してもらわなくてはわからない。隊士に頼むしかできない、人任せであるのは非常に不服とするところだが。
「……凄いな」
「まだ使えるかわからないですよ」
「うん」
本当に口数が減ったなあ。ぼんやりそんなことを考えながらしのぶは義勇の顔を見つめた。世間話をしたことがないと音柱は言っていたし、誰かと話す暇も作らず今まで戦っていたのだろうか。数人で現れる隊士もいるのだから、共同で何かをするような機会もあるだろうに。
「義勇さん、少しずつで良いから、もっと昔みたいに話してくださいよ。……じゃないと嫌われちゃいますよ」
衝撃でも受けたらしく目を丸くした後悲しげに俯いた義勇に、本質は変わっていないのだとしのぶは少し嬉しかった。まあこんな軽口にも傷つくくらい繊細なのはどうかと思うが、とにかく義勇はあの頃出会った義勇だった。
「あなたが誤解されるのは嫌ですよ。ちゃんと凄い人なのに」
「凄くない」
卑下することをすぐにはやめられないのはわからないでもないが、少しずつでも良くなるようしのぶも手助けできれば良いと考えていた。