兄弟弟子の恩人・了

「お前これからどうすんのォ」
 最後の柱合会議の帰り道、実弥はふいに問いかけた。
 療養中は話す暇もないほど見舞い客も見舞う相手もいて、なかなか込み入った話をすることがなかった。しかも蝶屋敷なんかで話したら耳の良い奴に聞かれてしまうし、避けていたところもある。
「生家には行こうと思う」
 実弥と同様に、姉を殺されてから一度も帰っていないらしく、どうなっているのか、家が残っているかもわからないという。今まで顔を出せなかった分、向き合いたいのだと義勇は言った。
「叔父に会えたら謝りたい。逃げてしまったから」
 深く聞かなかった鬼に襲われた直後のこと。実弥も詳しく言っていなかったのだから互いに黙っていたことになるが、姉が殺される前に両親は病で亡くなったと聞いたことはある。叔父という存在の話はしたことがなかった。
「……鬼に殺されたと馬鹿正直に話してしまったから、信じてもらえず頭の病気を疑われた。だから連れて行かれることになったが、俺は逃げてしまった。叔父も心配してのことだったと今ならわかるが……当時は、その」
 裏切られたような、絶望したような、味方ではなくなったのだと感じたのだという。
 話してしまった結果頭の病気を疑われた。どこに連れて行かれたか、実弥は想像した。少なくとも逃げたと言うのだから、良いところではなかったのだろう。檻の奥から胡乱な目を向けてくる幼い頃の義勇の想像が脳裏に過ぎった。
 何となく、本当に何となく感じた。あの二人を信じたのは、信じてもらえなかった過去があったことも関係しているのかもしれない。無意識だったのかもしれないが、誰も信じないような荒唐無稽な話を、義勇だけは最初から信じようとした。そして鱗滝もまた義勇を信じた。
 竈門が義勇を慕う理由がまた一つ理解できてしまったかもしれない。
 義勇を信じた鱗滝と錆兎はともかく、実弥は受け入れるのに随分とかかった。信じなかった叔父がトラウマになっていたとしたら、実弥の言動も傷ついたことだろう。
「お前たちが信じてくれたから、俺も向き合う気になった気がする」
「………、たち、って。俺は結局信用したともいえねェ」
「お前は俺も禰豆子も信じてくれたよ。見間違いだとは言ったが、俺が嘘をついてるとは言わなかった。それに言葉にしなくても炭治郎に絆されてただろう」
「いや、絆されてはねェよ……」
 嘘つきだと断じられでもしたのか。
 それも気になるが、どこをどう見たら竈門に絆されていたなどと判断できるのか不明だ。こと鬼殺以外はとことん節穴そうな義勇の様子を目にしてしまった。まあ、わかっていたことではある。
「お前の苦しみは少ししか知らないが、聞く耳を持つのは充分凄いことだろう」
「……んなこと言ったらお前がまずおかしいんだよォ……。いやもうわかったよ。それでいいけど、いつから行くんだァ」
 実弥の話に逸れてしまい、適当に切り上げて本来の話していた話題へ戻した。
 残り数年はきっと短い。悔いも何も残さずというのは難しいだろうが、できることはしておきたいと実弥も思うようになった。それを弟にも望まれてしまったのだし。
「明確に決めてるわけじゃないが、早いほうが良いかと。老い先短い身だし」
「まァ確かに。……ついてってやろうかァ、片腕だと不便だろ。もしその叔父に会えたとして、妙なこと言われないとも限らねェだろうし。暇だし」
 義勇の親戚とやらが実弥の父ほどろくでなしであるとは思わないが、会って話して後悔するなんてこともあるかもしれない。そういう時一人よりも誰かがいたほうが、それなりに気が楽になることもあるだろう。
 まあ、ただの口実だ。結局実弥がついていきたいだけなのである。
「お前は短気だからなあ」
「ぐっ……、殴ったりしねェよ! たぶん」
「殴るとは思ってない。ありがとう」
 実弥がついていこうとして口にした言葉の意図を察したらしいが、今まで散々誰かに手を上げてきた実弥を前にして妙なことを口にした。
 どうしてだと問いかける気も失せるくらい、堪えきれないらしい笑みを溢して肩を揺らし、義勇は楽しそうに表情を緩めていた。
「……おう。あー、そんで……俺も、住んでた家がどうなってるか、確認してェから。……うちは借家だったし、良くて新しく人が住んでるんだろうけど」
「ついていって良いのか?」
「……来たいならなァ」
 天邪鬼なのは元々の性格ではなかったはずだが、来てほしいという言葉を曖昧に何とか伝えようとして、義勇に言わせることに成功してしまった。緩んだ口元が弧を描いているのをちらりと盗み見て、実弥は落ち着かない心臓を誤魔化すように乱暴に頭を掻いた。
 無事に生家へ帰ることができたら。その後はどうするだろうか。耀哉から賜った屋敷は返還することなく自分たちの物としてある。屋敷へ帰るか、生家へ留まるか。義勇が屋敷へ帰ることを望んだら。
 実弥はその後の身の振り方を決めることにした。

*

 義勇の生家には人は住んでいなかった。だが定期的に管理をしてくれている痕跡があり、叔父が来てくれていたのかもしれないと口にした。
 天涯孤独となった子供を取り逃がし、周りの連中は手酷く叔父を責めただろうか。それとも厄介者がいなくなったと安堵したか。善良な人間ならばきっと心を痛めていただろうし、せめて家の管理だけでもと考える可能性もある。
 記憶を頼りに冨岡家の墓へ参ると、墓石のそばに何やら箱が置いてあった。冨岡家の人間なのだから中身を改めても良いだろうと言えば義勇は静かに蓋を開け、写真と櫛が入っているのを確認した。
 それは幼い頃の義勇と家族の写真で、優しげな眼差しをした男女と愛らしさのある幼い姉弟が写っていた。
 聞けばその写真は姉が婚約者だった男に渡したものらしく、櫛は婚約者から姉へ贈ったものなのだという。義勇はどこか複雑にも見える笑みを浮かべて写真を撫でた。
「持ち帰らなくていいのかァ」
「俺じゃなく姉に向けたものだろう」
 形見となるのだから貰っても良いと実弥は思うが、姉のものは姉に預けるべきだと義勇は言った。そういうものかと考えて、実弥はそれ以上口出しはしなかった。
「羽織を持ってくればよかった」
「あれこそ形見なんだから貰っとけよォ」
 せっかく竈門禰豆子が元通りに繕って、恐縮させるほどの感謝を贈ったというのに。きっと義勇の手元に戻ることを願って直してくれたのだろうと口にすると、義勇は成程と納得したようだった。
「……写真はちょっと欲しい」
「へェ。良いんじゃねェか」
 実弥は写真など撮るようなことはなかったし、そんな余裕もない生活をしていた。当時の姿が紙に残るのは何とも不思議な気分だが、あれば確かに持っておきたくなる。
 人の記憶は曖昧になっていく。家族の顔を思い出せなくなっていくのは、あまりに寂しかったし悔しかった。
「お前の姉さんなら許してくれんだろォ。次来る時はお前の写真入れとけよ」
「……そうだな。そうする」
 古ぼけた写真を懐に仕舞い、義勇は墓前から立ち上がった。

 血の痕跡の残る家など不吉だと普通の感性なら思うだろう。
 実弥が住んでいた長屋の住人は生活に困窮しているような奴が多く、隣人同士でも助け合ってどうにか生きていたところがある。喧嘩も面倒事もそこの長屋ではよくあることだったから、実弥たち家族のことも、どこぞのヤクザ者に命を追われて消されたとでも思われたかもしれない。辿り着いたかつての生家は、予想通り見知らぬ小汚い男が住んでいた。
 下の世話もする無料の飯炊き女。その言葉は当時の実弥には意味がわからなかったが、ろくでなしの父親は考えなしに母を孕ませて、実弥の弟妹はどんどん増えていった。
 家族が増えること自体に実弥は文句などなかった。父親さえいなければ質素で貧乏でも満ち足りた生活だと感じていたし、玄弥とともに母を支えようと藻掻いていたのだ。
 ろくでなしは死ぬまでろくでなしだったから、父親が死んだことを実弥は喜んだくらいだった。母は少しだけ泣いていたけれど、今までの仕打ちを顧みても、どうして泣けるのかが不思議でならなかった。
 地獄ですら母を手放そうとしなかった様子を思い出すと、もしかしたら、少なくとも母にだけは、あの男にも歪な情があったのかもしれないと思うようになった。
「クソ親父は女子供に手ェ上げるような奴だった。俺は絶対にああはなりたくなかった」
 赤子の時分から子を殴る。腹が立つことに体格は恐らく今の実弥よりもでかかった。当時の実弥は平均的な子供の体だったし、大人の男の力で殴る父親を止めることなどできず、代わりに殴られるしかできなかった。それに黙って耐えようとしても、殴られる実弥を見つけた母は父親の前に立つ。朝から晩まで頑張る母を守りたいのに、結局実弥は一度も守ることはできなかったのだ。それどころか。
「……弟にすら手上げるようになっちまったァ。親が親なら子も子っていうんだっけかァ。ことわざってのはうまく言ったもんだ」
 もし所帯を持った生活をすることがあったとしたら。あの男が父親である以上、あの男を見て育ってきた以上、女房や子供に手を上げる可能性はきっと普通の人間よりも高いのだろう。死してなお腹立たしい男だった。
「悪鬼滅殺を果たしてから誰にも手を上げてない。お前の本質はそういうことだ」
 慰めか。殴れるような力もなかっただけとは考えないのだろうか。死にかけの状態から回復するまでは確かに柱だった実弥と義勇は早かったが、それでも時間を要したのは間違いない。
「お前は優しいよ。弟が言ったのなら間違いない」
「………っ、」
 何だそれは。何なんだよ、それは。鬼を生かして兄妹を助けた、一等優しい奴がそれを言うのか。嫌味かと突っ込んでやりたかったのに、唇を噛んでいて上手く言葉にできなかった。
 玄弥の言葉を義勇は聞いていなかったはずなのに、竈門からでも聞いたのだろうか。あいつはいつの間にか玄弥とも仲良くやっていたようだった。
「お前を理解してちゃんと添い遂げる相手が見つかるし、睦まじく生きていける」
「……そうかよォ」
 もしそんな相手が見つかるというのなら。
 ——こいつが良いなァ。
 添い遂げるだとか睦まじくとか、そんな大層な言葉で括らずとも、ただ同じ空間で同じ空気を吸っていたい。できれば毎日顔を見ながら。
 実弥が大事にしたいものは、自分では悉く掬い上げることができなかったけれど。
 大事にしたいと思えた兄弟子を助けてくれた、同じ戦地を駆け抜けた義勇ならば、零れ落ちることなく手の中にしがみついてくれるのではないかと思うのだ。
「……屋敷戻ったら、また一緒に住むかァ。どうせあと数年だ、纏めといたほうが楽だろうし」
「駄目だ」
 びっくりした。実弥は固まるくらい義勇の返答に驚いた。
 確かに実弥のことは友以上に見ていないだろうことは大体理解していたが、友としてであれば好かれていることはもう嫌というほどわかっている。だから同じ屋敷に住むという打診を義勇が断るとは考えていなかった。そのせいで二の句が告げずに固まってしまった。
「お前は妻を取らなければならない。繋いでいかなければ」
 鱗滝からそういった縁談を持ちかけられているという。近いうち輝利哉からも義勇と実弥に伝えられるつもりらしいことも。想定から外れた話に実弥は歯噛みした。
「たった数年しかねェのに、それこそ失礼だろ。お前はそれでいいのかよ」
「お前なら寿命の先も生きられるかもしれない」
「無理だろ、竈門じゃあるまいし」
 実弥の寿命のことではなく義勇の心情を聞いているのに、答えるつもりはないらしい。にべもなく断じてやると義勇は不満げに眉根を寄せた。
「何だよその顔はァ。どうしてェんだよ」
 子を残す以外のことが理由にあるのではないか。七割方はそうであってほしいという実弥の願望であったが、不機嫌そうな眉根がやがて寂しげに表情を翳らせていくのを目の当たりにした。
「……お前が弟に望んだことを望まれたと」
「あ? あァ、まァ」
 女房を貰って子を育てて、幸せに生きていってほしいと願っていたこと。それは身の上話の最中にぽろりと口にしたものだ。弟からも同じように幸せを願われてしまったと、療養中にまたぽろりと漏らしてしまったことがあった。
「俺では叶えてやれないだろう。一緒にと言ってくれるのは有難いが」
「………、え?」
「玄弥のために嫁を貰って人生を生きてほしい。それがお前の幸せにも繋がる」
 断られた不満と驚きが霧散して、実弥はただぼんやりと話す義勇の横顔を眺めた。
 実弥は匡近も笑うほどの鈍感だ。錆兎も眉を顰める程度の鈍感である。だが感情を自覚してからは、以前よりもその手のことに敏感になったと思っている。主に義勇の言動についてだが。
 ——叶えられたら、俺と一緒になる気があんのか。
 いや、ええ? まじかこいつ。何だそれ。何なんだよそれは。都合の良い耳になっている可能性は大いにある。勘違いで顔を赤くしていたら恥でしかないが。
「……実弥?」
「いや、お前ェ……、玄弥に望んだことって嫁はともかく子を作れってやつだぞォ。叶えてくれるつもりあんのかよ」
「いや、だから叶えられないと」
「叶えられたらそのつもりなんだろォ」
 払おうとした手が実弥の言葉でぴたりと止まった。しばし固まった義勇の頬が、じわじわ赤く色づいていくのを目の当たりにした。これまで一度として照れることなどなかった義勇が、実弥の指摘に目を丸くしていた。
 見たことのない義勇の様子は、実弥にとっても不整脈を発症させるものだったが。
「……お前も大概鈍感だなァ」
 揶揄うように口に出してやれば、への字に曲げた口を小さく震わせた。ともすれば少々涙目にも見える。突っ込まれると恥ずかしいのかもしれないが、こんな機会はそうそうない。
「……そうだ。お前の望みを叶えてやりたいと思う。叶えられるものなら」
 葛藤でもしていたかと思えば、やがて頬は赤いまま顔を上げて実弥を見据え、鱗滝の縁談を受けるようまたも要らぬ言葉を発してきた。大袈裟に溜息を吐いた実弥に義勇は不満そうだったが。
「望みはさっき言っただろ、一緒に住むかってなァ。それは叶えてくんねェのかよ」
「………。それは、お前のそばにいられるなら……俺も、そうしたいが。……気持ち悪くないのか」
「おっ……気持ち悪ィの意味がわかんねェけど決まりだなァ。一番楽そうだし良いじゃねェか。身の振り方は決定だ、鱗滝さんと輝利哉様の縁談とやらは来ても断る」
 つい変な声を漏らしてしまったが、困ったような顔をした義勇の気が変わらないよう、さっさと取り決めは済ませておくに限る。あとからやめますなどもしも言われたら、錆兎に倣い男らしくないと罵ることにした。
「子は」
「見合いして結婚してなんて段階踏んでもできるとは限らねェよ。残り時間も限られてんだし」
「……実弥は、俺のことが好きなのか?」
「俺の態度見ててそれ聞くのは鈍感過ぎんだろォ……」
「……そうなのか……楽だとかそんなことしか言ってなかったが」
 ぐ、と言葉が詰まり、実弥の頬が熱を持った。確かにそうやってはぐらかすように誤魔化していたのは間違いなかった。義勇に伝えて今より関係が悪化するのも避けたかったので。
「……お前、俺に添い遂げる相手が見つかるって言ってたけどよォ」
「ああ」
「それ、お前が良いわァ」
「………、はは」
 照れたような困ったような、それとも嬉しいのを誤魔化そうとしているかのような。とにかく義勇は曖昧にも思える笑みを漏らした。頬は染まっていたので照れていたのだろうが、実弥の目には並大抵の者では太刀打ちできないような大の男が、驚くほど可愛く見えた。
 残り数年が満ち足りたものにも、恐らく未練が残るだろうこともきっとあるのだろうが、そばにいたいと思う者とともにいられるなら、ぽかんと空いた胸の真ん中が埋まることもあるのだろうと感じられた。