兄弟弟子の恩人・四

 何より生きていてほしかった弟は骸も遺さず死んで、己の手は何一つ掬い上げることはできないのだと思い知らされた。鬼を狩れると良い気になり斬り殺してまわって、肝心なことを忘れていた。実弥が大事にしたいものは、どんなものも手に残りはしなかったのだ。
 実弥が気を失った後にもひと悶着あったという。肝心な時に間に合わない。何も成し得なかった実弥が生き残ってしまった。
 義勇は死の淵を彷徨い、実弥が目を覚ましてからも未だ目覚めることはないらしい。竈門炭治郎も昏睡しているという。
 無理もない。義勇は最後まで戦い抜いて、竈門もまた最後まで抗い続けたらしいではないか。実弥にはできなかったことを義勇は成し遂げ、竈門は人を殺す前に戻ってきた。
 義勇は正しかったのだ。竈門禰豆子を殺していたら、きっとこの未来は来なかったのだろう。
「実弥! 起きてるな、具合はどうだ?」
 寝台の上でぼんやりと考えていた時、頭巾と口布を外した匡近と錆兎が現れ、労いの言葉をかけながら椅子に腰掛けた。
「まァ、話せる程度にはなァ」
 どちらかが顔を出した時に詳細を聞こうと思っていたのだ。
 実弥が眠ってしまった後、掻い摘んで顛末は聞いている。だがやはりあの戦いに身を投じた者として、詳しいことを聞いておかなければならないと思ったのだ。
 教えてほしいと二人に言えば、少し逡巡しつつも匡近は口を開いた。
 終わったと気を抜いてからの竈門炭治郎の覚醒に、ぼろぼろだった隊士は殆ど動くことができなかった。柱は義勇一人、竈門に絆された者たちは斬ることなどできず、更には日輪刀も通用せず、陽の光すら克服した。打つ手なしの状態だった。
「早かったよ、義勇は。責任を取るつもりだったんだ」
 鬼になったと気づいた瞬間、義勇は竈門を殺すよう指示をした。殺せないこともわかっていながら、頭では手立てを探していたのだろう。
「殺す方法を考えてたんだと思うけど。耐えてた時に栗花落隊士が薬を打ち込んだ」
「蟲柱が作った人間に戻る薬だったそうだ。あれがなければどうしようもなかった。義勇も限界は越えてたし」
「片腕であれだけ戦えたら凄えよ。本当にもう……二人とも生きててよかった」
 俯いて唸るような声が匡近から聞こえてきた。それが心底安堵した言葉を紡いでいることに気づき、実弥は目を瞬いて見上げた。
「起きてたらきっと生きてなかった。お前は死にたかったかもしれないけど、生きててくれてよかった。ごめんな、自分本位な考えで」
「………」
 生きていてほしいと思うのは自分勝手なのだろうか。そうだとしたら実弥はずっと弟を振り回していたのだろう。守れなくて当たり前だ。
「何か外騒がしいな……どうしたんだ?」
 ドアを開けた錆兎が駆け回っている娘の一人を呼び止めると、探していたのだと慌てた声が口にした。
「水柱様の意識が戻りました!」
「………っ、義勇の!?」
「起きたのか!」
「待て、肩貸してくれェ」
 実弥を置いて飛び出しかけた錆兎と匡近に声をかけると、まだ歩かせられないからと車椅子を使われた。思うところはあるがまあいい。今は自分の容態などより義勇のことだ。
「不死川さん!」
 騒がしく人の多い病室になっているが、実弥が顔を出すと何人かは泣きながら外へと出ていった。様子を確認するために神崎アオイが、嘴平伊之助と我妻善逸、そして竈門禰豆子が病室に残った。
「よォ、最後の最後で俺は役立たずだったらしいなァ。悪かったよ」
「………、」
 眠り続けて起きたばかりで声も出せないのか義勇は何か言いたげに口をまごつかせたが、目尻に溜まっていく水分を見ていた実弥の前で、やがて小さく笑みを見せた。
 ドッ。
 何故今。こんな時に不整脈を発症しなくてもいいのに。
「えっ」
「何だよ紋逸」
「い、いや別に。うるさ……」
 ぐすぐすと啜り泣く声は廊下からも聞こえてくる。先程場所を開けるために出ていった者たちから話が伝わりでもしたのか、病室を覗き込む人数が増えていた。
「匡近ァ、病室戻らせてくれ」
「うわ、真っ赤……わかりやすっ……」
「まあ水柱も起きたばかりで無理させるのもまずいしいいけど……大丈夫か?」
「たまにくる不整脈来やがったァ」
 会話中、何やらぼそりと金色からぼやかれた気がするが、それより心臓をどうにかするのが先だった。訝しげな錆兎が実弥を眺めていて、匡近もしばらく心配そうに実弥の様子を眺めた後、突然楽しげに笑い声を上げた。
「あははは! 嘘だろ実弥、気づいてないのか!」
「はァ?」
「まじかあ、ここまで来てこれかあ。いやあ、可愛いなお前」
「殴られてェのかァ」
「まさか。いくら療養中でも柱の腕力で殴られたら俺骨折しちまうよ。ふへへ、部屋でちょっとだけ教えてやるからな」
 過去最高に楽しそうな顔をした匡近に実弥は不満げに顔を歪めたが、様子を見ていた錆兎は複雑そうな表情を見せて小さく唸り声を上げた。
「あ、兄弟弟子としては駄目か?」
「好きに生きれば良い、うじうじ悩むのは男らしくないからな。どうしようと勝手だが、決めたら腹を括れとだけ言っておこう。お前たちの潔さは折り紙付きだから、俺の言葉など不要だとは思うが」
「さっぱりわかんねェわ」
 曖昧さも含んだ錆兎の言葉も、楽しげに笑い続ける匡近も、呆れたような我妻からの視線も、とにかく居心地が悪くて実弥は表情を歪めた。不整脈はやがて落ち着きを取り戻し、気づけば義勇はまた眠りに落ちていた。
「義勇も眠ったし、俺は先生に伝えてくる。お前の様子も見に来てるんだ」
「あー……そうだなァ、わかった」
「じゃ、戻るぞ。お邪魔しました!」
 不整脈は相変わらず邪魔なところで発症するが、意識のある顔を見て一先ずは安堵した。あとはこれから療養を経て、無事にまた生活できるようになれば良い。実弥が柱になるまでの期間、義勇と共同生活をしていたことを思い出した。
「まず最初に言っておくと、実弥のそれは不整脈じゃない」
 部屋に戻って車椅子から寝台へと移動し、ひと息ついたところで匡近は神妙な顔を作って言い聞かせるように口にした。
「昔からたまにあるけどォ」
「水柱の前だけだろ?」
「よくわかったなァ」
 そう、不整脈は決まって義勇の顔を見た時だけだった。普通に過ごしていたはずが、突然心臓を無理やり揺り動かされたような気分になる。掴まれたような気分になるのだ。
「素直に教えてくれて俺も嬉しいよ、心配にはなるけどな。でもそれ、嫌な気分にはならないだろ」
「よお不死川! 順調に回復してるそうじゃねえか。お、先客か」
「あ、俺外しますよ」
「おい、まだ話の途中だろォ」
 気を利かせたらしい匡近がわざわざ騒がしく現れた宇髄に席を譲り、実弥に笑みを向けた。あとは自分で考えてみろと口にして、お大事にとまた笑みを見せて部屋を出ていった。不整脈ではないということしかわからなかったのだが、匡近はもう話す気も失せていたようだ。
「何の話?」
「いや、不整脈の話してたんだけどォ」
「は? お前持病あったの?」
「それがなァ……」
 水柱の前でだけ。匡近は最初からわかっていたとでもいうようにそう断言した。確かにそうだが、もしやこの症状がある者は実弥以外にもいたのだろうか。
 そういえば、この不整脈は出会った頃から始まった。確か、狭霧山についていって師を紹介してもらった日の夜。布団に包まりながら二人で身の上話を少しした。姉の話をして、錆兎の話をして、感謝されて。泣きそうになりながら笑みを見せられた。
 それがあんまりにも健気でいじらしかったような気がする。
 その後に起こる不整脈も、義勇が笑みを向けていた時に限って発していた。最後に発症したのはいつだったか。ああそうだ、柱稽古の手合わせ中に竈門が乱入してきた時か。
 あれは不整脈よりも苛立ちが大きかったけれど、そういえば布団に潜り込んでいた時はそれまでにないほど調子がおかしかった。動悸息切れ、発熱と、本当に病気かと疑うなかで、どこか満たされる気分になったような。
「何そのにやけ面。やっと冨岡に想いが通じたとかそういうアレ?」
「はァ?」
「あー。嘘嘘、冗談」
 どこか慌てて冗談で片付けた宇髄を眺めながら、実弥は言葉を反芻した。
 想いとは。義勇に向ける想いなどというのは、それなりに本人にも伝わっているはずだが。使う呼吸法は違っても元同門、互いに友だと思っていたと実弥としても思っている。実弥自身も己を器用だとは思っていないが、義勇よりはましだと思うくらいには奴は不器用であり、仕方ないと絆されているのは自覚していた。
 想いが通じる。そんな言い方は、そこいらの自由恋愛とやらを楽しむ男女に使うような言葉に聞こえる。実弥が義勇に使うものではないだろう。
 自由恋愛。玄弥にはそれも楽しんでもらいたかった。一緒にいたいと思えるような女房を貰って、地味でも質素でも幸せだと思えるような暮らしをして、爺さんになるまで寄り添って生きていくような。
「不整脈だと思ってたら不整脈じゃねェって言われたんだよ」
「まあ、ある種の病気ではあるけどな」
「んだよ、宇髄も身に覚えあんのかァ?」
「それ肯定したら自覚した後に誤解とかしないだろうな? とにかくお前の不整脈は治すのに冨岡が必要だよ」
 今聞いたばかりのはずのくせに、何故か宇髄はやけに訳知り顔で実弥に伝えてくる。実弥の不整脈は病気だというくせに、まるで宇髄はよく理解しているかのように義勇が必要などと。む、と知らず眉間に皺が寄っていたらしい。
「お前その嫉妬深さでよくそんな鈍感でいられるよな」
「意味わかんねェ」
「はあ。まあ時間もねえんだ、さっさと自覚して頑張れ」
「本当に何なんだよォ……」
 様子を見に来たのだろう宇髄は、興が削がれたと言いながら早々に病室を後にした。結局何をしに来たのかよくわからないままになったが、見舞いに来てくれたことには一応感謝しておくことにした。

 庭を自由に歩き回れるようになった頃、実弥は目を剥いて視線を向けた。
 縁側に座ってのんびりしているらしい義勇はいつもどおりだが、頭に飾られている物がいつもはなかったものだ。遊ばれたのか遊ばせたのかは知らないが、とにかく義勇の髪に蝶飾りが落ち着いていた。
「何だそれ」
「実弥。それとは?」
 不思議そうに首を傾げる義勇の尻尾を指しながら、髪に蝶がいることを教えてやった。納得したらしく三人の娘が遊んでいったのだと口にした。
「暇な時は遊べばいいと胡蝶がけしかけたことがある。今までそんな暇もなかったが、思い出したらしい。気が紛れるならと好きにさせた」
「……あ、そォ」
 胡蝶とそんな話をしていたことがあったのか。
 そういえば二人で話をしているところをよく見た気がする。那田蜘蛛山の件でも胡蝶は義勇を庇っていたように思う。
 もしかして。もしかして義勇は胡蝶を憎からず想っていたのだろうか。そんな話は一度もしたことがなかった。
 いや確かに、妙に胡蝶が構っているのを目にしていたが。どんな関係だったのか、聞くのはやはり憚られた。もしもそういった関係だったならば、今も悲しんでいる可能性のほうが高い。
「胡蝶には実弥の話を色々した」
「、はァ?」
 やはりやめておくべきだと話題を変えようとする前に、義勇は胡蝶との話を口にし始めた。
 隊士で柱とはいえ、年頃の女とする話題が実弥の話とはどういう了見なのだろうか。その手のことに縁のなかった実弥ですら、その話題選びはおかしいことくらいわかる。別の女の話をするよりは良いのだろうか。
「よくわからない人だと言うから俺が教えた」
「へ、へェ。胡蝶にとってはお前より俺がよくわからん奴だったのかよォ」
「胡蝶カナエを見る目が怪しかったように見えたが、どうも違うような気がすると」
「はァ!?」
「好きだったのかと。胡蝶は複雑だったようだが」
 先程よりも大きな声が実弥の口から飛び出し、とんでもない誤解が生まれていたことに焦った。
 他でもない義勇の口からそんな話を聞かされるのも、憶測をしながら陰で胡蝶と会話を楽しんでいたのも複雑だ。
「違っげェわ!」
「じゃあ何で見てたんだ?」
 何故といわれても、実弥は胡蝶カナエを見ていた覚えなどなかった。だが妹が気づくくらいには目を向けていたのだろうとは何となく理解した。無意識のうちに、気づかない間に。
 姉妹二人で大変だとか、そういった労りのつもりで気を遣っていたことは間違いない。姉が死んでからは実弥なりに妹を気にしていたこともある。そういえば実弥が声をかけるより先に、胡蝶は義勇に近づいて細い指を向けていたような。
 胡蝶カナエを意識して見た時、実弥は一つ考えたことがあった。それを無意識のうちに頭に置いていたのかもしれない。
「……それは、何か……たぶんだがァ……、……お前にちょっと似てんなァって思ったことがあったからなァ……澄まし面じゃねェほうの」
 実弥に向ける笑みを彷彿とさせて和んでいた、ような気がする。胡蝶カナエ本人には決して言えないだろう。実弥の話を聞いた義勇も、目を丸くしてから眉を顰めて実弥をじとりと睨みつけた。
「お前、年頃の娘を前にしてそれは駄目だと思うぞ」
「うるせェ」
 こいつもそういう感覚はあるらしい。
 美しい娘を前にして考えることが友の男では、失礼にも程があるということだろう。気の利かない唐変木のような風体でありながら、その実しっかりと人を見て気にかける。そういうところが胡蝶にとって好ましかったのかもしれない。
 似合いの二人だったように思う。思い出してみても、義勇の隣で楽しげに笑う胡蝶は愛らしかった。
「……お前はどうなんだよ。胡蝶とは俺の話だけしてたわけじゃねェだろ」
「いや、大体お前の話をした。たまに錆兎」
「お前こそ何なんだよォ」
「話したいことを話せと言われたから、兄弟弟子の話をした。お前のことを語り尽くすには時間が足りなかった。そんなに話せるならもっと話せと言われたが」
「………、どんだけ話したんだァ……」
「胡蝶は割とすぐ嫌そうな顔をするが、うんざりしてたな。楽しかった」
 それでも相槌を打ちながら耳を傾けてくれたという。うんざりされた時のことでも思い出したのか、義勇は楽しげに笑みを実弥へ見せた。
 ああ、そうか。小さな灯りのようなものが急にすとんと心に落ちてきた。ずっと実弥を脅かし続けたもの。この不整脈はそういうことか。狭霧山へと向かった頃から、優に八年は経っている。今の今まで考えたこともなかったが、よくもまあ何年も気づかないままでいたものだと自分で自分に呆れるばかりだ。何故今気づいたのかも不思議なのだが。
「炭治郎のところに行かないか。まだ話してないだろう」
「あー……や、その」
「……嫌なら仕方ないが。お前の弟弟子だ」
「弟弟子ではねェよ。嫌ってわけじゃねェけどォ」
 それだけは違う気がするので拒否しておく。そんな実弥の心情など無視して、嫌ではないのならと義勇は縁側から立ち上がり実弥の手を引いて病室へ促した。
 手を握るんじゃない。自覚したばかりなのだから、そこは手加減しろ。耳まで赤いだろうことが自分でもわかってしまい、悪態をつきながら義勇に従い歩き始めた。振り解きたいような握っていたいような複雑な気分だった。節くれ立って剣だこだらけの男の手なのに。
「そんな状態の不死川連れてどこ行くんだよ」
「炭治郎のところだ」
「ええ……なかなかえげつないなお前」
「うわ、実弥顔怖」
「うるせェ」
 引き千切るように手を振り払ったが、宇髄には見えていたのだろう。廊下の曲がり角から顔を出した匡近は驚いたように声を漏らし、その奥から錆兎が顔を出した。
「んー、まあ何だ。今はやめといたら? 二人で話すことあるだろ」
「さっき話してたんだが、他に何を。……何だその顔は」
「俺様のかんばせにケチつけるとはいい度胸だな」
 疑問符が義勇の頭の上に飛んでいるのが目に見えるようだった。宇髄の要らぬ気遣いも、今はどういう意図を持って向けられているかがよくわかる。一度気づくと何もかも鮮明に見えてしまうらしい。
 胡蝶カナエを好きだなんだと言うくらいなのだから、義勇にもそういう感情はあるのだろう。実弥相手には全く考えもしていないらしいが。ちょっと落ち込んだ。まあ、同性なのだから仕方ない。
「あー……」
「うーん、そうかあ」
 状況を察したらしい錆兎と匡近が何ともいえない顔をして声を漏らしたのを聞き、慌てて義勇の後ろから顔を強張らせた。こいつらに余計なことを言われては友の座すら危うくなってしまうだろうに。
「はあ、あっちもこっちも大変だな」
「………?」
 ただ一人、よく理解していない義勇は首を傾げながら宇髄を見上げ、錆兎と匡近へ目を向け、そして実弥へと視線を落ち着かせた。無言で意思を主張してくるのは昔からだ。
「………。あーもう! あとで行くから先行ってろォ!」
「本当か? 炭治郎の頭突きが怖いなら来なくていいが」
「あんなちんちくりんのガキの頭突きが怖ェわけねェだろ!」
「ぶはっ! そういや食らってたもんなお前、他ならぬ冨岡のせいで!」
 柱合会議での出来事は匡近と錆兎は知らないので不思議そうにしているが、年下の駆け出しの隊士にしてやられたなど恥以外の何ものでもない。今がどうなっていようと、当時の竈門は間違いなく実力は並だったのだから。
「禰豆子刺した詫び入れろって話だったよな。少しくらい先に宥めといてやれ」
「謝りたいとも言ってた。……嫌じゃなければ一度は話をしてやってくれ」
 何の謝罪だ。竈門から恨まれても謝られることは……まあ色々あったような気もするが、鬼舞辻無惨を倒せたのは鬼殺隊総力で戦ったからだし、そもそも実弥はひと悶着の頃は寝ていたわけである。義勇が竈門を気遣って実弥に言ってくるのも面白くないが。
 不満気ではあったが、実弥を気にしながらも義勇はこの場を後にした。
「……で? いい加減自覚したみたいだな」
「うっせェわ」
「その嫉妬深さが何で冨岡には伝わらないかねえ。悲鳴嶼さんなんか気になってしょうがなかったみたいだからな」
「………、………!? 何ィ!?」
「岩柱が実弥の恋路を心配してたんですか」
「恋路とか言うなァ!」
「傷に障るから大人しくしようぜ、不死川くんよお」
 暴れようと腕を振り上げたら、背後から宇髄に羽交い締めにして実弥は拘束された。あまり騒ぐと人が来る、と悪いことでもしているかのような言い方をされたが、こんな話をこいつら以外に聞かれたら一生の恥である。むぐ、と実弥の口が閉じた。
「まあ、何だ。義勇はお前のことは友として好きだが、今まで放っといてあれだから意識させないとどうにもならんぞ」
「好きで放っといたわけじゃないと思うぞ。実弥もだいぶ鈍感だし」
「……あのなァ」
 そもそもが自覚したばかりで戸惑っているというのに、早々立ち回りを決めるわけにはいかない。実弥は考えるより体が先に動く性質だが、色恋においてそんなことはしてはいけないのだと伊黒を見て感じたことだ。あいつは性格も非常に慎重だった。
「揶揄ってんじゃねェわ。いちいち口出すなァ」
 一先ず気を落ち着かせるために義勇の向かった方向とは反対側へ、宇髄たち三人に背を向けて実弥は歩き出した。

 ずんずん歩いて辿り着いた先は扉。ここは竈門の病室だ。義勇が先に行くと言っていたのだから、部屋の中から聞こえてくる笑い声は二人のものだ。
 イラ。随分楽しそうだな。じわりとあの時感じた苛立ちが滲み出てくるようだった。
 いやいや、竈門は立派な隊士だ。少なくとも今はもうあの兄妹をどうこうしようなどと思っていないし、特に妹には乱暴に扱ったことを反省してもいる。竈門自身ともわだかまりはなくしておきたいと思うのだが、自覚した後だと単に反りが合わないというだけではないことに気づいてしまった。
 懐いていることが面白くなくて、触ろうとするのを止めるくらい、宇髄の言うとおり実弥は嫉妬深いのだろう。しかも面白くないと自覚しておいて、その理由には全く気づかなかった。非常に情けない。
 大きな溜息を吐きながら、一先ず実弥は扉を叩いた。中から元気そうな声がかかり、小さく呼吸を整えて扉を開けた。
「不死川さん!」
「……よォ、経過は順調そうだなァ」
 実弥に向かって笑みを向けるのは初めてではないだろうか。竈門は義勇と顔を見合わせて嬉しそうに礼を告げ、怪我の具合を確認するように問いかけられた。頑丈だからか知らないが、実弥はそれなりに回復も早かった。
「禰豆子を刺した件ですけど」
「……悪かったよォ。本人にも謝る」
 体調を確認し終えて早々に口にした言葉に、実弥は呆れつつも素直に謝った。
 人間に戻る前から竈門禰豆子は特別であると、感情は抜きにして頭では理解していたことだ。今は人間に戻ったのだから余計にあんな仕打ちは最悪だったとしかと思い知っている。竈門が憤るのも無理はない。
「いえ、確かに謝ってほしくはあるんですけど。……俺も自分たちのことしか考えられてなかったです」
 顔を上げると少し落ち込んだような表情の竈門が視線を下げて布団を見つめていた。実弥は首を傾げながら話の続きを待った。
「例え人を喰っていなくても、鬼に家族を殺された人が鬼に嫌悪を抱くのは、仕方ないことだったと思います。頭でわかっても気持ちが許さないことだってあったはずです。俺はそんな苦しみを、わかったようでいてわかってなかったと思います。自分の、禰豆子のことばかり考えて、不死川さんがどんな思いでいたかを考えてなかった。すみません」
 何だ突然。義勇へ目を向けると何も言わず竈門を眺めている。少々驚いているようだが。
「でも、年頃の娘に無体を働いたことは謝ってほしくて」
「言い方ァ」
 実弥がまるで手篭めにしたとでもいうような言葉を使うな。
 年頃といっても当時は鬼だったのだから、耀哉たちの前といえど、あわよくばうっかり殺しても仕方ないで済ませるつもりでもあった。今思えば危なかったと思う。自分を正当化するつもりはないが、言い訳として心中で言い連ねておく。
「俺は頭に血が上って、不死川さんのことは知性も理性もない人だと思ってたので」
「はァ?」
「最初はそう思ってました! すみません!」
「………、」
 ひく、と口元が引き攣り、二の句が告げずに実弥は固まった。頭を下げて旋毛を見せた竈門に悪意というものがないらしいことも何となくわかるが、そういうことは馬鹿正直に口にしなくていいものだ。義勇ですら引いているではないか。
 戦いを経てある程度は和解しようとしても、やはりいけ好かないことは間違いないらしい。
「でも! それが鬼のせいだったことも、本当は優しい人だということも今はわかります。だから誤解してたことを謝らせてほしいです。すみませんでした」
「言わなきゃ知らねェんだから謝る必要なかっただろうよォ」
「いえ、そこはきちんと謝らないと気が収まらないです」
 面倒臭い。頭は凝り固まっていて少しも柔らかくない。もう少しこう、水の呼吸のように柔軟な思考を持たないものか。義勇の弟弟子のくせに。
「炭治郎は上弦の参相手にもやらかしてる」
「はー……」
 死闘の最中でも何かしていたらしい。潔白でいたいのかもしれないが、それは仇となることもあるだろうに。世の中良い奴ばかりではないし、良い奴ほど食い物にされる世の中だ。
 まあこれは妹の恨みも込められている可能性があるので、気分は良くないが飲み込むことにした。
「まあいい。お前の妹にはきちんと謝っとくわァ」
「ありがとうございます。義勇さんもありがとうございました」
 実弥の話でもしていたか。胡蝶がうんざりするほど話すのだから、竈門相手にもやっているかもしれない。ちらりと義勇へ視線を向けると、悪戯でも成功した時のような笑みで竈門に目を向けていた。
 実弥はぎゅうと胸元の服を掴んだ。自覚しても不整脈はやはり続くらしい。
「……用が済んだなら俺は行くぜェ」
「俺も戻る。ゆっくり寝ろ」
「あ……、はい。ありがとうございました」
 少しばかり何かを言いたげにした竈門は、立ち上がった実弥と義勇に礼を口にしてまた頭を下げた。
 話し足りないのではないかと思ったが、義勇は長居することなく実弥とともに部屋を出てきた。竈門は誰よりも起きるのが遅かったので気を遣っているのかもしれない。相変わらずそういう思惑を口にしない奴だった。