鮭大根布教委員会・6

「ねー錆兎、高等部でやってるやつ」
 ぺらりと机に置かれたのは手作り感溢れるチラシだった。でかでかと定例会だのと記載されていて、器に盛られて湯気を立たせた鮭大根の写真が使われ、隅っこに鮭大根布教委員会と書かれてある。錆兎はああと相槌を打ったが、中等部にはあまり関係のない会だ。
「校門で配ってるやつだな。あれは高等部の家庭科室でやってるんだから俺たちには関係ないだろ」
 中等部でやるならともかく、あれは高等部の生徒たちに向けた食事会だ。チラシには定例会とまで銘打たれていて何度も開催しているのだし、中等部に来ないのなら錆兎たちが勝手に参加するわけにもいかない。
「真面目だねえ。全然来ていいっていうか、是非来てくれって感じだったじゃん。宇髄先生は進学するまで大人しく待ってろって言ってたけど」
「なんで真逆のこと言われるんだ。宇髄先生て会員だっただろ」
 名誉会長と会員の間で齟齬が発生しているではないか。意志の疎通ががうまくいっていないのか報連相をサボっているのかは知らないが、通常発言権が大きいのは長とつく側だろうと錆兎は思うが。
「んー、まあなんとなくわかるよ。バレちゃったんじゃないかなあ、……冨岡先生のアレ」
「………。……あー……」
 覚えがありすぎた錆兎はなんともいえない声を漏らし、話しかけてきていた女子生徒——真菰が曖昧に笑みを浮かべた。
「……いやでもおかしいだろ。生徒に食べさせる食事会だって話だったのに、冨岡先生が作って食べさせたところで布教したい連中があんなに増えるものか?」
 言ってはなんだが味としては本当によくある煮物だ。タダ飯目当ての生徒がいることもあるだろうが、それが周りへ食べさせたいなんて気持ちを抱かせることに繋がるとは思えないし、わざわざ布教委員会に入って布教しなければ食べられないなんて制限も設けていない。本人は知名度を上げて皆に食べてもらいたいだけなので、極論をいえば一人で布教活動をしたってかまわないはずだ。
「辛辣ぅ。禰豆子ちゃんが炭治郎の友達から聞いたところによるとねえ、……持ってきてたみたい、鮭大根」
「なんだと!? 鮭大根を!?」
「うん、蔦子姉さんの。そりゃああなるよねっていう」
「あのバカ!」
 自分で作ったものを食べたところでなにも問題ないはずなのにおかしいなあと思っていたら、わざわざ学校に弁当として持ってきていたとは。持っていくよう言ったのは誰だ。姉か。だったら仕方ないけれども。
「布教委員会の面々が意外すぎるけど、義勇くんだからなあ」
「学校だぞ、真菰。冨岡先生だ」
「錆兎だってバカって言ったくせに」
 額を押さえた錆兎は件の名誉会長である教師を思い浮かべて溜息を吐いた。錆兎が中等部に入学する前からようく知っているあの彼は、鮭大根が絡むと途端に饒舌となるし元気になるし笑顔を連発するようになる。それを見慣れない連中が見ればどうなるかなど、結果は委員会を見ればよくわかる。姉と住んでいた頃は頻繁に見られたもので錆兎たちからすればさほど珍しくもなかったのだが、それを知らない彼らはああして当人を喜ばせることをするのだろう。もしかしたら作ったものを食べさせたりしたのかもしれない。盲点だった。錆兎は己の至らなさを恥じた。
「で、最近会員が増えたから、今日委員会のみで調理会するんだって。炭治郎が言ってたって」
「調理会ってなんだよ……」
「あ、それ。これさあ、なんで鮭が入るのかな? 大根だけで充分美味しいのに」
 真菰の後ろから割り込んできた声は、クラスメートである時透のものだった。
 机に置いていたチラシを拾い上げ、不満そうに文句を投げかけてくる。錆兎に言われてもそれはそういう料理だからで、彼の好物だからという理由しかないのだが。
「ふろふき大根出す予定とかないの?」
「まあ鮭大根布教委員会が主催だし、ないんじゃないか」
「聞いてみたらいいんじゃない? 余った分で作ってくれるかも」
 確かに頼めばあり得るか。ひとり暮らしの経験と姉に叩き込まれたおかげで彼の料理は鱗滝すら唸らせる美味さである。個人的にはばらしたくないのだが、真菰が提案してしまったので撤回もできなかった。
「ふうん。皆無駄なもの入れすぎだよね」
 世間の大根料理事情に思うところがあるらしい時透は、冷やかしに行こうと誘う真菰にとりあえず頷いた。なんで誘うんだと錆兎は内心叫んだが、真菰はわりと錆兎の言うことをきかないのでどうしようもない。それはそれとして、鮭を無駄だと断じた時透の発言を彼が聞いたら目に見えてショックを受けるだろうなと錆兎は想像した。

「とみ、おか、先生ー!」
 定例会となった月一回の鮭大根食事会は、基本的に高等部の家庭科室で行われる。なので当然参加する者たちも高等部の生徒や教員が多いので、珍しい顔が現れたことで委員会の面々もそちらへ顔を向けた。しかも今日は委員会の面々のみの集まりなので、中等部の生徒どころか会員以外は呼んでいないのだが。
 冨岡の名を呼んだ女子生徒は彼のそばへと駆け寄り、腰へと抱きついた。
「学校だぞ」
「はーい」
「真菰も来たんだな。冨岡先生と仲良かったのか」
「うん、まあね」
 抱きつかれた冨岡は女子生徒の頭を撫でながら一言苦言を呈する。窘められた女子生徒は素直に離れ、声をかけた竈門へ挨拶をした。その様子を見ていたのはその場の全員だったが、呆気にとられて何も言葉を発せなかった。
「興味なかったんじゃないのか?」
「冨岡先生の料理最近食べてなかったし、食べたくなったからね。あと一応確認に」
「なんの?」
「うん。予想どおりかな」
 答えになっていない適当な相槌を打ってざっと家庭科室を見渡した女子生徒は、疑問符を浮かべる冨岡へ笑みを浮かべて向き直った。宇髄はちらりと会員である教師たちへ目を向ける。おそらくは全員気がついただろう。
 この中等部の女子生徒、値踏みでもするような視線を室内にいる人間へ向けた。それだけでどういうつもりで現れたのかよくわかる。
「ゴキブリホイホイかあいつは……」
「元々お知り合いなのでは?」
 つい最近まで本人しか知らないような委員会だったのに、知らぬ間にどんどん新しい顔が引っかかってくる。まあ確かにあの女子生徒は知己のようだが、中等部に知り合いがいたなんて話は聞いたことがなかった。まあつい最近まで親しくなかったせいもあるが。とりあえず宇髄は冨岡たちのそばへと近寄って話しかけてみた。
「中等部と関わりなんかあったか?」
「私ともうひとり、冨岡先生の親戚なんです」
「そうなのか!」
 なんとまあ、冨岡にもこの学園に通う親類がいたとは。教員の兄弟姉妹が生徒であることなどここでは珍しいものでもないが、そんな気配もなかった冨岡にもいるとは会員連中も驚いたらしい。
「まあ……厳密には違うんだが。鱗滝さんとこの子だ」
「あっ、もう。言わなくていいのに」
 想定とは違うことを口にしたらしい冨岡に女子生徒の頬が膨れ、それを宥めるかのごとく冨岡は頭をぽんと撫でる。何人かの気配がそわついた。
「もうひとりの男子生徒も真菰も、おむつをしてた頃から知ってる」
「義勇くん!」
「何言ってるんだ義勇!」
「“冨岡先生”だ」
 冨岡のそばにいた女子生徒は顔を真っ赤にして慌て、そして今到着したのかドアから飛び出してきた男子生徒もまた真っ赤だった。どちらも思いきり冨岡を気安く呼んだことのほうがこちらは重要ではあるが。
「冨岡先生、プライベートな昔の話を広めないでください!」
 指摘されて一応言い直しているあたりが真面目な性格であることを知らせてくる。とりあえず、この竹刀片手に飛び込んできた男子生徒がもうひとりのようだ。なんで竹刀を持っているのだろう。冨岡みたいな奴だ。
「えっと、鱗滝さんのとこの……?」
「真菰です! こっちは錆兎。中等部二年です」
「冨岡先生が教師になる前からの付き合いか」
「はい。冨岡先生って結構抜けてるから、錆兎が兄貴分ヅラしてて面白いんですよ」
 兄貴分ヅラの男子生徒は今もそばで思春期の怒りを込めた説教をかましているが、冨岡に堪えた様子はあまりない。むしろこの感じは成長を喜んですらいそうなほわほわ加減である。しれっと理解者アピールをしてくる女子生徒同様、委員会の連中もそれなりに冨岡のことを理解できている。
「本当に兄貴分でいいのかは知りませんけど」
 ぴたりと時間が止まったのは呟かれたその言葉を聞いた全員だったようだ。
 会話は終わったとでもいうように、女子生徒は冨岡たちを振り返って輪に潜り込んでいった。
「うーん……すげえ伏兵が出てきたのでは……?」
「中学生だぞ……」
「名前で呼んでる時点で誰より近いと思うけど。なあ煉獄」
「む!」
 竈門と一緒に見ていた嘴平などはしげしげ様子を見ていたが、我妻は女子生徒にだらしない笑みを向けつつ冨岡へは妬ましげな視線を向けている。途中から顔を出した胡蝶の妹などは驚きのあまり固まっていたが、談笑しつつも気になっているらしく三人の仲を探っているようだ。まあ、さもありなん。宇髄含め。会員のみしかいないせいか、あからさまに全員気になっているのが手に取るようにわかる。
「あ、いた先生。この委員会で作ってる料理ですけど」
 錆兎に置いていかれたのかのんびり歩いてきたらしいもう一人の中等部の男子生徒——時透無一郎が、冨岡を見つけた途端なにやらチラシを見せて話しかけ始めた。また珍しい生徒が来たものである。
「知らないみたいなんでひとつ教えといてあげますね。大根は大根だけで充分おかずになるし美味しいから、わざわざ鮭を追加する必要はないと思います」
「………。なんの話だ?」
「だから、美味しい大根を味わうには鮭が邪魔じゃないですか」
——喧嘩売ってるな。
 ひっそり近くにいた教員の胡蝶へ目配せすると、なんとも言い表し難い笑みを曖昧に浮かべていた。来て早々妙なことを言い出した時透に冨岡は黙ったままだが、背中から感じる空気が若干不穏である。
「大根がメインなのではなく鮭も同様に主役の料理だ。大根と鮭のどちらが欠けても鮭大根は完成しない」
「まあそりゃな」
「でもふろふき大根のほうが美味しいし」
「……ふろふき大根」
「ふろふき大根。美味しいよ」
 突然出てきた別の料理に周りすらきょとんとしてしまっていた。
「……好物なのか」
「うん」
 真っ直ぐな目が冨岡へ向けられている。スパルタとはいえ生徒と真面目に向き合う教師である。冨岡もまた真っ直ぐな目で時透を見つめ返した。
「……ふろふき大根と鮭大根は別物だ」
「ふろふき大根の良さを知るためにも作ってくださいよ」
 なんで? という声が背中からでも伝わってくる気がしたが、おそらく周りの連中もそう感じ取ったはずだ。ここに来てから時透のペースに飲み込まれている。
「大根使う料理なのに鮭大根なんて邪道なものを作り出そうとするなんて大根への冒涜だと思いませんか?」
 冨岡の口元がきゅっと締められた。
「なんか冨岡の様子おかしいな……泣くのか?」
「こんなことで冨岡先生は泣きません」
 あまりに何かを堪えているように見えたからつい宇髄は呟いてしまったが、知己らしい中学生から毅然と否定されてしまった。いやしかし様子がおかしいことは間違いないのだが。
「どう反応しようか悩んでるんだと思いますよ」
 表情を見れば大体わかるとでもいうように女子中学生が答えた。宇髄たちも大体わかるようになってきたとはいえ、今は本当にどういう気持ちなのかわからない顔をしているのに。そうこうしているうちに冨岡が口を開く。
「思わない。大根の瑞々しい食感を鮭の旨味が包むことで、白米の進むおかずになる。どちらが欠けても完成しない最高峰の主菜だ。ふろふき大根は副菜だろ」
「は? 主菜になり得るポテンシャルはありますよ」
「アホみたいな喧嘩やめろ?」
「中等部の生徒と口喧嘩するな!」
 鮭大根ガチ勢とふろふき大根ガチ勢が喧嘩をしている。よりによって口下手で有名な冨岡が口喧嘩などと、しかも相手が中学生なのだから目も当てられない。というか大人げない。本人は喧嘩ではないと不満そうだが、こちらからすれば見ていられなかった。
「鮭大根、兄……煉獄先生に貰ったレシピ、俺も持って帰ったら母が作ってくれたんですけど、美味しかったですし。ふろふき大根も鮭大根も別々の良さがありますよ」
 いつの間にやらもう一人、中等部の生徒が時透の斜め後ろから控えめながらも声をかけた。さすが煉獄の弟だ。大人しくとも空気を読み最善の言葉をかけてくれる。中学生に任せてすまないとちょっと申し訳なくなった。
 その言葉を聞いた元凶その一が、とたんにぱあと目を輝かせた。
「………! そう思うか!」
「ギャッ」
「さすが名誉会員である煉獄先生の弟だ」
 あまりに嬉しそうな冨岡の笑顔が、思いきり煉獄の弟の近くにいた我妻に流れ弾として当たったらしく悲鳴を上げて目元を押さえた。なんとも絶妙な褒められ方をした煉獄は動けなかったようである。眺めていた面々が苦笑いしたり複雑そうな表情をしたりと様々な反応を見せた。内心を文字にするなら「あ〜〜〜」といったところである。ポーズはもちろん頭を抱えている。
「冨岡先生。鮭大根の良さは確かにあるかもしれないから、ふろふき大根と両方作ってください」
 口喧嘩に発展させようとしていた時透が、なにやら当人的には譲歩していそうな提案をしてきた。
「……両方?」
「うん、食べ比べしてみようよ。美味しいものがふたつ並んでたら嬉しいじゃないですか」
「確かに……」
「いやこいつ今の今まで鮭大根邪道とか抜かしてたぞ」
「心を入れ替えました」
「早すぎんだろ」
「判断が早いのはいいことだ」
 どう考えても裏があるのは明白なのに、自称心を入れ替えた時透を冨岡は受け入れようとしている。鮭大根の食事会のはずがふろふき大根を作る可能性が出てきていた。いや別に宇髄は鮭大根ガチ勢ではないので作るものに対して文句があるわけではないが。
「汁物はさつまいもの味噌汁でどうだろうか!」
 いきなりの大きな地声に冨岡の肩がびくりと跳ねた。
「ふろふき大根も作るなら汁物がいるかと思ってな!」
「まあ、確かに……」
 普通の献立なら組み込まれてもおかしくない普通の食材を挙げて提案をした煉獄だったが、そもそもさつまいもは今ここにないものだ。こちらはこちらで中学生に張り合おうとしているのが面白くて宇髄は少々笑いそうになった。
「……冨岡先生。付け合わせに生姜の佃煮はいかがですか?」
「付け合わせ? いいんじゃないか」
「なら主食は炊き込みご飯を……」
「悲鳴嶼先生!」
「冗談だ……」
 中学生と口喧嘩をする冨岡の大人げなさが周りに伝播でもしたのかと考えた。
 好物で張り合ってくる面々に、大きな図体でひっそり乗ってきた悲鳴嶼を窘めようと名を呼んだが、返事は本当に冗談なのか判断に困るものだった。半分くらいは本気だったのではないだろうか。
「冗談なんですか。食べたいのなら作ればいいかと」
 ぱあと目を輝かせた悲鳴嶼は泣いて喜んだ。まあ確かに、悲鳴嶼も独り身で浮いた話も出てこないから、誰かの手料理などなかなか食べる機会がないのだろう。
「しかし今は食材がないので今日はふろふき大根にして、次回以降持ち寄りで……」
「冨岡先生、タラの芽が取れたら持ってくるので天ぷらにしませんか?」
「天ぷら! 俺も食う!」
 乗り遅れていたはずの竈門が挙手しながら提案し、天ぷらという単語に反応した嘴平も乗ってきた。こいつらも好物を作ってもらいたいらしい。嘴平は邪気なくタダ飯にありつきたいだけだろうが。
「まあ好物を食べたいのはわかるが、ここは鮭大根布教委員会なんだが……」
「まあまあ。メインの鮭大根と、皆の好きなものを一緒に食べたらより美味しいですから。ね?」
「……確かに」
 さすがに好物の羅列に思うところができたらしい。しかし一人で堪能していた頃より美味しいと冨岡は思い知っているようで、胡蝶の言葉へ同意するように笑みを見せて頷いた。
「錆兎ぉ」
「原因はよーくわかった」
「でも嬉しそうだからねえ」
「はあ〜……」
 頭ばかり痛くさせるとでも言いたげに、冨岡の知己である女子生徒は笑みを浮かべ、男子生徒は頭を押さえて溜息を吐いた。