鮭大根布教委員会・1

「ギャップ萌えというやつを理解した」
 ぽかん、と宇髄の口が開いたままになっているのを視界に入れながら、煉獄はそばにあったジョッキを煽った。宇髄の隣には肉に齧りついていた不死川が固まっている。
 憎まれ口も叩き殴り合いもする教師陣だが意外と仲は悪くない。花の金曜日、今日飲みに行く人、などと主に宇髄が声をかけ、今日は無理、用事があるなどと断られる中、挙手した者たちがいればその面々で飲みに行く。そういう適当な集まりが毎週開かれていた。
 今回の飲み会は珍しく煉獄が行きたいと提案した。
 赴任してきて半年ほど。大した時間は経っていないかもしれないが、それでも持ち前のコミュニケーション能力で先輩方と仲良くなれた。それこそ適当な集まりに参加する程度、それに自ら招集をかける程度には。
 しかし、普段なら煉獄は誰かの誘いに乗るだけだ。何故今回だけは違ったのか。それは勿論、誰かに話を聞いてもらいたかったのである。
 今日は用事があると言っていた。普段からあまり参加してこない彼が今日は絶対に乗ってこないのは織り込み済みで、彼ではない誰かに話を聞いてほしかったのである。
 事の発端は本日の昼休憩にある。
 昼になると職員室から姿を消すある教師と、たまには親交を深めたいと思い非常階段まで向かった。
 昼に姿を消す理由。食べながら喋れないから、という理由だと宇髄から聞いたが、そんなに気にしなくてもいいのにと煉獄は思っていたし、律儀な人だと印象を一つ増やしたものだった。
 非常階段に近づいて黒髪を見つけた煉獄が冨岡先生、と声をかけようとした時冒頭のセリフは生み出された。
 同僚の姿に煉獄は度肝を抜かれたのである。
「ギャップ萌えて」
「うむ、冨岡先生だ」
「あいつ何やらかしたんだよォ」
 生徒指導に熱心な、少しやり過ぎてしまう堅物の体育教師。生徒からは恐れられているものの女子人気は高い。断トツの宇髄には劣るものの、彼はその次にバレンタインのチョコレートを渡されるのだと同僚は教えてくれた。その獲得理由が顔とか見た目、ふとした時に優しいから勘違いする、なんてものの他に、ギャップなどというものがあったと笑っていたのが不思議ではあったのだが。
「冨岡先生と食事に行きたい」
「おっ……何だよ。そういうあれ? 本気?」
 恐らくその理由を伝えた女子は、非常階段で彼が昼食を食べている姿を見ていたのではないだろうか。
 本日の昼、彼の手にはタッパーに入った煮物があり、それを頬張っていたところだった。
 美味しそうに、幸せそうに噛み締めながら味に舌鼓を打つ様子があまりに普段とかけ離れていて煉獄は目を剥いて固まった。混乱した。
 しかも。しかもだ。
 固まった煉獄に気づいた彼が口の中のものを飲み込むと、お前も食べるかとタッパーを差し出してきたのである。
 煉獄の手には重箱がある。勿論自分の弁当だ。彼の昼食を貰うためにここに来たわけではないのだが、どうやら彼の姉が来て作ってくれた好物――鮭大根という煮物の美味さを教えたいのだと言った。近くで立ち止まっていた煉獄を手招きし、非常階段の隣に座らせ、幸せそうな笑みを浮かべて箸で掴んだ煮物を差し出してきた。美味いから。本当に美味いから。姉の料理は最高なのだと鼻息荒く熱弁する。でも結婚しているから惚れるのは駄目だとちくりと忠告もする。別に煉獄にそんなつもりは一切なかったが、差し出されるままに食べさせられた鮭大根は確かに美味しかった。美味いと一言伝えると、これまた嬉しそうな笑みを煉獄へと向けた。真横で。至近距離で。
「それから今まで、心臓が縄で縛り上げられるような締めつけを感じる……」
「それはもう病気じゃねえか?」
「冨岡先生を見るたび起こるのに?」
「あいつが呪ってたりしねェか?」
「そんな素振りはなかったな!」
 そもそも昼休憩を終えてからは見向きもされていない。煉獄も背中に気配を感じるだけで話しかけはしなかった。それどころではなかったからだ。同僚が彼に話しかけ、今晩の予定を聞いていたから用事があるとわかっただけのことである。要するに盗み聞きだ。
「しかし、あの堅物が飯如きで笑うとはねえ」
「見間違いなんじゃねェの?」
「そんなことはない! もう一度鮭大根を食べてるところを見たい」
「んなピンポイントな料理出してくれる店なんかあるか?」
「家呼べばァ。作ってやれよ」
 今度は煉獄がぽかんと口を開いてしまった。
 出してもらえるかわからない店を探すより、自分で作って食わせてやれ。そう不死川はアドバイスをした。
 成程。煉獄はふむと顎に手をやり考えた。人混みが苦手だとか何だとか聞いたことがあるが、家なら確かに二人になれるし深い話もできそうだ。
 だが悲しいかな、煉獄は料理ができなかった。それはもう壊滅的にできなかった。母から厨房に入るべからずと禁じられるほどだ。カップ焼きそばすら作れなかった過去がある。できるのは叩き込まれたレンジでチン、トースターでチンのみである。それができるようになったならまだましです、と弟に慰められる始末だった。
 いや待てよ。鮭大根が好物であるのは彼なのだから、彼に作り方を教わればいいのではないだろうか。一緒に料理をするという作業を経れば自然と会話も増えるだろうし、協力して同じ作業をしたことで連帯感も生まれる。更に仲良くなれるだろう。そう、そうだ。
「成程! それはいいな! 早速誘うことにする!」
 掴んでいたジョッキを思いきり煽り、アドバイスをくれた不死川へ快活に礼を告げた。

「作り方?」
「ああ。恥ずかしながら俺は料理ができなくてな。美味かったからまた食べたいし、今度は作ってみたい」
 重箱を持って非常階段へ近づくと、冨岡はやはりそこにいた。
 今日の昼食はよく見るぶどうパンだ。よくこれ一つで足りるな、と煉獄は五段重の一つを冨岡へ手渡した。この間の鮭大根の礼だと言えば、一口だけだったとぼやきつつも受け取ってくれた。午後から足りなくなりそうだがまあいい。箸がないと気づいた冨岡はやっぱりいいと返してきたが、冨岡がぶどうパンを食べている間に煉獄が自分の分を食べ終えることにすれば箸が使えると提案した。煉獄が使った箸を冨岡が使うという事実には目を逸らしておいた。照れてしまうので。
 そうして冨岡が咀嚼して飲み込む頃を見計らって問いかけたのが鮭大根の話である。
「わかった。この鮭大根布教委員会名誉会長に任せろ」
「鮭、えっ?」
「鮭大根布教委員会名誉会長だ」
 煉獄が鮭大根を食べたいと言った時の冨岡の目は星でも入っているのかと思うほど輝いたが、それに見惚れる隙もなく妙な言葉に気を取られた。
「………。そうか! 頼む!」
「任せろ」
 どこか得意気な様子も初めて見るもので、意外と表情豊かであることに気がついた。ぶどうパンを食べ終えた冨岡に箸を渡すと、少し困ったように眉根を寄せつつ受け取る。
「どこでやるんだ? うちは実家なんだが……」
「家族がいないほうがいいのか?」
「まあそうだな。実は、うちの台所は立入禁止で」
 箸で掴んだ里芋を口に運ぶ様子を眺めていると、ちらりと煉獄へと視線を向けてくる。あまりに見過ぎて少し困らせてしまったようだ。笑みを向けて食べるのを促すと、運びかけていた里芋を口に入れ、咀嚼して飲み込んでから美味いと呟いた。冨岡が姉の料理を褒めるように、母の料理は煉獄も好きだ。褒められて誇らしい気分である。
「何かやらかしたのか?」
「まあその、ちょっとした失敗だ。皆には内緒にしててくれ」
 カップ焼きそばを作ろうとして火事を起こしたなどと言っては鮭大根のレシピを教わることもできなくなるかもしれない。濁して曖昧な笑みを向けると、じっと見つめていた冨岡がふと表情を綻ばせた。
「煉獄も失敗するのか」
「………! そ、それはもう! 母から料理をするなと言われて凹みもした!」
「そうか」
 笑った。柔らかく目元が緩んで、普段引き結ばれている口元が口角を上げた。縛り上げられていた心臓がぎゅうと絞られるような感覚がした。
「……それなら俺の家でいいか」
「いいのか? 是非!」
「ああ」
「ありがとう! 楽しみだ」
 もう食べられないと半分ほど残した重箱を申し訳なさそうに返され、足りそうにないと思っていた煉獄は機嫌良く受け取った。シェアしてしまった箸に若干意識を取られつつ、鮭大根をダシに冨岡と食事を摂ることができたので良しとした。

「同僚が来るのは初めてだ」
 駅で待ち合わせて買い物を済ませ、冨岡の誘導に従ってアパートへと到着した。
 広くも狭くもない、少し古い部屋だ。駅からも近いので住心地は良さそうである。
「俺も誰かを呼んだこともなければお邪魔したこともないな! 冨岡先生のところが初めてだ」
 元々の知り合いならあるかもしれないが、毎週末飲みに行くような間柄でもなかなか家に呼ぼうとはならないものだった。煉獄は実家住まいであるから余計に。冨岡はひとり暮らしだが、控えめらしい彼も人を呼ぶことはあまりしないのだろう。
「ところで実家から食料が届いた。お前はよく食べるから、」
「わっしょい!」
 一緒に食べるかと思って。続けた冨岡の声がかき消されてしまったが、見せてきたのは箱いっぱいに詰められたさつまいもで、煉獄は思わず口から言葉が飛び出て来たので仕方ないと思ってほしい。驚いたらしい冨岡の肩が揺れた。
「すまない! 大好物だ!」
「……そうなのか」
「ああ、さつまいもは何にしても美味い! 腹持ちも良いし」
 焼き芋にするだけで甘みのあるおやつに変わるさつまいもは、子供の頃からよく食べていた。凝った料理も確かに美味いが、やはり自然な甘さを引き立てるのは焼き芋でしかない。
 芋に目を輝かせた煉獄が面白かったのか、冨岡は目元を綻ばせてから箱を覗き込んだ。
「それなら食べたいものを言え。難しくなければ作り方を教える」
「………! ありがとう!」
 優しい顔だった。
 仕事が絡まなければこれほど穏やかなのかと思い知る。飲み会でも見えなかった一面が、最近になってようやく煉獄にも見えてきたように思う。ギャップというのは非常に煉獄の心臓に負荷をかけるものらしい。
「要らないとは言われたが、手ぶらでは何だから一応酒も持ってきたんだ。きみは飲み会でも飲んでたと思ったが、酒は好きか?」
「まあ。……多いな」
「今日飲まないといけないわけじゃないからな。また別の日にでも」
「そうか。煉獄が来た時用に置いとく」
 冨岡自身も飲むのだから好きに飲んでくれという意味だったのだが。まさか自分用に保管してくれるとは思わず、煉獄はにやつくのを必死で誤魔化した。何だか物凄くときめいた。こういうところもギャップ萌えというやつなのだろうか。
「きみは酒に強いのか? 飲み会ではあまり顔色は変わらないな」
「さすがにこの歳になって潰れたりはしない……」
 成程、セーブしているらしい。その言い方だと潰れた経験がありそうだったが、酒に酔うと彼はどうなるのだろう。非常に興味はあるものの、本日は鮭大根を目的として来ているので酒はおまけだ。次以降に楽しみに取っておくことにした。

「うむ、手際が良いな! ひとり暮らしだと自炊で慣れるのかもしれんな」
「頻度はまあ」
 料理はできないが材料を切るくらいなら、と任せてもらった係だったが、包丁を持つ手も危なっかしいと顔を歪めて止められ、結局煉獄は声出し係に抜擢されてしまった。不甲斐ない。
 まあしかし、キッチンに立っているのは大した進歩だった。実家ではコンロ使用禁止と張り紙までされていて、実は傷ついていたりもした。やらかしたことを考えると仕方ないのだが。
「凄いぞ、キッチンに立ってたのに何も燃えなかった!」
「………。燃やしたのか」
「あ、いやわざとじゃない。火力の調整ができなくてだな」
「……わかってる」
「!」
 声を潜めるように、控えめに肩を揺らして冨岡は笑った。口角を上げるだけのものではなく、作り笑いでもなく、至極楽しそうに。
 そんな顔を見たこともなかった煉獄は、プライベートではこれほど表情豊かなのかと驚くと同時に一瞬にして目を奪われてしまった。これもギャップ萌えなのだろうか。
「作り過ぎたな。全部食べられるか?」
「無論だ、残したことがない!」
「そうか」
 メインは鮭大根だというのに盛りつけられたのはひと皿。テーブルに並ぶ残りはすべてさつまいも料理である。好きなものをと言うから色々と挙げてみたのは間違いないが、まさか全部作ってくれるとは思わなかった。冨岡への食料だっただろうに、箱の中は殆ど残っていない。
 かといって作られたものを、しかも全部食べていいと言われたものを食べない選択肢はない。頂きますと手を合わせ、口に運べば美味いと叫ぶ。いや本当に美味い。もう少し大味なのかと思っていたのだが。
 安堵したような溜息を吐いた冨岡は、メインである鮭大根に箸を伸ばした。ああそうそう、散々と見たことのない表情を見せられたおかげで忘れかけていた。本来煉獄はこの鮭大根を食べた時の冨岡を見たかったのだ。
 あーんと口に運び咀嚼する。あの輝かんばかりの幸せそうな顔を待ち侘びたのに、彼はいつもの表情でごくりと好物を飲み込んだ。
「………」
 笑ってくれない。
 楽しみにしていたのだが、冨岡の目元はぴくりとも動かなかった。それを目当てにして来た煉獄としては何だか消化不良を起こしたような気分だった。いやまあ、他で色々と見たわけではあるのだが。
「……美味くないのか? 俺は美味いと思うぞ」
「悪くはない」
「そうか……? その、前は嬉しそうに食べてただろう。この間のと味が違ったか?」
 変わりはなかったように思う。何か他に違いがあったか。さつまいもに箸を伸ばしながら冨岡が口を開いた。
「自分で作ったものはあんまり……姉の鮭大根が至高だ」
「きみの料理も美味しいと思うが。毎日でも食べられるぞ!」
「物好きだな」
 楽しみにしていたあの至福の表情が見られなかったのは残念だが、自分で作るとやはり感動も薄れるのだろうか。母はどうだったかと思い返すが、ううん、確かに食事で目を輝かせていたことはあまりなかったかもしれない。
「………、」
「どうした?」
「……いや」
 何やら思案した冨岡は、やがてわかったと頷いてまた食事を再開させた。
 何がわかったのだろう。問いかけても何でもないと返されては、煉獄も引き下がるしかない。ひと口運ぶと美味さが口に広がって、まあいいかとどうでもよくなった。
「吸い込まれていくようだったな」
「ん? あ、食べるのがか? すまない、やっぱり食べ過ぎたか」
「別に」
 食事を終え少しゆっくり話をし、あまり長居するのも悪いと思い、煉獄はそろそろお開きにしようと立ち上がった。
 時刻は夕方。どこの小学生だと宇髄などは思うかもしれないが、そこはやはり初めて招かれたのだから遠慮しなければ。昨日よりもだいぶ仲良くなれた気がするし、煉獄としては満足だった。今日の礼を告げると冨岡は頷き、玄関まで見送りに来てくれた。
「また作ってもらってもいいだろうか。いや、俺も覚えるつもりだが、手本として」
「お前はまず一人でキッチンに立てるようにしろ」
「耳が痛いな! 確かに、まずは母に頼んでみる」
 実家の台所に立てたらスタートのような気がする。やはり母の許可を得なければ、鮭大根を作るなど夢のまた夢なのだろう。不甲斐なし。
「会員はいつ来てもいい」
「えっ、ん? 会員?」
「鮭大根布教委員会会員一号だ」
 そういえばそんなのもあったな。とはいえいつ来てもいいとは破格の待遇だ。二号が増えたら二人ではいられなくなるが、いつから布教しているのだろう。増やすつもりはあるのだろうか。
「誰もいなかったから嬉しい」
 玄関先で、向かい合って。煉獄は正面から冨岡を見ていた。言葉どおり本当に嬉しそうに破顔させた冨岡を。
 心臓が口からまろび出るかと思うほど大きく揺さぶられ、煉獄は数秒息を止めていたらしい。固まって動かない煉獄を不審に思ったらしく、目の前でひらひらと手を振られた。
「何でもない! なら遠慮なくまた来させてもらう!」
「ああ。いつでも来い」
 ばたんと音を立てて鉄製のドアが閉まるのを眺め、廊下を歩き階段を降りた。歩道へ差し掛かるところで立ち止まり、煉獄は顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「よもやよもやだ……」
 同僚から友人くらいには進んだのではないか。そう思いはしても、落ち着かない心臓が友人相手に鳴るものではないことを示してくる。ギャップだ何だと考えていたが、これはもはや単純に。
 そう、シンプルに好きになってしまった。
 予想を越えて可愛く見えるものだから。本人は成人した男性の体育教師だ。どんなフィルターがかかれば可愛く見えるのかと思うが、それは勿論好意なのだろう。煉獄は自覚した。屈強な成人男性のはずの冨岡に落とされたのである。
「はあ……」
 溜息を吐いて立ち上がり、駅への道を歩いていく。
 この溜息は決して悪い意味を含んでのものではない。
 何せ会員一号だ。布教委員会で何をすればいいのかはさっぱりわからないが、他に誰もいないのは確かな強みである。だっていつ来てもいいと言っていた。どう考えても進んでいる。
「………。自分で作るとあんまり、か……。俺も作れるようになりたいものだ」
 自炊する者は皆そうなのだろうか。冨岡の手料理が食べられるのは非常に良いのだが、やはり相手にさせたままというのは申し訳ない。せめて手伝いができるようになりたいところである。そうすれば、冨岡も少しは見直してくれるかもしれない。あの輝く目で見られたら、それはそれは浮かれてしまうだろうと思えた。