長男と幼馴染観察記録・受験生時代

 高校ともなると親の同伴も必要ないと義勇は口にしたらしく、隣家の夫婦は穴を開けられない仕事を優先し、愛息子を送り出すことにしたようだ。とはいえ玄関先での写真撮影は健在で、格好良いとはしゃぐ蔦子の声が聞こえてきていた。
「……中学までは瑠火がとち狂うくらい可愛かったもんだが。成長して随分男前になったな」
 見送った背中はまだ細身ではあるが、背丈はもう大人と並んでも遜色ない。高校生になった義勇は幼さが鳴りを潜めて精悍さが表に出るようになっていたし、今年のバレンタインも山程貰ったと蔦子が言っていた。返すのが大変だと。瑠火も悩んでいたが。
「一緒に出かけた時友達にばったり会ったんですけど、興味津々で困りました。弟だって言ったら将来のために紹介してくれって」
「凄いな。蔦子ちゃんと同い年の?」
「はい。大学の友達で、丁重にお断りしました」
 姉としてもさすがに六つ上、自分の友人と弟が付き合ったりするのは嬉しくはないのだろう。確かに杏寿郎が蔦子と、なんてのも普通に想像がつかない。
「義勇には杏寿郎くんがいますし」
「……ん?」
「杏寿郎くん以上の女の子がいるならいいんですけど、そうはいませんから」
「………」
「お嫁さんに来てもらえると嬉しいんですけど……早くしないと女の子が放っておかないのに義勇ったら……」
「………」
 とち狂っているのは昔の瑠火だけではないらしい。
 適当な相槌でその場を後にし、槇寿郎は大きな溜息を吐き出した。
「麻薬でも出てるのかあいつらは……」
 何故瑠火も蔦子もそんなことを言い出すのだろうか。いや別に、そりゃ息子とその幼馴染は可愛いに決まっている。蔦子からすれば弟と幼馴染だし、小さな頃から知っている身としては、眺めていて癒やされる瞬間が数え切れないほどあったことも覚えている。
 しかし、だからといってそちらの方面に期待を寄せるのは何だか違う気がすると槇寿郎は思う。
 別に当人同士が望んでいるのなら、まあ、一考の余地はあるのかもしれないが。

*

「勉強?」
「ええ、義勇くんさえ良ければ杏寿郎に家庭教師を」
 杏寿郎は文系であり、歴史や漢字は得意ではあるが理系が非常に弱い。俺もそんなに得意じゃないと呟く義勇に瑠火は何が得意なのかと問いかけた。視線を彷徨わせてから小さな声で照れたように体育と口にした義勇に、昔と同様瑠火は胸を押さえて悶絶した。槇寿郎にはわかる。瑠火には成長した義勇が昔と同じように可愛く見えているのだ、こんなにしゅっとした男前に育っているのに。様子のおかしい瑠火を気にかけるところも優しい良い子だ。
「お気になさらず。では理系は難しいですか?」
「平均は取れるから、場合によっては……」
「この答案を。この間の実力テストの結果です」
 出題範囲のわからない、中学最後の実力テスト。勿論普段の中間や期末のテストより点数が落ちるのは仕方ないことだとも理解しているが、教師のお情けでところどころ三角のついた答案は赤点をちょうど取得している。足りていないのである。
「うわあ」
「その反応は俺も傷つく」
「ごめん。俺の英語と大差ない」
 義勇も一番の苦手科目は赤点を取るらしい。
 たとえ推薦や面接だけで入学できる方法があったとしても、その後も勉強は必ずしなければならない。例えばスポーツ特待生として入学という進路は、期待をかけるものが他にあろうと勉強を疎かにしていいというわけではない。普通に受験して進学する場合は勿論、どういう将来を選ぶにしろ勉強は必須なのである。
 杏寿郎は授業態度は悪くない。むしろいつも質問が多くきちんと授業を聞いていると言われてきたし、勉強が嫌というわけでもない。理科の内容が頭に残らないだけである。
 塾に行くことも検討したわけだが、質問ばかりして他の生徒の手を止めるのもまずいのではないかと夫婦で話し合った結果だ。家庭教師か個別指導も考えたものの、以前蔦子が個別指導で変な人に当たったと冨岡の奥さんが話していたと瑠火が思い出し、男子とはいえ何かあっても不安だと言うので知り合いに打診をした次第である。杏寿郎は心配し過ぎだと困っていたが。
「とにかくそれで、よく知った方なら不安もありません。如何です? 勿論お礼は弾みますよ、時給に加えて夕飯に鮭大根、」
「やります」
「いやいや! 義勇くんもちょっとは考えなさい」
 判断が早いのは美徳でもあるが、本当にきちんと考えているのか心配になる早さだ。何しろ好物を口にしたら食い気味に了承してきたのだし。
「高校生ともなるとアルバイトなんかもしたりするだろ。義勇くんはどうなんだ?」
「家庭教師するならしません」
「家庭教師しなくてもしないほうがいいぞ、きみは」
 杏寿郎の言葉にむっとした義勇は睨みつけたが、やがてもう一度瑠火にやると頷いて喜ばせていた。そうして給与と曜日を決め、早速部屋で勉強内容の進め方を考えると言って二人は上階へと向かった。
「これを機にもっと仲良くなってくれれば」
「本人たちの気持ちを優先しろよ……」
「勿論ですとも」
 ただでさえ仲が良いのにまだ先を求める貪欲さに、槇寿郎は少々呆れつつも強要しないのならと見守ることにした。
 息子の行く末を、隣家の子供共々眺めて一喜一憂している瑠火は楽しそうで生き生きとしている。何を隠そう、槇寿郎も愛妻のその様子を見るのは、実は嫌ではなかったので。
 彼らが成長し酒を飲める歳になった時伝えられる事実に、瑠火は狂喜乱舞し槇寿郎は椅子ごとひっくり返る羽目になるという未来が待っているが、今はまだ知らぬままである。