長男と幼馴染観察記録・中学生時代
「おはようございます。制服だと大人に見えますね」
本日は入学式だったか。瑠火の声に槇寿郎が玄関先に顔を出すと、隣家からは一家勢揃いしていた。父親はこれから出勤しなければならないらしく、先に揃って写真を撮っていたらしい。
しかし、本当に大きくなったものだ。黒一色の制服に身を包んだ義勇は、瑠火の言うとおり今までより大人っぽく見えた。微笑ましげに眺める瑠火の視線に少しばかりはにかんでみせた義勇は、槇寿郎と瑠火に手を振り母親と学校へと向かった。途中まで蔦子も同じ方向のようで、図らずも冨岡一家を全員見送ることになったのだが。
「……男の子でさえなかったら……」
「何?」
にこやかに手を振っていた瑠火がぼそりと呟いた台詞が聞き間違いかと思って聞き直したのだが、微笑んでいたはずの表情は神妙なものになっていた。
「いえ、義勇くんですが。……女の子なら杏寿郎のお嫁さんになっていただけないかと思っていましたので……」
もう六年も前、そういえば初対面で瑠火は義勇を女の子と勘違いしていたのを思い出した。今更性別のことを言い出すとは思っておらず、槇寿郎は何も口にしていないのに咳き込んでしまった。
「あの子はせっかちですから、義勇くんくらいおっとりしてる子がそばにいると落ち着きを持ちます」
「……まあ、確かに……ちょっと心配になるくらいおっとりしてるな」
「蔦子さんもおっとりしてますが、少し歳が離れ過ぎてますからね。杏寿郎のことは弟以上には見られないでしょう」
「ああ、うん……」
「………」
黙り込んでしまった。
顎に手を当てて何やら深く思案している。何か碌でもないことを考えているような気がして、槇寿郎は声をかけて思考を中断させるべきかを迷ってしまい、さっさと止めておけばよかったと後悔することになった。
「………、……女の子でなくともいいのでは……」
「瑠火?」
「だってあなた、可愛いんですよ」
「……義勇くんか? まあ確かに、えらく可愛い顔をしてるな」
義勇がというよりは姉弟揃ってというべきか。性格も、まあ少々言葉選びがあれな時があるが、擦れていない良い子だ。こちらがびっくりするほど天然な時もあるが。
「……あんな可愛い子がうちの可愛い杏寿郎に嫁いできてくださるなら歓迎するのですが……」
「瑠火さん?」
「しかし、あんな可愛い子が女の子たちから放っておかれるわけがありません……」
途中から槇寿郎との会話であることを失念したのか、瑠火は槇寿郎を置いて玄関扉を開け一人我が家へ戻っていった。置いてけぼりを喰らった槇寿郎はぽつんとその場に佇んでいたが、やがて追うように玄関を開けた。
隣家の子供が可愛過ぎるせいで、妻がとち狂ってしまっているらしい。
嫁ぐとか何とか言っているが、一応義勇が男子であることは認識しているようなことを呟いていた。そこを正しく理解しているのなら大丈夫だろうか。いやしかし。
治るのだろうか。もう少し成長すれば義勇も可愛さが抜けて精悍な男子になるだろうし、その頃には元の瑠火に戻ってくれていると良いのだが。モテる義勇は彼女なんて存在もいずれ現れるだろうし、それは杏寿郎にも当て嵌まる。仲の良い幼馴染という関係は、大人になるにつれ希薄な繋がりになってしまうかもしれないが、二人に限ってなさそうだと今は思えるのである。だからこその問題であるのだが。
*そして一年後
「おはよう! 入学式に行ってくる!」
騒がしい玄関先が気になったのか、隣家から義勇が顔を出した。
去年よりまた成長した義勇は、現在は杏寿郎よりも少し背が高い。気になる年頃なのだろう、身体測定の時期は毎度二人で確認するのが常となっている。誕生日は三ヶ月しか違わないのにと杏寿郎は不満げだったし、義勇は嬉しそうだった。瑠火がまだまだ伸びると確信して、学生服は少し丈が余っている。
「格好良い。頭が目立って良い」
衒いのない褒め言葉が眩しい。大人になると、いや性格的なものか。とにかく槇寿郎にとっては聞いているだけで照れてしまうような言葉が告げられた。どれだけ杏寿郎の髪が好きなのかと内心突っ込みつつも、杏寿郎は杏寿郎で嬉しそうにありがとうと告げている。素直な子に育ってくれて父は嬉しいとしみじみ思う。
「でも義勇は全身真っ黒でも目立ってたぞ」
「………? 目立ってない。たまに居たのかって驚かれる」
大人しい子だから、静かにしていると気配が消えてしまうのだろう。門下生の中にも義勇を見失う者がたまに居たことを思い出した。何故か瑠火の目が写真を撮っていた時よりも輝いていたが。
「きみは何でか将棋部に入ってたな! 今年から剣道部に入らないか?」
「入らない」
がーんと音が聞こえるかのような衝撃具合だった。正しくショックを受けたという表情をした杏寿郎に対し、義勇は全く動揺する素振りがない。中学に上がってからの彼は更に冷静さを保つようになり、何を考えているのかわからない顔もするようになった。将棋のせいだろうか。
「道場には毎日来てくれるから構わんだろ」
杏寿郎は剣道部に入ると決めていたらしく、更に義勇が断ったことで非常に落ち込んでいた。槇寿郎自身は継続して道場に来てくれるのだから別にどちらでもいいが、杏寿郎は部活という括りでも一緒に大会を勝ち進みたかったのだろう。
「……将棋部は楽しいのか?」
「楽しい。大会があるんだ、良いところまで行く」
「そうなんだ……」
いつもの元気が萎れていて、槇寿郎は思わず息子が心配になりはらはらとしながら見守った。
「見に来る?」
「うーん」
「来ないのか……」
「仮入部なら行く!」
今度は義勇がしゅんとしたところ、杏寿郎が妥協案を口にしたら彼は満面の笑みを見せた。昔と変わらぬ笑顔である。
杏寿郎が義勇を振り回してそうに見えるが、そういえば今と同様、時折無下に断られているような気もしたし、杏寿郎もだいぶ振り回されているようだった。
「まあ運動部に入らないのは勿体なくはあるな」
「ええ。蔦子ちゃんが、義勇くんはよく助っ人を頼まれてると言ってましたよ」
そう、杏寿郎とともに義勇もやけに身体能力が高いのである。幼少期からの剣道のおかげかと深く頷きながら助っ人を頼まれた部活を羅列する瑠火の声を聞いた。剣道部の練習だけでもとか、陸上部とかマラソンとか、水泳部とか。何とも色んなところから誘われていたようだ。ちなみに剣道部の助っ人はまだ受けていないらしい。他は一度ずつあるとか。
とりあえず、今のところ義勇はうちの道場以外で教えを請うつもりも切磋琢磨するつもりもないようだ。有難いとは思いつつ、見解を広げるのも大事だから入るのもいいだろうと一応伝えておいた。
「そろそろ行きましょうか」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
「ありがとうございます」
一家に手を振って見送る義勇を残し、煉獄一家は中学校への道を歩き始めたのだが。
息子二人の挨拶に紛れて、瑠火は何故か義勇に礼を告げて頭まで下げた。下げられた義勇は首を傾げてこちらへ目を向けたが。
何となくまた碌でもない思考が再来しているような気がして、槇寿郎は素知らぬふりをしておいた。
*
「失礼します! 義勇!」
閉まっていた教室のドアをすぱんと勢い良く開け放ち、杏寿郎は目当ての人物の名を叫びながら現れた。クラス全員が飛び上がるほど驚いていて、ざわざわと教室内が落ち着かなくなった。誰だと不審がる声と、呼ばれた生徒に視線が集まった。ヤンキーと見紛う髪色に、すわカツアゲかと慄く者もいた。
「剣道部の仮入部に行くんだ、行こう!」
「俺は仮入部期間じゃない……」
「大丈夫だ、見学ならきっと許してくれる!」
「そうじゃなくて……今日は将棋部」
ぼんやり断ろうとする義勇に構いもせず杏寿郎は腕を掴んで引っ張り立ち上がらせた。澄ました顔が困り眉を見せながら義勇は本来の予定を口にして、はっと何かに気づいたように目を輝かせた。
「将棋部見に来たらいい」
昔ながらの笑みを見せられ、杏寿郎は少し固まった。そして戸惑った。将棋は槇寿郎が嗜んでいるし、たまに義勇と対戦しているところも見ていた。しかし己は剣道部を見に行きたい。義勇が見せたように杏寿郎も眉尻を下げると、一言追撃があった。
「来るなら行ってやる」
「そうか! なら行こう! お邪魔しました!」
鞄を肩に背負い、クラスメートに手を振った義勇は腕を引っ張る杏寿郎とともに教室を出ていった。
「きみのクラスでまで騒いで申し訳ない」
週末、二人の話を統合して継ぎ接ぎしたところによるとおおよそこんな感じのことが繰り広げられたようだった。槇寿郎の謝罪に驚いた義勇は慌てて首を横に振ったので、特に迷惑とは思っていないようだ。助かる。まあ義勇自身も強かに交換条件を持ち出してきたようなので、どっちもどっちのような気がしてならない。やはりどちらかが一方的に振り回されているわけではないようだ。良かった。
「それで、将棋部はどうだったんだ?」
「楽しかったです! 義勇と父上が指してるのをたまに見ると言ったら部員の生徒が教えてくれたんですが」
「部員が最初杏寿郎を怖がって」
「あー……まあ、俺も子供の頃は怖がられたものだ」
しかも将棋部の部員はどちらかといえば義勇のように大人しい生徒が多いらしく、杏寿郎のような騒がしい者とあまり関わったことがなかったそうだ。地声も大きくせっかちで勢いもある。まあ、初対面は圧倒されるのだろうなと槇寿郎は考えていた。
「村田なんか煉獄さんって呼び始めたし」
「先輩なんだよな?」
「なんかさん付けしないと気が済まなかったとか」
よくわからないが杏寿郎の性格は物理的にも人を引っ張っていくタイプなので、そういうところで判断したのだろうか。将棋は年齢も関係なく強い者が上に行けるだろうし、まあ間違いではないのだろう。杏寿郎は将棋をする気はないようだが。
「それで、剣道部は?」
「監督は俺たちのことをご存じだったようです!」
義勇を連れて剣道場に顔を出した時、やっとその気になってくれたのかと言われていたという。かぶりを振った義勇に大層がっかりした監督は、どうやら前々から勧誘していたらしい。
「なんか凄い誘われる」
「それはきみが剣道やってるからだぞ」
試合で見た子供が入学してきたと喜び是非にと誘ったそうなのだが、まさかの将棋部に取られたのだと非常に悔しがったらしい。掛け持ちを打診しても頷かない義勇に未だ未練があるのだろう。
それはそれとして、杏寿郎を見た監督はそわそわときみも見たことがあると口にしたという。名乗るとやはり知られていたらしく、雄叫びを上げてガッツポーズをしたそうだ。まだ見学に来ただけなのに。
存分に見ていけという監督に義勇の見学を打診すると、断る理由がどこにあるのかと嬉しそうに座る場所まで指定された。断られると思ったのに、と義勇はまだ不満そうだった。更に練習に参加しないかと誘われた義勇は、前から隣からの誘いを無下に断ったとか。
「まあ、楽しいなら良かったよ」
「楽しいです! でも俺は剣道部に入ります」
「えっ。将棋部は?」
「仮入部だけだぞ!」
今度は義勇ががーんと音が聞こえるかのような衝撃を受けたらしい。やはり二人は互いに振り回し合っているようだ。対等なようで微笑ましくもあった。