長男と幼馴染観察記録・小学生時代

 我が家の隣に一軒家が建てられた。
 新築かあ、良いなあ。そんな気持ちも少しばかり浮かびつつ、どのような隣人が現れるのか家族は興味津々だった。
 やがてインターホンを鳴らして挨拶に来たのは子供二人の四人家族。柔らかい笑顔が印象的な家族だった。
「蔦子ちゃんと義勇ちゃんですか。下の子は女の子にしては変わったお名前ですね」
「あ、いえいえ。男の子なんですよ」
 幼い子供が最後に自己紹介と挨拶を終えてから告げた瑠火の言葉に隣人夫婦は楽しそうに笑い、ぽかんとした瑠火は子供へ目を向け、そして慌てて謝った。唇を尖らせて俯いてしまったからだ。
 未だによく間違われると笑う両親と姉、弟は少し引っ込み思案らしく姉のスカートを掴んで離さず後ろに隠れ気味だ。光に当たると青く見える大きな目が印象的で、外見と相まって大人しい性格も間違われる理由になっているのかもしれない。
 だがそんな見た目や性格のことなど息子の杏寿郎には関係がなく、早速彼に何くれと話しかけ始めた。近所に歳の近い子供がいなかったので、杏寿郎も友達が増えて嬉しいようである。
 しかし、引っ込み思案らしい子供が答えようと口を開くのだが、杏寿郎はせっかちなためどんどん話題が別のものに変わってしまい困ってしまっていた。それに気づいた瑠火が杏寿郎を少し窘めると、子供が答えるまでそわそわしながらも黙って聞くことにしたようだった。せっかちだが悪気はないのだと伝えると、子供ははにかんで頷いてくれた。
「うちの子も少しのんびりしてまして。そのうち慣れてくれると良いんですが」
 姉が弟の頭を撫でる。その様子を興味深げに杏寿郎は眺めていた。正反対な性格のようだが、そういう二人こそ仲良くなれるかもしれない。子供のうちは遊んでいれば勝手に仲良くなってしまうし、せっかちでも杏寿郎は優しい良い子なのである。さほど心配はしていなかった。
「ところで、剣道場の門下生とか募集されてるんですか?」
「ああ、まあ、一応。しかし最近の子供は野球とかサッカーに夢中で、全然希望者が……」
「書道教室も開いてますが、以前より人は少なくなりましたね」
「そうなんですね。そういえば鱗滝さんところも少なかったねえ」
 人が来ないんだって。姉が弟に耳打ちするのが聞こえてまた少し世知辛い現実を思い出した。あのお爺さんのところ遠くなっちゃったからね、見に行かせてもらおうか。そんな言葉が姉から聞こえてきてしまい、もしやとつい期待を持って子供へ問いかけた。
「義勇くん、だったな。きみは剣道やってるのか?」
 姉のスカートを掴み続ける子供は一つ頷き、思わずガッツポーズをしそうになった。勧誘すれば道場に通ってくれるかもしれない。その打算的な気持ちがもろに見えてしまったようで、瑠火は小さく笑い声を漏らした。
「随分小さい頃からなさってるんですね」
「そうなんです教えてくださって。うちは共働きですし、この子も部活があって早く帰れなくて、剣道するなら面倒見てくださるという話だったんですけど、引っ越しで遠くなってしまって」
 自分自身が剣道を嗜んでおり、更に我が家に剣道場があるのだ。息子が物心つく前から竹刀に触れていたのは当然のものであったが、それが今時の洋風な一軒家に住む子供も有り得るとは思わなかった。こちらが声をかけようと口を開いた時、杏寿郎の大きな声が一言叫んだ。
「だったらうちに来ればいい!」
「………、ああ、もし良ければうちで」
 話を聞いていた杏寿郎は子供の手を掴み、一緒に剣道をやろうと誘った。ここぞとばかりに追撃すると、隣家の夫婦はどうしようかと子供へ問いかけた。
「先生のところ行けなくなってがっかりしてたでしょ。やりたいならやっていいよ」
「………、どんな人がいるの?」
「うーん。大人が多いけど、皆優しいぞ。杏寿郎にも良くしてくれるし」
「ええ、子供好きな方が多いので」
 新しいところは少し不安なのか環境が気になったようだが、すぐそばできらきらと目を輝かせている杏寿郎へと顔を向け、やがてやりたいと子供は呟いた。どうやら杏寿郎の存在が勧誘成功の鍵だったようだ。
「そうか! じゃあ今度見学においで」
「良ければ書道教室も覗いてください」
「良いですねえ! 蔦子も習う?」
 もっと早くやりたかったと姉は少し不満げにしたが、今からでも遅くないという瑠火の言葉に嬉しそうに頷いた。子供も姉が一緒ならと嬉しそうである。
「終わったら俺と遊ぼう!」
「うん」
 杏寿郎の一つ上の、一年生になったばかりの男の子だ。息子を見ていたせいか大人し過ぎるようにも見えるが、それも性格なのだろう。穏やかな空気が一家から滲み出ているのだ。
 子供は友達以外に話しかけるのが苦手らしく、家族もこちらに引っ越した後の人間関係に不安を抱いていたという。杏寿郎のような子供がいてくれて良かった、仲良くしてくれると嬉しいと夫婦と姉が頭を下げた。つられて子供も頭を下げた。色が珍しいのか、顔を上げた子供はずっと杏寿郎の髪ばかりを見ていた。
 小学校時代も、二人はずっと一緒だったと記憶している。隣同士なので登校班は毎日一緒だったし、学年は違うから学校では滅多に会わなかったらしいが、家に帰るとすぐに二人で遊び出す。道場に通うようになった子供にとって厳しいこともあるかもしれないと心配していたが、泣きはしても辞めるとは決して言わず、杏寿郎とともに道場に居続けた。門下生たちは新しく入った子供にも初対面からだらしなく骨抜きにされていたし、たまに二人纏めて可愛がり過ぎてこちらが止めに入るくらいだった。
 杏寿郎と一緒にいる子供は何だか初対面よりも明るくなったような気がして、良い影響を受けたのだろうと微笑ましく思ったものだ。杏寿郎も子供の影響で落ち着きを持つようになったし、小学校に上がってから弟ができて更にしっかりしていった。子供のほうが歳上だというのに、兄となったせいか杏寿郎は彼にも世話を焼くようになった。それを微笑ましく見ていたのは自分も含めて彼らを見守っていた全員だ。門下生たちは三人纏めて猫可愛がりしたし、何なら子供の家族にも息子たちを可愛がられたし、我が家も姉弟を可愛がっていた。
 そんなような環境だったからか、隣家と我が家の子供たちは大層のびのび育っていったのである。

*

「杏寿郎も来年は中学生……早いものですね。ついこの間蔦子ちゃんが中学を卒業したと思っていたんですが」
 よくある近所の世間話を聞かされているのは、先程隣家の息子が居間の前を通っていったことでふと話題を思い出したからだろう。
 勝手知ったるという具合で隣家同士の子供たち――主に杏寿郎と冨岡家の長男は我が家と隣家を行き来している。誰が迎え入れずとも玄関を開け、彼は控えめに挨拶をして杏寿郎の部屋へと直行するし、向こうでは杏寿郎が家中に響き渡る声で挨拶をするらしい。要するに、うちで隣家の息子の姿を見るのは日常茶飯事だった。
 高校生だった隣家の長女はついこの間卒業式を迎え、下の長男は来月小学校を卒業する。中学生になっても剣道を続けてくれるらしいので有難い。彼がいると杏寿郎も気合が入って負けん気を更に出すし、門下生たちも良いところを見せたがる。二人とも素直なので、最高の一打を繰り出した時などは目を輝かせて門下生を見るからだ。凄い凄いとはしゃいでくれた幼少期が忘れられないのだそうだ。それはともかく。
「今年は更に凄かったらしいな義勇くん、バレンタイン」
「ええ、机に山を作られたとか何とか。食べきれないものは杏寿郎の胃袋の中です」
 去年も一昨年もお裾分けと称した箱をいくつか持ってきていたが、今年は更に小学校最後だからとクラスの女子はほぼ全員がくれたのだそうだ。卒業式にお返しがほしいとくすくす笑いながら言われたらしいと隣家の奥さんは教えてくれた。その中にどれほど本命が混じっていたのかはわからないが。
「杏寿郎もバレンタインの日はチョコを持って帰ってくるようになりましたし、来年はもっとあるかもしれませんね」
 いくら貰っても食べきるだろうことはわかっているが、義理のお返しというものに去年瑠火は悩み、隣家にどうしているのかを聞きにいったことを知っている。モテるのも大変だなあと二人を見ていて思ったものだ。
「二人とも、おやつがありますよ。千寿郎もこちらへいらっしゃい」
「ありがとうございます!」
 ちょうど部屋から降りてきた少年二人と、居間で絵を描いていた千寿郎に瑠火が声をかけた。相変わらず杏寿郎の声量で隣家の息子の声がかき消されていた。小さく口が動いていたので礼を告げていたことは確かなのだが、杏寿郎と一緒に現れると大抵彼の声は聞こえない。本人ももう諦めているようだ。
「それで、ヤンキーかと思ったと言われた。髪が明るいから」
「俺は杏寿郎の髪の毛好きだよ」
「そうか?」
 何やら誰かから言われたことがあるようだ。先程まで話していたらしい会話が再開されるのを何となしに聞いていると、杏寿郎はどことなくしょんぼりしているようだった。話の内容的にはこちらにも飛び火しそうなことだったが、髪に関しては生まれた時からのものなのでどうしようもない。瑠火は聞き耳を立てつつおやつを用意している。
「うん。電気みたいで」
「ブフッ」
 飲もうとした茶を吹き出しかけて、瑠火に瞬時に窘められた。勿論口ではなく手でひっそりとだ。うちの妻は子供たちの会話に茶々を入れることをよく思わない。今のは茶々ではないしわざとでもないが。
「色のついた蛍光灯みたい」
「それは褒めてるのか?」
「うん。明るい」
「そうか! ならいい!」
 いいのか。いいだろうか? 蛍光灯だぞ。
 隣家の長男、冨岡さん家の義勇くん。彼はしばしば妙な発言をすることがある。おっとりしていて少し天然なのだと姉の蔦子は教えてくれたのだが、長女は長女で槇寿郎も関わったことのない天然具合の女の子だった。むしろ冨岡一家が天然であるともいえる。
 そして深く考えていないのか寛容なのか、杏寿郎はしばしばその天然発言を受け入れて飲み込むことがよくあった。悪意もないので怒るのも妙な話ではあるのだが、一言くらい物申したいとかないのかと思うことが多々あった。今回もそうだ。
「それ俺も電気みたいって思ってるのか?」
「おじさんはちょっと草臥れてるから、杏寿郎ほど明るくないです」
「……そうか……。瑠火」
 ぐふう、と滅多と聞かない吹き出す声が瑠火が漏れ聞こえ、つい恨みがましく槇寿郎は名を呼んだ。
 悪意はなくとも年頃の親父には傷つく言葉だ。まあ、小学生には親父など皆草臥れているように見えるのかもしれない。それとももしかしたら草臥れるという言葉も何かポジティブな意味合いを含めているのかもしれない。いやポジティブな草臥れ方って何だろうか。やはり普通に言葉選びが酷いと思う。
「千寿郎は?」
「………。豆電球」
「絶対髪の毛だけで言ってるわけじゃないな」
 髪色は親子揃って同じなのだから、槇寿郎が豆電球でもいいはずだ。いやまあ、豆電球と称されて嬉しいかどうかは微妙なところだが、草臥れているよりはまだ凹まなかったかもしれない。子供の言うことに気を取られ過ぎるのもどうかと思っているが、一先ず妻には大層ウケたようだ。
「おばさん、ホワイトデーのお返しで貰ったら嬉しいものって何ですか?」
「こほん。頂けるなら何でも嬉しいですよ。ですが蔦子ちゃんのほうが若い子の好きなものはご存じでしょうに」
「小学校最後だから自分で選んだらって……」
 中学でも会うのに、と何やら薄情なことを呟いたが、姉の言うとおりとりあえず考えてみることにしたらしい。杏寿郎に聞いてみたが、うんうん唸ったあと結局さつまいもが良いと言い出したので困って降りてきたのだそうだ。
「クッキーとかでいいんじゃないのか?」
「あら、ホワイトデーのお返しは意味が含まれますから、きちんと考えないと大変なことになりますよ」
「姉さんも言ってた」
「知らなかった!」
 瑠火から聞いたことがあるような。マシュマロだとお断りだとか、キャンディだと好意の意味だとか言っていたか。義理だとわかっているなら返さない男性陣もいたような気がするが、すでにお返しの話を言われているらしいのでその選択肢はないのだろう。モテる男は大変そうだ。
「義勇くんの好きなお菓子でいいのでは?」
「好きなお菓子……」
「きみは何でも好きだろう。さつまいも味のお菓子にしたらどうだ!」
 杏寿郎の指摘にこくりと黒髪が縦に揺れ、そのまま首を捻ってううんと唸った。さつまいも味の菓子が今売っているかどうかもわからないだろうに、杏寿郎はさつまいもを推しまくっているようだ。まあしかし、義理のお返しとはいえこれだけ悩んでくれたら女の子も嬉しいだろう。
「さつまいもを練り込んだ手作りクッキーは如何です?」
「………。大根……」
「大根はやめときなさい」
 よほど上手く作らないと大変なことになりそうだ。大根が駄目なら鮭、などと言い出しそうでつい槇寿郎は口を挟んでしまった。
「ご飯とお菓子は合う合わないがあるからな。さつまいもは特殊なんだ」
「狡くないか?」
「そんなこと言ったらかぼちゃも狡くなるだろう!」
 何なんだ狡いって。子供の思考は柔軟なものだが、如何せん妙なことを口にする義勇にある意味感心してしまった。
「店に見に行ってから決めてもいいんじゃないか? 金額とか見た目とか、見たほうがわかるだろう」
「見に行くなら付き合うぞ!」
 そうして千寿郎まで連れて菓子売り場を見に三人出かけていき、やがていつの間にか合流していたらしく、帰ってきた時は蔦子も一緒だった。結局アドバイスを貰いながら何とか選び、杏寿郎も同じものを購入し、千寿郎には駄賃として菓子を買い与えてくれたらしい。申し訳ないと謝って蔦子に代金と小遣いを渡したが、全員笑顔で楽しかったと言うので、草臥れているなどというある種の悪口によるもやもやした気分も流されていくようだった。