まやかしの花嫁―散髪は後まわし―

「失礼しまーす……あのー冨岡、髪のことこないだ言ってただろ。手空いたから切るよ」
「ああ、頼む」
「髪?」
 庭を借りてさくっと切ってしまおう。室内にいる煉獄と宇髄、不死川に恐縮しつつそうへらりと笑った村田に冨岡も小さく笑みを返すと、聞き逃さなかった煉獄が端的に問いかけた。
「なんだ、切るのか? 結うのも俺がしてやれるぞ」
「いや、さすがに毎日は……村田に切ってもらうからいい。お前は片付けてろ」
 煉獄の手を煩わせるのも申し訳ない。どうせ手間ではないなどと言ってやりたがるのが目に見えるようだが、煉獄ではなく冨岡の気持ちの問題だ。いつまでも世話になっていられるかという個人的な矜持である。むう、とほんの少しだけ不貞腐れた顔になるのがやけに心にくるのでやめてほしいが。
「誰だよこいつ?」
「村田だ」
「冨岡の同期って紹介してやれよォ」
「あ、ど、どうも……」
「……思い出した。冨岡の心臓が止まった時もきみは声をかけてたな。何で不死川が知ってるんだ?」
「え……そりゃ療養中同じ部屋だし、話くらいするわァ」
「今まで突っかかりにしか行ってなかったくせにな」
 宇髄が帰り、煉獄が部屋に戻った後の何気ない会話で話したことだ。俺は知らなかったぞ、と恨めしげな声音が耳に届いたが、冨岡は煉獄には何でも話していたはずだ。そこだけ抜け落ちていたか、煉獄はよく知らない隊士の名前を適当につける習性があるので、さては名前を覚えていなかったかのどちらかだ。個人的には煉獄が名前を覚えていないだけではないかと思うが、言い返せば煉獄はこちらが天然でうっかりしたとか頓珍漢なことを言ってくるだろうからやめておいた。
「成程。で、きみも髪を切るのはいいが、何で俺に言わないんだ」
「村田が隊士の髪を切ってたから……上手いと聞いた」
「成程」
 理由がわかれば煉獄は一応納得する。それでもううんと何やら考えているのは、恐らく感情の問題だ。それがわかるようになって随分経つ。目が合わなくて怖い、などと言われることもあるらしいが、よく見ていれば煉獄も愛嬌があり、可愛げがあるのだ。
「いや……つうかさあ、前から思ってたけどお前らどう見ても友人の距離感じゃねえよな。何だよ髪切るの言えとか」
「お、おいっ!」
「ヒェッ」
 前から? 宇髄の指摘に冨岡は少し身構えてしまい、不死川と村田が妙な反応をした。つい二人でいる時と同じように話していたが、前から滲み出ていたのか? そんなことあっただろうか。いや、友人の距離感ではないと言われると間違いないのだが、どう誤魔化すかを考えておかねばならなかったようだ。
「それはそうだろうな。冨岡は俺の許婚だ、っむぐ」
 その場の誰よりも早く冨岡は反応し、煉獄の口元を素早く手のひらで塞いだ。勢い余ってしまってたので痛かったかもしれないが、それよりも。
「誰が言っていいと言った」
「自らばらしてんだよなあ……。いやいや待て待て。煉獄の許婚は冨岡の姉ちゃんだって話だったじゃん」
「え、え? そうなんですか?」
「俺の許婚は最初から冨岡だったんだ」
「意味わからん。説明しろよ」
 何で言うんだ、最悪過ぎる。状況のわかっていない村田は疑問符を抱え込んでいて、不死川は唖然としたまま動かない。叫ばずとも煉獄の声は通るので、もし場所が庭だったら周りに聞こえてしまっていたかもしれない。じとりと睨みつけても煉獄はどこ吹く風で笑顔のままだ。説明しろと目が訴えてくる。
「……あれは……十年程前だが……俺が、姉のふりをして見合いに行った。煉獄に断らせるために」
 姉は既に婚約者がいて、まだ子供なのに可哀想だと言うから向こうから断ってもらうために冨岡が女装をして臨んだ。姉が行けば間違いなく見初められてしまうから、間違いなく台無しにするために冨岡が行ったのである。
「ほーん……んで断ったんかァ」
「断ってないなあ」
「失敗してんじゃん」
 回復した不死川の指摘と宇髄の馬鹿にしたような声音に冨岡はぐぬぬと唇を噛んだ。今更どうしようもないが、本当に何故あれで上手くいったのかがわからないのである。
「お前鬼殺以外だと詰めが甘いな。胡蝶が言ってたドジっ子ってのがようやくわかったわ」
「それはあいつが勝手に言ってただけだ」
「うーん、言い得てると思うぞ。言葉にするなら間違いなくそれだな。胡蝶にばれてたのは少し面白くないが」
「知らん、ばれるとかの問題じゃない」
「まあ、そういうわけで父にも話を通してあるから、退院後はうちに住む。嘘を吐いた責任を取ってもらおうと思ってな」
 口笛を吹いた宇髄と、非常に複雑そうな顔を晒した不死川と、真っ赤になった村田の顔が視界に入った。
 そういえば言いたいとか言っていた時があったような。
 今まで黙っていたから言い触らすことなどないと信じていた冨岡が馬鹿だったようだ。詰めが甘いというのは本当にそうなのだろう。いや、嘘の責任を持ってこられると何も言えないし、そんなものがなくとももう腹を決めてはいたけれども。腹を決めたことと周りにばらすのは訳が違う。
「責任とはどちらかが死ぬまで隣にいることだ」
「俺が先の可能性が高い」
「努力家なんだから頑張ってくれ、少しでも長いほうが嬉しい。せっかく一緒に住むのに、一気に二人もいなくなったら父も千寿郎も悲しむだろう」
 家のことは弟に任せるしかあるまい。そう口にした煉獄だったが、しがらみは消え去ったとはいえ、同時に稼業がなくなってこの先をどうするか、任せきりになってしまうことを申し訳ないと言っていた。とはいえ生きているうちは煉獄も手伝うと言うし、父である槇寿郎がいるのだからどうにかなるとも笑っていたが。
「お前が頑張ればいい。お前の家族だ」
「きみの家族にもなる。炎柱の書を読み直してみよう、痣のこともどこかに書いてあるかもしれん」
「煉獄が知らなかったなら書いてない。お前の内臓を元に戻せる医者を探すほうが有意義だ」
「何を言う、胡蝶が八方手を尽くして無理だったものを治せる医者がいるものか」
「――やめろよお前ら! 村田が泣いてんだろうが!」
「え」
 何故突然。ぐしぐしと鼻を鳴らして、感極まりでもしたのだろうか。よくわからないが宇髄も何だか目尻が赤いような気がするし、物凄く怖い顔をしている。黙っていた不死川が複雑な顔を晒していた。
「いやーでもよォ……痣とか腹の具合はなァ……仕方ねェだろ、俺もだし」
「うるせー! 好いたモン同士一緒になんだから寿命も伸びちまうくらい言ってもいいだろうが! お前もなあ!」
「え、宇髄、お前……。だいぶ夢見がちだな」
「うっせえわ万年葬式野郎が!」
 心外だ。最後の宇髄の叫びにはうんうんと頷いた不死川に、俺の前では柔らかいなどと煉獄が言い返している。そんなことばらさなくてもいいのだが、一先ず宇髄と村田は老い先短い冨岡たちの行く末について気にしているらしい。皆受け入れていることなのに、二人は優しい。そこまで胸を痛めずともいいだろうに。
「ふむ。まあ宇髄の言いたいことも理解した。それなら冨岡、祝言でも挙げるか」
「は?」
「初対面から振袖着てきたんだから白無垢くらいどうということはないだろう」
「馬鹿にしてるのか……?」
 そもそも話が飛躍していないか。寿命の話から何故祝言を挙げるという結論に向かったのかわからない。煉獄はわかりやすい男であるはずなのに、今この思考だけはわからなかった。
「子供の頃ですらきついのに、大の男が着ても笑い者になるしかない」
「そうか? 愛らしい娘だったぞ」
「それはお前の目が腐ってる」
 子供だったから覚えていないのもあるだろう。そしていくら子供だとしても、男児が女装して違和感がないわけがない。成人した男が着るよりはまだ見られるだろうが。
「………。いや……まあ、似合うんじゃないか?」
「村田?」
 急にとち狂ったらしい村田を覗き込んでも、嘘ではないとへらりと笑う。嘘であったほうが冨岡にとってはいいのだが、何故急にそんなことを言い出したのか。
「白無垢ね。俺様がド派手に似合わせてやるよ」
「え?」
「む、あまり美しくなると困るぞ」
 なるわけないだろう。姉ならさぞ美しい天女のようになっただろうが、花嫁の真似事をしたところで本物には敵わないのだ。煉獄とて見て後悔するに決まっている。自分自身はともかく煉獄まで晒し者になるのは嫌だ。だから関係を秘めておきたかったのに。
「……ま、嘘吐いた罪滅ぼしに着といてやればァ」
「な、何で? そんなに笑いに飢えてるのか。確かに大笑いできるかもしれないが」
「何を言ってる、絶対に似合うぞ。振袖も姉君の太鼓判があったんだろう?」
「姉はちょっと目がおかしかったからな」
「まあ身内の贔屓目ってのもあるだろうが……そんなに言うならそれこそ試してみりゃいいんだよ」
「普通に嫌なんだが……」
 そう呟くと煉獄の眉尻がしゅんと下がり、目にしてしまった冨岡は言葉を詰まらせ、ぐっと襟元を握り締めた。何でそんなに悲しそうな顔をするのか。何でそんなに見たいのかがわからない。冨岡は別に煉獄の女装など、………。いや、ちょっと見たいとは、思うけれども、それは煉獄のような男らしい偉丈夫でも着飾れば美しくなるだろうという期待があるからだ。
「どうしても駄目か?」
「………っ、………。………、身内だけならいい」
「ありがとう! では産屋敷家とこの場の彼らと竈門兄妹くらいまでか」
「待て、多くないか? 煉獄家と先生だけでいいだろう。輝利哉様たちに妙なものをお見せするな」
「んん? 輝利哉様たちはお喜びになると思うが。それに減らしたほうだぞ。俺としてもあまり大多数に見られたくはないが、竈門少年たちはきみの身内だろう」
 竈門兄妹と口に出す時にちょっとつまらなそうな顔をするものではない。まるで嫉妬していると宣言されている気分になり、冨岡の内心は大層複雑な感情がひしめき合うのだ。弟弟子とその妹を嫉妬の対象にするなと思いつつ、煉獄がそういう感情を出すのが嬉しかったりもするので。
「お前ら俺らの前でいちゃつくんじゃねえわ。手伝ってやんだから俺様は入れろよ」
「誰も頼んでない」
「この減らず口は治んねえなあ!」
 いちゃついてなどいないが、冨岡の脳内は煉獄が可愛いという思考で埋め尽くされていたのがばれていたのかもしれない。ごほん、とわざとらしく咳払いをして誤魔化した。
「あ、じゃ俺も……お前の勇姿は教えてやりたいし、自分では言わなさそうだし。はは」
「やめろ、勇姿じゃない。絶対怒られる」
 村田が教えたいと言った相手が誰なのかを冨岡は知っている。入院中は彼についての話もした。お前の話は俺も教えてやんなきゃ、なんて村田は笑っていたのだ。
 とはいえ、冨岡の兄弟弟子は男らしさの具現のような存在で、白無垢を着るなどということを知れば確実に怒るだろう。男が着ていいものではない、などと正論を投げつけてくるはずだ。ああ、しかし。
 請われたのなら、男ならば腹を決めて潔く着るべきだとか言うかもしれない。頼むから見せるのは身内だけで許してほしい。
 しかし、女ではないと散々言ったというのにこれだ。初対面から失敗していたのだから、煉獄に関してはどうしようもない。誰のことかとそわそわしているのを眺め、錆兎のことだと呟きつつ冨岡は溜息を吐いた。
「……恥を掻いても知らんからな」
「そうはならない。まあ、きみがいるなら恥もありだぞ」
 ぼんやり姉へと思いを馳せた。
 蔦子姉さん。姉さんごめん。あなたが恐れていたことが、結局現実になってしまった。
 でもまあ、大の男が着る白無垢を見たいなどと言う酔狂な男だ。あの散々な見合いで冨岡を見初めてくるような、とち狂った男である。それでも誰より強く優しく、美しい生き様を見せる男だ。そんな奴が自分を好きだと、隣にいることを望んでいるのだ。
 己のはつ恋相手がこうして望んでくれるのだから、輿入れせねばならないだろう。あなたが迎えられなかった日を迎えてしまうのは心苦しい。それでも。
 すべてはうっかり好きになってしまった、冨岡の詰めの甘さが原因なのである。
 弟の白無垢を喜ぶかどうか、冨岡はすでに思い出して確信していた。思い出の中にいる姉は冨岡を大層可愛がっていた。見合いでさえなければと振袖を嬉々として着せていたくらいだ。
「……どうせなら……姉と見紛うくらい飾り立ててくれ。姉さんはそっちのほうが喜ぶ」
「お前腹括ると潔いな。天元様に任せろっての」
「弟の女装喜ぶ姉って何だよォ……」
「あんまり飾り立てると周りが騒がしくなるから控えめにしてほしいんだが」
「ははは……おめでとう、でいいんだよな?」
 村田の控えめな問いかけに冨岡は瞬いた後、ゆるりと口角を持ち上げて頷いた。