鬼狩り鬼婚
「お。お前なかなか絵心あるな、煉獄か」
いつの間にやら勝手知ったる屋敷に上がり込み、宇髄は縁側で絵を描いている家主を見つけた。派手な髪色をした紋付袴の男が描かれているのを覗き込み、それが宇髄もよく知る者だとすぐにわかるほどには特徴を捉えている。
「そうだろう。千寿郎にも手伝ってもらっているが、左手なのがもどかしい」
ムフフと誇らしげに笑う冨岡の隣に座り込み、千寿郎にも手伝ってもらっているからこれほど上手いのかもしれないと失礼なことを考えた。
完成していそうな煉獄の隣には、これまた紋付袴を着た男が描かれている。まだ顔が描かれていないから架空の人物なのか、それとも今を生きる人間なのかもわからない。ただ黒髪であることだけは決まっているようだった。
「顔はどうすんの?」
「顔は最後だ。難しいんだ、自画像というのは」
「―――」
「千寿郎も描けばいいと言うから描いてみたが、やはり頼めばよかったか……」
「………、……煉獄の絵は悪くねえんだから、大丈夫だろ」
「そうか」
問いかけたことは良かったのか悪かったのか、宇髄はいまいち判断がつかなかった。会話の流れで発覚したのは、この絵に煉獄と冨岡が描かれる予定であるということ。それが何を意味しているのか、聞くべきなのかどうかを迷ったが。
「……これは、なんかの願掛けか?」
「供養だよ」
宇髄が言葉を失っていることを、冨岡は気がついていないのかもしれない。穏やかな表情と声音で緩やかに、聞かされたのだろうことを教えてくれた。
「俺も知らなかったが、ある地域に伝わる風習だそうだ。未婚で亡くなった人物の婚礼の絵を描いて奉納する、いわゆる死後婚だな」
「死後、婚」
「なんだ、宇髄も知らないのか。あいつはどこで聞きかじったのか……」
不思議そうに首を傾げてううんと唸る。まるで今夜の夕飯を何にするかと悩んでいる時のような気さくさだ。そうして柔らかい笑みを浮かべて筆を玩んだ。
「欲があるのかないのかよくわからん男だ。あの世での時間を寄越せなど……」
「……そりゃ……、お前がこの世での時間をやらなかったからじゃねえの」
「……知ってたのか」
筆を玩んでいた手が止まり、少しばかり瞠った目が宇髄を捉えた。驚いたことがよく伝わってきて、以前の葬式面が嘘のようにわかりやすい。
「いいや。今の会話で察せないほど鈍感でもねえんでな」
「そうか」
だがよくよく思い返してみれば、確かに煉獄は冨岡をよく気にかけていたと思う。柱合会議で会うだけの短い時間でそれなのだから、個人同士で会っていたとしてもおかしくはなかった。煉獄とはそれなりの関係を築いていたけれど、色恋についての話を持ちかけられることは終ぞなかった。
「俺は返事をしなかった。もったいないと思ったんだ、返事などできるわけがない。……本当に、手のひらで転がされてるような気分だ」
煉獄とのやり取りを思い出しでもしているのか、宇髄がここにいることを忘れたかのように、冨岡は独り言のような声音で呟いていた。言葉を聞けば会話をしているように思えるのに、その声はどこか遠くへ向けられているように感じられた。
「もう描き上げようと思ってな。ここまでなんとか仕上げたんだ」
「……そうかい。なら邪魔せず帰ろうかねえ」
その声音はすぐ鳴りを潜めて、先ほどと同様に宇髄へ言葉が向けられた。邪魔をするのも悪いかと思い、宇髄は来たばかりの屋敷を暇することに決めて腰を上げた。
「なんだ、帰るのか」
「またすぐ来てやるよ。酒でも持ってな」
「そうか。楽しみにしておこう」
屋敷を辞した宇髄は砂利を踏み鳴らしながらぼんやりと歩いた。
じゃりじゃりと鳴る足下を眺め、良い友人であった煉獄のことを考える。そうして冨岡の顔を思い浮かべて、やがて溜息がひとつ漏れた。
「自分なんか描いたら連れて行かれちまうとかいわれはないのかねえ……煉獄ならねえのか?」
炎柱の名に恥じぬ情熱のある男だ。快晴の空のような闊達とした男だった。しっかり余生を楽しんでからとでも待ってくれそうではないか。
「………。………、ああ……そうか。冨岡、お前もう……」
煉獄がどうではなく、冨岡の時間が来るのか。だから絵を完成させようと筆を進めているのだ。この世を去った後に煉獄と想いを遂げられるように。
千寿郎は二人の想いを知っていて、そうして想いを汲んで奉納するつもりなのだろう。なんともいえない気分になって、宇髄はまたひとつ溜息を吐いた。
*
――きみの目は案外雄弁だ。想われていると自惚れているが、きみは少しも俺には求めない。
そうまで言われてなお返事をしなかった。
煉獄に想いを告げられたところで、そんなふうに想われていることももったいないと思ったからだ。子を成さなければならない義務が、鬼狩りになっていなければ冨岡にもあった。返事などできるわけがない。そう思って口を噤んだのだ、隠しきれなかった想いを気づかれたことに反省しながら。
――戦い方は誰より柔軟な思考を持つというのに、俺に対しては頑なだ。
頑なであるなど当然のことだ、反応すらしなかった。それでも聞かされるだけ聞いていたのは、耳の心地が良かったからだ。
想い人の声が己に向けられている。それだけで心が湧き立つようだった。
――今生がそれほど頑なであるなら、
頑なである理由などわかりきっているだろうに、それでも言い募る声に耳を傾けた。そのせいで想像もしていなかった提案をされる羽目になってしまった。
「きみの死後を俺にくれ」
つい。本当につい、視線を向けてしまった。眉根を寄せて顔を見れば、煉獄はにっこりと相変わらずの笑みを浮かべてこちらを見ていた。やってしまったと後悔し、なかったかのように視線を戻した。
「死んだあとのことなら俺も好きにできると思ったからな!」
「世迷い言を」
こちらが話を聞いていることはすでにばれているから、溜息を吐き出すと同時に言葉も吐き捨てた。煉獄は笑みを浮かべたまま、膝の上に置いた冨岡の手を握りしめた。
「きみが俺の今後を思ってくれているのも理解している。もしもこの先縁談が舞い込むことがあれば、まああるとは思えんが……俺は受けることにしよう」
ずきりと心の臓に痛みが走る。突き放しておきながら、決定的なことを告げられると勝手に傷つく。それなら何も言わずに去ってくれればいいものをと恨めしく思う。そんなふうに恨みがましい己がひどく自分勝手で、本当にどうしようもない男だと情けなくなった。
「だから、ないままであれば、あの世できみの時間をくれないか」
今生でもなく、来世でもなく、狭間の時間を寄越せと言うから、冨岡はたまらなくなって俯いた。
「未婚で亡くなった者の供養をする風習があってな。もしきみが、いいと言ってくれるなら」
煉獄へ舞い込む縁談がないわけがないと思うのに、今の煉獄家を考えるとあり得ると思えてしまうのが悔しかった。それを奥底で望んでしまっている自分自身がなにより嫌だ。
「……先にお前が死ぬわけがない」
「どうだろうな。まあ、どちらが先でも大丈夫なように、きみに風習の話を教えている。ここまで言っておけば、冨岡は優しいから無下にはしないでくれるかと思ってな!」
本当に、手のひらで転がされている気分だった。遺言にまで遺されていたという話を聞かされ、まんまと煉獄の言ったとおり無下にできなくなってしまった。
無下にするどころか、己もそれがいいと望んでしまったのだ。
架空の人物でなければならぬというのは、実在の人物だと故人に連れて行かれるからだという。
だからこんな命でも煉獄を人殺しにするわけにはいかなかったから、こうして死期を悟った頃に絵を完成させようとした。少しばかり待たせてしまっても、あれほど応えることのなかった己相手にずっと話しかけてくれていた。せっかちなくせに辛抱強い煉獄だ、最後にこの世を謳歌するくらいは許してくれるだろうと思ったのも理由である。