異端者たち 八
「いやー絞られたぜ、アイツ容赦ねえったら」
「しのぶさんですか? 確かに怒ってる匂いしてましたね」
蝶屋敷へと呼び出された宇髄は素直に出頭し、ひと通りの話を終えて炭治郎の見舞いに寄った。折り目正しく礼を告げてくる炭治郎にもっと崇めろと言いながらどっかりと丸椅子に座り、ビビる金髪と猪になんだこいつらと視線を向けつつ、ようやくひと息つけると溜息を吐き出した。
「そらもうあいつすぐ怒るからな。姉と違ってたいそう短気だよ」
怒らせた原因があるのはまあ宇髄なのだろうが、そうでなくとも普段から胡蝶はよく怒っている。笑うと可愛いだろうと姉は蝶屋敷で同意を求めてくるそうだが、拝む機会は限定されるだろうに。いや、宇髄含めて怒らせるようなことをしている者が多いというのは、まあ、事実である。
――なんで教えてくれなかったんですか?
散々感情を爆発させた後にそんな地味なことを問いかけてくるものだから、宇髄は一言返したのだった。
「そっちのが派手だろ?」
「馬鹿にしてるんですか?」
そう返しながら胡蝶こそ心底馬鹿にした目で見てきやがった。本気でそう思っているような顔をしていてげんなりしたが、茶化したのは悪手だったと宇髄は諦めた。
「冗談。時期を選んだだけだ、お館様のご意向だよ」
その時が来るまでは気づかれぬようにという指令だった。
炭治郎が選別から戻る頃に禰豆子も目覚めたので、近く柱合会議で披露目といくことは決まっていたわけだが、荒れに荒れたのが先ほどの光景である。産屋敷も冨岡が見つかることは想定していなかったようだ。
「………。姉は当時……蒼い目の鬼に助けられたと言っていて。……生死の境を彷徨ったので、きっと願望とごちゃまぜになってるのだと思いましたから……その後は言わなくなったので」
「ま、そう考えるのが妥当だわな」
鬼を憎む鬼狩りであるならそんな与太話を信じるわけもなく、ホラ吹きと思わないだけ胡蝶は姉を思いやっているのではなかろうか。まさか本当にそんな鬼が存在したなど思いもしなかった。そう考えると、やはり当人と会わせなければ宇髄が言葉で伝えたところで信じはしなかっただろう。そして鬼と出くわせば鬼狩りは必ず刃を向ける。結局はこうなるまで信じきることは不可能だったと宇髄は思う。
「悔しいのか?」
「放っといてください」
「呼びつけといてお前ね」
爪が食い込んでいそうなほど握り締められた拳を眺めて突っ込んでやれば、にべもなくあしらわれて宇髄は溜息を吐いた。心中複雑でどうしようもないのだろうから、別に目くじらを立てるつもりはないが。
「鬼匿ってる話なんか隊内で漏れたらどうなるかなんてわかりきってるだろ。安全を期して黙ってたんだよ」
「そうですか」
宇髄としてはそれだけではないが、胡蝶に言えば怒らせることは確実なので黙っておく。柱のあるべき姿であるのだから、当然の反応だとは思うが。そんなことより宇髄は興味があった。
「那田蜘蛛山で遭遇したって言ってたな。あいつ戦ったことねえって言ってたけど、戦ったわけ?」
鬼も鬼狩りも見つからぬよう逃げの姿勢を貫いていると聞いたし、鬼に見つかって存在がバレれば色々と動き難くなるだろうとも聞いた。まあ、鬼狩りの場合は意識がなければ冨岡から近づくことはわかっているので、とにかく戦闘を避けるということだ。
「あの娘鬼……竈門禰豆子に斬りかかったところで、水に邪魔されました」
――そいつは無害だ、手を出すな。
そんな言葉を投げかけられたものだから、鬼の言うことを何故聞かねばならないのかと問いかければ、確かにと呟いて頷いたという。問答にすらならないような言葉のやり取りをし、冨岡は胡蝶を水の膜で覆い隠して早々に炭治郎たちを逃がしたそうだ。なんとも分厚い水の膜で、刀を突き刺してもこれまた水だから元に戻る。
とはいえそれで時間稼ぎをされ続けるほど柱は甘くない。突くと同時に壁を抜けた胡蝶の行動は速かったのだろうが、その瞬間鴉が伝令を叫んだ。鬼と隊士を連れ帰るという伝令だ。直後に抜け出た壁はただの水に戻ったらしく、ばしゃんと地面へぶちまけられたという。伝令を聞いたらしい冨岡が逃走するのを阻止するために追おうとしたけれど、一言待たないと告げて逃げられたのだとか。
「ははは。まったく攻撃してこねえな」
「笑いごとじゃありませんよ」
変幻自在の水ならやろうと思えばいくらでも攻撃に転じられるだろうが、人相手にそんなことをするつもりはさらさらないということだろう。冨岡が逃げたこと、更には伝令を聞いたことで、胡蝶は一先ず刀を収めるしかなかったということか。
「じゃあお前あん時めちゃくちゃキレてたわけね」
「そもそもの伝令も意味がわかりませんでしたし。あの鬼のことは言われてませんでしたから、紛れ込んだ無関係の鬼だと思いましたし、柱として逃がすなんてもう……」
普通の鬼なら逃がした時の情けなさは目も当てられないが、胡蝶もそれを那田蜘蛛山で味わっていたらしい。宇髄としては殺されずに済んで助かったが。
「……宇髄さんも、恩人だそうですけど。どんな経緯で彼と知り合ったんですか」
「里抜けした時助けてもらったんだよ、たまたまだけどな。一応俺も地味に悩んだぜ、あいつの気配もわけわかんなかったし。まあでも心音なんかが聞こえた分信じやすかったのはあるかもな」
「……そうですか」
「一応言っておくが、信じていいぜ。俺様も派手に腹を懸けたわけだしな」
禰豆子は未だ危なっかしいが、冨岡に至っては鬼というより無害な人もどきである。なんとも言い表し難い表情を見せた胡蝶だったが、溜息を吐いてその場から宇髄を送り出したのだった。
「――まあ、一応念押しとして禰豆子のことは言っておいたが。ところであいつなんで那田蜘蛛山にいたわけ? 過保護か?」
まさか炭治郎についてまわっていたなんてことはないだろうと思いたいが、情がしっかり移っているらしく兄妹をやたらと気にかけているのである。
「いやいや、本部へ行くために立ち寄った感じのことを言ってましたよ。下弦の伍がいたんですけど、あ、そうだ。俺音の呼吸のようなものが使えました!」
成程、諸々考えられた末の産屋敷の指定なのだろう。
続く炭治郎の話におお、と宇髄も感嘆の声を上げた後、ようなものってなんだよと呆れた。確かに火事場のなんとやらともいうし、危機的状況を打破できるならと爆薬も念のため渡していたが。まあ刀身も違うので宇髄の使う音の呼吸になっていたかどうかは怪しいのだろう。
「なんでもいいんだよ、生き残れるならな」
宇髄とて忍としての知識も体術も使って鬼狩りとして任務に赴いているのだから、己の持つものが役に立つよう精進すればいいのだ。
*
「あ、村田さん!」
戸を叩く音とともに顔を出したのは、那田蜘蛛山で出会った先輩隊士だった。炭治郎にとってもたいへんな任務だったが、無事生きて帰ってこられていたようで安堵した。
「お前音柱の継子だったんだな。知らなかったよ」
炭治郎が去ってからの柱合会議に召喚されたという村田の愚痴を聞き終えた頃、どこか曖昧な笑みを浮かべて話題を変えた。以前に宇髄としていた会話が少し聞こえていたのだという。
「ああ、そうなんです。最終選別までは別の育手と修行をつけてもらって」
「へえー……って、お前入隊前から継子なの!? すげえ特別待遇じゃないか! そりゃ強いわけだよな……」
「いやそんな、まだまだ未熟だと思い知ったばかりです」
「ふーん……」
どこか落ち着きのない様子で村田は言葉を切ったが、何かを逡巡しているような様子だった。どことなく不安そうな匂いもしている。何かあったかと問いかける前に、意を決したように村田が口を開いた。
「あのさ。聞いちまったことだけど」
「はい」
「……那田蜘蛛山でのこと、……音柱絞られたって言ってただろ。それってお前の妹のことでだよな」
「そうですね。色々気にかけてもらってて、頭が上がりません。……村田さん?」
複雑そうな表情を見せた村田がふいに黙り込み、やがてまた小さく口を開く。言い難いことを伝えようとする、それとも伝えたくないことがある時のような様子だった。
「いや、その、全部聞いてたわけじゃないから関係ないかもしれないんだけど……。……那田蜘蛛山にさあ……変な鬼いなかった? 妹じゃなくて男の……、その、蒼い目の……」
「ああ、義勇さんですね」
村田の言う特徴を持つ者をよく知っている炭治郎は、相槌を打ちながら答えた。村田が何を言い淀んでいたのかわからなかったから心配になったが、炭治郎が知っていることなら答えることができる。自信満々にその名を告げた。
「えっ?」
「義勇さんです」
「は、あ?」
「そのひとは俺が世話になったひとなんですけど、那田蜘蛛山に少し用があったみたいですね。村田さん会われたんですか?」
「は、はい」
「そうなんですね! 何かありましたか?」
なんとも言い表し難い表情を晒した村田は頭を押さえたり俯いたりと妙な動きをしていたが、たっぷり数十秒黙り込んでからようやくまた口を開いた。
「いや……服をさ。血鬼術の繭に閉じ込められた時、蟲柱に助けてもらったんだけど、俺の隊服溶けて……何も着るものがなくなってな……」
「うわあ……大丈夫だったんですか?」
炭治郎が鬼と戦っている間、村田は村田でとんでもないことになっていたようだ。助けが早かったから隊服だけで済んだが、遅ければ繭の中で身体ごと溶けて死んでいたらしい。恐ろしい血鬼術だ。
「ああ。それで、その……着るもんないからさ、木に隠れてなんとかやり過ごしてた時に通りがかったのが……」
「義勇さん?」
「……うーん……いや、その……荷物から包帯山ほどくれて去っていったんだけどさ……」
「紛うことなく義勇さんですね。渡せるものがそれくらいしかなかったんだと思います。大丈夫です、善意ですよ」
極限状態であれば嫌がらせと判断されてしまったかもしれないので、あくまで気の毒に思ってしたことだろうと炭治郎は理解してしっかりと伝えた。炭治郎が見た時は外套を羽織っていた義勇だが、あれを渡してしまえば陽光を遮るものが無くなって危険だし、包帯で局部を巻くくらいしか思いつかなかったのではないだろうか。
「それはっ……、いやどうかな!? 納得し難いな!」
「どうしてですか!? 貶めるようなことはしないひとですよ!」
「だって鬼だったんだって!」
「そうですけど義勇さんはいいひとですよ!」
「別人とかじゃねえのかよ!?」
もはや叫びと化していた村田の言葉に炭治郎が頷くと、寝台の布団に突っ伏して唸り声を漏らし始めた。炭治郎としては知っていることを伝えているだけなのでどうしようもないのだが、しばらく見守っているとやがて落ち着いたらしい村田がゆっくりと顔を上げた。ようやく事態を飲み込めたようで、人を喰わない鬼が二人いることをなんとか納得させたらしい。
「こんなに驚くことそうそうないわ……」
「今度会ったら話しかけてみるといいですよ。きっと喜ぶので」
「う、うーん……。……まあ、機会があればな」
「はい!」
鬼である故にあまり深く人と関わろうとしていなかっただろうから、義勇には気兼ねなく付き合える友達が少ない。心無いことを考えるような者であれば炭治郎は絶対に許さないが、村田なら優しい匂いを持っているし大丈夫だ。
「お前禰豆子ちゃんのほかにも鬼匿ってんの?」
相当疲れたらしい村田が帰ってから、口を挟むことなく部屋で黙って様子を見ていた善逸が問いかけてきた。
「匿ってはないな、世話にはなってるけど。優しいひとだよ。そのうち紹介するから、その時はよろしくな」
「ふーん……まあ、恐くないんなら……」
そう呟いてもぞもぞと寝台に上がった善逸は、早く禰豆子に会いたいと呟きながら布団に潜り込んでいった。
*
「お前なあ、なんつう危ねえ橋渡ってんだよ」
柱合裁判の後、冨岡を呼びつけた。
どうせ炭治郎も療養が終わったらこちらへ呼び寄せるし、その時禰豆子がいたほうが色々とありがたいだろう。音柱邸に植えられている藤の花を撤去することはできないので、できる限り庭から離れた陽の当たらない部屋へと冨岡を通している。
「呼ばれたからだが」
「だからってな……。あの殺気は感じてただろ、お館様が認めるようおっしゃってもあれだ。まあありゃ炭治郎たちのせいもあるが」
冨岡が不死川に斬りかかられた時、実のところ宇髄の肝は縮み上がったし相当に冷えた。防御手段はあるのだろうが、攻撃性がないと改めて確認してしまった今、やられる想像のほうがしやすいのである。まだ炭治郎のほうがやり合う気概を見せていたぶん安心感があった。
「……交流したいかどうか、近くで確かめてほしいと言われたんだ」
「どうだったんだよ」
手を組むに値する組織かどうか、といったところだろう。協力は必要なものだと言っていたし、手を組めることを期待していた。産屋敷も会わせるつもりはなかったらしいので、もしかしたら内心では焦っていたかもしれない。
「想像よりも熾烈な鬼狩りだったな。……お前がよほど異端だったのがわかった」
口角を上げた冨岡の表情が柔らかい。まったく呑気なものだと宇髄は溜息を吐いた。冨岡はどこまでも人が好きだが、相容れないと思えたのなら警戒心は持つだろう。仲良くなれそう、なんて思っていたら目もあてられないが、せめて当人にも人は選んでくれと言い聞かせるべきかと考えた。
「で、那田蜘蛛山では胡蝶と会っただけか? 鬼にはバレてねえんだな」
「いや……なんか猪が……」
「猪? あー……いや、野生か?」
「喋ってた」
蝶屋敷の病室にいたあいつだろう。あんなのがほかにもいたら派手に驚くのでそういうことにしておく。
どうやら炭治郎と合流する前にも鬼と遭遇しかけたようで、件の猪が巨躯の鬼に捕まって死にかけていたらしい。背後から水で鬼を拘束し、動けないうちに刀を持っていた猪に頸を斬るよう言った。死にかけで力も出なかったのだろう、硬いとしわがれた声で叫ぶものだから猪とともに頸へ刀を無理やり食い込ませ、どうにか討伐させたそうだ。思いきり存在がバレていそうだが、本当に大丈夫なのだろうなと怪しさしかない。
任務の際にも禰豆子が鬼殺隊側で戦うことはたくさんあったので、まず間違いなく禰豆子の存在は鬼側にバレている。冨岡は隠れ生きているし、後見人の存在もぎりぎりまで隠しておきたいだろうに。
「産屋敷さんに呼ばれた理由はもう一つある。お前が言ってた鬼狩りの女、蝶飾りの……」
「あ? ああ、胡蝶の姉ね。会ったのか?」
こくりと頷く。宇髄が胡蝶の妹に絞られることが決定した頃、冨岡はどうやら姉から礼を言われていたらしい。泣かすなよ色男と茶化して言ってやれば、泣いていなかったと何言ってるんだこいつ、みたいな目で見られた。どいつもこいつも祭りの神を崇めるという気持ちがないらしい。
「ま、それはそれとして、もうお前うち住めよ」
「何故」
「だってもうバラしたし、一先ずは柱から命狙われることはねえ。楽だろ、女房も会いたがってたしよ。今は居ねえけど」
現在は潜入任務に向かわせているが、女房たちも色々と気にかけているのだから良い機会だ。戻った時に顔を見せて喜ばせてやるくらいはしてもバチは当たらないだろう。こちらとしてもようやく保護できる大義名分ができたわけである。
「………。宇髄といると自分がまるで人間のような気になる」
「そりゃ結構! 間違えて陽の下にさえ出なけりゃいい」
「……仕事の時は帰るが、世話になる」
「おう」
小さく笑んだ瞬間の心音がひと際穏やかなものになっていたことを、本人が自覚していたのかは知らないが。
喜ばしいことであるなら良かったと、宇髄は人知れず安堵したのだった。