異端者たち 六

 直感した。
 外見の特徴を言葉で伝えられてはいたけれど、なによりもこの子だと確信できるだけのものを見せられた。目の当たりにしたものは手助けするに値する光景だった。
「……鬼となっても、“人”という言葉を使ってくださる」
 それがどれほど稀有なことであるか、彼は知りもしないのだろう。だからこそ義勇も保護することを決めた。血鬼術に警戒した少年の目をようやく見ることができた珠世は、焼きつけるようにその姿を視界に収めた。
「ならば私もあなたを手助けしましょう。竈門炭治郎さん」
 警戒していた目が不思議そうに珠世へ向けられる。
 風貌は少しも似ていないのに、十年前の義勇の姿が重なって見えるようだった。

「冨岡義勇という方をご存じですね。彼からあなたのことは伺っています。……探しものをしていたのは我々ですから」
 鬼となった男性を地下牢へ拘束し、奥方であろう女性の介抱をしている時に二人は戻ってきた。そばには例の鬼だろう娘がぼんやり手を引かれて佇んでいる。愈史郎と揉めていたようだが、炭治郎はすぐに珠世へ意識を戻して巻き込まれた夫婦の様子を問いかけ、そうして名前を知っていた理由を問いかけてきた。
「………! 後見人とはあなたのことですか?」
「彼がそう言っていたのならそうですね。……本来なら二年前、そちらへお礼に伺うはずでした。鬼舞辻に襲われそれどころではなくなったとお聞きしましたので、うやむやになってしまいましたが」
 竈門家の先祖の墓前に咲くと聞いた青い彼岸花は、入手したのち義勇がこちらへ渡してくれている。続く研究の最中で解明できたことも複数ある。
「あの男は太陽を克服しようとするために青い彼岸花を探している。……日中にしか咲かない生態であることは、幸運としか言いようがありません。鬼舞辻に奪われずに済んでいた」
 彼ら自身にそのつもりは露ほどもなかったのだろうが、ずっと守り続けてくれていたように感じられたものだ。それを見つけてくれた義勇もまた、そう思えたのかもしれない。
 青い彼岸花は細胞を変質させる毒素を持っており、鬼舞辻無惨はこの花を用いて鬼になったと思われる。珠世が鬼舞辻の下にいた頃から訳も知らされず探し続けていたものだ。
 しかし、使い方さえ間違えなければ万病に効く薬になっていたはずだった。本人が鬼になるために使用したのか、それとも誰かに盛られたのか、それは定かではないが。
「炭治郎さん、彼岸花を譲ってくださりありがとうございます。本来は義勇さんへ譲ったものでしょうが……我々もまたそれに感謝しています」
「……いえ。俺たちにとっては目で見るだけの花でした。誰かの役に立つならそれが一番です」
 人好きのする、優しい子だ。だからこそ義勇も彼らの身柄を信頼できる者へ預け、娘鬼を守ることにしたのだろう。
「珠世さん。この花は、本当に鬼を人に戻せるようになるんでしょうか」
「ええ、可能です」
 研究の話はさわりのみとはいえ義勇から聞いていたらしい。
 嬉しそうに前のめりで目を輝かせた炭治郎の身体が愈史郎によってひっくり返され、近づくなと騒ぐ彼を注意しながら珠世は口を開く。
 どのような病や傷も、適切な治療や薬があれば治るものだ。不治の病とされるものも、今は無理でもいずれは治療法が確立される。していくのが医者として生きる者の使命でもあろう。
「ですが、薬を完成させて治療法を確立するにはまだたくさんの鬼の血が必要です。妹さんの血も調べる必要がある」
 義勇には顔を出すたびに採血し、珠世と愈史郎の血も調べているが、それだけでは青い彼岸花の研究には足りない。鬼舞辻無惨に近い鬼――十二鬼月の血を採取してもらう必要がある。
 それは花を譲ってくれた恩のある彼に頼むにはひどく危険なことであるけれど、彼はやると口にした。
「薬が完成したらたくさんの人が、義勇さんだって助かりますよね?」
――薬が完成したら。
 義勇自身はそんなつもりもなかったろう。なったものは仕方がないのだと受け入れ、鬼の身であの時からできることをできる限りでしようとしている。
 珠世を母のようだと言ってくれた姉弟の片割れを、むざむざ鬼にさせてしまったこと。助けられなかったことを、珠世はずっと悔やんでいる。
 あの時彼は自ら呪いを外した。姉にではなく己の身体に爪を立てていた。
 禰豆子のように人を喰わず、襲いもせず、人であることを忘れていない。もしかしたら彼も、己の理性で人を喰わずにいられた例外の鬼だったかもしれない。だがそれはもう確認のしようがないことである。
 身体を弄って異端となった義勇のことも、炭治郎が考えてくれていたことに珠世は嬉しくなった。
「……そうね」
 この子の妹のためにも。治療法を確立させなければならない理由がまたひとつ増えたのだった。

「このようなことを私が頼むのは筋違いだと理解していますが、あの子……義勇さんのことをお願いしますね」
 二体の鬼をなんとか殺してから、炭治郎を見送るために玄関前で話しかけた。驚いたように丸くなった目が珠世を見つめている。
 姉弟で居た頃を知っている身としては、どうしても親戚の子供のような感覚で接してしまうのである。己の子のつもりでなどと烏滸がましいことを言うつもりはないし、珠世の子は生涯ただひとりである。けれど姉弟のことはやはり特別に思ってしまうのだ。
「俺にとっては頼りになるひとなので不思議な感じです、歳上ですし。でも珠世さんたちは義勇さんを昔から知ってるんですから、当然ですよね」
 なんとなく噛み合っていないような気がして珠世はひとつ瞬いた。そこで義勇の外見を思い出し、ああと一言呟いた。
「そうでしたね。……いえ、大したことではありません。では炭治郎さん、禰豆子さんも、武運長久を祈ります」
「はい!」
 箱を背負って元気良く去っていった炭治郎を見送りながら、そういえばあの箱は元鬼狩りと一緒に作って上手くできたと嬉しそうにしていた時のものだろうかと珠世は考えた。
 ひとりでの生活はすべてを自分でやらねばならないからか、案外に手先が器用な義勇は血鬼術も様々に使いこなしている。人と何かをするということも鬼になってからはあまりなかったから、きっと珍しい経験になっただろう。炭治郎に修行をつけたのは鬼狩りの柱やその伝手を使ったという話だったが、それ以外の部分で義勇も色々と心を砕き、そして危険のない交流を持てたようだ。
 花を持ってくる際の義勇は、あまりに急いで目くらましの札を使い忘れて来たことで愈史郎に怒られていたけれど、まるで本当の少年のように興奮していた。きっとあの時のように箱も作っていたのだろう。
「……これで我々も当主に認知されることになるでしょう」
「本気ですか」
 上手く立ち回るにはどう動くべきか。義勇の文があっても炭治郎を手助けすることに不満があった愈史郎は、やはり未だ鬼狩りと手を組むことを納得していないようだった。
「あいつが別行動を取ってるのは珠世様を危険に晒したくないからです。俺が言うまでもなくあいつはそうした。理由はあなたがあいつの恩人だからだ」
「………」
「義勇が話の通じる鬼狩りを見つけたのはまだいい。あなたが当主と手を組むつもりなら、鬼殺隊を味方だと勘違いしていませんか」
「そうでもしなければ鬼舞辻無惨は殺せない」
 危険に晒されてもやらねばならないことはある。それは珠世にしかできないことでもあるのだ。義勇に任せきりで済ませるつもりは毛頭なかった。
「恩でいうならば、私も義勇さんや炭治郎さんに恩があります。鬼舞辻をこの手で殺せるのなら、私はなんだってできる」
 泣きそうな顔をさせてしまっても、こればかりは譲れなかった。なんのために今この時代まで生き延びてきたのかわからなくなってしまう。
――薬が完成したら、珠世先生と愈史郎さんも。
 だからこそ、炭治郎と義勇に期待してしまうのである。


 珠世が見る義勇の姿はあの頃と同じ子供の姿だ。
 普段は見た目を成長させていることは知っていた。鬼は見た目が鬼になった時の姿で止まり、意識して姿を変えるものだから少しでも疲労を感じさせないようにという一心で、珠世たちの前では変えなくていいと伝えていた。だから珠世が見る彼はいつも子供の姿だった。
 全力で駆けてきたのだろう義勇は、嬉しそうに差し出してきた包みを早く開けるよう急かしてきた。
 愈史郎からは珠世に花を渡すことを怒られ、鬼狩りに深入りすることを怒られ、しょんぼりしつつも意外と堪えた様子のない義勇に愈史郎が苛立つという、いつもの様子も見せてくれた。急かされるままに開けた包みを見た珠世と愈史郎が疑問符を浮かべた時、嬉しそうな義勇の声がその蕾の正体を告げた。その後は混乱にまみれ、落ち着いたのは花瓶に活けてしばし眺めてしばらく経ってからだったものだ。
 青い彼岸花を探せという命令は、珠世が鬼になる以前からも続いていたものだったように思う。
 奴はこれを血眼になって探していた。あの男は戯れで数百年探し続けるような性格ではないから、己の重要な秘密に関わるものであることは間違いない。
 鬼舞辻を殺し損ねたあの男との約束を果たす機会が迫っているのかもしれない。そう思って一心不乱に研究へ没頭した。誰の声も耳に入れることなく。話を聞かぬとわかった愈史郎と義勇は、結局無言で研究の手伝いをしてくれていた。
 そうして青い彼岸花がとある特性を持っていることを発見し、この花を主原料として薬を作ることを決めたのである。
――薬が完成したら、珠世先生と愈史郎さんも人に戻れる。
 そんな夢物語を義勇は期待に満ちたような声音で口にした。
「あのなあ、そんな簡単に出来上がったら苦労しないんだよ。珠世様の苦労がどれほどのものか身体に教え込んでやるからそこに直れ」
 作り出すことに成功できるか。希少な青い彼岸花からどれほどの薬が量産できるか。失敗は許されず、鬼舞辻無惨を殺す手立てが最優先である。
 だから、珠世が人に戻る隙はない。愈史郎は自ら鬼になると選択してくれたから、珠世が鬼のままでいるならば彼も人に戻るつもりはないだろう。義勇だけならばなんとかしたいと思っているが、彼はいつも自分のことはさほど重要に考えていなかった。
 けれど、そんな彼の性格を思うよりも明確に戻れない理由がある。
――私はあなたのように潔癖ではない。
「珠世先生?」
「……いいえ。あまりに特殊な生態なので興味が尽きませんね」
 言えない。知られるのが怖い。素直に慕ってくれるこの子には、珠世が人を喰い荒らしていた過去があるなどと。今まで愈史郎や義勇のように人を殺していない鬼など存在しなかった。だからこそしゃあしゃあと人に戻るなどという選択肢は珠世にはない。
 聡明な子だ。きっと気づかれているのだろうけれど。