異端者たち 五

 いつの間にやら勝手を知ることになった冨岡邸。いつもの如く走り込んで辿り着いた庭で素振りをする炭治郎を眺めながら茶を啜り、宇髄は隣でぼんやり座っている冨岡へ独り言のように話しかけた。
「鬼狩りの使う呼吸の型があるんだが、あいつ俺の呼吸まったく合わねえんだよな。全然だめ、適性ねえわ」
 不愉快そうに眉を顰めた冨岡が宇髄へ視線を向けた。宇髄も好かれている自覚はあるのだが、それよりも炭治郎へ好意を示すものだからなんとなく面白くない。しかも言っているのは才覚だとかの話ではなく適性の話だ。まあ、知らないのだから仕方ないが。
「お前の呼吸が悪いんじゃないのか?」
「失礼言うな。ま、呼吸にも色々あってな、限られた者にしか扱えないものとかもある。俺は雷の更に派生だからそのせいかもな」
 ふうんと傍から聞けば興味がなさそうな相槌も、宇髄の耳には続きを聞きたそうな声音に聞こえる。もっと興味津々な様子を表に出せばいいと思うが、相変わらず地味な奴である。
「逆に初心者向けといわれてるものもあって、水の呼吸というんだがな。習えるものは習いたいらしいから、水の呼吸の育手を探してたんだよ」
「過去形だな」
「ああ。刀鍛冶の里で予備に作ってもらった刀があったんだが……それを試しに握らせてみた」
 色変わりの刀といって、握ればその者の呼吸の適性が色となって表れる。育手に習った呼吸法が適性のものであるなら一番だが、そうはいかない者も多数いる。だから宇髄の呼吸が身につかない炭治郎も珍しいわけではないのだが。
「あいつの色は黒だった」
「だめなのか」
「だめというかな……どの呼吸を極めるものなのかさっぱりわからん。同僚に聞いてもそう言うし……」
 代々炎柱を輩出する煉獄家の嫡男ならば他の呼吸も詳しいのではないかと聞いてみたが、答えは無慈悲なものだった。出世できない、どの呼吸が適性かもわからない、父ならば知っているかもしれないと提案されたものの、それはなかなかに骨の折れる選択肢である。最終手段として取っておくことに一度はしたのだが。
「あいつの家は火の神に捧げる神楽舞があったというが……その流れなら火の呼吸じゃないのか?」
「まあな……結局骨の折れる選択肢なんだよな」
 知らないのだから仕方ないが、火の呼吸ではなく炎の呼吸だ。呼び名の違いは宇髄にも理由はわからないが、訂正されるほど重要なことであるらしいので。
 これを炎柱に言えば怒り狂ったかどうでもいいと流されたかのどちらだろうかと考えつつ、最終手段としたあの男に宇髄は話をしに行ったのだった。己の面倒見の良さは派手に崇められて然るべきだと思う。深い深い溜息が漏れ出ていた。
「なんだ、すでに終わった話か」
「おー。炎柱には癇癪を起こされ殴られ息子に庇われ、すげえ疲れたわ。炭治郎連れてかなくてよかったぜ、無駄に拗れるところだった」
 四角四面で曲がったことを少しも許さない炭治郎なので、あの炎柱の体たらくを見たらどんな暴言が出てくるかわからない。宇髄とて炎柱の様子には言いたいことも山ほどあるものだから、粗相をしたところで仕方ないとは思っていたが。
 しかし、事前に言われたとおり何かを知っていそうな様子ではあったので、弟とともに調べておくと息子の協力を得られたのは助かった。そうでなければ骨折り損になるところだ。
「そんで交渉決裂というか、まあそもそも交渉すらできなかったんだが。お館様に相談したら狭霧山に元柱の育手がいるらしいから、そこへ預けることになった」
「狭霧山か……」
 炭治郎自身も山育ちというが、雲取山よりも空気が薄いので修行にはなかなか良さそうな場所だった。水の呼吸が扱えるかどうかは知らないが、初心者向けと謳われるのだからどうにでもなるだろう。音の呼吸の型だってひと通りを練習させてはいたし(たぶん極限状態でこれしかなければ使えたりもするだろう)、要はなんでも使って生き残れればいいのだ。
「迎えに来てくれるっつうからよ、ここに来るよう言っといたからな」
「!!!」
 あまりに驚いたらしく後ろ髪が逆立ったように見えた。むしろ全身驚愕で飛び上がっていたようにも錯覚した。起伏は地味なくせに内心は感情豊かな冨岡だが、驚きすぎると表に漏れ出てくるらしい。地味な奴である。
「何故」
「直に見たいってよ。稽古をつけるかはそれから決める」
 宇髄が挨拶に向かった頃にはすでに産屋敷から伝えられていた。思うところは有り余るほどあったが、会って話してみれば納得のいくものだった。もちろん他言無用と育手もわきまえていると言い、鬼を許容できる者、このための人選だったかと宇髄は理解したが。
 まあ、冨岡からすれば引退したとはいえ元鬼狩り相手だ。気絶しているわけでもなければ、宇髄のように人となりを知っているわけでもない。不安はあるだろう。むしろなければ危機感がなさすぎると怒るところだ。
 だがまあ、炭治郎と同様に鼻が利くという御仁だ。会えばすぐに理解を示してくれるだろう。

 そうして野方に現れたのは天狗であった。
 正直訪問時は面を取ってくると思っていたので宇髄は少々呆れてしまったが、鱗滝にも譲れないものがあるのだろう。そのあたりの心情は知らないが、まあまあ派手で悪くはない。
 ぺこりと会釈をした冨岡を見守りつつ、結界内に足を踏み入れた鱗滝の様子を見ていた。一瞬逡巡したようにも見えたが、そのまま誘導されたとおり屋敷内へと入ってくる。
「竈門炭治郎です! あの、義勇さんと妹は」
「炭治郎。妹が人を襲った時、お前はどうする」
「―――、」
 それは鬼の脅威を知っている者なら誰しもが怖れる事態だ。眠り続ける姿しか知らない宇髄にも、冨岡にも起きた後のことは予測しかできないが、理性で我慢していた禰豆子の様子を知っていれば人を襲う恐れは充分にあり得ると冨岡も踏んでいる。兄は信じたくないだろうが、理想だけでは先へ進めない。
「……妹を殺して、俺も腹を切ります」
 したくない。以前は口にすることすら嫌だと耳に頼らずとも伝わってきたものだった。だが鱗滝に認めてもらうには、その覚悟を持たなければならない。そうでなければ鬼狩りにはなれない。竈門禰豆子を守ることすらできないのだ。
 覚悟を持って強くなり、妹の不始末は兄が責任を持つ。そうでなければ鬼を生かすなど許されないことだ。
「……よくわかった」
 納得させるだけの思いが伝わったのか、炭治郎から意識を外した鱗滝は見守っていた冨岡へと向けられる。促されるように襖へ手をかけ、冨岡は眠る禰豆子の元へと鱗滝を案内した。
「眠りについてから一年ほど経ちました」
「そうですね。義勇さんが診ても異常がないので……」
 死んでしまわないかと兄が不安になるほど起きる兆しはないままだ。ひたすらに布団を占領し続ける娘は、鬼だと言われなければ気づかないほどに穏やかだった。眠っているので静かなのは当然なのだが。
「……おそらく体内で何か異変が起きている」
 他の鬼にはない異変が。
 冨岡にもない異変だという。理性で食欲を抑え込んだ禰豆子だからこそ起こるものなのだろう。
「………。きみと同じにはならないのか」
 その問いかけに驚いたのか大きくひとつ瞬いた冨岡は、鱗滝を眺めてから小さく口を開いた。
「俺は……人為的にそうしたので、禰豆子とは根本から違います」
 鬼にあるという呪いも、人を喰うこともしないようになっている。血を飲む必要はあるが、わざわざ人を襲って肉まで口にする必要も欲求もない。ならば禰豆子もそうしてやればいいのではないかと鱗滝は問いかけたが、それも冨岡はかぶりを振って否定した。
「手を加えることで起こるはずの異変が起きなくなったら、あるはずの可能性も潰えるかもしれない。起きて早々に凶暴化したとして、俺なら対処可能です」
 だからここで匿う。兄には修行に専念させる。妹が凶暴化した時、どうとでも対処できるようになるために。
「どうか兄への修行をよろしくお願いします」
「義勇さん……」
 鱗滝へ深く頭を下げた冨岡の旋毛を眺めた鱗滝の音が変わった。
 元鬼狩りの性か、薄っすら警戒していた心音が穏やかになったのを捉えた宇髄は、口を挟まぬまま小さく笑みを浮かべた。
 安全を重視するなら禰豆子も冨岡のように身体を弄ってしまえば済む。むしろそうしないことで危険性が上がるのだから、しないという選択肢は推奨されはしないだろう。
 だが、竈門禰豆子の異端さは産屋敷も認めたものだ。異端の鬼を兆しだとして、好機だと口にした。
「……わかった。ついてきなさい、これから修行に移る。妹と次に会うのは隊士になってからだ」
「えっ」
「会いたいなら励むことだ」
「……はい! じゃあ義勇さん、禰豆子をよろしくお願いします! 宇髄さん、」
「最終選別は鱗滝殿の判断に任せる。お前は帰還したら、派手に顔見せに来い」
「はい! 行ってきます!」
 無事認めてもらえたことで安堵の息を吐き出した。慌ただしく駆けて行った二人を見送ってから、静かになった部屋でひとり呟く。
「良い人だ」
 判定が早いなと吹き出しそうになりつつ、鱗滝のような人間はそういないだろうと同意する。まあ、その前に炭治郎と出会っているのだから、そういう優しい人間がこいつの周りに集まるのだろう。
「鬼狩りは変人ばかりだな」
「もっと派手に褒めろよ!」
 その中に自分も含まれているらしいことに気づいた宇髄は、地味な照れ隠しに冨岡の頭をはたくことにしたのだった。