異端者たち 四

 食人衝動を感じさせない鬼の存在などあり得るとも思わなかった。子供の家族の埋葬に付き合った義勇は、目が覚めたらしい娘がただぼんやりと立ち尽くしている姿にひっそりと困惑していた。
 負っていた傷は治っているが、禰豆子はその回復のために喰らうはずの人の肉を喰っていない。珠世の治療も介さずに。
 こんな鬼が現れるなど思いもしなかった。
 ただ、これは禰豆子の強靭な理性によって堰き止められているだけのものであるということがわかっている。竈門家の先祖の墓へと向かう途中、野生の兎が罠に掛かって苦しんでいた。挟まれた脚から血が流れて怯えていたところを見つけ、ぼんやりとしていた様子がふいに覚醒したように目を見開き、竹枷の奥で涎を垂らし始めたからだ。
 人ではなくとも血肉は食糧だ。加えて禰豆子は食事をしておらず、怪我をして飢餓状態であったはずだった。獣の血肉くらいならと義勇は考えたが、繋いでいた手を離した炭治郎が罠を外して逃がしたことで、荒く息を整えようとしたのか禰豆子の様子も元に戻っていった。
 禰豆子の食欲は結局、我慢しているだけのものだ。人ではないにも関わらず血肉を見て涎を垂らす程度には、生き物を食物として認識しているし反応している。だがそれを踏まえても喰わないというのは鬼にはあり得ない行動だった。
 こいつは食欲を自分で制御している。何故かわからないが、自力でそうしようとしているのだ。
 これが永続的に続くかどうかもわからないが、少なくとも今は陽光を嫌がって布団に潜り込むだけのただの子供だった。これがどれほど異端なものであるのか、きっと炭治郎は深く理解していないだろう。だからこそ義勇は決意を固めたわけでもあるが。
 さて、伝えることを脳裏にまとめた義勇は炭治郎に机を借り、文を書き始める前に血鬼術を発動させた。竈門家を守るように水を張り巡らせ、ひと息ついたところで再びペンを取り、文をしたためる。
 炭治郎は現在食欲がないとも言っていたが、空腹は脳を鈍らせることにもなるので無理矢理にでも食事をするよう言い含めた。義勇もすでに血を飲み終えたところだ。禰豆子には、与えてやることはできないが。まあ、食べられないのならそれで仕方ないとも思っている。
 鬼舞辻無惨の襲撃についてペンを走らせる。青い彼岸花が咲く時期ではなかったこと、日中にしか咲かない生態だったからこそ鬼舞辻無惨に見つからずに済んだわけだが、このような山に赴いてまで鬼を作りに来るとは。
 そうしてひと通りの出来事を書き終え、二通目に取り掛かる頃になんともいえない顔をした炭治郎が纏めたのだろう小さな荷物を持って戻ってきた。
「不思議な感じが急にして……」
 鼻下を指で擦りながら首を傾げている。
「鬼には異能を使う奴もいる。お前が感じたのは俺の血鬼術だ」
 屋敷の表側を隠すことはできない代わりに、内部に結界を張った。炭治郎が感じた匂いの違いはそのせいだろう。注視しなければ見えないほどの薄い水を、天井や壁、室内を覆うように張り巡らせている。どうせすぐ出ることになるが、惨状の跡は流しておくべきだろうとも思ったので。
「わっ」
「水の膜が不要物を遮断する。要するに結界だ」
 手のひらで小さな水の玉を作り出した時、炭治郎は驚きの声を漏らした。外からの攻撃は内部に届くまでに威力を削ぎ落とす。内部の標的を狙った一撃必殺のような攻撃は完全に防ぐことはできないが、無差別な攻撃ならば大した脅威ではなくなる。よくもまあ義勇のような者からこんな異能が出たものだと我ながら思ってもいる。
 どうせなら姉を守れるよう間に合っていればよかったのに、血鬼術に目覚めたのはしばらく経ってからだった。その上鬼舞辻無惨に鬼の血鬼術など効かないのだからどうしようもない。
 まあ、他の鬼の感知には有用である。そのぶん感覚の鋭い者は鈍るらしいが、我慢してもらうしかない。生家にはこれに加えて愈史郎の目くらましの術がある。生家ゆえ近隣住民に効果はないが。
「ああ、それで……なんだかすごく落ち着く気がしました」
 これなら食べられそうだと少し笑い、荷物の中から握り飯を取り出した。この能力である程度の安全は確保できたことになったようなので、義勇も多少安堵できたところである。
「あの……“そうなっている”って、どういう意味ですか?」
 義勇が二通目の文を懐に忍ばせ、現れた猫に一通目の手紙を託す様子を眺めながら炭治郎は問いかけてきた。
 散々義勇を安全だと決めつけてきた時の話だ。結局それで炭治郎に絆される羽目になったのだから、子供というのは恐ろしい。いや、竈門家が特殊なのかもしれない。
「言葉のとおりだ、喰う必要がない。そういうふうにしてもらった。……血を、貰うだけでこと足りる」
 布団に潜り込んだままの禰豆子を引っ張り出し、陽が差していないのを確認して家を出る。後ろ髪を引かれるように一度振り向いたが、炭治郎は禰豆子の手を掴んで歩き出した。
「協力者……後見人のようなものだ」
「後見人……」
「……鬼の始祖は血を与えて配下の鬼を増やすが……」
 与えられた人間は死ぬよりも苦しみ、耐えきれずこと切れる者のほうが多い。血に耐えきった者は義勇や禰豆子のように鬼となる。空腹を覚えた鬼はそばにいる人間を喰らい、腹を満たすことを覚えていく。通常ならば。
「……俺は、姉を喰う前に押さえつけられたらしいが。そうでなければ、………」
 例外なく喰らっていたのだろう。だからこそ禰豆子の異質さが際立ってくるのだ。

*

 鬼と戦う術は鬼狩りが知っている。
 目印は背中に滅の文字がある黒い詰襟で、刀を持っている人間だそうだ。とはいえ廃刀令の時世に町中で見せびらかすようなことはしないだろうというので、刀を目印にするのは難しそうだった。
 鬼狩りは人間であるので、鬼である義勇や禰豆子は見つかり次第頸を斬られるだろうと義勇は言った。鬼狩りの持つ特殊な刀は陽光だけを弱点としていた鬼を殺せる唯一の、人間にとって大切な武器だという。ということは、見つかれば義勇も禰豆子も殺されてしまうということではないか。そんなことになったら炭治郎は悔やんでも悔やみきれない。
「よお、冨岡」
 義勇の生家へと足を踏み入れた炭治郎がカゴに入って眠っていた禰豆子を別室へと寝かせ、炭治郎自身もようやくひと息つき、これからどうするかと思案していた頃にその声はかけられた。大柄な男が軽やかな動きで塀から縁側へと移動してくるのを眺めていたら、向こうもじっと炭治郎を観察するかのように見つめてきていた。
「そいつが例の子供か?」
「ああ」
「どなたですか?」
「祭りの神だ。派手に敬え!」
「宇髄。鬼狩りだ」
「え!」
 この人が。道中鬼狩りには注意していると義勇自身から聞いたものだから、茶を淹れようと考えていた炭治郎はたいそう狼狽えた。けれど義勇はなんでもないように炭治郎を制し、大男へと入ってくるよう呼びかけた。
「一人だけ見逃してくれる奴がいる」
 正体を知った後も交流を持ち手を組んでくれる鬼狩りが。鬼である義勇が鬼狩りと関わりがあるなんて驚きだが、確かに敵意がないのは匂いでわかった。観察はされているけれど。
 話によればどうやら、炭治郎の弟子入りを断った義勇は鬼狩りである彼に師事して強くなれと言いたかったらしい。どんな人なのかはまだわからないけれど、義勇を鬼と知ってなお生かすというのは鬼狩りにとってとんでもない所業なのだそうだ。ならばきっと悪い人ではないはずである。
「そりゃ別にかまわねえけどよ、……あ? 呼吸音が聞こえるな」
「鬼が寝ている」
「は? 鬼って寝んの? しかもなんか……気配も変な感じすんな……?」
 耳を澄ましても別室にいる禰豆子の寝息も気配も炭治郎にはわからない。特にこの冨岡邸に居ると安心してしまい鼻すら鈍らせてしまうのだが(理由は結界のせいだと聞いている)、疑問を持てるほどに彼は聞こえているし感じているらしい。鼻が利く炭治郎同様、彼も感覚が鋭いのだろうか。
「人を喰ってない」
「またかよ!」
 思わずといった様子で柱を殴りつけた男に炭治郎はびくりと驚いたが、やめろと一言窘めた義勇はむっとしていた。
「結構いんな!?」
「いない。あれは例外だ」
「お前もだろ」
「俺は弄ってる。……あれは、理性で我慢している」
 我慢、と掠れた声が静かに零れ落ちた。知己らしい二人のやり取りは悪意も殺気もないので大丈夫だとは思うが、それでも把握しきれない言動に炭治郎ははらはらしていた。
「まじで? 鬼が? 食欲を?」
「そうだ。今後どうなるかは知らんが、少なくとも今は」
「うへえ……、派手に面白えじゃねえか」
 最初こそ戸惑っていたように見えたが、男はやがて言葉どおりの笑みを浮かべて義勇と炭治郎へ目を向けた。
「で、匿ってるくせ鬼狩りになりてえってか。一応言っておくが、鬼殺隊に鬼の存在なんてばれたら頸なんざ即刻飛ぶしお前も危ないよ? 素直にここなり生家なりで大人しくしとくべきじゃねえの?」
 じゃああなたも危ないのでは、と考えたが炭治郎は口を噤んだ。
 鬼と戦う人間などいくら居たって困らねえから、入隊するぶんには歓迎するけどな。なんて揶揄うような素振りを見せた大男だったが、あくまで観察の目は向けられたままである。
「……でも、強くならないと戦えません。妹を守ることもできないし、人に戻す方法もわからないままです。俺は妹と義勇さんを人に戻したいです」
「え?」
 炭治郎の返答が予想外だったらしい義勇は思わず声がまろび出たらしく、ぽかんと呆けてからやがて眉根を寄せてじとりと視線を向けた。
 母の怪我を手当してくれたひとで、ここまで炭治郎を連れてきてくれたひとなのだ。これを言うと単なる恩返しでしたことだと言葉を返されるが。
 鬼であることは受け入れても、決して良しとしているわけではないことを炭治郎は感じていた。自分が鬼であると口にした時、彼の匂いは静穏さに紛れて怒りもあったことを嗅ぎ取っていた。
 鬼になったことを良く思っていない。人であることを望んでいるから、こうして人を喰わぬよう弄ってもらったということなのだろうと炭治郎は結論づけていた。
「俺は義勇さんにも人として生きてほしいです」
 もちろんそのすべが本当にあるかどうかすら炭治郎にはわからないけれど、だからこそ探すためにも強くならなければならないのだ。義勇自身もそうであるべきと考えたからこそ、鬼と対峙するには鬼狩りになるのが一番良いと考えた。だからこそ今鬼狩りの彼がここにいるのだろう。
「はっはっは! いいなそれ、乗った。俺様が派手に協力してやるよ」
 崇め奉れと自らを指す大男に炭治郎は怯んだが、やがてお願いしますと腹の底から声を出して頭を下げた。

「一先ず、鬼殺隊の当主に報告を上げるがいいな?」
「えっ。そ、そんなことしたら義勇さん、」
 不安げに義勇を見るが、彼は相変わらず静かな目を宇髄へ向けていた。人を喰っていないのだから頸を斬られる理由はないと炭治郎は思うけれど、鬼殺隊にばれたら処分されると先ほど宇髄から聞いたばかりなのに。炭治郎だけならまだしも義勇や禰豆子の存在は明かしていいものなのだろうか。
「取り巻く隊士は難しいが、お館様は話を聞いてくださる方だ。そいつの妹とやらの生態がわからねえから面前に出させるわけにはいかねえが、お前らみたいな異端をお館様が捨て置くはずはねえ。もしかしたらすでにお気づきかもしれねえ……が、問題はその後だ」
「後……」
「お前が無事鬼狩りになれたとして、鬼の妹を隠し通せるか」
「こちらで保護する」
「え……」
「まあそれが一番だろうが、本人は不服そうだぞ」
 義勇は禰豆子を連れ歩くことを想定していないようだが、炭治郎としては家族を一気に失い、残った妹まで知らぬ間に死んでしまうなんてことをもう経験したくはない。だから何があっても一緒に行動するつもりだったのだが、それだと鬼狩りになってしまった時、周りは禰豆子の敵だらけになってしまうということだろう。人を喰わない鬼であることを理解してもらえればすぐに解決すると思うが。
「ま、寝てるという鬼はまだどう転ぶかわからん。起きて人を襲う可能性はあるからなんともいえんが……お前は別だ、冨岡」
「………」
「身体を弄って血を摂取するだけで生き長らえているお前は、理性的でしかも人を喰っていない実績がある。その身体を弄るってのは、例の後見人以外にできねえのか? だったら余計に鬼殺隊で保護させてほしいと思うんだが」
 炭治郎も一度聞いた義勇の後見人の話だ。確かに、鬼から食人衝動とやらを失くすような施術ができる人など、鬼狩りにとっては重要な人材ではないだろうか。義勇は無言だった。
「……まあ、大体予想はつくけどな。すでに人を喰わねえ鬼がいることもわかったし、その後見人の正体が渋る理由のひとつってことくらい。信じられねえ気分にはなるが」
「正体……ですか?」
「冨岡と同じ鬼だろう、そいつは」
 ああ、そうか。それで。炭治郎はすんなりと納得した。対して義勇は少しばかり申し訳なさそうな匂いを醸して目を伏せたが、宇髄はどこか見守るような目で眺めていた。
「ま、いいわ。とりあえず、お館様には報告するからな。……あー、後見人の話はしねえよ」
 立ち上がろうとした宇髄を物言いたげな表情で見上げた義勇に、宇髄は小さく舌打ちをして頭を乱暴に撫でた。ついでのように炭治郎の頭まで撫でられ、更には禰豆子の様子を見たいと口にした。
「その例外の鬼ってのがどんなのか派手に興味あるな」
「幼子のようなものだ。我慢が利かなくなることもあり得るだろう」
「お、俺が絶対に人を傷つけさせません!」
「当たり前のことを宣言してんじゃねえよ」
 上方から重いデコピンを食らわされて炭治郎は額を擦った。禰豆子のデコピンは弟妹たちにはよく効いたけれど、炭治郎には効かなかったことを思い出した。宇髄はひっそりと指を庇いながら不審そうな目を向けてきたので、石頭であることを謝っておいた。


「そうか……天元との繋がりがあったんだね」
 ようやく、と呟いた当主に、予想していたとはいえ想定と反応が違ったことに宇髄は内心で疑問を抱いた。
 予感ではなく、冨岡のような鬼が居ることを産屋敷は知っていた。冨岡の正体を知ったあの頃、宇髄は鎹鴉を買収して報告を上げないよう口止めしていた。宇髄が報告するよりも先に誰かが伝えたのだと思われるが。
「二年前、カナエは上弦の弐との戦闘で肺を傷つけられ引退となったね。当時、治療が間に合わなければカナエの命は危なかった。そのくらい逼迫していたんだ」
「………」
「けれど……あの時。カナエを助けてくれた鬼がいたと聞いている」
――あの馬鹿見られてんじゃねえか。
 人を助ける鬼など冨岡以外に宇髄は知らない。頭を抱えそうになるのを必死で堪え、いやいや人選――選んだわけではないだろうが――は鬼殺隊の中ではひと際穏健であり異端である人間だ。なにしろ元花柱であったはずの胡蝶カナエは、常日ごろ鬼と仲良くするなどと世迷い言をのたまっては妹に窘められていたそうな。表立ってはいなかったが、それを良く思わない隊士がいたことも宇髄の耳には入っていた。
 宇髄自身、冨岡の素性を知るまで胡蝶カナエはおかしな奴だと思っていたし、もしやそう思わせるのが狙いかと裏を考えたりもしたものだ。胡蝶に冨岡の話をしなかったのは、どこで漏れるかわからない話で要らぬ危険を増やしたくなかっただけだが。こんなことならさっさと膝を突き合わせて話をしておくのだったと反省した。
「どこの誰かもわからない相手だ。素性も行方もなかなか掴めなかったけれど……天元。きみのいう鬼は、蒼い目をしているのかな?」
「……はい」
「そうか……」
 馬鹿だ馬鹿だと思いはしても、それが人としてのあるべき姿なのだろう。もしかしたら、他にも人知れず助けられた者がいるのかもしれない。宇髄は小さく笑みを漏らした。
「……奴のそばには現在、眠り続ける鬼がいます。自力で食欲を抑えているのだと」
「そうか……彼らに会えるだろうか」
「説得しましょう」
「……そうだね。けれど、時期が来るのを待とう。好機はすぐそこにある」
 産屋敷の目に何が見えているか、宇髄には図り知れない。しかし、口ぶりは宇髄が画策せずとも歯車が動き始めたとでも言いたげだ。ならば放っておいても冨岡は、禰豆子共々鬼殺隊とは切っても切れない縁になるのだろう。

「お前さあ、二年前に鬼狩り助けたろ」
「どの……」
 ぴたりと止まった動きに宇髄はじとりと視線を向けた。
 その言葉が出るということは、やはり珍しいことではなかったということだ。鬼狩りには気をつけろと口を酸っぱくして言われていると聞いたが、本人はあくまで人助けの一環としてしたことだと言い訳している。
「気絶してる奴ばかりだった」
「ところがどっこい、二年前だ。上弦の弐に遭遇した隊士は朝陽が昇る頃、まさに死にかけだったわけよ。隠の到着を待ってたら確実に間に合わず命を落としただろう。長い髪の若い女だ、蝶の髪飾りをしてたかね」
「………、ああ」
 諦めたのかもともと隠す気はなかったのか、思い出したらしい冨岡は相槌を打った。
 曰く、夜明けで鬼が去っていく様子を遠目に眺めていたところ、鬼が向かった反対側から血の匂いが漂ってきた。襲われた人間を探したら隊士だったというだけのこと。一刻を争ったからその場で処置をしたのだと冨岡は言った。
「上弦が留まっていたら俺は近づくこともできなかった。運が良いことだ」
 助けられそうだったから助けた。冨岡にとってはそれ以上でも以下でもなかったのだろう。確かにすべてを助けようとはしていないだろうが、名乗りもせず恩を着せようともしないのはあまりにお人好しが過ぎるだろうに。
「お前の仲間は強いな」
「………、」
 こう育てた冨岡の家族はよほどの善人だったのだと想像していた時にぶち込まれたから気を抜いていたのもあるが。
 言葉を詰まらせた宇髄は、その付け足された一言が己へのたいそうな信頼と特別扱いであるらしいことを察して柄にもなく狼狽えた。
「……あー、まあ助かったよ。おーい、まだ休憩する気かぁ? お前そんなんじゃ鬼狩りになるなんて夢のまた夢だよ?」
「………、……は、はい……問題ありません……」
「禰豆子はまだ目を覚まさない」
 誤魔化すように冨岡邸の敷地である庭で必死になって息を整えている炭治郎に声をかけてみたが、まだまだ体力はついていないらしい。
 宇髄に弟子入りしてからしばらく経つが、鍛錬には宇髄邸から野方までの走り込みを組み込んでいる。原因は炭治郎が禰豆子と離れるのを渋ったからだ。眠り続けている妹が心配で仕方なかったのと、己の居ぬ間に家族を惨殺された過去も影響しているのだろう。
 宇髄邸へ冨岡と禰豆子が来ればいいだけの話であるのだが、今はまだ隊士たちへ二人の存在は周知されていない。鬼殺隊に所属している宇髄のそばは危険すぎるという理由で、野方で匿っているのだった。まあ、冨岡邸には血鬼術が二重にかけられているともいうし、安全性は宇髄自身が経験済みだった。宇髄邸には藤の花も咲いている。柱の屋敷は基本的に植えられているので、確かに鬼には辛かろう。いずれはこちらへ滞在させたいところではあるが。
「あの……禰豆子は大丈夫でしょうか」
 ようやく落ち着いた炭治郎が動き、縁側へと申し訳なさそうに腰を下ろした。勝手に飲めというものだから宇髄の気に入りの茶葉で炭治郎にも茶を淹れてやり、手拭いとともに手渡してやった。
「今のところは本当に寝てるだけだ」
 基本的に冨岡のことは疑っていない炭治郎だが、鬼となってしまった妹がこれからどうなるのか見えず、眠っているうちにことんと死んでしまったりしないかと不安なのだという。人を喰ってもいないから、普通の鬼とも比べられない。冨岡とは根本から異なる存在だともいうし。
「後見人には仔細報告している」
 食欲を抑えた例外の鬼故に異変があるのも納得できる部分ではあるとも思うが、兄としては気が気でないのだろう。