異端者たち 終
「お。起きたか」
目の前で丸くなる蒼い目を眺めて声をかけてやれば、ひとつ瞬いた冨岡は不思議そうに辺りを見渡そうとした。
「おはようございまーす! すやすや眠って可愛かったですねえ」
「寝起きに声がでかいんだよ、少しは静かにしな。もう少し寝ててもよかったのに」
「休めたようでなによりです。天元さまの体温安心できたでしょう?」
「………、!?」
背中に乗っていた宇髄の腕を持ち上げ勢いをつけて寝台で起き上がった冨岡は、状況が飲み込めないのか疑問符を浮かべてきょろきょろと視線を彷徨かせた。同じ寝台の上で寝転んでいる宇髄へ不審そうな目を向け、やがて座り込んで首を傾げた。
「寝台で寝てたか……?」
「いや? 地味に座って寝てたから運んだ」
正確には寝台に突っ伏して寝ていた。椅子すら用意しなかったのか床に座り込んでいたから、何をやっているのかと呆れながら寝台へと寝かせたのだ。宇髄は丸椅子に座っていたのだが、蝶屋敷で手伝いをしていた女房たちが顔を出して天元さまも休んでくださいと姦しく言うものだから、期待に応えて添い寝してやっていただけである。まあ、穏やかな寝顔は地味ながら見応えがあったと思っている。鬼であった時は見たことがなかったので。
子供のように目元を擦る冨岡が重かったと文句を言うので額でもはじいてやろうかと思ったが、人に戻ったこいつは軟弱なのだったと控えることにした。せっかく怪我が治ったのにまた怪我をしてはたまらないだろう。冨岡は心外そうに顔を歪めるだろうが。
「もう行くんですかあ?」
もう少し休めばいいのにと須磨が声をかけるが、あと少しだからと寝台から降りる。今日は最後の柱合会議だった。行かないのかと問いかけられて、柱ではないのだから当然だろうと答える。あの最後の戦いに、本来なら宇髄はいなかったのだし。
「義勇」
「愈史郎さん」
部屋を出ようと戸を開けたところで名を呼ばれ、冨岡は立ち止まって相手の名を口にした。伊黒並みに憎まれ口の多い、もとい弁の立つ愈史郎は、宇髄の知る普段よりも覇気のない声で手短に要件を伝えた。
「俺は行く。……たまには茶々丸を寄越す。お前も顔を出せばいい」
こくりと冨岡の頭が揺れる。知己の仲であるからか、隊士たちへの対応よりよほど柔らかい。冨岡は寂しげにしつつも愈史郎を見送ることにしたようで、戸を閉めて廊下を歩き始めていった。
生き甲斐だったものがいなくなることで死を選んでしまう者は多い。それでも愈史郎は生きる選択をしたことが宇髄にも窺えた。
そんなふうに見届けながら、宇髄もそろそろ蝶屋敷を暇しようと部屋を出たのだが、なにやら冨岡と柱合会議から帰ってきた不死川が鉢合わせているところを発見した。なんともいえない空気が流れ、ああだのううだのと唸る声が聞こえてくる。鬼ではないのでもう殺される危険はないから宇髄も目を光らせるようなことはないが、それはそれとしてこの後どうなるかは興味があった。こっそりと突き当たりから聞き耳を立てる。
「……あー……その。……悪かったなァ、裁判の時は……。玄弥のことも……」
「禰豆子には謝ったのか?」
「助かっ、お、おう」
「そうか」
ならばいいと不死川の感謝の言葉を遮った冨岡は、続けてなかなかに面白いことを口にして不死川を焦らせていた。
「あれは嫁入り前だから、傷物にした責任が発生する」
「はっ?」
「炭治郎も怒ってたからな。お前が責任を取るなら安心だろう。狭霧山にも挨拶に」
「おい。ありもしねェ話はやめろ。止めろ宇髄ィ!」
「んだよ、ばれてたか」
「ばれねえわけねェだろ!」
振り向いた冨岡は気づかなかったようで目を丸くしていたが、呼吸を使わずともさすがに柱だった者には気配も隠しきれなかったようだ。まあ、別に本気で隠れようとしたわけではないが。
「炭治郎はたぶんすぐには認めねえと思うぜ。なんせ禰豆子を刺した張本人だからな。あと俺もすぐには認めねえよ? 俺の元継子だし、恩人だし?」
「妹は継子じゃなかったろうが! いや違ェ、認められなくて結構だよ!」
「俺もふたりの保護者だ」
「増えてんじゃねェ!」
よくわからない怒りを見せた不死川に冨岡は驚いたようだが、どうやら楽しかったのか嬉しそうに小さく笑った。毒気が抜けたのか呆けた不死川はその後言葉を詰まらせていたが、やがて大きな溜息を吐いて乱暴に頭を掻き混ぜた。
「なんだ、ようやく和解したのか!」
いきり立っていた不死川の背後からひょこりと顔を出したのは煉獄だ。こちらもまたあの戦いで生死を彷徨ったが、無事此岸へと帰ってきてしばしの猶予を設けてくれた。煉獄の家族は大いに泣きながら、感謝を冨岡や蝶屋敷の面々に伝えていたのは記憶に新しい。
「蝶屋敷にいる時は冨岡の金魚のフンのようだったな宇髄は」
「言うに事欠いてそれ? 派手に助手と呼べよ」
「助手らしいことはされてないが……」
さっきも添い寝されていただけだったし、と不満そうな声音で呟くものだから宇髄は冨岡の頭を叩いた。力加減がうまくいったのか痛みはそう感じていないようである。代わりのように煉獄の目が訝しげに細められたが。
「これからきみも蝶屋敷も忙しくなるようだな。千寿郎がきみの手伝いを申し出ようとしていたが、俺が行こうと思う! 世話になりすぎたからな!」
「世話はしてない」
「何度も助けられた。本当に感謝してるんだ」
宇髄と不死川を無視して煉獄は冨岡に話しかけ続ける。内容が今までについてのことだったから宇髄も不死川も見守るしかない。言いたいことはよくわかるからだ。
「やり遂げたお前たちには、なんでもしてやりたくなる」
笑みを浮かべた冨岡は、今までの無愛想がまるでなかったかのように柔らかい空気があった。ごくまれに滲み出ていたことを思えば、こいつは本来こういう奴ではあるのだが。
「……治療をな!」
我慢できず無理やり割り込むように、宇髄はぎゅっと冨岡の手を握りしめた煉獄の手へ手刀を入れて引き剥がした。強い眼力でこちらを見上げてくるが、冨岡の頭にもたれかかった宇髄もまた見つめ返すことになった。重いと文句を言うのもきかずにぴったりと背後に張りついておく。とてもではないが離れるわけにはいかないと判断してしまったからだ。
「重いと言ってるぞ!」
「いいんだよ俺様は。そういう仲だからな」
「どんな仲だ!?」
「いや、なんなんだよお前ら話の途中でェ……」
「もう、こんなところで話し込むなら部屋で休みながら話したらいいのに」
廊下で鉢合わせていたせいか胡蝶カナエから笑みを浮かべつつ指摘され、邪魔になるからと全員仲良く空き部屋に押し込まれてしまったが、そんな気心知れたやり取りもすべてが終わった故だからこそである。
不死川と煉獄を見送った数日後、ようやく退院だという炭治郎を伴って宇髄は冨岡とともに奴の自宅へと訪れた。
蝶屋敷で隊士の治療にかかりきりで、しばらく不在にしていた冨岡邸だ。水の結界はなくなっていたが、どうやらまだ愈史郎の血鬼術は機能しているらしい。必要なくなったものではあろうが、互いの生存確認のためにもあって悪くはない。
空気の入れ替えに窓を開けていく。我妻らとともに禰豆子もあとから来ると言っていたが、女房も連れてくればよかったと考えていた。
「……冨岡?」
玄関に荷物を置いて、ある部屋の前で立ち尽くした冨岡を不審に思い声をかけた。炭治郎も気になったのだろう、心配そうに眉尻が下がっている。
「……ずっと」
落ち着いているのにどこか茫然とした声音が耳に届く。困惑しているような声だった。
「血の匂いが消えなかった」
ずっと染みついていた姉の血の匂いが。何が起きたかもわからなかったろうに、弟を庇って死んだ姉の最後の痕跡だ。血にまみれた白無垢を仕舞い込んでも、鬼の嗅覚には嗅ぎ取れてしまっていた。こびりついて離れなかった。呟く声は寂しそうだった。
「……それが今はしない。嗅ぎ取れなくなっただけなのはわかっているが……終わったんだと身に染みた」
勝手だが、と小さく笑う。薄れて良かったのか悪かったのか、本人もよくわからないのかもしれない。同じにしてはならないけれど、その気持ちは宇髄にもわかる気がする。
姉の気持ちは想像するしかできないものだから、予想したところで嘘にしかならないが、冨岡が忘れてはならないと思ったからこそ覚えていたものでもあるだろう。楔のように残っていた血の匂いだ。宇髄には感じ取れなかったものだった。
「……俺には、最初から義勇さんの匂いしか嗅ぎ取れませんでしたよ」
ぱちりと瞬いた目が炭治郎へと向けられる。
「静かで穏やかで……山の小川みたいな匂いがして。お姉さんもきっと義勇さんみたいに優しい人なんだろうなあと思ってました」
死を背負わせたくなかっただろうと言う。弟妹たちにそんなことをさせてしまったら、炭治郎ならば苦しくて見ていられないだろうと言った。そうだ、宇髄とて本当なら可愛がってやりたかった。
「俺は義勇さんにたくさんお世話になったので。お姉さんにも感謝を伝えたいです」
言ってはいけなかっただろうか、となんとも不安そうに冨岡を見上げた炭治郎だが、言われた当人の心音は穏やかなものだった。この音は悪くない。地味だが穏やかで、聞いていると落ち着く。宇髄の耳にずっと伝わっていた冨岡の音だ。
「……そうか」
気性のとおりの穏やかな顔で、微笑んだ冨岡は小さく頷いた。