異端者たち 十八

 しのぶが柱合会議に出ている間、カナエは蝶屋敷でカルテを確認していた。ひと息ついたところでちょうどアオイから来客を告げられたので、診察室へと通すよう頼んだ。おそらく大きな声で言えないことでも聞きに来たのだろうからと、客間では人の耳目に晒されすぎると思ってのことだ。
「こちらへいらっしゃるのは久しぶりですね、悲鳴嶼さん」
「ああ……。……例の鬼の隊士は、どこぞの屋敷で匿っていると聞いたが……」
「ええ、今は居場所を伝えることはできませんが」
 冨岡や禰豆子のことは隊内で随分周知されているが、鬼化した隊士のことはまだ桑島一門と柱にしか伝えていないことだ。禰豆子と仲良くする蝶屋敷の妹たちを見ていると、案外柱よりも受け止めるのが早そうだとも思っているが。
「……お前は、冨岡義勇という鬼とも関わっているな」
 来客を知らされた時、悲鳴嶼から冨岡について問いかけられたとアオイは報告してきた。やはりこちらも気になっていたのだろう。蝶屋敷では皆冨岡とも禰豆子とも関わりを持っているから、どうしても彼ら側に立って擁護しがちになってしまうが。
「ええ、良いひとですよ。人を喰わないのは我々を見ればわかるでしょうし、医師としての腕もとても良い。その上行動力もあるから、鬼殺隊ももう彼がいないと……命を落とす隊士が増えてしまうかもしれない」
 しかし、悲鳴嶼や伊黒相手ならばもっと彼らの良さを伝えなければならないと考えるのは当然だと思う。いくら冨岡でも柱から狙われれば逃げ切れると思っていないようだし、そもそも戦闘などあの無限列車で上弦の参と鉢合わせた時くらいだと言うのだし。
 小さな溜息を吐いた悲鳴嶼だったが、カナエは不思議に感じて名を呼んだ。
「悲鳴嶼さん?」
「いや……彼はどこにいる?」
「冨岡くんですか? 今日はご自宅で仕事だと……」
「野方だったか」
「え? はい」
 反射的に頷いたカナエが立ち上がった悲鳴嶼を慌てて呼び止めようとしたが、小さく笑みを浮かべてカナエの頭を撫でてきた。
「案ずるな……今更頸を斬ることはない。そも隊士扱いだろう」
 それも不安に感じてのことではあったが。
「いえ、それもですけど……今日は鬼化した隊士の話を聞きに来たんじゃ?」
「………。どちらもだな」
 去っていった悲鳴嶼を見送ったカナエは、呼び止めようと伸ばした手を彷徨わせた。
 斬らないと宣言した悲鳴嶼が冨岡を殺すとは思わないが、何を聞きたいのかがいまいちわからなかったのだ。カナエやしのぶなら医療という共通点があるけれど、鬼を憎悪する悲鳴嶼が冨岡に近づこうとする理由はなんなのだろうか。
「……どちらが目的なのかしらね?」
 最初に居所を問いかけたのは獪岳についてなのだし、彼の情報を聞きに来たのも大いにあり得ることだろう。冨岡の頸は斬らないと言ったが、獪岳について言及はしなかった。会わせて大丈夫だろうかと一瞬心の臓に悪寒が走ったが、まあ、悲鳴嶼のことである。冨岡含めて協力者は殺さないということだろうし、何かあれば彼が逃がしてくれるだろうと期待することにした。

「よお、冨岡今日は家だよな?」
 なんてことがあったのが昼前の話だ。宇髄が昼下がりに蝶屋敷へ顔を出した時そう問いかけられた。冨岡とは今後について詰めておきたいこともあるのに、夫婦水入らずをしておけと言ってきたり、なんだかんだと忙しそうにして以前よりも宇髄邸に寄りつく頻度が減ってきているらしい。
「成程。宇髄さんとしてはもっと遊びに来てほしいと」
「いや別にそこまでじゃねえけど。あいつすぐ遠慮するからこっちから言ってやんねえとと思っただけで」
「ふふふ。確かにそうですねえ」
「おい、その目はやめろ」
 男同士の友情かと微笑ましく感じていたのがばれたのか、宇髄が嫌そうに表情を歪ませたのでカナエは咳払いをした。飄々としたところのある宇髄を揶揄える機会など滅多とないものだから、つい楽しくなってしまったのだ。
「もしかしたら悲鳴嶼さんも宇髄さんに感化してくれたのかもしれないですね」
「はっ?」
 宇髄の可愛いところを見てしまったカナエは、宇髄よりさらに大きい悲鳴嶼もそうであれば可愛かったのにと考えながら口にした。驚いたらしい宇髄がカナエを凝視する。
「悲鳴嶼さんがなに?」
「ああ、ええと……冨岡くんの居所を確認にいらしたようで」
 丸椅子をがたんと弾き飛ばして立ち上がり、宇髄は診察室を勢い良く飛び出した。ちょうど会議から戻り診察室へ入ろうとしたしのぶが危うく突き飛ばされるかと思ったが、どちらもぶつかることはなく宇髄は文字どおり消えた。ふたりともさすがの身のこなしである。
「もう! 蝶屋敷内で走らないでください!」
 それはそれとしてぶつかりそうにはなったのと、医療機関として開いている屋敷内の注意としてしのぶが怒ったが、見えなくなった宇髄の気配はすでに感じ取ることもできなくなっていた。さすが元忍だと感心するしかなかったが。
「まったくもう、なんなのよ!」
「おかえり。悲鳴嶼さんが冨岡くんに用があるみたいって教えたら飛んでったわ」
「えっ? え、嘘。なにそれ」
 過保護すぎるとでも言うかと思ったが、しのぶもまた慌てたような声音で不安げに呟いた。人相手に攻撃性が皆無である冨岡をよく知るようになってから、わかりやすくしのぶも彼を気にかけているのである。
「頸は斬らないって約束したから大丈夫よ、宇髄さんには伝える隙もなかったけど。まあでも不死川くんなら私も焦ったわね」
 柱の誰より熾烈な言動を繰り返す不死川相手では、宇髄は先ほどより慌てる羽目になったのではないだろうかと想像する。未だに歩み寄る想像すらつかないのだからカナエも実は諦め気味だった。不死川と並んで想像がつかなかった伊黒が予想外に多少の譲歩をしたので、徹底訓練みたいなものでもすればもしかしたら理解し合うかもしれないが、それをするには冨岡の命の危険がありすぎた。
「あの人は鬼だろうと人だろうとあんな感じじゃない」
「隊士たちから恐がられてるからねえ。……どうしたの?」
 頸を斬らないとわかったことで悲鳴嶼に対しての不安はなくなったようだが、それとは別のことがしのぶに神妙な顔をさせた。まだ目を通していなかった棚からカルテを取り出して差し出され、覗き込んでみるとやはり初見のものだった。
「姉さんが不在の間、悲鳴嶼さんに診察を頼まれた隊士がいたんだけど」
「悪いわね、対応できなくて」
 柱でありながら珠世の研究も関わり始めたしのぶの負担を減らさなければならないのに、カナエが不在だった間は妹に頼るしかなかったのがもどかしい。謝ってもしのぶが気にするのはいつもカナエのことばかりだから溜息が出るくらいである。
「全然。……特異体質を持った隊士よ。呼吸が使えず体質だけで鬼狩りしている。検診が終わったら逃げるように帰って連絡しなきゃ再診に来ないくらいだったんだけど、冨岡さんに引き継ぎすることになったの」
「あら、そうなの? へえ、診察に来ないなんてまるで昔の不死川くんねえ」
 悲鳴嶼に首根っこを掴まれて連れてこられた時もあるのだとか。そう呟きながらカルテへ視線を向けた時、ちょうど口にした名前が書かれていることに気がついた。
「不死川さんの弟さんなのよ」
「あら……兄弟いたのね不死川くん。知らなかったわ……」
 話しながら追っていた内容にカナエの言葉が止まり、その様子をしのぶは神妙な面持ちで眺めていた。
 先の最終選別で入隊した隊士。カナヲの同期にあたる隊士だ。成長期により急に上背が伸びたらしく、骨の軋みにも苦しんだと悲鳴嶼は言っていたそうだ。
 隊士として致命的な欠陥を抱えていながら、持って生まれた特異な体質は鬼狩りに効果的であるのだろう。現に今までそうやって鬼を倒してきたのだという。
「鬼喰いを止めたいと悲鳴嶼さんは考えているけど、彼はやめるつもりはないようだし。なら冨岡さんに診てもらおうということになったんだけど……もしかして、悲鳴嶼さん……」
「……拒否するつもりで行ったってこと? ま、まさかあ……斬るつもりはないって言ってたし……隊士扱いと理解してたし……」
「つもりがなくたって場合によっては……」
 しのぶが不安視していることがカナエにも伝染してしまったように胸中がざわざわと落ち着かなくなり、消えた宇髄をつい応援してしまいたくなった。

*

「義勇くーん。お客さんよお」
 門扉からかけられた隣人の声に立ち上がった義勇は、出迎えるために玄関先へと向かった。
 声をかけながら玄関扉まで寄ってくるのは、冨岡家を昔から知る近所の奥方だからである。村の面々は両親を亡くす前から義勇たち姉弟を可愛がってくれたし、ふたりとなってからも、ひとりになって陽に当たれない病にかかったと方便を伝えたあとも、引き続き気にかけてくれている。義勇が開ける前に引き戸が開けられ、陽光に晒されることなく隣人の笑顔が現れた。
「冨岡さん家を探してらしたからお連れしたわよー。最近義勇くんあんまりいないからあなた良い時に来たわね! あの色男も大きかったけど、こちらも随分大きいわ」
「ありがとう、はつおばさん……」
 義勇を向いたり玄関の外へ話しかけたり、忙しない彼女へ礼を告げたところで、土間に入り込んだ隣人のあとからのっそりと大きな足が踏み入ろうとしたのが見えた。それが一瞬止まったのは、血鬼術に気がついたからだろう。
 躊躇はほんの僅かであり、結界に入ろうと鴨居を屈んで現れたのは、宇髄よりさらに体格の良い大男だった。ずうんと胃の腑が圧迫されそうなほどの存在感を見上げ、義勇の表情はすとんと消え去った。
――殺される……。
 あの会議にいた柱だ。こんなに大きかったのか。ついに粛清しに来たのだろうか。隙がまったくなく逃げ切れる気がしない。
 脳内でひたすらに上手くもない言いくるめ方を模索していた義勇だが、ふいに上方から合掌したまま会釈をされて驚き、ついまじまじと彼を眺めてしまった。
「じゃ、私はこれで」
「あ、ありがとう。あの……」
「いいのよぉ、いつも無償で診察してくれてるんだし。あとでお野菜持ってくるわね」
「いや……」
 貰わねば不審に思われると考えて食材を頂いてはいたものの、もう必要のない施しだった。しかしまだまだ子供と思われているのか、隣人はよく村全体から集めては食べ物を渡してくる。断りきれず受け取っては宇髄や炭治郎にお裾分けしているのが現状だった。
「………」
「………」
 待ってほしいと言いかけたのを堪えていたら去ってしまった。隣人を見送ったはいいものの、無言で立ち尽くす大男にどうすればいいのかわからず、義勇もまた黙り込んでしまっていた。宇髄たち以外の鬼狩り相手である上、元来会話を続けることは得意ではないのも影響している。
「……鬼狩り故に武器を離すことはできないが、頸を斬らないことを約束しよう」
「………」
 陽には当てるということだろうか。なんて思考が一瞬脳裏に過ぎったが、彼の心音は落ち着いていた。泰然自若としたまま、気配も揺れることがない。本当に殺す気がないのだろうと気がついた義勇は、小さく息を吐き出して客間へと案内するため廊下へ促した。
「血鬼術を解除することはできないが、それでいいなら」
「……外の気配がわからないのは困るが……大丈夫だろう」
 まあ、この大男の気配からして、義勇など赤子の首を捻るように拘束するくらいは朝飯前なのだろうが。

「……村の人間の診察をずっと無償でやっているのか」
 冨岡邸にあるのは宇髄の好きな茶葉だけだが、鬼狩り相手ならばいいかとまたも無断で使うこととなった。無駄になるかもしれないと思いつつ出してみると、予想に反して悲鳴嶼はまた会釈をし、躊躇なく飲んでから問いかけてきたのだった。
「医者になったのは一年前なので、ずっとではないですが」
 珠世が野方へ訪れた時は彼女が診てくれていた。とはいえ珠世も忙しい故、なかなか往診の時間が取れずに苦肉の策だったのが始まりだったが、医者ではない義勇が身体の具合を診たところで金銭を要求できるわけがないという理由がある。
 その頃から地続きでやっているだけ。村の皆は昔から良くしてくれたわけで、恩返しも込めてやっているだけのことである。
「………。……そうか。……鬼と理解し合うなど、世迷い言だと思っていたが……」
 カナエのことでも言っているのだろうか。義勇と知り合う前から、対話をしては追い求めている鬼がいない事実を突きつけられて悲しんでいたらしいとしのぶから聞いたことがある。柱として尊敬されてはいても、その思想は隊士たちにとって忌むべきものだったのだから、陰で色々と言われることは少なくなかったという。悲鳴嶼も同調できずにいたということなのだろう。
「……柱合会議で鬼化した隊士の報告を受けたが、自我を取り戻したと聞いている。……逃げる素振りも見せないということか」
「ああ、現状を理解してからはよく手伝ってくれる。助かっています」
 鬼化したことで感情を抑えきれずに苦しむのではないかと思ったが、さすがは鬼狩りということなのかもしれない。鬼殺隊にもそういう例外がいることはすでに知れ渡っているのも関係しているのだろうか。
 陽光にさえ気をつければいい。助けてくれたことに感謝していると彼は言った。
――人間の時より死に難くなったのならば悪くない。
 夜に行動するのは鬼狩りと同じで変わらない。悲観していない、死ぬよりまし。鬼に殺されなくなったと思えばむしろいいことではないかとすら口にした。珠世は複雑そうな顔をしていたけれど、義勇と違いずいぶん前向きな男だったと印象強く残っている。
「………。……そうか」
 悲鳴嶼は一言相槌を打ち、再び湯呑みを傾けた。
 無言の間にどれほどのことを思案しているのか、義勇には想像するしかない。葛藤もあるのかもしれない。聞く耳を持ってくれているのだから粗相して殺意を持たれては困るし、せめて何事もなく帰ってもらいたかった。
「ならば任せるのが一番なのだろうな」
 義勇の緊張と裏腹に、そう呟いた声音はずいぶんと穏やかだった。

「……私の弟子についても聞きたいことがある」
 義勇と鬼の隊士についての話は納得したのか、二杯目の茶を淹れたあと悲鳴嶼は切り出した。なんの話だと首を傾げたところで、突如として室内に人の気配が降りてきた。
「……宇髄か」
「おう」
「玄関から来い」
「まあまあ。お、それ俺の茶。美味いだろ」
 天井裏から現れて囲んでいた卓の一角に座った宇髄は、悲鳴嶼へ挨拶をしながら一言問いかけた。頷いた悲鳴嶼に満足そうな顔を見せたもののその場から動こうとしないので、仕方なく義勇は茶を淹れてやるために立ち上がった。焦ってでもいたのか、心拍の上がり具合から急いで野方へやってきたらしい。
「で、弟子って? 取ってたっけ?」
「………、聞いていたのか……」
「聞こえたんだよ。あんたが取るならなんか訳ありの弟子なんだろ? 冨岡に聞くくらいの」
「そう思うなら少しは遠慮をしてくれないか……」
「いやいや、冨岡に直談判するんなら俺にも聞かせろよ」
「お前は冨岡の何なんだ……」
「え。えー、えー……と、……友……、おい、にやけてんじゃねえわ!」
 部屋から出ても会話は聞こえていたために、茶を持って戻った義勇の口元が緩んでいたことに気がついた宇髄が振り返って文句を口にした。そもそも何かを察して焦ってこちらへ来たことも、義勇のことを心配したのだろうと勘づいたのだからどうしようもない。やはり過保護なのは宇髄のほうである。乱暴に頭をはたかれても嬉しいのだから仕方なかった。
「見かねて弟子にした。あの子は鬼喰いをしていたのでな」
「……玄弥のことですか」
「そうだ。主治医が変わったと聞いた」
 時透が直談判しに来たのは記憶に新しい。さらにしのぶすら同伴で冨岡邸へ現れたのも二日前のことだ。泣き虫な師匠という話だったのを思い出し、確かにずっと泣いているなと納得した。想像とは全然違ったが。余談だがしのぶには身を喰わせようと提案したこともばれており、みっちりと文句を言われてしまったのだった。
 鬼の血肉、髪一本でも飲み込めばその鬼の能力が発揮される、鬼殺隊の中でも相当な特異体質。鬼狩りに必要な呼吸法を身につけることができず、玄弥にとって唯一といっていい戦い方が鬼喰いだったと聞いている。そのせいか入隊直後はひどく荒んでおり他者へ攻撃的で、ずいぶん聞き分けのない子供だったそうだが。
「今は刀と別の武器も使用させている。体質のことでしのぶにあの子を頼んだのだが……」
 義勇が主治医になるのが許せず降りるよう伝えに来たのだろうか。とはいえ玄弥自身も頼むと頭を下げてきた上に、しのぶからの引き継ぎもあったのだから己だけの判断でやめることはできない。せめて相談する時間が欲しいところである。
「つっても決まったことだろ? 胡蝶がいいってんならいいじゃねえか」
「……場合によっては考えたが、私から主治医の変更を依頼することはない。おそらく玄弥も蝶屋敷より気が楽だろう」
 会話を挟んで認められたのならありがたいが、玄弥はしのぶに苦手意識でもあるのだろうか。不思議に思ったのは義勇だけではなく、宇髄もまた片眉を反応させて不審そうに悲鳴嶼を見やった。
「……どうも……思春期のようでな……」
「ははあ」
「??」
 合点がいった宇髄は訳知り顔で頷いたが、義勇は首を傾げて悲鳴嶼を見た。思春期であることがなぜ蝶屋敷を苦手になるのか、いまいち理解できなかったせいである。
 蝶屋敷で診察をしてもらい、しのぶからも定期的に来るよう言われていたのだが、その後の再診はすんなり行こうとすることがなかった。その理由が思春期だから。
「蝶屋敷で働くのは女しかいねえだろ? 冨岡も常にいるわけじゃねえし、診察だって女だ」
「うむ。……歳頃の……いや娘全員か。どうも照れてうまく話ができないようだ」
「ぶふっ」
「宇髄」
 吹き出したことを窘める悲鳴嶼に宇髄は反省しているようには思えない謝罪をするのを眺めつつ、義勇は成程とひとり納得した。
 幼い頃は姉と過ごしてきて、思春期だっただろう頃は珠世たちと過ごすことが多かった義勇にとっては、女性と関わる機会は案外に多かったのかもしれない。むしろ珠世たちと離れて屋敷でひとりになった頃のほうが寂しく感じたものだったが。
「そんな理由だったのか……」
「ガキの癇癪が思春期で落ち着いたんならいいことじゃねえか、成長してんだろ」
「蝶屋敷に来ない理由をしのぶははっきり理解していないから、拗れていないか心配でもあった……」
「鈍感〜」
 さすがに玄弥にもそれだけではない理由があるのだろうが、そうはいってもそれを直接しのぶに伝えるのも弟子にとっては酷だろうという。言われた側もどうすればいいかわからないかもしれないし、玄弥も義勇たちに聞かれたことすら嫌かもしれないなと考えた。
「それ故、此度のことは玄弥にとっても良かったのだろうと思う」
「へえ」
「私も毎度付き添えるほどの時間がなかった。……ここへ直接頼みに行くほどには良い関係となったのだろうしな」
 宇髄の声音が少しばかり跳ねていた。
 喰った鬼の能力が使える特異中の特異体質。強い鬼ならばそのぶん己も強くなるだろうが、鬼舞辻の血が強ければ支配に飲み込まれてしまう可能性もあり得る。義勇の血肉を期待して来ていたわけではなかったろうが。
「診察したんだっけ? どんな奴よ」
「風柱の弟だと聞いた。玄弥だ」
「えっ?」
 まったく予想外の名を告げられたらしい宇髄は間の抜けた声を思わずといったように漏らし、するりと表情が抜け落ちていくのを目の当たりにした。
「………。……えーと……似てんの?」
「外見はわからぬが、荒々しい性格は似ているな」
「あー、悲鳴嶼さんは盲目なんだよ。ええと、……癇癪持ちなんだよなあ……」
「不死川もある種の癇癪持ちといえるかもしれぬ……」
「短気と癇癪はまあ違う気もするが……似てるといえば似てるか……? 癇癪治ったんだよな?」
「ああ」
「素直だ。敵意はなかった」
 まったく不便を感じさせない佇まいだった悲鳴嶼が盲目であることに驚きつつ、義勇は話した印象を宇髄へ伝えた。望んだ強さを手に入れられないままならなさに怒りが抑えきれなかったのだろうというしのぶの見解だったが、そういう感情は義勇にも理解できるものだ。
 しかし、不死川とは風柱のこと。たとえ玄弥本人が義勇の血肉を求めたとして、あれほど苛烈な殺意を向けてきた柱の身内が鬼と関わることをあの男は赦せるのだろうか。
「不死川のことはこの際置いておくといい。……あれは弟を認めていないのでな」
 認める認めないなどと、身内に対して使う言葉なのかと義勇は首を傾げたが、どうやら兄弟仲がよろしくないらしい。そもそも会おうとしても会えない、会えて声をかけたところで取りつく島もない、弟などいないと無下に突き放されて玄弥も辛いのだと悲鳴嶼は言った。姉は義勇を可愛がってくれていたから考えたこともなかったけれど、そこまで仲が拗れるのは相当なことがあったのだろうと察するまではできても想像がつかない。
「拗れるで済むならまだ陽の目はあるんじゃねえか? ま、時間は必要なのかもしれねえが」
「そうか……ならばいいのだが」
 里抜けした故郷では、宇髄とて家族とともにいたのだと聞いたことがある。長男の生まれで、弟妹たちがいて、けれど普通の兄弟とは違ったから可愛がってやることもなかった。あまり言いたくはないのだろうとそれ以上聞きはしなかった。
 けれど、そうしておそらく仲違いしてきた宇髄が大丈夫だと言うのなら、まだ仲を戻せる余地はあるのだろう。鬼狩りなどという危険な生業なのだから、早く仲直りできればいいと義勇も思う。生きているのだから尚更だ。おそらく彼らを知っている者は皆そう考えていることだろう。


「では、何かあれば鴉を飛ばそう」
 夕刻、律儀に頭を下げた悲鳴嶼が結界から足を踏み出した時、冨岡邸へとやってきていたらしい者が姿を現した。しかし悲鳴嶼に気がついた彼は凝視して立ち尽くしたまま動こうとしなかった。
「………」
 外套を羽織って木陰から現れた隊士に意識を向けた悲鳴嶼は逡巡したような気配を見せたが、陽が暮れてからは鬼狩りの時間だ。立ち尽くした彼を気にしながらも、警邏に向かわねばならない悲鳴嶼は結局すぐ立ち去っていった。
「理解してくれたぞー」
 だから今後も大丈夫だ。そう伝えるとようやく獪岳はこちらへと近づいてきた。
「知り合いか?」
「……まあ、はい」
「………。ま、隊内で顔見知りになることはよくあるしな」
 ただの顔見知りとしてはずいぶん心音が大きかった気がするが、宇髄が言うならそういうことなのだろう。
「で、なんか要件でもあったのか?」
「通いに変えることになりました」
「愈史郎さんの当たりが酷いからだ」
「え? 癇癪持ちそこにもいんの? 昼間から追い出された? 鬼かよ。鬼か」
「いや、一応夜に出て……」
「癇癪とはまた違うと思う」
 どうやら師の下へ顔を出したりで時間がかかったようだが、愈史郎としても珠世とふたりでいたいという願望の表れだろう。元々ふたりだったところに義勇が割り込んだこと自体、本来なら我慢ならないことだったはずなので、さらに男が増えて苛々も頂点に達したのだろう。まあ、愈史郎が怒るのも追い出されるのも仕方のないことである。
「……そういえば、宇髄は聞いてないか。時透と甘露寺に出た痣の話」
「あ? あー……一応聞いたけど。今日柱合会議だったからな」
 獪岳を上がらせ、勝手に自分用の茶をおかわりしようとしている宇髄の背中に聞きたかったことを問いかける。
 刀鍛冶の里で出ていたふたりの痣についてが主題だったらしいが、ここ数日鬼の出現がぴたりと止んだことで大規模な稽古を開催することになったという。その打ち合わせも兼ねて宇髄も駆り出されたのだそうだ。
「俺んとこで基礎体力向上訓練してから柱のところを順繰りに進む。許可が得られなきゃずっと足止めだがな。そうだ、お前もやる?」
「えっ。日中なんですよね?」
「もちろん道場でな。伊黒と不死川はやめたほうがいいとしても、それ以外なら受けさせてはもらえんだろ」
 歩きながら茶を啜り居間へと戻ってきた宇髄が座る。獪岳としては柱の稽古を受けられるのはありがたいが、どうも複雑そうな表情に見えた。
「まあでも、個別に受けるほうが混乱も少ねえか。隊士が全員合格できたらお前の太刀筋も見てやるよ」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げた獪岳も、強くなりたい気持ちはあるのだろう。鬼であることを受け入れても隊士としての矜持はしかと持っているようだった。
 鬼が出なくなったのは、鬼舞辻無惨が太陽を克服した禰豆子を見つけたからだ。この平穏がそう長く続くわけではないことくらい、鬼殺隊ならば誰でもわかっているだろう。事が起こる前にやらねばならないことは山積みだ。
 どこか話を逸らされた気分になったのも、宇髄の声音が平時より沈んでいたからだ。
「……痣の副作用はなんだ?」
「………。二十五」
 小さな息を吐き出した宇髄は、一言数字を呟いた。不思議そうにする獪岳を横目に、もう一度口が開かれる。
「寿命の前借りだ。痣を出した奴らは皆、二十五を迎える前に死ぬ」
 爆発的に身体能力が向上するのだ。何かがあるはずだとわかっていたものの、言葉にされた瞬間義勇は宇髄を見つめたまま返事をすることができなかった。