異端者たち 十二

「落ち着きがないな」
 音柱邸で訓練がてら炭治郎たちに稽古をつけていた煉獄が休憩と叫んで戻ってくるのを眺めながら、義勇は気になっていたことを口にした。
 特にこちらから何かをするつもりはなかったが、ここ最近宇髄の気配に冷静さが失くなっていた。鬼である義勇の耳でさえ聞き取り難かった足音が少しばかり荒れていたり、気配の揺らぎがある。それを指摘するとなんとも複雑そうな顔を晒した宇髄は、布を巻いた頭を乱暴に掻き混ぜた。
「まあ、ばれるだろうとは思ったけどよ……」
「任務か? 俺は手が空いてるぞ」
「胡蝶から復帰の許可出たのかよ?」
 屍から多少回復したらしい炭治郎たちがへろへろのまま屋内へと戻ってくるのを眺めつつ、宇髄は大きな溜息を吐き出した。
「これから動くところだよ。ただ人手がいるからどうすっか考えてたところだ」
「俺たちではだめなんですか?」
「え?」
 任務の話と思い至ったらしい炭治郎が問いかけたが、宇髄の様子は芳しくない。何があったと問いかけてみれば、ようやく話す気になったらしい。
 思案していたのは宇髄の奥方三人のこと。潜入任務で不在であると義勇も聞いていたが、ある時を境に定期連絡が途絶えたのだという。
「女房が潜入してるのは遊郭だ。俺が客として行っても尻尾は掴めなかったんで、これから潜入するのも内側に入り込んでもらうことになる」
「遊郭」
「遊郭……」
「へえェ……」
 あまりに無縁の場所だったのでつい口に出してしまったが、その場の半数以上が同じような反応を示していた。最後はにやにやそわそわし始めた我妻の声だ。先ほどまでヒイヒイと泣き言を言っていたのに現金なものだが、義勇のような素人目にも厳しく見えた稽古で余力があるなら大したものである。療養中のはずの煉獄の体力もおかしいと思うが。
「なんなんだよ……ま、だから成人した男じゃ論外、女だろうと年増過ぎてもいけねえ。売るためにはせめてこいつらくらいの歳の女隊士見繕わなきゃなんねえ」
 成程、この場の全員が男である以上誰も潜入捜査に向いていないということか。そんな歳頃で連れていける女の鬼狩りがいるならいいが、一体遊郭の内側とはどこまでを指しているのだろう。義勇とて足を向けようと思ったことのない場所だが、何をする場所かくらいは把握している。
 若い女隊士。胡蝶姉妹よりも歳下であるほうが望ましい。蝶屋敷の栗花落の手を借りようにも、あの気難しい胡蝶しのぶに許可を得るのは難しいのではないだろうか。
「化ければいいのか?」
 それならばとふと義勇が一言問いかけた時、宇髄だけでなく全員の視線がこちらへ集まった。
「……いけるのか?」
「やったことはないが」
 今も歳相応に化けているのだから、少しいじればなんとかできるのではないだろうかと考えた。
 化けていない己の背格好は十を越えたばかりの子供だ。元の自分と同じくらいの歳頃の少女になればいい。
 両親が亡くなった頃の姉は炭治郎とそう変わらない、まだ幼さの残る少女と呼べる歳だった。一旦いつもの擬態を解いたところで周りの空気が緊張したように感じたが、女を目指して集中するため問いかけることはしなかった。子供の身体で変化をつけるのは難しい気もしつつこんな感じだろうかと身体を弄っていくが、うまくいっているのかよくわからない。宇髄に鏡を借りようと瞼を上げたものの、炭治郎と煉獄の緊張は続いたままだった。目が合った宇髄はげんなりと表情を歪めていた。
「いけません義勇さん。これはもっとだめです。宇髄さんを見損なってしまいます」
「まだやってもねえことで見損なうな!」
「いや、見損なっても仕方あるまい!」
 必死な目をした炭治郎が慌てたように宥めようとしてくるが、義勇自身は別に冷静さを欠いたわけでもなんでもないのだが。しかし、炭治郎と煉獄が慌てるほど、おそらく人売りの役をするだろう宇髄を見損なうほどに義勇の擬態はだめなようだ。
「そんなにだめか……なら……」
 自分が女になった姿を想像してやってみたが、失敗したらしく不評を食らった。それなら身近だった女性を想像して擬態してみることにしよう。姉、珠世、最近ならば蝶屋敷の面々。しかしやはり義勇にとって身近なのは姉と珠世だ。
 淑やかで優しげな、たおやかに微笑む女性。しかし歳の頃は幼い娘のまま。やはり鏡が必要である。
「お前それ手本あるだろ。冨岡っぽいのが誰かのふりしてるみたいになってんぞ」
「……これもだめか」
「だめというかな……」
 単に身体を成長させたら今の姿になっていたというものではなく、明確に自分と違うものに化けるというのは難しい。練習が必要だ。絵なりなんなり見本があればそれに近しく化けられるのではないかと思うのだが、なんとも複雑そうな顔をして宇髄は溜息を吐いた。
「いや、俺もいい案だと思ったがお前やることあんだし、潜入してる暇ねえだろ。念のため潜伏もしておきてえしな」
 上弦の参に見つかった時点で逃げも隠れもできなくなったわけだが、それでも宇髄はできる限り表に出ないように取り計らってくれる。義勇に向けられる気遣いが嬉しい。
 しかし、それでは奥方たちの安否は確認できない。どうするのかと問いかけようとしたところで、炭治郎が勢い良く手を挙げた。
「やっぱり俺たちが行きます」
「やっぱ“たち”なの?」
「奥さんたちにはお世話になりましたし、放っておけません」
 先ほども漏れていたが、我妻から聞き逃せなかったらしい言葉への突っ込みが入ったものの、誰も答えることはなかった。
 しかも性格上絶対に放っておけない炭治郎が名乗りを上げた。確かに宇髄や煉獄のような成人男性よりは誤魔化しもきくかもしれないが、成長期の紛れもなく男であるというのに。
「ちょっと待った。奥さんたちって? 妹さんとかもいるんですか?」
「違えよ。女房三人とも連絡が途絶えた」
「は? ハア? さん、三人っ!? なんで三人もいんだよざっけんなよ! おごっ」
 やかましく叫ぶ我妻の腹へ宇髄の拳がめり込んだ。落ち着きがない宇髄とはいえ、表面上は普段と変わりないようにも見えてよく観察してみれば気が立っているので、騒いだ我妻は殴られるべくして殴られたようなものだ。義勇が止めるより宇髄の拳が速かった。
「三人同時に連絡が途絶えるとは、十二鬼月の可能性がありそうだ。俺に手伝えることはあるか?」
 鬼狩りのような呼吸使いではないとはいえ、鬼の潜伏先に潜入するのは初めてではないという優秀なくのいちである。それが全員音信不通というのだから、逃げられない状況に陥っているのは間違いなかった。渡された三人からの手紙を読んでいた煉獄が問いかけたのだが。
「嫁もう死んでんじゃねえの?」
 腹を殴る鈍い音が放たれ、屍のように倒れた嘴平に見向きもせず殴った宇髄は溜息を吐いた。
「いやいい、救援には駆けつけてくれよ。胡蝶の許可が出たらな」
「早めに貰いたいものだな!」
 長丁場になる前提の話かもしれない。うずくまる我妻と嘴平を無視して話を進める宇髄と煉獄に炭治郎も耳を傾けているが、義勇としては少々嫌な予感がしていた。
 くのいちである奥方三人、全員を音信不通にさせる相手。手紙を読むに鬼が潜伏しているのは間違いないだろう。
「……上弦の可能性は」
「あるかもな。ド派手なことになるかもしれねえ」
 奥方も宇髄も炭治郎たちも、皆無事に帰ってくることができればいいのだが。

 宇髄たちが支度を終えて遊郭へと向かうのを見送った義勇は、蝶屋敷へ寄ると言う煉獄と連れ立って向かっていた。義勇もまた蝶屋敷の主人に話があったからである。
 夜の始まりは静かだ。今から外出するのは推奨されないが、鬼と鬼狩りには関係がない。
「冨岡の任務は蝶屋敷に関係してるのか?」
「任務……まあ、そうだな」
 義勇は一応隊士ではないのだが、今ではそう見られることも多くなってきた。鎹鴉がついているのが原因だと思われるが、煉獄などは積極的に隊士扱いしているように感じている。別に困るわけではないが。
「ふむ。俺にできることはないか?」
「狩りの任務じゃない」
「成程、俺は門外漢か。用心棒くらいならできると思うが!」
「不要だ」
 療養中の煉獄は手持ち無沙汰なのか、よく手伝えることを気にして問いかけているように思う。それとも何かをしていたいという気持ちの表れだろうか。誰かが戦っているのに自分は休むだけというのは、確かにもどかしさを覚えてもおかしなことではないだろう。
 だがそれでせっかく繋ぎ止めた命を無駄に散らす羽目になってはいけない。きっと今の煉獄にしかできないことは戦う以外にいくらでもあるはずだ。
「人はすぐ死ぬ」
 驚いたのか煉獄の大きな片目が義勇の横顔へと向けられた。
「蝶屋敷で護衛でもしていたらどうだ。……家が心配か」
 宇髄と二人、軽快に言葉のやり取りをする様子を見ていたので今も何か口を挟むかと思ったが、黙っていたので義勇はそのまま言葉を続けることにした。そうしたら煉獄の丸くなった目は視界の隅でやんわりと綻んだ。
「いや。弟は決して弱くないし、竈門少年にあてられて父も立ち直ってくれた。……本当なら、手も届かないほど強い人なんだ」
 煉獄の家族について、義勇は話に聞く程度の知識しかない。彼の父親について、落ちぶれたと称した宇髄は色々と思うところがあるようだった。
 しかし上弦の参との戦いぶりを思い起こせば、こいつよりも父親が強いと言われてもただの謙遜にしか聞こえなかった。鬼のように強かったはずの背中を見て育っていたのなら、強くあってほしい、幻滅したくないという思いもあるのかもしれない。まあ、すべては義勇の下世話な想像でしかないが。
「そうだ、父が挨拶をしたいと言っていた」
「……俺か?」
「ああ。ともに戦ってくれたし、俺は家に生きて帰れたわけだからな。竈門少年とも和解したし、酒が抜ければ理解のある人なんだ」
「不要だ」
「きみはそればかりだなあ!」
 断っているのにやたらと嬉しそうな煉獄に何度も誘われ、義勇は溜息を吐いてさっさと先へ進むことにした。

*

「じゃあ、くれぐれも気をつけてよ。あなたも注意してくださいね、そのためのその姿なんでしょうけど」
「夜に行かせるのが心配になる二人だな!」
 擬態を解いた状態の冨岡とともに、蝶屋敷の門扉でカナエはしのぶに注意を受けている。それを眺めて茶々を入れてくるのが煉獄だ。見世物ではないと冨岡は不満げだが、呼吸の使えないカナエと少年の冨岡の二人は頼りないと思われているのか、まるで注意が親子のそれだった。
「本当に護衛は要らないのか?」
「大丈夫よ、私だってなんとかしてみせるわ」
 呼吸が使えずともやれることはある。弱い鬼くらいならどうにかできる手立てもあった。なんとも渋い顔をしながら送り出したしのぶにカナエは手を振り、ようやく蝶屋敷を離れることになった。
 しのぶが可愛い顔を渋くしていた理由は夜にカナエを送り出すこと以外にもある。
 これから向かうのは冨岡の後見人――珠世という鬼の住処だ。しのぶは冨岡と禰豆子以外にも対話のできる鬼がいることにひどく驚いていたし、また隊士を退いて長いカナエが鬼の住処に向かうことには大反対していた。それでも送り出したのは産屋敷の命だったからだ。
 鬼舞辻無惨の滅殺を目論む、医者であるという冨岡の後見人。鬼を人へ戻す研究をしているという彼女が協力してくれれば、鬼殺隊にとって千人力だ。ほかでもない冨岡が全幅の信頼を置いているのだし。
 産屋敷は冨岡へ打診してもいたそうだ。鬼狩りと会うことを了承した後見人が指定したのは宇髄だったが、同じく医療に携わるカナエのほうが適任だということで役目が来た。本当ならしのぶも連れてこられればよかったが、鬼狩り側の人間が複数人現れて後見人が警戒しては元も子もない。カナエが先に会って信頼を得てからでも遅くはないという判断だ。
 すでに冨岡の協力を得ている今、鬼との共同開発に嫌悪を感じているわけではないものの、それでも憤りを感じてしまうこともあるのだろう。柱であろうと救援に間に合わないことはよくあることで、間に合わなかった命が手から零れ落ちることなど数え切れないほどあった。鬼である冨岡たちならば間に合うものが、しのぶやカナエにはできないことだってある。周りは体格も大きな男性ばかりで、己の無力さは柱時代に嫌というほど思い知らされたし、身体の小ささを思い悩むしのぶならカナエの比ではないだろうこともわかっている。
 けれど、望んでいたことが実現できるのならカナエはかまわなかった。鬼殺隊の悲願は悪鬼滅殺。それが叶うなら、なけなしの自尊心を踏みにじられたところで痛くも痒くもない。カナエの家族が、大切な人たちが幸せに生きていけるのならば、踏みにじられたなどと思うこともないだろう。
「それに鬼と仲良くできるんだから、望みは果たされるのよねえ」
「なんの話だ」
「なんでもないわ。冨岡くんが可愛くなっちゃったから、どうやって可愛がろうかなあって思ってるだけよ」
 普段と違いカナエよりも頭半分は小さい冨岡の顔色がさっと白くなったが、いつもよりまろい頬が幼さを全面に押し出していて恐がられているような気分になった。かと思えば表情が読み取り難くなってしまったが、まあ、優しいのできっと可愛がろうとするのを受け入れてくれるだろう。

 渡された札は目くらましの効果があるという。後見人の側仕えの鬼の血鬼術。その住処へ行く時は使用して、痕跡を辿られないようにする。一度使わずに行ってしまいたいそう怒られたという冨岡だが、忘れるような出来事でもあったのだろうか。
「こんばんは、愈史郎さん」
「そこの醜女は一旦止まれ。妙なものを持ってないか確認しないとならない」
 目くらましの術は建物にも効果があるらしく、さっさと進む冨岡についてきたカナエは思わず立ち止まった。思いきり人差し指をカナエへ向けた鬼が言っていた言葉に反応できないまま。
「……いや、さすがにそれは。こちらは鬼殺隊医療班の胡蝶カナエさんで……」
「珠世さまから九尺は離れろ。侵入したら許さないからな」
「止しなさい愈史郎。おかえりなさい義勇さん」
 あまりに攻撃的な言葉が衝撃すぎてろくに反応できなかったが、鬼らしき男の後ろから現れたのは淑やかな女性だった。
 気配は鬼だ。それもかなり強い鬼。おそらくは――かなりの人数を喰っているはずの。
 けれど彼女自身は理性的で、穏やかで柔らかな物腰の優しげなひとに見えた。男の鬼を制して挨拶をする様子は人と変わりない。
「どうぞこちらへ、胡蝶カナエさん。鬼舞辻滅殺のために協力いたします」
「少しでも妙な真似をしたら叩き出すからな」
「愈史郎。……あなたを害するつもりはありません。何か不便があれば申し付けください」
――気の毒だ。
 上弦の弐と交わした問答で、カナエは彼の印象をそう結論づけた。
 穏やかに優しく話す鬼だった。少ない時間で会話はできても、その実理解し合える言葉はひとつだってなかった。冨岡と知り合って彼が人を喰ったことがないとわかった時、人を喰っていない鬼としか仲良くなれないのかもしれないとカナエは考えたものだった。
 けれど目の前には、人を喰った経験があるであろう鬼がいる。カナエを喰わずに対話を試みている鬼が。
「我々は人間返りの研究をしています。鬼化した者の細胞を変異させ、人へと戻す薬を作り出すために」
 入手した十二鬼月の血は現時点で二体分。那田蜘蛛山で炭治郎が戦ったという下弦の伍、無限列車を乗っ取ったという下弦の壱。上弦の参は倒せなかったので手に入れることはかなわなかった。その事実が冨岡を少しばかりしょんぼりさせた。
「難しいことは重々理解した上で危険なことを頼んでいます。できない時はかまわないのです」
 鬼を倒す鬼狩りがいなければ血を採取することはできないし、人は怪我の度合いで命の危険に晒される。十二鬼月相手では命を懸けなければ倒すことはできないが、血を採ろうとすることで助かった命が更なる危機に見舞われるのなら、それは諦めるべき状況だ。
 そう。宇髄もよく言うように命があればこそなのだ。もっとも、鬼狩りとなった時点で命など危機に晒されるものなのは間違いないのだが、その中でも生命線を見極めよという話なのだろう。
「上弦の血が欲しいのは確かですが、あちらもそう簡単に尻尾を掴ませません。鬼舞辻にもできる限り勘づかれたくはない」
「お前、姿も見られたらしいな。あれだけ気をつけろと言ったというのに」
「痛い」
「痛くしてるんだよ!」
 女鬼の言葉と、そばで繰り広げられる冨岡ともうひとりの鬼のやり取り。それは蝶屋敷でも見ることがあるようなごく自然の、人としてのやり取りの中であり得るだろう光景だった。優しく笑う上辺だけの穏やかさではなく、まるですぐ隣の家族が過ごしているのを見ているような光景。カナエが探してきた鬼の姿だ。
「ふふっ、……すみません。ふふ、仲良しでいいですね」
 あんまりにも普通すぎて、カナエはつい吹き出してしまった。