異端者たち 十

「起きたか」
 視界に天井、次いで聞こえた声に炭治郎は視線を向け、勢いをつけて布団から飛び起きた。丸椅子に座るいつもの義勇の姿が目の前にある。
「っ、義勇さん! 義勇さんいきっ、生きてる……! よ、良かったあ……」
「錯乱しすぎだ、お前が連れてきたんだろう」
「あれ……そうでしたっけ……そうだったかも」
 いや、うん。そうだった。遭遇した上弦の参との戦闘後、煉獄たちとともに炭治郎は義勇を羽織で包んで一緒に蝶屋敷まで連れてきてもらったのだった。
「いやでもだって、太陽が……あの時死んでしまうかと……」
「お前が日陰に連れていった」
「はは……はい」
 そうそう、そうだった。外套がぼろぼろになって陽避けの意味を成していなかったし、陽が昇ったというのに急を要するからと日向で手当しようとし始めるものだから、炭治郎は必死に羽織を被せたのだった。応急処置を終えた煉獄を隠に託し、炭治郎は急いで義勇を抱えて日陰へ移動した。善逸は禰豆子を守ってくれると信じていたから不安はなかったけれど、義勇があまりに己を省みないからこちらが焦り倒してしまったのだ。
 いやまあ、思い出してみると己のあまりの混乱ぶりに少々情けなくもなってくるが、仕方ないとも思う。だってあの場に義勇が現れるとは思っていなかったし、上弦の参相手に戦うとも思わなかったし、さらに猗窩座が逃げるほどの陽光に晒されて苦しそうなのに動かなかったのだし。
「しかも俺より小さくなっちゃったから焦ってて……」
 鬼は鬼化した時から成長しなくなるようだが、義勇は生家で生活をしていたから成長しているように見せかけていた。炭治郎はその成長しているふりをして大人になった義勇としか会ったことがなかったので、火傷したら小さくなるのかと驚いたものだ。見た目に意識を使う余裕がなく、擬態が崩れたらしい。
 義勇が鬼になったのは十年前。まだ十を過ぎた幼い子供だった。珠世があの少年姿の義勇ばかりを見ていたなら、確かに子供扱いしていてもおかしくない。表情は全然子供らしくなかったけれど。
「煉獄さんは!」
「別室で治療を終えている。まだ起きてない」
「そうですか……無事なんですね、良かった……。お見舞いも行かないと。そういえば、義勇さんはどうしてあそこに? また何か用事が?」
「定期連絡の帰りだ」
 珠世のところだと炭治郎は思い当たった。拠点が音柱邸に変わったものの生家へ帰ることもある。けれど義勇が定期的に連絡している相手は少ない。
「炭治郎も報告書出せよ。無限列車の件本部にさ」
「ああ……善逸も伊之助も大丈夫か?」
「まあ俺たちは命に関わる怪我はしてないし」
 鬼殺隊本部への報告は善逸も一応済ませているそうだが、気絶していた頃に起きたことを知らないのでほとんど何もわからない報告しかできていないという(本人は戦っていたはずだが眠っていたせいだ)。伊之助に頼んだが字が書けないので、まだ書面で送れていないそうだ。口伝てで報告しようにも伊之助の鎹鴉はどこにいるのかわからない。
「で、冨岡さんが字の書き方を教えようとしてくれたんだけど、じっとしてられないからさ」
 一応やる気にはなっているようだが、それでも騒がしい伊之助は本当にじっとしているのが苦手なようで、しばらく経てばすぐ戦えと喚き出すらしい。昼間に外へ出られると義勇は追いかけられないし、もう諦めてもらおうかなと思っていたようだ。先の戦闘に思うところがあるのか、想像していたよりは手習いに積極的な様子に善逸は驚いたらしいが。
「おはようございます、炭治郎くん」
「しのぶさん!」
 戸を叩いて現れたのは蟲柱である胡蝶しのぶだった。蝶屋敷には那田蜘蛛山の任務から世話になっているが、主人のカナエの妹であるしのぶもまた医療に長けており、色々と助言も貰っていた相手だ。気難しいところはあるが、優しい人である。
「あなたの怪我も軽くはありませんから安静にしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
 診察をして次に行くのかと思ったら、しのぶは炭治郎の寝台を挟んで義勇の対面へと座った。善逸と伊之助にも声をかけて寝台へと戻らせる。と同時に廊下からずかずかと大きな足音を立てて人がやってきた。
 非常に珍しい行動だ。彼は足音など立てて移動したりはしなかったはずだが。
「オラァ!」
 ばたんと戸を開けたのは予想どおり宇髄だった。現れる前から善逸は怯え出していたが、だいぶ苛立っているらしいのでその反応も仕方ない気がする。そして戸を開けた宇髄は座っていた義勇の頭を思いきり殴り、義勇は頭を押さえて不満そうに痛がった。
「てめーまた過保護発揮して炭治郎についていきやがったな! 派手に焦るこっちの身にもなれ馬鹿!」
「またとはなんだ、一度もついてってない。たまたま通った時に上弦の参がいたから様子を見てただけだ」
「それで見つかってんだから隠れられてねえんだよ!」
 身に覚えがあったのか義勇は神妙な顔をして黙り込んだ。炭治郎としては見つかったというより助けるために自ら出てきたというのが正しいと思うが、弁解する前に大きな溜息を吐き出した宇髄は義勇の頭をもう一度はたき、労うかのように炭治郎の頭を乱暴に掻き混ぜた。
「よし、一から順に話せ。俺様には聞く義務がある」
 どっかりと自分の寝台に座った宇髄に攻撃を仕掛けようとした伊之助は反撃にあい撃沈していたが。
 炭治郎は宇髄の継子であり、煉獄の任務についていけと言ったのは宇髄である。更には現在義勇を居候という名目で保護しているのも宇髄だった。保護などという言い方は義勇には不本意だろうけれど。
「そうですね。せっかく皆さんお揃いですし、私もご本人の口から聞いておこうと思いましたから。あ、報告書は提出してくださいね」
 煉獄が起きたら臨時で柱合会議は開かれ、そこへ炭治郎たちも呼ばれるだろうということだったが、しのぶは先に直接話を聞きに来たようだ。
 下弦の壱を討伐した直後、突如として現れた上弦の参についてだろう。結局討伐はかなわなかったが、重傷を負いながらも煉獄を含めた全員が帰還した。あの場で襲撃があってなお、誰ひとり死ぬことがなかった。それはきっととても凄いことで、あの場に煉獄と義勇がいたから起こせた成果だろう。
「ええと、そうですね。まず無限列車に潜んでいた下弦の壱は人間を利用して夢を見せてくる鬼でしたが、伊之助と俺で列車と融合した鬼の頸をバーッと斬れたので、きちんと討伐はできました」
 人間である車掌に切符を切られた瞬間、炭治郎たちは眠りに落ちた。血鬼術がかけられていたのだ。乗客に潜んでいた者も、夢を見せてほしいがために鬼の手下として動いていた。頸を斬ったら車体が横転したものの全員生きていられたし、それまでに起こったあれこれ――刺されたり自害しかけたりについても、手強かったが討伐して解決したのだから一先ずはよかったのだ。
 問題はその後だ。呼吸での止血を煉獄から褒められた炭治郎が身を起こした瞬間、ドンと何かが落ちてくるような大きな音がした。地響きも鳴り何が起きたか一瞬理解できなかった。現れたのが上弦の参だと気づいた時には、炭治郎の眼前に拳が迫っていた。死ぬと感じる隙もなく、煉獄の刀が割って入ってくれたから生きている。
 問答をして、刃と拳がぶつかり合って、炭治郎も伊之助も入り込む隙すら見つけられなかった。だから煉獄が押されていくのを見ているだけしかできなかった。強くなったと思っていたのに、炭治郎の力はさっぱり足りないのである。
「それで、ブワーってなってるところに助太刀したかったんですけど、槍みたいなものがドドドーッと猗窩座と煉獄さん目がけて飛んできて。バババって猗窩座が……」
「おい、ほかに見てた奴いねえのか」
「すみません、俺ずっと寝てて……」
「戦場で寝る……? 気絶じゃなくて? ある意味派手だなお前。おい、自分で説明しろよ」
 炭治郎が話しているところへ口を挟んだ宇髄だったが、善逸は寝ていたからと断り、またも頭をはたかれた義勇は不満そうにして宇髄からぷいと顔を逸らしてしまった。怒られてちょっと拗ねているのかもしれない。
「こいつが横槍入れたんだ」
 代わりに伊之助が口を挟む。
 晴れた土煙の奥で水の槍が鬼と煉獄の間に突き刺さっていた。さらに鬼の拳と煉獄の腹の合間、壁のように水の膜が幾重にも重なっている箇所があった。すぐに槍も壁も猗窩座の拳で薙ぎ払われていたが、そのおかげか煉獄は致命傷を受ける前に体勢を整えることができたのだ。木々の奥からフードを目深に被った義勇が現れて、しばし煉獄と二人で時間を稼いでいた。
「お前から聞いたほうがわかりやすいわ」
 黙って聞いているように言われて炭治郎は少々凹んでしまったが、伊之助の説明も確かにわかりやすかったので仕方ない。一応炭治郎もわかりやすく説明できた自信はあったのだが、宇髄はお気に召さなかったようた。
――なんだお前は。
 そう口にして不快そうに猗窩座は義勇の存在を認知してしまった。
 現れた義勇が何者なのか猗窩座は知らないようだったけれど、これで禰豆子同様に邪魔立てする敵として無惨側に存在が知られることになったのだろう。
 煉獄の攻撃の合間を縫って水が猗窩座を捕えようとしたが、意に介した様子もなく猗窩座は薙ぎ払っていた。鬼同士は戦うだけ無駄だということも知っているけれど、今思い返しても悔しく感じる。けれど戦ったことがないとも言っていたのだし、相手は十二鬼月でしかも上弦の参だ。血のみを摂取して生きている義勇が猗窩座に勝てる見込みはきっとなかった。
「お前、人を喰ってないな。わざわざ俺の邪魔立てをしてやることが鬼狩りを助けることか? ふざけた奴だ。お前も人を喰えばそんなくだらぬ考えは消えるだろう」
 猗窩座の言葉は不快極まるものだった。猗窩座の思う弱者をこれでもかと蔑み、なんの益にもならないからと排除したがる言葉。力を示すだけが強さではないことを奴は知らなかった。
 だから簡単に人を喰えと誘ったのだ。煉獄が如何なる理由があろうと鬼にならないと言ったように、義勇とてどんなことがあろうと人を喰うことはない。
 吐き捨てるように告げた義勇の目は心底猗窩座を蔑んでいた。
「俺は肉の味を覚えるつもりはない」
「なら邪魔をするな、さもなくば杏寿郎諸共死ね」
 いつもは結界になってくれている水が、今度は鬼相手に牙を向いた。義勇は煉獄がとどめを刺せるよう、猗窩座の動きを止めようとしていた。けれど攻撃に転じた水を猗窩座はものともせず攻撃を繰り出し、勢いづいたまま義勇の腹に風穴を開けた。今思い出してもぞっとする。いや治るのはわかっているのだが、鬼であっても傷ついてほしくはないのだ。
 口からも腹からも大量の血が溢れていたが、猗窩座の腕を掴んだ義勇は喋り難そうに斬れと叫んだ。それに応じるように、片目を潰されていても煉獄は傷をものともせず力強く型を繰り出した。そうだ。夜明けはすぐそばまで迫っていた。圧倒されて動けなかった身体を必死に動かして、せめて助けになれるよう頸を斬ろうとした。猗窩座の頸が硬くて斬れずとも、引き留めさえしていられれば倒せたはずだった。
 けれど猗窩座は必死に逃げ出した。煉獄の刀を突き刺されたまま、飛び退いて木陰に消えていこうとした。
「で、紋次郎が刀投げて、俺が追いかけたけど逃げられたんだよ。途中まで動けなかった俺自身に腹が立つぜ」
 最後は伊之助の声音に怒りが滲んでいたけれど、炭治郎も伊之助も猗窩座の頸を斬るには足りないものが多かった。本当なら倒しきれていなければならなかったのに、煉獄と義勇がいても仕留めきれなかったのだ。陽が昇るまで耐えきれれば猗窩座を殺すことはできたはずだけれど、それは義勇の死も同時にくるということだった。
「その後紋逸が来て、」
「そうそう。冨岡さんが煉獄さんの手当しようとした時に朝陽が届いて、冨岡さんの皮膚が焼けちゃって……そのまま手当続けるもんだから炭治郎が慌てて」
「いやだって、死んでしまうだろ……」
 猗窩座の攻撃が義勇に当たっても死ぬわけではなく傷は治っていくけれど、そのぶん一緒に衝撃を受けた外套がぼろぼろになっていったのだ。頭の被り部分も意味を成さず陽避けには不十分だったし、陽光に晒される箇所が多いだけ鬼の命は危険に晒される。焼け焦げる匂いと苦しそうな顔に焦った炭治郎は、脱いだ羽織を急いで義勇の頭から被らせた。
 日陰へ移動しているうちに煉獄に何かあっては義勇も気に病むだろうし、陽光さえ遮れればその場でもなんとかしてくれる。しかしまあ完全に混乱していたから、間違いを犯すことにならなくてよかったと炭治郎は安堵したが。
 まだ意識を保っていた煉獄はその場で禰豆子を認めてくれたし、義勇へも礼を伝えていた。“また”と言っていたのが少し気になったけれど、煉獄の意識はそこで途切れるように眠ってしまった。
 そうして手当が済んだところで到着した隠に煉獄を任せ、炭治郎は義勇を抱えて日陰へととりあえず避難したのだった。禰豆子は善逸が箱に戻らせて連れてきてくれていたし、本当に誰も死ぬことはなかった。
「あー……まあ、お疲れさん」
 がしがしと今度は義勇の頭を乱雑に撫でた宇髄は、安堵した匂いを発していた。
「つうか炭治郎に抱えられてって、お前も大概過保護だな」
「宇髄さんに言われるのは納得いきませんけど、軽かったのでさくっと連れていけました!」
「はあ……?」
 過保護過保護と揶揄われているのは義勇だが、そう言う宇髄こそ過保護だなあと炭治郎は思っている。だって居候と称して義勇を保護するくらいだし、今だって義勇と炭治郎を心配している匂いがした。面倒見のいい人なので、気になってしまうのかもしれない。
「あの時義勇さん、擬態が解けて俺より小さい子供の姿になってしまってたので」
 抱えた重さを疑問には思ったけれど、それよりも日陰へ連れていくことが先決だった。隠が煉獄を連れていくのを見送ってから羽織を捲った時、現れたのは禰豆子よりも小さい、十を越えたくらいのいたいけな子供だった。蒼い目であることだけは同じだったけれど、普段隠していた瞳孔は縦長になっていて、牙も見え隠れして鬼であることは外見から見てとれるようになっていた。あどけなさが全面に出てはいたけれど、表情だけは大人びた普段の義勇だった。
 そんな話をしたらたいそう神妙な顔をした宇髄が黙り込んでしまったが。
「外套もぼろぼろになっちゃってましたね……」
 青年姿の義勇を眺めながらふと意味を成していなかった外套のことを口に出した時、義勇の匂いが落ち込んだことに気がついた。心なしか表情もしょんぼりしているように見える。もしや大事な物だったのかと問いかけると、いつもより幾分寂しげな声音で教えてくれた。
「……先生から貰った……」
 先生というのは珠世のことだろうと炭治郎は気がついたが。
 どうしよう。
 匂いだけでなく見るからに悲しんでいるのがひしひしと伝わってくる。
 直してあげたいけれど炭治郎は針仕事をしたことがない。すべて母と妹に任せきりで、炭治郎は火加減ばかりを習っていたからだ。禰豆子なら上手だったけれど、今頼めるかといえばそれは難しいように思う。今の禰豆子は幼子のようだし、鬼ではなかった頃の禰豆子は母から習って上手になっていたけれど、今もやり方を覚えているかはわからない。
「………、外套は……縫製係に丈夫なもん頼むか」
 引っ張り出させた外套のぼろぼろ具合を眺めていた宇髄は、見兼ねたのか気が咎めたのか、なんとも言い表し難い声音で呟いた。濡れにくく燃えにくい機能性に優れた性能、傷にも強い隊服と同じ生地で作ってくれるのなら、陽避けも万全な外套が出来上がりそうである。
「いや。そもそも俺は鬼狩りじゃない」
 遠慮の言葉を口にしながらぎゅっとぼろぼろの外套を握りしめるものだから、大事な宝物を抱えていた弟妹の姿を思い出した。
 炭治郎とていつも纏う羽織がだめになったら間違いなくしばらく落ち込む。母が家族揃いの生地で作ってくれた羽織なのだ。形見となってしまったが、皆大事に着ていたものだった。
「一応入隊の打診があるんだが……」
「なんだそれは……」
 どうやら煉獄が炭治郎と禰豆子を認めたことを鎹鴉が産屋敷に報告し、義勇も一緒に特別入隊という形を取ってはどうかと相談されたそうだ。確かにそれなら鬼だからと毛嫌いする者がいても、隊士同士の揉め事とされて隊律違反が取れそうだ。今のように自由な行動はできないかもしれないけれど。
「………。こちらで直しましょうか」
 様子を見ていたしのぶからふと声をかけられ、義勇はひとつ瞬いて彼女へ視線を向けた。
「大事な物なのでしょうし、貸していただけるならこちらで」
 あの裁判では比較的中立な立場を取っていたように見えたしのぶだが、それでも刀を収めるのは複雑そうな匂いを発していたように思う。混乱のままについ義勇を連れてきてしまったが、しのぶが歩み寄ろうとしてくれるくらいには炭治郎が眠っているうちに関係も良くなっているようで安堵した。
「不要だ」
 なのに義勇の返事でしのぶのこめかみに青筋が立った。
 普段から喜怒哀楽をたくさん見せてくれるしのぶだが、伊之助が怒らせた時くらいにわかりやすく苛ついたようだ。
「……あら、そうですか。差し出がましい真似をしたようですね、では綺麗さっぱりお忘れください」
「あっ、あのしのぶさん! 義勇さんはちょっと言葉が足りなかっただけで! 忙しいだろうから悪いですって言うつもりだったんですよね!」
「あの一言にそれだけ意味を込められてもわかりませんが?」
 確かにそうかもしれないが。
 だが匂いはそう物語っている。気を悪くしたようだが義勇は別にしのぶへ頼むのが嫌だから断ったわけではなく、忙しさに気を遣っているのだ。怒りを抑えて静かに話す声音が少し恐かった。宇髄は呆れたような顔をしていたものの、特に口を挟むことはなかったけれど。
 立ち上がろうとした時、部屋の扉が叩かれて新たに人が入ってきた。任務の話をしていたからか、先程から入るのを躊躇したように廊下で立ち止まっていたカナエである。
 普段から穏やかな笑顔を見せてくれる彼女が、今はひと際にっこりと笑みを深めて義勇の肩を叩いた。
「私が直すからしばらく借りてもいいかしら」
「え? 姉さん?」
「いやだって、しのぶだと忙しくて大変だから断るんでしょう? 私は柱じゃないし、しのぶほど忙しくないから繕い物だってできるわ。あまり上手くないかもしれないけど、頑張るから直させてほしいの」
 何を考えているのか読み取れない顔でカナエを見つめる義勇からは、どうにも迷っているような匂いがしていた。頼んでいいものか、本当に忙しくないのかと考えているのかもしれない。確かに柱ではないとしても、常に怪我人でいっぱいの蝶屋敷の面々に手隙の時などあまりないはずだ。
「仕事大変じゃないですか?」
「毎夜戦うあなたたちに比べれば全然よ」
 そう言って笑うカナエに義勇の眉根がほんの少し寄ってしまったが、口を開こうとしなかったので炭治郎は自分の考えを口にすることにした。
「そんなの比べるようなことじゃないですよ。だって役割が全然違います。俺たちは怪我をしたら戦えないし、助けてくれるひとがいるから生きてるんです」
 カナエたちがいるから隊士は怪我をしても治療が受けられるし、藤の花の家紋の家は鬼狩りにとって貴重な休養を取れる場所だ。そういう場所があるからこそ戦えるのだから、比べてどうこう言うようなものではない。
「ありがとう。でもね、私たちだって気分転換はするもの。それこそ繕い物とかしてると時間を忘れちゃうし。……患者も落ち着いた夜なら、待ってる時にそうしてるとすぐ朝になるしね」
 真正面からカナエに微笑みかけられて炭治郎は思わず照れてしまったが。
――そうか、待っているのも辛いんだ。
 と、気づいた。そりゃあそうだ。いつ帰るかも、本当に帰ってくるかもわからない状況で、ただじっと待ち続けるしかないのはとても不安で仕方ないはずだ。間に合わず旅立ってしまったことだってきっとあったろう。最期を看取ったことも一度や二度ではないはずだ。
 少しでも気が紛れるのなら、それはしてもらったほうがカナエの気持ちとしても楽なのかもしれない。忙しさよりも紛らわせたいものがあるのなら。
 黙って聞いていた義勇は、やがてぼろぼろの外套をカナエへと差し出した。
「……頼む」
「喜んで! しのぶも手の空いてる時に手伝ってくれる?」
「……別にいいけど」
 つんと素っ気ない言い方ではあったが、怒らせかけてしまったしのぶの様子も軟化している。さすがはカナエということなのだろう。
「でも代わりのものはやっぱり必要かもね。しばらく返せないし」
「確かに。……いやでも無茶なさるので代わりはないほうがいいのでは?」
 外套があるから出歩いてしまうのかもしれない。炭治郎の口から飛び出した提案に義勇がギョッと目を向けてきたが、個人的には本当に気が気でないのでもう少し陽光に気をつけてほしいのである。聞いていた宇髄は予想外だったのか吹き出していたが。
「まあ、しっかり陽光遮断してくれるならありがたいでしょうし。必要ならわたしから予備がないか聞いてあげますけど」
「いや、義勇さんは無茶をなさるので、」
「頼む」
 前のめりに止めようとした炭治郎を寝台へと押し退けた義勇が食い気味にしのぶへと頼み込んだことで、むっつりとしていた彼女の表情が堪えきれないとでもいうように綻んだ。
 
「変に仲が拗れたりしなくてよかったですね! 宇髄さんも気にしてましたか?」
 処置についてまだまだ聞きたいことがあると言って胡蝶姉妹が義勇を連れていった後、運ばれてきた昼食を三人揃って食べながら炭治郎は問いかけてみた。
「殺さねえなら気にしねえよ」
「あれ? そうですか」
 善逸や伊之助には口を挟んでいたし、気にしていそうな匂いも嗅ぎ取った気がしたのだが、気のせいだっただろうか。宇髄はむしろ義勇をかなり気にかけているはずなのだが。
「あの言葉足らずに苛ついてるうちは、まだまだ仲を深めねえとだめってことだしな。そんでお前、刀失くしたろ。刀鍛冶に頼んどけよ」
「あ、はい。ありがとうございました」
 そろそろ戻ると言って立ち上がった宇髄を見送った炭治郎は、しばらくぼんやりと思考を巡らせた。両隣の二人はただただ食事を進めていたが。
「……宇髄さんてもしかして、言葉足らずに耐えられる人を炙り出してたりするのかな?」
「ええ……交友関係に口出すのかよ……」
 義勇は確かに言葉が足りないことがあるが、打ち解けて関わりも深くなればきちんと言葉にしてくれる。加えて鼻が利く炭治郎にはなんとなく短い言葉に含まれた意図がわかるし、耳が良い宇髄も義勇の心配りを大体理解している。実のところ伊之助も、肌で感じ取っていたりするのだ。
「そうか、やっぱり仲良くなる人選んでるんだろうか? 義勇さん結構抜けてる時もあるもんな、俺が気にするまでもなかったかもしれない」
「あのな……」
「鬼を知らない人との交流ならいちいち口出しはしないけど、鬼狩り相手は俺たちが気にするべきだと思うんだ」
 特別隊士という扱いになれば一先ずは敵意がないこともわかってもらえるだろうが、詳しく知らない隊士はどう対応してくるかわからない。善逸も伊之助も気にしないしカナエだって仲良くしようとしているし、このまま全員が受け入れてくれるなら喜ばしいのだが。
「ええ……えー……そうなの……? 冨岡さんて歳上でしょ? 自分でどうにかするのでは……?」
「どうだろう、人に攻撃しようなんて考えないひとだし。しのぶさんたちはともかく、不死川さんみたいな人が初手で殺しにかかってきたら危ないし!」
「しなず……ああ、恐ろしすぎるっていう風柱の。そりゃ恐いけども、隊士扱いになれば大丈夫でしょ」
 それはそうだが、むしろ入隊を断ることのほうがあり得そうだし、せめて一緒にいる時くらいは炭治郎が色々と気にかけておきたい。色々と世話になった人なのだから、何かあっては炭治郎だって嫌だ。珠世だって義勇をよろしくと言っていたし。
「頑張ろう!」
「世話焼きすぎて鬱陶しがられたりして」
「うぐっ。そ、そんなことは……大丈夫だと思う! ちゃんと弁えてだな……」
「食わねえなら俺が食うぜ!」
 しどろもどろになってしまった炭治郎は食事も疎かになり、伊之助から膳を奪われることになってしまった。