異端者たち 序
「……起きたのね。自分が誰かわかりますか?」
ぼんやりとしていた視界が鮮明になっていく。天井から視線を向けた先には女性と青年が居る。二人の表情は正反対だった。
「……珠世先生……」
「あなたのお名前は?」
「冨岡義勇……」
「そう。良かった」
視界は鮮明でも、意識は少しぼんやりしていた。ここがどこで何故この人が居るのか考え始めてから、ぼんやりした脳裏に情報が戻ってくる。
「………っ、姉さん!」
かけられていた布団を捲り上げて飛び起きた義勇に痛ましげな顔を晒していた人が、小さく俯いてかぶりを振った。
「……ごめんなさい。助けられませんでした」
冷や水を浴びせられたような気分で義勇は動きを止めてから、やがてふらりと立ち上がり二人を置いて部屋を出た。家中血の匂いがこびりついていてひどく不快だった。姉は今別室に寝かされているとぼんやり気づき、それが血の匂いの濃い場所であることに部屋の前まで来て気がついた。
惨劇はここで起きたとわかるほど、血にまみれた白無垢が飾られている部屋。姉の部屋には遺体があった。白い布をかけられているから顔が見えなくて、けれど背格好はひどく見覚えがあった。震える手が布を外した時、何があったのかを思い出した。
夜も更けた時間帯に、玄関先で誰かの足音が聞こえた。空き巣か何かだと慌てて姉の部屋へと向かったら、部屋の障子を開けた姉と鉢合わせた。部屋で抱き合いながら震えていたら、突然見たこともない男が目の前に現れたのだ。
咄嗟だったのだろう姉が義勇を抱きしめて男に背を向けた直後、姉から血が噴き出して倒れ込んだ。男が何かしたことはわかったけれど、姉を助け起こそうとした時義勇の身体に痛みが走った。頭だったか肩だったかわからないけれど、自分からも血が噴き出したから攻撃されたことは間違いない。
なのに、流れた血の分入ってくる感覚があって、それが動けなくなった身体を巡り沸騰したように熱くなった。臓腑を激しく掻き回され、己の脳の命令よりも強い別の何かに主導権を掴まれ、無理やり別のものに作り変えられるような気さえした。身体の内側から蹂躙されていく感覚が心底気持ち悪くて、義勇はとにかく胸を掻きむしった気がする。今まで感じたことのない悍ましさに耐えきれず、爪先を肉に食い込ませ無理やり心臓を引き抜こうとした、ような気がする。まるで異物を抜き取ろうとするように。
だってそうでもしなければ、望んでいた明日に向かえない気がしたからだ。
姉は祝言を楽しみにしていた。ようやくそれが叶うはずだったのに。
「義勇さん」
姉の傍らで蹲って泣いていた時、背後から小さく声をかけられた。
この人のことは知っている。以前も村へ来て住民の身体を診てくれた医者。短い滞在時間にも関わらず、義勇たちに両親がいないと知って心を砕いてくれた人だった。
「……あなた方を襲った者の正体は鬼です。その者の血を与えられてしまったから、今あなたは鬼になってしまっている」
「――え?」
涙に濡れたまま義勇が振り向いた時、言葉を切った医者――珠世は痛ましげに顔を歪めていた。
「あなた方を襲ったのは鬼舞辻無惨という鬼の始祖です。血を分け与えて配下を増やす。全員がそうなるわけではなく、……蔦子さんのように、血に耐えきれず亡くなってしまう方もいます」
そうして鬼になった者はそばにいる身内を最初に喰らう。偶然近くを通った珠世たちが異変に気づき、鬼に変貌した義勇を抑え込み人を喰う前に治療をして、今こうして義勇は話せるようになっているらしい。
人を、喰う前に。そばにいる身内を喰う。一歩間違えば姉を、義勇が喰らっていたかもしれないというのだ。吐き気がするような話だった。
「鬼は陽の光を嫌う。陽光に焼かれて死んでしまうからです。だから鬼は夜に人を襲いにくる。あの男もそうです。……それから、あなたも」
陽光に気をつけてこれから生きていかねばならない。鬼を憎む人間がいるから、彼らからも身を隠して生きねばならない。これからの生き方は今とまったく違うものになる。生きているほうが辛いと感じることもあるだろう。
「けれど、私も愈史郎も同じ鬼です。何かあれば必ず力になりましょう」
「………、珠世先生たちが、鬼……?」
思い返してみても、珠世も愈史郎も危害を加えるようなことは一度としてしていない。
愈史郎は当たりが強いけれど、珠世は住民を助けてくれた医者だ。義勇の親の話を聞いて心を痛めてくれたひとだった。
「あなたは……私が治療する前に、鬼舞辻の呪いを外していた。あなたは少し他の鬼とは違う」
「………」
「まだ子供のあなたを……なんの罪もなかったあなたを私は助けたいけれど、鬼に襲われたあなたには辛いことでしょう。それでも……母のようだと……言ってくれたのが嬉しくて。あなたのような子供が死ぬのを……見たくはないの……」
できる限りのことをするから、鬼となっても生きてほしい。絞り出すように呟いた珠世の表情は苦しげで、それを見つめる愈史郎もまた辛そうだった。姉を殺した鬼と同じ生き物だというけれど、どう頑張っても彼女こそ同じものには見えなかった。
姉は珠世を母のようだと言っていた。義勇とてそれに同意したのだ。姉を殺した鬼と同じはずがなかった。
珠世たちが鬼である事実は義勇に混乱をもたらしたけれど、人間の中にも良い人と悪い人がいると姉も言っていたから、そういうことなのだろうとやがて受け止めるようになった。どうして姉のもとに来た鬼は珠世のようではなかったのかと憤りも感じたけれど、結局は姉を守れなかったのだから義勇が悪いのだ。