千里も一里

「千寿郎さん」
 眺めていた色とりどりの菓子から目を離し、振り向くと見知った顔が笑みを向けていた。
「炭治郎さん。お久しぶりです!」
「お元気そうで何よりです。その後如何ですか」
「兄も快方に向かってます。父もお陰様でお酒をやめて兄の治療の手伝いをするようになりました」
「それは良かったです! あ、いや、手放しに喜べることではありませんね、すみません」
「いえ、私も父も、兄が生きているだけで嬉しいんです。兄は悔しい思いをしているかもしれませんが……弱音を吐かない人ですから」
 上弦の鬼との闘いで、あと一歩遅ければ千寿郎の兄――煉獄杏寿郎は命を落とすところであった。救助にあたる直前で心臓が止まりかけたのだ。
 否、数秒の間止まっていたというほうが正しい。だが小さく鼓動が動き出し、多くの人の懸命な働きによって奇跡的に生き延びた。復帰するのは難しいと診断されてしまったが、杏寿郎は今は煉獄家で療養し、最近ようやく一人で歩けるようになっている。
「あれほどの大怪我でもう……さすが煉獄さんですね」
「はい。見舞いに来てくださる方も多く、兄も退屈していないようです。今日も人が来られるので、少し茶請けを買い足しに」
「そうなんですね。近くまで来たのでお顔が拝見出来ればと思ったんですが……また今度、時間のある時にします」
「え、そんな、悪いです。父も兄も炭治郎さんに会いたいと思うので、もし良かったら」
 遠慮を伝える炭治郎に、思わず千寿郎は引き止めた。次はいつお会いできるか、と考えた結果、千寿郎の客人として炭治郎を煉獄家へ招待することになった。
「金平糖がお好きなんですか?」
 駄菓子屋で小銭と引き換えに手に入れた菓子を見ながら炭治郎が問いかける。茶請けに買った羊羹の袋に入れながら千寿郎は頷いた。
「父が好きなんです。私は数年前に初めて食べたんですが、とても甘くて美味しいですよね」
「そうですね、色とりどりで綺麗ですし。禰豆子も好きなんです」
 他愛のない話をしながら屋敷への帰り道を歩く。文通でも聞いていた炭治郎の友人である鬼殺隊の仲間の話を聞きながら、千寿郎は楽しそうに相槌を打つ。
「今日来られる方も兄と歳が近くて、同じ鬼殺隊の柱の方なんです。もういらしているかも知れません。炭治郎さんもお知り合いかも」
「柱の? なら顔見知りですね。どなたですか?」
 煉獄家の正門を押しながら千寿郎が口を開いた瞬間、奥から何かが倒れるような音がした。何事かと二人で覗き込むと、玄関先で倒れ込む家人と、支え切れず尻餅をついたような体制の誰かがいた。
「すまん冨岡! 段差で躓いたようだ。どこかぶつけたか?」
「平気だ。……肩に鼻がぶつかったが」
「すまなかった。む、額も赤くなってるな」
 ぶつけた衝撃で眉間に皺を寄せている相手の前髪を指で払いながら、千寿郎の兄である青年が額の赤みを確認している。問題ない、と呟いた黒髪の女性が立ち上がり青年を抱え起こした。
「義勇さん」
 その様子を門の外から眺めていた千寿郎は顔を赤らめていたのだが、炭治郎は気にせず声を掛けた。気づいた二人が視線を向ける。
「炭治郎」
「おお、竈門少年か! 息災そうで何よりだ」
「お久しぶりです、煉獄さん! その節は本当にお世話になりました」
「そんなところで止まっていないで入ると良い。お帰り千寿郎」
「あ、只今戻りました。炭治郎さんは街で偶然お会いして、兄上の顔を見に来られたそうで」
「すみません、お客人が来られると聞いたのですが、無理を言って」
「構わないぞ、客といっても冨岡だ。きみはよく知ってるだろう」
 杏寿郎の傍で体を支える義勇は、相変わらず感情の読めぬ顔をしている。先程ぶつけたらしい額と鼻が赤い以外は、特に普段と変わりない。
「義勇さんの用事って煉獄さんに会われることだったんですね」
「そうだ。お前も誘えば良かったか」
「いえ、俺は別件で近くまで来たので」
 気安い様子を見せる炭治郎と義勇を気にしながら、千寿郎は兄へと目を向けた。どこかへ出かけるつもりだったのかと問うが、杏寿郎の答えは否だった。
「歩く練習だな、冨岡に無理を言って手伝ってもらっていた。家の中は問題なくても、やはり大きな段差などはまだうまく動かん」
 床に戻った杏寿郎は、見舞いに来た者は大体皆無理をするなと口にするとぼやいた。
「冨岡は何も言わんからな。心配はしてくれるが俺のしたいことを止めはしないから、甘えてしまった上にこのざまだ」
 不甲斐なし、と笑う杏寿郎に安堵の息を吐きながら、千寿郎は気になったことを炭治郎に尋ねた。
「炭治郎さんは冨岡さんと仲が良いんですか?」
「はい! 義勇さんは俺の恩人で姉弟子なんです。目標でもあります!」
 そうなんですか、と頷いた千寿郎の視界の端で、己の淹れた茶を静かに啜る義勇の姿が映る。真っ直ぐ憧れる炭治郎は千寿郎にとっても眩しい存在だが、彼女にはどう映るのだろうか。
「竈門少年の話は冨岡の口からよく出るぞ。目をかけているのはあの柱合会議からわかってはいたが、少々妬けるほどだ」
「……あの、お二人は、いわゆる恋仲というものなんでしょうか」
 啜っていた茶を思い切り吹き出した義勇に驚きながら、千寿郎は思い切ったことを言葉にした炭治郎にも驚いた。よもや真正面から聞くとは。千寿郎にはどうしても兄に聞くことができなかった言葉だった。
「義勇さん、大丈夫ですか!?」
 自身が原因であるはずだが、炭治郎は咽る義勇の背をさすった。
 だがおかげでわかったことがある。未だ二人はなんの進展もないようだ。肩を落としそうになるのをぐっと堪えた。
 見たことのない表情を向ける義勇は、杏寿郎から手拭いを渡されるまま口元を拭う。そういうところですよ、と千寿郎は呆れる。
 玄関先での出来事といい、勘違いしてしまうほどの距離感は今に始まったわけではない。彼女が初めて煉獄家へ来たのは何年も前だが、それから時折顔を出してくれるようになり、千寿郎が気づいたのは二年ほど前だっただろうか。少なくともその頃から今日までこのような感じだ。睦まじく感じる二人を見かけるたびに今度こそ、と期待するのだが、何事もなく帰ってしまう。あまりの期間の長さに痺れを切らし、父に思わず聞いてしまったほどだった。
 ――冨岡さんは、いつ義姉上になってくださるのでしょうか。
 それを聞いた父の顔は苦虫を噛み潰したような表情だった。恐らく父も気にしていたのだろう。いつになったら嫁いでくるのかと。
 とはいえ相手は鬼殺隊の柱である。杏寿郎も色々とあるのだから、もう少し様子を見てやろうと千寿郎の肩を叩いたのだった。
 だから今核心に斬り込んだ炭治郎には、万歳三唱をしたい気分だったのだ。
「すみません、気になったもので……義勇さんがお茶を吹くとは思いませんでした」
 じとりと睨みつける義勇からの視線には、戸惑いのようなものも感じられる。知り合って随分経ったのだから、千寿郎にも何となく義勇の感情が読み取れるようになっていた。
「そんな仲じゃない」
「そうだな」
 ばっさりと斬り捨てられた言葉に千寿郎も苦笑いを漏らした。あの距離感でそれはないだろうと多感な年頃になった千寿郎は思うのだが、当事者が言うのならば仕方ない。
「だが、いずれそうなれば良いと俺は思っている」
 口直しに啜った茶を再度吹き出すには充分な言葉だったようだ。

*

「炭治郎さん、なぜあのような質問を?」
 別室で炭治郎と羊羹をつつきながら、千寿郎が問いかけてきた。
 二度目に茶を吹き出した義勇の背をさすろうとしたところで千寿郎が立ち上がり、昼餉の支度をしてきます! と叫びながら、炭治郎の首根っこを引っ掴んで部屋を飛び出した。支度にはまだ時間が早かったので、始める前に千寿郎の部屋で仲良くお茶をしている最中である。
「え? ああ、俺は鼻が利くんですけど、好意の匂いがしたので」
「匂い?」
「匂いで感情とかが何となくわかるんです。俺に対して煉獄さんから怒ってるみたいな匂いも……ご本人も妬いてると仰ってましたし、てっきり」
 感心したように声を漏らした千寿郎に、炭治郎は照れた笑みを向けた。
「あ、あの! 冨岡さんからは、どんな匂いがするんでしょう」
「煉獄さんのことは心配されてますよ。今日はずっと安心したような匂いがするんですよね。義勇さんも煉獄さんと会って嬉しいんだと思います」
 炭治郎の言葉で千寿郎はほっとしたように息を吐いた。だが表情はあまり晴れず、炭治郎が不安げに声をかけようとしたところ千寿郎の口が開いた。
「物心つく前に母は亡くなりましたので、夫婦がどんなものかは街で見かけるくらいしか知らないのですが……私が気づいたときにはそのような距離感で、何故まだ結婚していないのかと不思議でした」
「そ、そうなんですね」
 姉弟子のそういった話は聞いたことがなかったので、炭治郎は少し気恥ずかしく感じる。
 あまり一緒にいたところを見ることがなかったが、炭治郎が見かけた限りは、杏寿郎と義勇の距離は極端に近いということはなかったように思う。
 千寿郎が感じるくらいなのだから、彼が見た二人は本当に近い距離だったのだろう。もっと以前から彼らを知っている者ならば、見かけたことがあるのかもしれない。炎柱の計り知れない笑みを思い浮かべ、姉弟子の涼やかな顔も思い浮かべた。
「いつになったら義姉上とお呼びできるのかと、父に相談してしまったことも」
「ああ……」
 数時間も経っていないが、千寿郎が義勇を好いていることはよくわかった。炭治郎だってあの二人が好きだし、尊敬もしている。二人が幸せを感じるのであれば、是非ともお祝いしたいところである。
 とんでもない状態で引っ張り出されてしまったが、丸く収まればきっと千寿郎も嬉しいだろう。どうにかうまく収まってくれと炭治郎は思う。
 そこではたと、あることに考えついた。
 きっと上手く行けば、義勇は煉獄家へと輿入れする。炭治郎と禰豆子同様、義勇も家族を殺されている。天涯孤独というやつだ。しかし結婚とは家族同士の顔合わせもある。きっと師である鱗滝が親代わりとして煉獄家に挨拶をしに行くのだろうが、そこで炭治郎は疑問を持った。
 鱗滝は炭治郎にとっても親代わりであり、家族である。
 ならば姉弟子も炭治郎の家族ということになるのではないか、と。
「大変です、千寿郎さん!」
「は、はい!? 何がでしょう」
 突然の大声にびくりと肩を揺らした千寿郎に、炭治郎は言葉を続ける。口元は誤魔化しきれぬほど緩んでいた。
「家族が一気に増えます」
 ぽかん、と炭治郎を見つめる千寿郎の頭の上に、疑問符が掲げられているのが見えた気がした。

*

 爆弾発言を引き出して弟弟子は連れ去られてしまった。両手に持った湯呑の中の茶を眺めながら、義勇はいつになく焦っていた。
 何だ、それは。
 初めて聞いた。それは己に対しての言葉か。わかりきったことを心中で投げかけながら、義勇の視線は湯呑から動かせなかった。
「何も言わなくていい。心に留めておいてくれれば」
 ふと掛けられた言葉にようやく義勇の顔が上がる。窓へと顔を向けている杏寿郎の表情は義勇からは見えない。答えが必要なことではないのか。悩ませるようなことを口にしておいて、一体どういう了見だろうか。
「そうなれば良いと思ってるのは本当だ。だがもう俺は柱として十全な働きはできない。手を借りなければ部屋からも出られない。これも責務と納得してのことだが、答えをもらうには、少々体を酷使し過ぎた」
 家族にも迷惑をかけると続ける杏寿郎に、義勇はむ、と眉間に不快感を露わにする。
 この男は弱音を吐かない。己にこのようなことを漏らすなど、初めてのことだった。
 体を動かせるようになってからは、毎日歩く距離が長くなっていると聞いている。何年かかるかわからないと言っていたそうだが、杏寿郎は医者も驚くような期間で自力で歩くようになっていた。
 杏寿郎自身の自己治癒力の高さもそうであろうが、何より意志の強さは並ではない。死なせないと言えば死なせないし、歩くと言えば歩くのだ。きっと、まだ死なないと強く思ったから死ななかったのだろう。
「治る」
 振り向いた杏寿郎を睨みつける。それはどうだろうか、と杏寿郎は首を振るが、義勇も譲らない。どれだけ口下手であろうと、言わなければならないことがあった。
「病は気からというだろう、口にすれば自ずと傾いてしまう。お前が口にしたことは、大抵は言ったとおりに何とかしている。上弦の鬼相手に誰も死なせなかったと聞いた。それがどれだけ難しいことか、私も知ってる。怪我だってお前が治すと言えば治る。万が一、たとえ治らなかったとしても、」
 開いた口から言葉が詰まり、義勇は目を見開いた。驚いた顔を見せた杏寿郎から離れるように、にじり寄っていた体制をゆっくりと元に戻し、続けようとした言葉を心中で反芻した。
 たとえ治らなかったとしても。
 その先の言葉は、今の関係を変えてしまうものであることに気がついた。
 それはいつからあったのだろうか。こうして感情に任せて口から飛び出しかけたのは、今思いついたからではなく、昔からあったものだったか。目の前の男に対して抱いたのは、羨望であり憧憬だったはずだ。年頃の娘が抱くような感情は、それに紛れてずっとあったのか。義勇は混乱した。
 死の淵にいた杏寿郎の容態を耳にした時、頭が回らず動くことができなかった。辛うじて一言鴉に返事をした後、どうやって屋敷に帰ったかも覚えていなかった。容態が安定したと聞いた時は、何年越しに涙が出そうなほど安心したことを覚えている。
 あの想いは同僚に対してのものではなく。
 ずっと奥底に沈んでいたものが、ようやく浮き上がってきたのか。
「すまん、冨岡」
 考え込んでいたせいで、何故謝るのか理解できなかった。だが先程まで睨みつけていた男の顔へ視線を上げることができない。代わりに膝においた拳を睨みつけた。
 力を込めすぎて白くなっている拳に触れる手が見えた。思い返せば目の前の男は己に触れてくることが良くあった。急に意識を持っていかれ、義勇は顔色を変えた。
「何も言わなくていいと言ったが、……続きを聞いても良いだろうか」
 心臓がうるさく動き始める。今までの杏寿郎との物理的な距離を思い出し、顔が熱くなってきたのがわかった。いや、思い出すな。今それを考えると顔色が悪化してしまう。顔面で湯が沸かせそうなほど熱い。
 不本意に気づいてしまった感情を今更隠すことも出来ず、下唇を噛んで眉間に皺を寄せながら、諦めて絞り出すように義勇は続きを呟いた。
「……私で良いならいつでも傍で支えてやる」
 絞り出した言葉は小さく、部屋が静かでなければ聞き逃すほどの声量だった。義勇には精一杯の大きさだったのだが、聞く者が聞けば声が小さいと怒鳴っていたことだろう。
 拳に触れていた手に力が籠もり、俯いていた義勇の顔が少しだけ前を向いた。
「きみが良い」
 ようやく杏寿郎と視線が合う。晴れやかな笑みを向けた杏寿郎は、もう一度はっきりと口にした。
「きみが良いんだ。でなければ触れたりするものか」
 握った拳を引き寄せられ、背中に腕がまわされていることに気づく。随分かかった、と呟いた声が耳元で聞こえた。
「だが冨岡なら長くても構わない。何せ話をするまでに何ヶ月とかかったからな! 今更文句は言うまい」
「……随分?」
「何年前だろうな。文通を始めたくらいの時だ」
 傷に触らぬよう注意しながら義勇が杏寿郎の腕から抜け出る。何のことだと顔を見ながら首を傾げた。
「言っただろう、好きだと」
「……いつだ」
「きみが初めて家に遊びに来たときだ」
「……ええ?」
 覚えていないか、と笑った杏寿郎に、言われていないと義勇は確信する。
 告白などされていれば、今頃自覚したりなどするものか。さすがにそこまで鈍くはないはずだ。何かと勘違いしているのだろうと杏寿郎を恨めしく見つめた。
「勘違いしてるのはきみだぞ。勘違いするように言ったのは俺だが」
 我ながら男らしくない言い方をしたものだ! と笑っているが、一体何のことを言っているのか全くわからなかった。
「まあ昔のことはいいだろう。俺は意地でもこの体を満足に動かせるようにならなければ。きみにそこまで言わせてしまってはな」
 先程までの弱気は演技だったのかと疑うほど、杏寿郎は晴れ晴れとしていた。吐いた言葉を思い返すのも恥ずかしい。正直なところ、何を言っていたのかあまり深く考えていなかったのだから。
「……支えてやると言っただろう」
「それは嬉しいが、きみに苦労を背負わせるのは俺の本意ではない」
 煉獄杏寿郎という男はこういう奴だ。
 仲間思いで責任感の塊。己の責務を全うしようとするし、必ず全うする奴だ。この男が言うのならば義勇に苦労をさせることはないのだろうし、体だっていくらでも動くようになるだろう。柱としてまた前線で刀を振るうようになるかもしれない。叶うなら、己もそう在りたいと思う。
「だが時間はかかるかもしれない。治るまでに苦労したと思われるようではいかん」
「苦労ではない」
 どういうことだ、と問うような目を向ける。どこを見ているのやらと言われる目も、よく観察してみれば、何を思い何を見ているのかくらいはわかる。
 ようやく自覚した感情を受け入れてみれば、成程これが満ち足りた気分というものなのだろう。
「お前とやれることは全部苦じゃない」
 弧を描いていた口元から笑みが消えた。
 誰かに弱音を零すほど、杏寿郎自身も傷ついていたのだろう。当たり前だ。柱にまで登り詰めた腕前を持った者が、ある日を境に闘えなくなるなど、易々と受け入れられるものではないだろう。だが皆それを受け入れて心身を賭して鬼を狩り、そして鬼殺隊を去っていく。この男もまたそう在ろうとしている。
「ははは」
 目元を手のひらで隠し、だが口から堪えきれぬように笑い声が漏れた。
 己の手助けで杏寿郎が助かり喜ぶのであれば、いくらでも助けてやろう。
「俺もきみとやれることなら何でも好きだ」
 ふいに脳裏に過ぎったのは、いつだったかこの場所で言われた言葉だった。
 ――をするのは好きだ。
 あの時話していたのは文通の話だったはずだ。不自然に二度言われた言葉を思い出し、冨岡の頬に赤みが差した。わなわなと口元が歪み、思わず声を荒げる。
「っ、気づくわけないだろう、文通の流れで!」
 ぱちりと大きな目が瞬きをする。ああ、と思い至ったのか杏寿郎は頷いた。
「ははは! それはそうだ! よく思い出してくれたな!」
 悪びれず快活に笑う男の顔を恨めしそうに睨みながら、冨岡はようやく杏寿郎の真意に触れた。
 今までの彼の行動はすべて、あの時口にした好意が元となっていたことに。