鳴かぬ蛍が身を焦がす

曙光の空→原作どおり死別したルートです。
義勇さんに変な設定がついてます。


 思えば視界に色が戻ったのは、彼らとの文通を経て煉獄家へ訪問した時だった。
 病死した両親のことはあまり覚えておらず、たった一人の肉親である姉を殺され、住み馴染んだ場所から逃げた時に育手の師に保護されたのが、鬼狩りとしての生の始まりだった。
 当時はまだ涙腺に栓をしておらず、また己の存在意義も見出だせず、友に叱責され、手を引かれてようやく立ち上がるほど頼りなかった。それでも師と友のおかげでまだ景色はどんな色か目視できていた。友が死ぬまでは。
 墨一色の視界に慣れたのは、二つほど階級が上がってからだった。任務に赴くのは夜が大半なのだからと開き直り、ただ血までが黒く見えるのはいただけないとは思っていた。隊服に付いた血は色があろうとわかりにくいだろうが、黒くない羽織に付いているものが、泥なのか血なのか判断がつかないのだ。泥だと思って気にせず先へ進もうとすると、ふと振り返れば苦しそうに脂汗を浮かせて蹲っている隊士がいた、などということもあった。だから冨岡は誰かと任務にあたる時、ひっそりと隊士を観察する。一人で歩けるようならば胸を撫で下ろし、今やるべきことへと意識を向ける。
 いつだったか複数の鬼が潜むという、担当区域ではない場所へ派遣された時のことを思い出した。同階級の者が数人、付近に身を潜めながら様子を窺っていた。冨岡も同様に身を低くして視線を走らせていた時、近くにいたはずの隊士の短い悲鳴が耳に届いた。周辺の警戒はしていたはずなのに、すぐそばに一体鬼が立っている。悲鳴を上げたはずの隊士の胴が音を立てて繁みに倒れ込んだ。鬼の手にある頸は、今の今まで生きていたはずの隊士の顔をしていた。
 今まで斬ってきたどの鬼よりも速く、一瞬怯んだ隙をついて冨岡目掛けて跳躍した。鬼舞辻無惨の側近である十二鬼月だという話ではなかったはずだが、当時の冨岡には手に余る相手だと悟った。だが今殺さなければ、ここにいる隊士たちを殺した後、近隣の村人たちも喰われてしまう。己が必ず殺さなければ。
 鬼が冨岡の頸を狙って刃物のような爪を繰り出した。紙一重で避けた冨岡の羽織に、裁断したかのような切れ目が入る。身につける以上汚れも破れも承知してはいたが、爪とはいえ鬼に触れられたことに不快感を持った。二度目の攻撃を受けるために刀を構えた時、背にしていた木が大きく揺れた。
 白い羽織が目に入り、己とは違う呼吸の型を繰り出した背中を呆然と見つめた。
「よし、うまくいったな! きみは平気か」
 色の消えた視界が広がる前に見た炎の色を、振り向いた男が纏っていた。

 男は煉獄杏寿郎というらしく、鬼の住処に似つかわしくないほど溌剌とした男だった。
 付近で鬼を討ち取るべく刀を抜いていた隊士たちの中には煉獄と顔見知りの者もいたようで、どうやら腕の立つ隊士らしいことがわかった。階級はまだ冨岡や他の隊士と同じようだが、討伐数はどんどんと増えているらしい。少し離れていても声は大きく、会話は聞こえてくる。
 柱ではないにも関わらず、煉獄という隊士が来たことで、皆安心したかのように笑みを漏らしていた。まだ鬼は複数残っているはずだが、煉獄は頼ることのできる、一目置ける人物なのだろう。
 己とは正反対の人間だ。遠目に見える煉獄に視線を向けた。
 景色は相変わらず暗く、隊士たちも白と黒でしかない。なのにあの男だけは色を纏っている。治ったのかと思ったのだが、そうではないらしい。
 なぜ煉獄にだけ色がついているのだろう。あまりに強烈だったのだろうか。複数人での任務など、思わぬところから飛び出す隊士など珍しくもない。それとも強さが別次元にあるということだろうか。柱に会うことも何度かあったが、誰も彼も色はついていなかった。なんとも不思議だ。
 友を失う前のように、そのうち視界に色が戻るのだろうか。戻ると良い。墨一色に一人だけ鮮やかであるなど、少々気が落ち着かないのだ。

 何度か任務を共にすると、話好きなのかよく会話を持ちかけられた。ある少女からは話しかけづらいと面と向かって言われたこともあるが、煉獄自身は気にしない性質なのか、返事がなくとも冨岡に笑みを向けた。合同で任務に当たった時は誰にでもそうしていたのだろう、時折顔見知りがいるのはそれのせいだった。
 だがそうしているおかげで、煉獄の顔を見れば皆目に見えてほっとする。細かな気遣いのできる者こそ人の上に立てる者なのだろう。己などに気を遣うのは時間の無駄であり、他の者ともっと交流を深めれば良い。そうは思うのだが、構わず声をかけ続けてきた煉獄に対し、いい加減無視をすることも悪く思い、結局ぽつぽつと応えるようになった。
 ようやく会話らしい会話をするようになって暫くした時のことだった。想定外の怪我を負って肩を貸せば、煉獄は不甲斐ないと相当落ち込んだようだった。想定外の出来事ならば、回避することなど容易ではない。そう落ち込むことはないと思うのだが、口下手を自覚している冨岡には、何を言えば慰めになるのかわからなかった。
 ただ、深く落ち込むほど煉獄の鬼狩りとしての意識の強さのようなものが感じ取られ、己もこうで在るべきなのではないかと思った。そうして研ぎ澄ましていけば、己の手であろうと人を救うことができるのではないか。
 やがてふらふらと歩いているうちに、煉獄の家の付近だという通りまで辿り着いた。走ってくる小さい煉獄が見える。幼く今にも泣き出しそうな顔をしているせいで、顔のつくりはそっくりなのに彼とは全く違って見えた。無事に家に送り届けた後、促されるままに長時間滞在することになった。
 兄弟二人と文通をするようになったのは、煉獄の家で養生したことがきっかけだった。文通を通じて約束を取り付け、招待されるままに手土産を持って一度見たことのある屋敷の前で立ち止まる。何故招待されたのかよく理解しないまま煉獄家へと訪問したものの、千寿郎が嬉しそうに出迎えてくれたことは、冨岡にとっても嬉しいものだった。
 深く考えたことはなかったが、彼らとの文通は己にとっても楽しいものだったと思う。笑みを見せた千寿郎を眺めながら、引っ張られるように敷地内へ足を踏み入れてから変化に気づき、通り道を振り返った。
 青い空が広がり、色鮮やかな木々が繁っている。
 寒々しい色をしていた視界は、ようやく元の世界を映し出した。

 今ならわかる。
 炎の美しさに目を奪われた。強く惹かれたからこそ本来あるべき色が最初から見えていた。
 深く沈めた感情が表に出ることはほとんどないが、色を映した視界は冨岡の心よりも素直だった。
 己はずっと、煉獄を想っていたのだ。
 今更気づいても遅いけれど。