これでも新妻なので
「剣道部の部員が増えたのは嬉しいことだが、指導がいき足りていない」
中高一貫校であるこの学園は、部活動も中高一貫で練習をしている。剣道部も例に漏れず、人数が増えて人手が足りないと監督が嬉しい悲鳴を上げているらしい。
杏寿郎が剣道経験者であることは監督も知っており、是非コーチをと頼み込まれて部員の面倒を見ている。義勇もまた経験者であることは知られておりアプローチを受けていたのだが、教えられるほどのものではないと断っていたのだった。
「きみの剣技は素晴らしい。来てくれれば助かるんだが」
「無理だ。私に教えられる技量はない」
「そこをなんとか。試合を見せるだけでも勉強になる」
「お前がいればそれで充分だろう。それに……」
「なんだなんだ? 冨岡剣道部のコーチやんのか?」
話が聞こえたのか宇髄が話題に乗ってきた。やらない、と口にするものの、義勇の言葉は無視されてしまった。
「お前らの試合やんなら見に行くぜ。二次会のポスターソード戦しか見てねえんだからな」
「えっ、煉獄先生たちが試合やるんですか? 見たい見たい! 高校の映像めっちゃ興奮したし」
職員室は先日の結婚式の二次会で流された試合映像の話題で盛り上がり始め、二次会の余興に何故か新郎新婦なはずの義勇と杏寿郎がポスターソードで試合をするという羽目にまでなった。義勇は困った顔で周りを眺めたが、皆無視して話に花を咲かせている。
「一度来て部員の様子を見てくれればいい。皆励んでいるぞ。千寿郎もいるし、錆兎少年もな」
この度入学した親戚の錆兎は、仮入部期間が始まると同時に剣道部へ入部した。元々杏寿郎への憧れともライバル心とも取れる心情を抱えていた錆兎は、口に出しては言わないが彼の指導を喜んでいるようだった。
「……まあ、一度だけ、試合稽古だけなら……」
「よし、では放課後剣道場へ来てくれ。監督! 今日は冨岡先生が来てくれるそうです」
剣道部の監督を務める初老の男性教諭は、ガッツポーズを掲げて杏寿郎への労いの言葉を叫んだ。
義勇が少し折れるとすぐに杏寿郎は動く。やっぱりやめるとは言えなくなってしまった。一度だけだと伝えているのだから、次はないと突っぱねるつもりだが。
「やった! 俺見たかったんだよ! ありがとう!」
「誰とやんだよ。やっぱ煉獄か?」
「頑固な冨岡先生を陥落させた快挙を成し遂げたからなあ、ここは煉獄先生とやってもらうか」
二次会で剣道マニアであることが知れ渡った男性教諭が喜びを顕にするのを眺めながら、監督には今日だけですよ、と義勇は釘を差した。普段はあまり雑談にも参加しない初老の監督は、よほど嬉しいのか鼻歌まで口ずさむほどの浮かれっぷりだ。
「では今日は遅くなると連絡しておこう」
声のトーンを落として杏寿郎が口にした。その様子を見て、義勇は心中で息をついた。
*
どこから広まったのか、ここまでギャラリーが増えるとは思っていなかった。剣道部員の期待の眼差しと教師陣からの子供のようなきらきらした視線もまだ理解できるが、部員ですらない一般生徒がやたらといるのは何故なのか。
「すまない、嬉しくて言いふらしてしまった」
「先生がテンション上がってんの珍しくて見に来ちゃった」
「冨岡先生がちゃんとした用途で竹刀使うって聞いて」
「煉獄先生の雄姿見に来ただけ」
義勇がじとりと睨みつけたのは、毎朝文句を言いながらも風紀委員の仕事をこなす黄色い頭の生徒だ。その横には立派な校則違反者である元気な少年がいる。
「義勇……冨岡先生!」
錆兎が嬉しそうに近寄って来て声を掛けてきて、いいのかと心配そうにこそこそと問いかけてきた。
「指導じゃない。試合稽古をしに来ただけだ」
「そりゃそうだ。俺にも理由つけては稽古つけないのに」
むすりとしてそっぽを向く錆兎に思わず笑みが溢れる。周りはがやがやと騒がしく、二人の会話は聞こえていないようだった。
親戚であることは既に錆兎の友人まわりでは知られているそうだが、何も知らない生徒は義勇と仲良さげにする錆兎を不思議そうに眺めている者もいた。
「鱗滝さんから教わるのが一番だからな」
「それはそうだけど、義勇からも俺の腕前に言いたいことはあるだろう?」
「冨岡先生、だ」
「冨岡先生!」
義勇の左腕に抱き着きながら可愛らしい声が名を呼んだ。顔を向けると錆兎の義兄妹である真菰が嬉しそうな笑顔を見せた。
「学校で珍しいね。びっくりして飛んできちゃった」
「家でも見てるだろう」
「それはそれだよ。ギャラリー凄いね」
公式試合を思い出すほどの盛況ぶりだ。一般の生徒は殆どが野次馬だが、杏寿郎目当ての女子生徒も居るらしいことは察していたが。
友人らしき女子生徒を見つけた真菰は、頑張れと義勇を応援して腕から離れていった。
「おらおら、見るなら静かにな。部員の邪魔すんじゃねえぞ」
宇髄が騒がしい周りを見かねて声を張り上げている。監督は少し申し訳なさそうに頭をさすっていた。
座って静かに待つ部員とは対照に、一般生徒は殆どがざわざわと落ち着かない。宇髄が声を掛けてようやく静まり始めていた。義勇が追いかけ回す校則違反者は風紀違反以外は基本的に品行方正なため、騒がしい周りから離れて静かに立っていた。
「――一本!」
結局のところ、試合稽古は杏寿郎に白星がついた。一礼をして面を外すとギャラリーたちの大きな歓声が上がる。周りは随分見入っていたらしい。
目元を手のひらで隠しながら部の監督が黙って握手を求めてきた。小手を外して求められるままに握手をした義勇にはさっぱりわからなかったが、どうやら感動していたらしいと後になって聞かされた。
「凄い! お疲れ様義勇!」
真菰がギャラリーから飛び出してきて義勇にしがみついた。呼び方を注意する前に遅れて錆兎も走ってくる。たった今剣を交えた義勇の肩を、杏寿郎は嬉しそうに叩いて労ってくれた。
「冨岡よお、コーチやってやりゃいいじゃん。こんなん見せられたら部員は期待すんじゃねえの?」
「だから、指導できるほど口は上手くないと自覚してるから」
「口で言うだけが指導じゃないぞ、きみが教わったとおりにやればいい。向いてるかもしれないぞ」
鱗滝の指導は言葉よりも体で覚えるものだった。知ってか知らずか杏寿郎の助言は義勇にとって的確ではあったが。
「駄目だ」
休憩の時間を貰い、ギャラリーの間を縫って更衣室に向かい歩く。残念そうな杏寿郎の顔が隣にあるのを視界の隅に収めながら義勇は呟いた。
「……帰るのが遅くなる」
「一緒に帰ればいいだろう」
え? と小さく声が上がったのが聞こえたが、深く考えず雑音として義勇はこの時判断してしまった。集まったギャラリーがどこの誰なのかをこの間ど忘れしてしまっていたのである。
「私は多くのことを同時に考えられない」
「それはそうだな。俺も難しい」
「竹刀を振るってる間、献立を考えていられない。夕飯を作れなくなる」
「………!」
青天の霹靂とでも称せそうな杏寿郎の顔を見た。部活が終わり部員を帰し、戸締まりをしてスーパーで献立を悩みながら買い物をする。帰る頃には夕飯時を大いに過ぎているだろう。そこから作るには時間が足りない。腹も減る。義母に頼るのは心苦しい。言葉少なに伝えると、大層表情を歪めて杏寿郎は唸った。
「……それは、困るな。きみの料理が食べられないのは」
「別に美味くはないが」
「そういう問題じゃないぞ」
心苦しくとも義母に頼めば二つ返事で用意をしてくれるだろうが、義勇にも新婚の意地というものがある。昼食までは手が回らないので、せめて夕飯だけは作りたいという小さな意地だ。部活の時間にわざわざ考えなくてもいいだろうに、と考えたのは一人ではなかったが。
「……思いもよらなかった。そうかそうか! ではコーチの話は断るとしよう!」
「待て待て待て! 頼む、煉獄くん! そこをなんとか! 一つ! 私の顔に免じて!」
「ちょ、ちょっと、その前に先生たち……付き合ってんのもしかして?」
杏寿郎の言葉に焦った監督が思わず必死に叫んだが、それを遮る女子生徒の質問に彼は瞬きを一つし、義勇はここがどこなのか今更気づいて辺りを見回した。
「というか結婚したんだ」
杏寿郎の声はよく通る。張り上げたわけでもない言葉を聞いた道場の生徒は文字通り目を剥いて驚いていた。なんなら耳をつんざく悲鳴も上がるほどだ。
「うっそ……え、冨岡センセと……?」
「そうだが」
「な、なんで!? えっ、いや美人だけどさ! いつから!? どこが好きなの!?」
「いつからか。だいぶ前だな」
「えーだいぶ前って? 学生からとか?」
純粋な驚きだけではなさそうな複雑な顔をした女子生徒が声を張り上げた後、慌てふためく女子生徒の友人らしき生徒も乗り出して聞き出そうとしてきた。こちらは野次馬気分が滲み出ている。
「付き合いのことならばそうだな!」
「おい、」
止めようと義勇が杏寿郎の背中から道着を引っ張るが、質問攻めにする生徒たちから引き剥がせそうもなかった。にやにやと宇髄が笑っているのが見えた。
「あっ、剣道部だ! そういや二人ともここの卒業生だよね」
「そっ……部員だったの?」
「まあそうだな」
「その含みのある言い方何~? ねえ先生、冨岡先生の何が良かったの? やっぱ顔? 剣道?」
腕っ節と顔しか取り柄のない女とは宇髄の談だが、生徒からも同じような評価を受けているようで少し悲しくなった。それはそれとして今は早くこの場を抜け出したい。
「それは言わないといけないか? 言い切るには時間が足りんぞ」
女子生徒の黄色い悲鳴が上がる。恋愛話を純粋に楽しみたい生徒たちが立ちはだかるように押し寄せてきた。
食い下がるように質問攻めにしていた女子生徒が義勇を睨みつけたように見えた時、ふいに遮るように杏寿郎の肩が視界に入った。囲まれている生徒の隙間を無理やり押し通るように歩き始める。
「えーもう行っちゃうの? 先生言わないの? 冨岡先生の好きなとこ」
「バレてしまうだろう、可愛いところが」
聞きたがる生徒に杏寿郎が答える。あんまりだ。
こんな大勢いる前でこんな公表の仕方をするなど思ってもみなかった。公表すること自体に異は唱えなかったが、元来口下手で目立つことを得意としない義勇には辛いものがある。義勇自身の失態ではあるが、ここまで騒がれるとは。
あまりの恥ずかしさと女子生徒の睨みつける視線が、かつて見かけた杏寿郎を想う女子の存在を思い出し、諸々の感情が涙腺を刺激して涙が出そうだった。顔色だって確実に赤いだろう。
複数人の息を呑む気配を感じた時、ではなと一言口にして杏寿郎は義勇を連れて更衣室へと逃げ込んだ。
*
「冨岡先生の可愛いとこ見ちゃった……」
「やべえ。俺でも可愛いと思ったわ」
照れたように頬を染める数人の生徒たちは、顔色を変えて涙目で耐えていた冨岡の横顔を目にした者たちだ。普段追いかけ回され冨岡を苦手としている男子生徒ですら可愛いと口にする。
「もうバラしたんだからいいよな?」
風紀委員と校則違反者の間に立ち、首をホールドするように腕を肩に組む。男に近付かれても、とげんなりとした黄色い頭と、何をするのかと宇髄の手元を興味津々で眺めるピアスを外さない男子生徒へ楽しげに話し始めた。
「この俺が派手に可愛いと思った写真を拝ませてやる」
手元の端末を操作して、画面いっぱいに写し出されたのは結婚式の写真だった。顔を向けて笑い合うのは、先程まで生徒たちに質問攻めにされていた二人だ。真っ白なタキシードとウエディングドレスを纏い、ベールアップした花嫁の頭のベールが扉の奥からの光に透けてどことなく神聖なもののようだった。
目が飛び出そうなほど驚きながら顔を赤らめた男子生徒二人の様子に、気になった生徒たちは宇髄の手元へ集まった。瞬く間に道場内に悲鳴が響き渡る。可愛い綺麗だと大騒ぎである。
先程まで煉獄にしつこく聞き出そうとしていた女子生徒は写真を目にして項垂れ、隣にいた友人から慰めるように背中を叩かれている。
「すっごーい、冨岡センセのポテンシャルよ。あんた相手にされてないんだから諦めなよ」
「他にはないんですか!?」
食いついた男子生徒に意地の悪い笑みを見せながら、宇髄は端末をスワイプして次の写真を見せていく。その日義勇は終始笑みを見せ、色々と注意を受けていたであろうことが伝わる。何せ義勇は生徒の前で殆ど笑わないのだから。
スワイプし続けるとブーケを投げる花嫁の映像が出てきた。弧を描くような投げ方ではなく、確実に着地場所を狙って投げたような、ブーケをまるでボールのように扱う姿だった。
投げた先にいた胡蝶カナエが驚いたような顔をして、胸に抱き込むようにブーケを受け取っていた。あまりの勢いに後ろへ倒れ込みそうになり、側にいたしのぶと甘露寺が支えるように押さえていた。
「これは可愛くない」
綺麗だけども、と続けた黄色い頭は、見惚れたことが悔しいのか負け惜しみのように呟いた。
「でも楽しそうだ」
ピアスの生徒が映像を見ながら微笑んでいた。
その後、着替えを終えて帰ろうとする冨岡を見かけた生徒の報告では、普段の比ではないほど恐ろしい形相をしていたらしい。え、これがあの花嫁? そう問いたくなるほど別人だったと泣いていた。ただの照れ隠しにしては怖過ぎるし、それを咎めない煉獄も煉獄である。どうせそんな凶悪顔も可愛いと思っていることはわかりきっているので、馬に蹴られるような野暮な突っ込みを入れるつもりはないのだが。