弟離れ

「錆兎少年は筋が良い」
「そうだろう」
 己が褒められたかのように自慢気に胸を張り、義勇は杏寿郎の言葉に頷いた。
 争いを好まない性格ゆえか少々試合に物怖じする千寿郎は、剣筋は良いのになかなか結果を出すことができない。仲が良く実力も近い錆兎は刺激し合える良いライバルになれそうだ。
「錆兎少年、今度うちに出稽古に来ないか」
「え?」
「うちの門下生と競い合いながら一日中鍛錬ができる。千寿郎にとっても良いことだろうし、実力の拮抗した同年代のライバルというのは重要だ。ああ、うちの門下になるのはどうだろうか」
「いや、出稽古はともかく、俺は鱗滝さんに教わりたいから……」
「駄目だ」
 千寿郎の後ろから向かい合う錆兎へ声を掛けていると、錆兎の背後へ立った義勇が拒否の言葉をはっきりと口にした。
 錆兎を抱き込んで杏寿郎を睨んでいる。
「錆兎は鱗滝さんの道場を継ぐ男だ」
「今の時代、掛け持ちする者も多いぞ。部活も似たようなものだろう」
「駄目だ」
「実力を伸ばすには他道場に目を向けても良いと思うんだが」
 言い合いのような形になり、千寿郎が困ったように慌て出したのが視界の端に映った。そこまで頑なにならずとも良いだろうに。そう思って錆兎を見ると、頬に赤みが差し何かに耐えるような表情になっていることに気がついた。
「………っ、離せ義勇!」
「嫌だ。錆兎は鱗滝さんの下で強くなる」
「そんなことは俺だって思ってる!」
 錆兎を抱き込んでいた義勇を無理やり引き剥がされ、不満そうに顰められた顔を錆兎へ向けた。錆兎の顔は真っ赤になり、学校では先生と呼ぶよう気をつけているはずだが、頭から抜けているらしく少年らしい声を張り上げた。
「そこに直れ義勇!」
 驚いて言われるがまま義勇が床へ正座する。お前もだ! と顔を向けられ、杏寿郎も並んで正座し錆兎を見上げた。千寿郎はただ行く末をはらはらと見守っていた。
「俺はもう中学に上がったんだぞ! いい加減昔のようにくっつくのはやめろ!」
「何故だ。何か減るのか」
「へ、減らないけど! せめて胴を着けてくれ……」
 合点がいった。どうやら背後から抱き込まれたおかげであらぬものが当たっていたらしい。
「錆兎にくっつくのに防具を……?」
 納得の行かない顔をして義勇は首を振った。大きくなろうと家族であるのに変わりはない。青少年の悩みは頭にないのだろう。矛先が杏寿郎へと向く。
「お前は止めなければならないだろう。他の奴に義勇が抱きついていたんだぞ」
「相手はきみだ。俺では止められん」
「それでも止めるのが夫というものだ」
 中学生に言い含められる大人の図は、傍から見ればさぞ滑稽に映るだろう。ちらりと周りに視線をやると、好奇心に負けた部活中の生徒たちがこちらを眺めている。
「実際のところ、彼女は俺よりきみにご執心なのでな。割と腹立たしいことだが」
「腹立たしいなら引き止めろ」
「そうも行かん。きみがいると表情が柔らかい」
「お前といる時だってそうだろう」
「それはそうだが、少し違いがある。きみに見せる顔は俺では引き出せないものだ」
 まだ少し理解できなかったのか、錆兎は不思議そうに首を傾げた。義勇は家族へ向ける顔はまだ杏寿郎には向けてこない。これは嬉しいことでもあるのだが。
「とにかく、俺にはもう抱き着くな。落ち着かないんだ」
「昔は文句を言いつつも受け入れてくれたのに……」
「力が強くて引き剥がせなかったからだよ! 抱き着くなら杏寿郎だけにしろ」
 すっかりしょぼくれた義勇を置いて、錆兎は千寿郎を連れて行ってしまった。教師が二人、正座をしたまま道場の片隅に佇んでいる。
「錆兎少年は思春期だからなあ。そろそろ姉離れがしたいのかも知れん」
 同じ男である以上、錆兎が義勇を拒否した本来の理由はよく理解できる。誤魔化していた錆兎を思うと己が口にするのは忍びなく、杏寿郎は嘘ではない理由を推測として挙げた。思春期……と呟いた義勇は、溜息を吐きながら立ち上がる。
「ならば仕方ない……できるだけ控える努力をしよう」
「うん、まあ、急には無理かも知れんからな」
 受け取り方によっては全く控えなさそうに聞こえることを口にした義勇に、杏寿郎は苦笑いを漏らした。
「学校ではやらないようにしておくと良い。どうしても抱き着きたくなったら、俺が代わりに受け止めてやれるぞ」
「お前は錆兎よりでかいから少し違う」
 にべもない言い草に杏寿郎の眉尻が下がる。
「錆兎がお前と同じくらい大きくなったら代わりになるのかも知れないが……」
「錆兎がきみより大きくなったらもう許すことは出来ないなあ」
 顔を上げて杏寿郎を見つめた義勇に笑みを返す。楽しそうに錆兎へじゃれる姿を止めるのも忍びなく、今は甘んじて見逃しているが、成長してしまえば話は別だ。
「いつまでも子供ではないのだから、きみも考えを改めなければな」
 翌日、煉獄と冨岡両教師に正座を強要し説教をかます中学生がいたという噂が流れていた。