私の幸福

姉さんの婚約者という名のモブがよく喋るのですごい注意


「生家へ向かおうと思う」
 庭の松の木を眺めながら義勇はひっそりと口にした。
 彼女が生まれ育った町。姉と生活していた家。もうないかもしれないが、と続けた横顔は、少しだけ寂しそうだった。
「ついてきてくれないか」
「勿論」
 杏寿郎の答えに驚いたように目を丸くする。
 他でもない義勇からの頼みを断る理由がどこにあるというのか。ついでに炭治郎たちの家にも寄るというので、それも良いなと答えた。
「きみの家なら俺も行きたい。挨拶もしておかねば」
「もう十年近く帰ってないから……」
「無くなっていたら近くを散策して回ろう。懐かしいものが見つかるかもしれない。新しいものもな」
 姉を喪った場所。以前にたった一言、逃げてきたのだと言った当時のことは、ずっと心の奥底に沈めていたのだろうと想像はしていた。良い思い出だけではないだろう場所へ自ら赴いて向き合うことを決めた義勇に、そしてそばにいて欲しいのだと伝えた彼女に杏寿郎は嬉しくなった。

 砂利を踏み鳴らして並んで歩く。時折義勇の足が止まり、きょろきょろと辺りを見渡している。記憶を頼りに歩いて来たが、十年前の記憶は曖昧になっている部分もあるだろう。
 どうにか見覚えのある付近へ来ると、林の奥に小さな家が建っていた。そっと観察する義勇を眺めて、どうやらあれが生家らしいと確信した。
「……古いが、手入れされているな」
「誰か住んでる、のか」
 声音に複雑な感情が混じっているようだった。取り壊されていないことにほっとしつつも、誰かの手が入れられていることに一抹の不安が過ぎる。
「……義勇、か?」
 名を呼ばれた先へ顔を向け、義勇の目が驚いたように見開いた。こちらを凝視して固まっている男が名を呼んだのだろう、彼もまた驚いていた。
「生きて……いたのか」
 近寄って下げられていた義勇の手を握った。双眸から涙が溢れ出し、苦しげに表情を歪める。すまない、と呟いて項垂れる男の旋毛を見つめ続けていた。
「きみが連れて行かれるのを、止められなかった。私が守らなければならなかったのに」
「違う」
 顔を覆ってしゃがみ込んだ男と視線を合わせるように、義勇も地面へ座り込んだ。
「蔦子さんが亡くなって、私も気が動転していた。きみの言うことを信じきれなかった。……言い訳にもならないが。泣いて助けを求めるきみを見て、専門家に頼むのが最善だろうと……」
 そうして己の良心を騙し続けていたのだと男は言った。
 冨岡の家はこの男が時折訪れて掃除をしていたのだという。屋内の掃除をして庭の手入れをする。生死もわからず戻って来る保証などどこにもなかったが、万一戻ってくることがあれば、すぐにでも住めるようにと。
「あなたを恨んだことは一度もない」
 俯いていた男の顔がようやく上がり、義勇と目を合わせた。
 姉の死は突然だったから、皆動揺していたのも無理はない。当時は理解できなかったが、大人は個々の思う最善を尽くそうとしてくれたはずだったと納得しているのだという。己の周りは姉妹二人を気遣う人ばかりであったのだと。
「……ありがとう」
 忘れないでいてくれたこと。目の前の男の、これからの幸せを祈っていること。姉を忘れないでいてくれれば良いと義勇は伝えた。
「……蔦子さん……」
 男は婚約者を失ったあと、身内の持ってきた縁談で結婚したそうだ。ずっと心に枷をしたまま、今まで生きていたのだろう。
「……ずっと、私もそうだった。姉さんは、生き長らえている私を見て何と思うのか。あなたとの幸せが待っていたはずの姉さんを見殺しにして、一人幸せになって良いのかと考えていた」
「蔦子さんはきみをずっと大事にしていた。何よりも大事な妹が、幸せになっておかしいはずがない」
「――うん」
 大きな雫が一つ義勇の目から零れ落ちた。
「この世で一等優しい蔦子姉さんが、誰かの幸せを恨むなんてことはない。あなたのことも、本当に好きだったから」
 瞬きするごとに頬を伝って落ちていく雫に、男は目元を抑えて嗚咽を漏らした。
「私はずっと思い出を仕舞い込んでいた。繋げていかなければならなかったのに、ずっと逃げていた。だから、こんなに月日が経ってしまった」
 きっと胸を痛めて罪悪感に苦しんでいた男に、姉の想いを伝えなければならなかったのに。
 そう口にした義勇は翳った表情を見せ、男は違うと首を振った。何を言っても足りないのだろう。姉を挟んで家族となるはずだった二人は、十年の月日を埋めるには時間が足りない。
 暫く二人で泣き続けたあと、男は顔を拭って義勇へ向き直った。
「……ありがとう。随分外で話し込んでしまったが、中へ入るかい? 十年前のまま盗られたものもないはずだが、これからはここに住むのか」
「いや……私は、帰る家があるから」
 ふと少し離れた位置で見守っていた杏寿郎へ視線をやり、男は照れたような表情でああ、と呟いた。申し訳ない、と慌ててこちらへ寄って来ようとするが、杏寿郎は笑みを向けて首を振った。
「ただの付き添いなのでお構いなく。まだまだ積もる話もあるでしょう」
「しかし……義勇、家は見て行かないかい? 中で時間を潰していてくれないか。渡したいものがあるから」
 言いながら扉の鍵を開け、音を立てて引き戸を開け放った。掃除に来ていると言っていたとおり、埃もあまりなく清潔にされている。
「写真も残っているよ、見てご覧。何か入り用のものがあれば持っていくと良い」
 中を見渡して義勇は足を踏み入れた。続いて杏寿郎も入り、柔らかい陽の光が差し込む部屋を眺めた。
 こぢんまりとしているが、一家で住むには充分な広さだろう。
「時間があるなら、今日はここに泊まって行けばいい。これからもちゃんと手入れはする。帰る家は、何も一つだけじゃなくてもいいだろう?」
「そんな……」
「させてほしいんだ。私は蔦子さんにも義勇にも、何もしてやれなかった。許してほしいなんて図々しいことは言わない。ただ……きみが帰る家は、ここにもあることを覚えていてほしい」
 勿論嫌ならば断ってくれて構わない。だがただの遠慮ならばこれまで通りさせてほしい。そう伝えた男に、義勇は困ったように眉尻を下げた。
「……来るのはこの一度きりかもしれない」
「それでも良いんだ。これは私の自己満足でしかないが、もう日課になってしまっているから」
 痣のことまでは口にせずに断ろうとしても、上手い返しが見つからなかったらしく、男の提案に頷いただけだった。
「じゃあ少し待っていてくれ。すぐに戻る」
 さっさと草履を履いた男を見送って、義勇は煉獄と顔を見合わせた。義勇の重荷にならない程度に好きにさせてやれば良いとは思うが、軽くは考えられないのだろう。彼はすでに家庭を持っているのだし。
「布団も干してくれているのか……そういえば写真があると言っていたな」
「ああ。枚数は多くないが」
 記憶を頼りに部屋の隅の小さな引き出しを開け、紐で括られた数枚の写真を取り出した。紐を解いて小さな座卓へ広げる。椅子に座って微笑む少女の隣に立ち、不安げにこちらを見つめる幼い義勇が写っていた。
「姉君ときみか」
「ああ。親戚が来て撮ったんだったか」
 二人で並んで写っているのは何枚かあったが、どれも撮った年が違うようだった。一枚捲るごとに少女二人が成長しているのがわかる。子供の成長を写した写真は、義勇が十代前半頃の物で終わっていた。
「ここを出て行った前の年だったと思う」
 十かそこらの頃だろう。姉は十六だった。結婚が決まり家を出る前にと撮ったのだと言った。両親が生きていた頃から、毎年叔父が撮りに来ていたのだそうだ。
「姉を殺されて私が鬼の話をしてから、叔父は人が変わったように、腫れ物に触れるかのように扱った。病院へ連れて行こうとしたのも叔父だ」
 両親のいない姉妹を気にかけ、良くしてくれていた人だったのだという。恩を仇で返したようになってしまったと呟いた。
「……これは家族写真か?」
 一枚だけ四人で写っている写真があり、杏寿郎は拾い上げた。口元に笑みを浮かべながら椅子に座る女性と、寄り添うように隣に立っている男性。女性を挟んで反対側に、幼い姉妹二人が立っている。義勇は眩しそうに目を細めた。
「この写真でしか両親の顔を知らない」
 物心がつく頃には、家族は姉だけだったという。思い出せる一番古い両親の記憶は、顔に布を被せられ、並んで寝かせられた姿だったそうだ。
「……そうか」
 持って帰るかと問いかけると、静かに頷き広げた写真を元のように纏め始める。紐を結びながら義勇は家の中へぐるりと視線を動かした。
「……探したいものがある」
 写真を手荷物のそばに置き、義勇は立ち上がって居間を離れた。寝室にしていた一室は、姉と二人の私室でもあったらしい。手伝うかと声をかけると、手のひらを広げて大きさを伝え、木箱を探してほしいと口にした。
「たぶん、この部屋に」
 記憶を探っているのか、眉間には皺が寄っていた。押入れや文机の付近にある箱を見せるが、中身は目当てのものではないらしい。
 部屋の隅にある鏡台の引き出しを開けた義勇から、あ、と小さく声が聞こえた。振り向くと手振りで聞いた大きさの木箱が手に持たれている。見つかったかと杏寿郎は義勇へ向き直った。
 そっと木箱の蓋を開けると、そこには簪が二つ並んで仕舞われていた。
 一口に赤といっても様々な色がある。緋色といわれる鮮やかな色を持った簪だった。この色には覚えがある。
「あの人が、姉と私にくれたものだ」
 何年も前、似た簪に反応を示したことがあった。その時の言葉を思い出した。
 姉が大事にしていたもの。
 杏寿郎が初めて義勇に贈ったものと同じ色の簪が目の前にあった。
 ふと簪の下に押し花がひっそりと収まっていることに気がつき、義勇は取り出した。
「椿……?」
「いや、恐らく山茶花だな」
 押し花を見つめる義勇の手元を覗き込み、昔母が教えてくれた花の名を口にした。椿とよく似ているが違う花である。花が好きだった母に見分け方も教わったのを覚えている。
 慌てて走って来る足音が聞こえ、すまないと声を掛けながら男が顔を見せた。義勇の手元を二人して覗き込んでいた原因のものに気づき、妙に声が上擦ったままこちらへと近づいてきた。
「ああ……そんなものが、あったのか」
 義勇の手の中の押し花を受け取り、男の目はまた潤み始めた。姉妹へと贈った簪がこの家のどこかにあるだろうことは予想していたが、押し花まで仕舞っていたなんて。照れたように口にした男の様子から、婚約者としての男の想いが込められたものなのだろうと察した。
「ほら、花言葉というものがあるだろう。私も詳しくはなかったが、簪を買ったときに行商に聞いたんだ。この簪は山茶花を模したものでね」
 買った帰りに山茶花が咲いているのを見つけ、思わず押し花にして渡したのだという。花言葉とはどんなものかと義勇が聞いても、恥ずかしいから言いたくないと男は突っぱねた。
「色によって意味が違うなんて、私には不思議だったんだ。だけど咲いている山茶花を見て、蔦子さんに渡したくなった」
 少し草臥れてはいるが、淡い桃色をした山茶花の押し花は美しかった。
 義勇が木箱を男に差し出すと、受け取れないと首を振った。
「それはきみたち二人に贈ったものだ。持っていてくれないか」
「なら押し花は」
「それも、蔦子さんに渡してほしい。私が持って帰っては浮気を疑われてしまうかもしれないし」
 冗談めかして言った男の言葉に反応し、ごめんなさいと謝った。慌てて男は弁明する。
「いや、違うんだ。家内は蔦子さんのことを承知の上で結婚した。ずるい男と思うかもしれないが、忘れられないからと最初は縁談を断るつもりだったんだ。だが家内はそれも含めて支えたいのだと言ってくれた。……いや、私のことはどうでもいい。いらぬ冗談を言ってしまい、浅慮だった、すまない」
「仲良くやっているなら、私は安心できるから」
 かぶりを振って伝えた言葉にありがとう、と笑った男は木箱を義勇に押し付けると、ようやく手荷物を差し出した。
「すまないね。渡したいものとは言っても、大したものじゃないんだ。羽織なんだが……二人に使ってもらいたい」
「……む、俺にもですか」
「ああ。夫婦なんだろう? だから二人に」
 顔を見合わせて瞬きをした。口にはしなかったが、当たり前だがやはり勘付いていたらしい。
「いつか渡せたらと思っていたものだ。顔を見せてくれたお礼に、是非受け取ってくれないか」
 そこまで言うのならばと、杏寿郎と義勇は羽織を受け取った。

「これからどこへ?」
「雲取山へ向かいます。知り合いに会いに」
「……そうか」
 冨岡の家の前で別れの挨拶を済ませる。また来てくれないかと男が口にした。
「……はい。また」
 早晩来る別れは、痣者には近い未来のものであると目に見えていた。義勇が言い淀んだ理由は明白だ。それでもいつか来る別れの前に、もう一度ここに来ることを約束した。
「良い御仁だったな。きみの義兄君は」
「義兄と呼んで良いものか……」
「良いんじゃないか?」
 袖から出した押し花を眺めながら並んで歩く。花言葉とは、と呟いた義勇に、杏寿郎は笑みを向けた。
「桃色の山茶花の花言葉は、永遠の愛だ」
 びくりと肩を震わせた義勇に、杏寿郎は付け足した。
「赤はもっとも美しい、だったか。熱烈だな」
「赤……」
「赤い山茶花の簪はきみと姉君に贈られたのだから、この世で一等美しい姉妹ということだろう」
「………」
 姉も含まれている故か、義勇は否定したくともできないようだった。ついでにかの義兄の熱烈な想いにもあてられたかのように頬に赤みが差している。
「ちなみに、赤い椿は控えめな美しさ、気取らない優美さだ。まだ夫婦ではなかったからな、俺も控えめにしてるだろう」
 何に対しての言葉かをはっきり気づいた義勇の頬は、先程よりも赤みが増していた。
「詳しいな」
「母がな、好きだったんだ。そこかしこに咲く花を指しては名前や言葉を教えてくれた」
 体が思うように動かなくなっても、庭を眺めながらあれこれと指しては花について語っていた。花言葉も母から教わったものだ。
「今なら、そうだな。れんげ草でも贈るかもしれん」
「……どういう意味があるんだ」
「それは考えてみるといい」
 不満げに眉間にしわを寄せた義勇の背中を軽く叩き、並んで砂利道を歩く。れんげ草でも良いが、と口にした義勇の言葉の続きを待った。
「色は緋色が良い」
「なんだ。赤が好きだったのか?」
「……姉も私も、目の色が青みがかって見えるらしく、よく青が似合うと言われていた。姉さんは赤い色が好きだったから、あの人も赤い簪を選んだんだろう」
 懐から赤い簪を取り出して眺めたあと、おもむろに杏寿郎の髪のそばへかざした。冨岡の家で探し出した物は、木箱に戻し手荷物の中に入れていたのを見た。己が昔彼女に贈った物を持ってきていたらしい。お守り代わりだと口にした、見分けの難しい山茶花に似た花をあしらった緋色の簪。
 俺に飾っても似合わないだろう、と笑おうとしたのだが。
「お前の色だ。だから好きになった」
 思わぬ回答に杏寿郎は天を仰いだ。
 一体いつから好きでいてくれたのかと問いかけるも、さあだのわからないだの、煮え切らない答えが返ってくるばかりだった。