弟のとある友達家族への興味が尽きない件・2

「千寿郎くんそんなに大きくなれたの!?」
 残り数ヶ月でお役御免となるランドセルを背負った杏寿郎が向かっていたのは市の図書館だ。
 杏寿郎の通う校区に位置する場所にあるので、クラスメートなどと共にかなりの頻度で利用する。杏寿郎が進学する中学校の校区内でもあるので、引き続き来年以降も使うことになるだろう。つまり、中学生も小学生も集まる図書館なのだ。
 明らかに弟の名前を叫んだ少年の胸元には名札があり、ふじかさね小学校一年二組、かまどたんじろうと書かれている。同じ学校だ。そしてたんじろう。聞き覚えがあるから弟の友達なのだろう。保育園に去年通っていた歳上の友達だとしたらランドセルを背負って校区が被っていてもおかしくはない。
「千寿郎の友達か?」
「保育園ではいつも一緒に遊んでるって聞いたけど……」
「そうか! なら俺もきみを知ってるかもしれん」
「千寿郎くん、禰豆子のこと覚えてないの?」
 禰豆子の兄だ。
 そういえば千寿郎の話にも出てきたことがあるのを思い出し、天狗が真ん中の子供のことを炭治郎と呼んでいたのも思い出し、禰豆子は下の兄をお兄ちゃんとしか呼ばなかったことまで思い出して、そのせいかあまり名前が印象に残らなかったのだろうと納得した。
 杏寿郎にとって衝撃ではあった彼らの関係だが、話に聞く限りはとても仲の良いきょうだいだ。義勇お兄ちゃんの呼び名は気にしていたが、下の兄の呼び名はもしかしたら昔と変わっていないのかもしれない。それよりも。
「禰豆子さんのことは千寿郎から聞いてるし会ったこともあるぞ! 俺は千寿郎の兄の杏寿郎だ!」
 ずっと杏寿郎を千寿郎だと思い込んでいる少年に教えてやると、これまた唖然とした彼は慌てながら深々と頭を下げて謝った。
 そこまで謝られると杏寿郎も恐縮してしまうが、炭治郎は礼儀正しい少年のようでしっかりしている。
「禰豆子さんのお兄ちゃんのことは俺も聞いてる!」
「俺と義勇お兄ちゃんですか……?」
 炭治郎が呼んだ名に瞬いてから、微笑ましく感じた杏寿郎は満面の笑みで頷いた。
 妹の前では義勇お兄ちゃんと呼ばないらしい炭治郎は、今は一人だからかすんなりと呼んでいた。長男だったから妹に聞かれるのが気恥ずかしいというのはわからないでもないが、まだ低学年だろう彼も兄に甘えてみたい気持ちはありそうだ。
「ああ、仲の良いきょうだいなんだろう? 禰豆子さんが毎日一緒に寝てると教えてくれた時は、千寿郎も俺の布団で一緒に寝てくれた!」
 まあ一週間で部屋を出ていかれてしまったが、あれもまた楽しいひと時だったし禰豆子のおかげで千寿郎が来てくれたので感謝していた。兄に甘えてくれる可愛い弟なのに、たまに素っ気ない態度を取られたりするので杏寿郎はいつも翻弄されている。まあ、それはともかく。
「杏寿郎お兄さんのことは俺も千寿郎くんから聞きました! こんなにそっくりだと思わなくて……」
「よく言われるな! 実は父も似てるんだ、今度遊びに来るといい!」
「はい!」
「ところで、もう五時過ぎてるが帰らないのか?」
 元気の良い返事に頷きながらも、杏寿郎は気になったことを口にした。六年生である杏寿郎と一年生の炭治郎の下校時間は被らないはずだが、彼はランドセルも帽子も登下校時のままだった。放課後から遊びに出かけていたのだろうが、そろそろ暗くなってくる時間帯だ。
「あ、それが……今日家の鍵を忘れてきちゃって……義勇お兄ちゃんは買い物に行ってるので、帰ってくるまで時間を潰してました」
 夕飯はいつも義勇お兄ちゃんの当番で、放課後はいつもスーパーで買い物をして帰ってくる。一緒に行くと言っても時間が合わないのでなかなか手伝えないし、お皿を並べるくらいしかさせてもらえない。朝は鱗滝が作るが、彼もまだ疲れているところを見たことがなくて手伝うことがないのだとか。いやはや。
「義勇お兄ちゃんは料理ができるのか、凄いな!」
「鱗滝さんに頼んで当番にしてもらったらしいんです。俺たちも手伝いたいけどまだ小さいから要らないって……」
「うーん」
 たまに焦げているとは言うが、高学年であっても杏寿郎はあまり台所に入らせてもらえないというのに、一つしか違わないお兄ちゃんは料理ができるのになんだか情けなくなった。とはいえ低学年の子供には危ないから手伝わせられないというのも理解できる。せめて杏寿郎くらい大きくなってからなら大丈夫なのだろうけれど。
「まあ、料理じゃなくても違うことで休んでもらえばいいんじゃないか? 千寿郎はよく母の肩を叩いてるぞ。父の腰に乗ったりもしてるし。他にしてほしいことをしてみるのはどうだ?」
「肩叩き……鱗滝さんなら! でも義勇お兄ちゃんはあんまりそういうの言ってくれなくて。代わりに教えてほしいって言われるくらい……」
「教える?」
 炭治郎が手伝いを申し出ると、義勇お兄ちゃんは要らないから話をしてくれと言うのだそうだ。下のきょうだいとどんな遊びをしていたか、弟妹が喜んだのはどんな遊びだったか。炭治郎も楽しかったことはなんだったか、など。弟妹がいたことはなかったのか、長男だったという炭治郎に教えを請うているようだった。ぼんやりと身の上をバラしてしまっている炭治郎は無意識なのだと思われる。杏寿郎は彼らの身の上を少し話に聞いていたので理解できたが、知らなかったなら詳しく聞き返してしまっていただろう。聞いていてよかった。
「なんだ、手伝ってるし役に立ててるじゃないか! 知らないことを知りたいから兄経験のあるきみに教えてもらって、実践しようとしてるんだろう。教えてあげて偉いぞ!」
 頭を撫でるとぽかんとしていた炭治郎の顔がみるみるうちに明るくなって嬉しそうな表情へと変貌を遂げていく。
「皿を並べるのも立派な手伝いだと思うし、俺なら弟に遊んでと言われたら疲れなど吹っ飛んでしまう! きっと義勇お兄ちゃんも嬉しいだろうな!」
「あ! 俺も妹と遊んでると凄く楽しいです!」
「そうだろう! もっと義勇お兄ちゃんに甘えてみるといい!」
 甘えると言われるとなんとも気恥ずかしいのか、ぱあと明るくなった顔が頬を赤くして悩み始めてしまった。しかし身に覚えのあるきょうだいでの楽しい遊びのことは理解したようで、照れつつもわかりましたと頷いた。天狗には肩叩きをして、義勇お兄ちゃんとは禰豆子と三人で遊ぶ。しっかりお手伝いは決まったようだ。
「そろそろ帰ってくるんじゃないか? 家はどのあたりだ? 送っていこうか」
「あ、大丈夫です。まだ明るいので! えっと、杏寿郎お兄さん、ありがとうございました!」
「うん、気をつけて帰るんだぞ! 今度は皆で遊びに来てくれ!」
「はい! さようなら!」
 禰豆子の下の兄は元気が良くて優しい良い子だった。これは千寿郎も懐くはずだと少しばかり妬けてしまうが、彼のきょうだい間の仲の良さを深められるといいな、と考えつつ、閉館時間までそう残されていないことに気づき慌てて図書館内へと向かい、用事を終えて帰路についたのだった。

*

 始業式を終えたにも関わらず、未だ杏寿郎は残念がっていた。保育園の卒園式が平日だったことにより、この目で弟の晴れ姿を見ることができなかったのである。更に入学式まで平日だった。それどころか中学校の入学式と同じ日程だったのでもう諦めろと言われていたのかもしれないが。ちなみに母は弟のほうへ、中学には父が見に来てくれていた。
 中学校の正門近くには桜の木が植えられてある。学校へ足を踏み入れた時は感動に震えたものだが、帰り際も眺めていたらすっかり人はいなくなっていた。
 腹も減ったし早く帰ろう。そう考えて前を向いた時、同じく学生服を着た誰かが下駄箱から出てくるのを見つけた。
「きみも新入生か!?」
 クラスの面々とはもう会話をして打ち解けていたが、前を歩く生徒は何組だろうか。立ち止まって振り向いた少年の胸元には自分のものとは色の違う名札が付いていて、彼の目が蒼く煌めいて、杏寿郎に焦点を合わせた瞬間に丸くなっていくのを目の当たりにした。
「……千寿郎。なんで?」
 惚けたまま瞬いた杏寿郎がしばし固まったが、やがて勘違いされたことに既視感を抱いた。この感じを以前も杏寿郎は受けたことがある。
 あれは数ヶ月前、図書館で出会った少年が驚きながら見上げてきた時の――。
「……もしかして、義勇お兄ちゃんか?」
「そんな急に大きくなるのか……」
「千寿郎の兄の煉獄杏寿郎だ!」
 ボリュームを間違えたか、溌剌と自己紹介した杏寿郎の声に驚いたらしい目の前の少年がぴゃっと肩を竦ませた。千寿郎の兄と反芻して呟いてから、蒼い目を瞬かせてようやく唖然として頬を赤く染めた。
「………、……ごめん」
 むっと表情を顰めさせているが、千寿郎がたまにする拗ねた表情にも似ている。間違えて恥ずかしかったのだろうと気づくとなんともいえない気分になって、少しだけ杏寿郎もぎこちなく反応してしまった。拗ねた弟を見て自分は何を思ったのだったか。
「ね、禰豆子さんの義勇お兄ちゃんでしょう? よく話を聞きます」
「……俺も……千寿郎が遊びに来たら話してくれる。禰豆子からもたまに」
 何かに気づいたような素振りをした義勇お兄ちゃんは一言ごめんと謝って、学生服のポケットに手を突っ込んで何やら取り出して操作をし耳に当てた。杏寿郎はまだ持っていないスマートフォンだ。どうやら電話だったらしく、柔らかな声がもしもしと口にする。
「……えっ? コンビニの前まで来たのか? ……わかった、今向かってるから。知らない人について行くなよ。……俺も行かない」
 最後の一言は少しばかりむすりとしていたように聞こえたが、彼は耳からスマートフォンを離して操作をしてから再びポケットへと仕舞った。それを眺めていると義勇お兄ちゃんはちらりと杏寿郎へ窺うような視線を向け、電話相手を教えてくれた。
「炭治郎と禰豆子が迎えに来た。……千寿郎も連れてきたらしいけど……」
「なんと!」
 うちの弟までが迎えに来てくれているらしい。
 スマートフォンは持ち始めたばかりで電話をかけたい衝動があったのだろうと微笑ましそうに言いながら、またもごめんと謝ってきた。弟が杏寿郎を迎えにくる予定は確かになかったが。
「三人で遊ぶつもりだったんでしょう! 気にしなくても大丈夫だと思いますよ」
 弟も嫌な時は嫌だと控えめながら自己主張をするので、誘われて行きたいと思ったから付き合ってきたのだろう。そんなに恐縮して謝らずとも大丈夫だ。
「………。お前は兄歴が長いのか」
「兄歴? えーと……ろく……今年で七年になります」
 弟とは六歳離れているが、今年七歳になるから七年だ。拗ねたり素っ気なかったりすることもないわけではないが、喧嘩は一度もしたことがない。仲が良いと胸を張っていえるだろう。手探りなのだろう様子はなんとなく感じていたが、彼らのきょうだい仲も間違いなく良いといえる。
 とはいえ初対面でそんな褒め言葉を口にするのはなんとなく憚られたので、杏寿郎は自分の知っていることを伝えることにした。
「禰豆子さんはたくさん兄二人の話を教えてくれましたし、お兄ちゃんも義勇お兄ちゃんも大好きみたいですね! 仲が良くて羨ましい!」
「………」
「それに、さっき俺を千寿郎と間違えてたの、下のお兄ちゃんも同じ間違いをしてました。きみとそっくりで笑ってしまいそうだった!」
 だから気にしなくてもいい。自分のペースで成長していけばいい。禰豆子は楽しそうだったし、炭治郎は義勇お兄ちゃんを慮ってばかりだった。そのまま進めばきっとちゃんとしたきょうだいの仲になっていくのだと思う。似ていると言われることは数あれど、弟本人だと勘違いされたことは二人以外になかった。兄弟歴七年の杏寿郎たちと引けを取らない仲の良さなのだから。
 しばらく杏寿郎を見つめていた蒼い目がふいに緩み、ひどく嬉しそうに笑みを見せた。
「嬉しい」
「そ、そうですか!」
 おかげで何故か杏寿郎は落ち着かなくなり妙に焦りを感じてしまったが、まあ喜んだのなら良かったと思うことにした。
「その、天狗さんに転がし祭りを頼み損ねていて。千寿郎から頼んでもらおうと思ってるんですが、どんなものなんでしょうか」
「ああ……組手のようなものだけど。鱗滝さんに敵わないと身体をぶん投げられて転がされる」
 強くなればいなせるようになる、らしい。
 慌てたまま杏寿郎が引っ張り出してみた話題だが、遊びではなく組手だったとは驚きだ。
「成程……。楽しいですか?」
「うん。余計なこと考える暇がなくて、集中してたら時々鱗滝さんの手を止めることができるようになってきた」
 杏寿郎の未知の領域の話だ。
 両親も兄弟もいる杏寿郎には理解しきれない家族がいなくなるという現実。悲しいことがあった時、天狗はそうやって気を紛らわせてくれていたのかと気がついた。そう、元気がない時にしていたのだと聞いたのだった。
「……俺にもできるでしょうか」
「お前なら体幹良さそうだし……もしかしたら鱗滝さんを倒せるかも。炭治郎も高学年になったらできるだろうって言ってた」
 杏寿郎をじっと見つめた後、義勇お兄ちゃんは柔らかく笑って嬉しいことを言ってくれた。杏寿郎の心臓がひと際大きく反応したが、疑問符を浮かべながらも返事をしようと口を開く。
「そ、そうでしょうか! ……あの、俺も遊びに――」
「兄上ー!」
「あ、義勇お兄ちゃんいた!」
 会話をしながら向かっていたのは中学校すぐ近くにあるコンビニだ。店の前で待っていた三人が杏寿郎たちを見つけ、横断歩道を気にしながらも駆け寄ってくる。兄歴の長い杏寿郎は弟の声で半ば無意識に手を広げていた。
「おかえりなさい兄上!」
「千寿郎もな! 迎えありがとう!」
 ひと際騒いだ心臓はいつの間にやら元に戻り、何だったのかと首を傾げる間もなく弟に気を取られた。杏寿郎たちの様子をじっと眺めていたらしい義勇お兄ちゃんは、やがて同じように手を広げた。他の二人に向かって。
「……炭治郎、禰豆子」
 ぱあと明るくなる表情が炭治郎そっくりだった禰豆子はすぐに義勇お兄ちゃんの腕の中へと飛び込み、炭治郎もまた頬を赤くさせながらも禰豆子の後から抱きついた。甘えることをしっかり実践しているのか、三人ぎゅうぎゅうと抱きついている様子は微笑ましい。
「えへへ、私もうお友達できたよ義勇お兄ちゃん」
「凄いな……俺は新しい友達はまだだ」
「? 杏寿郎お兄さんと友達になったんじゃないの?」
「………! そう。友達になった」
 その言葉にぱちりと瞬いたのは杏寿郎だけではなかったが、同様に目を丸くしていた義勇お兄ちゃんは衝撃を受けたような顔をしてから力強く何度も頷いた。こちらを振り向いて同意を求める様子は先輩というよりは幼い印象を受けるが、惚けて眺めていた杏寿郎も慌てて頷いた。
 これで皆友達になれたと喜ぶのは弟と禰豆子だ。ずっとどうやって友達になってもらうかを悩み合っていたらしい。
 弟と禰豆子が手を繋ぎ、炭治郎は禰豆子と手を繋いで前を歩く。今日の昼食は天狗が作ってくれるのだと嬉しそうだ。煉獄家も母が準備をして待っているだろう。
「杏寿郎」
「……あ、はい!」
 一瞬誰から呼ばれたのかわからず、杏寿郎は反応が遅れた。しかし義勇お兄ちゃんは気にした様子はなく、前の三人に聞こえないようそっと口元に手を添えて近づいてきた。
「うちに遊びに来たら、兄歴七年のお前からも色々教えてほしい」
 いつもは炭治郎に教えてもらっている。ある時から炭治郎も弟初心者だからと俺に聞くようになった。今では禰豆子の前でもお兄ちゃんと呼んでくれる。嬉しい。もっと兄らしくなりたいからたくさん聞きたい。
 本当のきょうだいになりたいから。杏寿郎が身の上を知っていることを知らないだろうに、それでも義勇お兄ちゃんは隠さず教えてくれたらしい。無意識なのかもしれないが、まったくきょうだい揃ってやはり似ている。しかしそれが友達として認められたような、特別扱いされたような気分にもなってまたもなんともいえない気分になったが。
「喜んで!」
 杏寿郎が答えると義勇お兄ちゃんは安堵したような嬉しそうな顔で笑みを見せて、どうにも心臓は落ち着きを取り戻せなかった。
 自分は拗ねた弟になんと思ったかをふいに思い出した。可愛い可愛い弟が赤くなったまろい頬を膨らませて、更に可愛くて仕方なかった。それとはまた少し違うような気がしたが、心臓を揺さぶられながら、義勇お兄ちゃんが可愛い人だと感じたことは間違いなかった。