弟のとある友達家族への興味が尽きない件・1

「兄上……一緒に寝てもいいですか?」
 いつものごとく布団を敷いて枕を叩きながら準備をしていたところ、部屋の引き戸を開けた弟が枕を抱きしめて廊下に立っていた。
 可愛い弟と眠るのは何かイベントがあった時くらいで、普段は両親の間で寝ているのでそう頻繁ではない。兄と一緒に寝たい気分にでもなってくれたかと考えて、杏寿郎はにっこりと笑みを見せた。
「かまわないぞ! おいで」
 窺うように見上げていた目がぱっと明るくなり、いそいそと戸を閉めて布団の近くへやってくる。布団に潜り込んだ弟を見届け、杏寿郎も部屋の電気を消した。
「今日は兄と一緒にいてくれるんだな」
「禰豆子さんはお兄ちゃんと毎日一緒に寝てると言ってたので……」
「なに、羨ましいな!」
 禰豆子というのは弟が通う保育園の友達だ。会ったことはないが、転園してきたという彼女は引っ込み思案な弟とすぐに仲良くなるほど人懐っこいらしい。
 その禰豆子が毎日兄と一緒に寝ていると聞き、弟もやりたくなったのだろう。有り難い。脳内で禰豆子を拝むことにした。
「お兄ちゃんが大好きなんだって教えてくれました。僕も兄上が大好きです」
「………っ! 俺も千寿郎が大好きだっ!」
「やかましい! 早く寝なさい!」
「申し訳ありません! おやすみなさい父上!」
 弟のあまりの可愛さに心を鷲掴みにされた杏寿郎は夜間にも関わらずつい声を張り上げてしまい、廊下に出ていた父に怒られる羽目になった。しかしまあ、弟の可愛さと父からのお叱りを天秤にかけても勝つのは弟だ。顔も知らぬ禰豆子に感謝しつつ、杏寿郎は弟を抱きしめて眠りについた。
 この後一週間ほど連続して弟を抱きしめながら眠ることができたのだが、ある日唐突に今日から母上と寝ますとにっこりされて杏寿郎は項垂れることとなった。
 連続はやはり飽きてしまうのだろう。禰豆子は毎日一緒に寝ているらしいのに、まさか弟が飽きっぽいなどと思わなかった。
 兄上と一緒に寝るとぎゅうぎゅうされて身動きできずとても暑い、などと小さな文句を母に告げていたことを兄は知らない。

*

「ただいま戻りました!」
「おかえり千寿郎! 楽しかったか?」
 母と手を繋いで楽しげに帰ってきた弟は、兄の問いかけに大きく頷いた。
 母のママ友集会ついでの保育園友達の家で集まりに参加していた弟だが、なにやらラッピングされた小さな袋を手に持ってほくほくしている。
「無一郎くんのお母さんが兄上にもスイートポテトをくださいました」
「わっしょい! 俺もいいのか!?」
「禰豆子さんのお兄ちゃんたちにもくださったので大丈夫ですよ」
「お返しは何が良いでしょうね、千寿郎」
 集まりでも色々とご馳走になったらしく、今度はうちがもてなすのだと母が張り切っている。手土産には行きつけの和菓子屋で饅頭を購入していたはずだったが、手作りするのも良かったかと思案していた。
「天狗さんは金平糖をくださいました。禰豆子さんの好物だそうです」
 食べさしを持って帰ってきたらしく、紙に包まれた色とりどりの金平糖を見せてくれる。甘さもあり目にも楽しい金平糖は確かに女の子にも人気そうだ。
 それはわかるのだが、弟はなにやら妙なことを口にした。
「天狗さんとは?」
「天狗さんは禰豆子さんと一緒に住んでます。いつもお山に行って忙しくしてて、僕たちが会えたのは珍しいそうです。頭も撫でてくれました」
「……そうか!」
 うんうんと相槌を打ちながら聞いていたが、杏寿郎にはなかなかに想像しきれない話だ。禰豆子の親か誰かの話だと思われるが、弟は天狗だと信じきっているらしい。何故だろう。
「それから、大きくなったら転がし祭りしてくれると約束もしてくれました」
「転がし祭り……!?」
「ぐるんぐるんするそうです」
「何がだ!?」
「禰豆子さんのお兄ちゃんもやってるそうです」
「母上!」
 張り上げた杏寿郎の声に我慢しきれなかったらしく母が吹き出したことに気がつき、杏寿郎はつい恨みがましく呼んでしまった。
 禰豆子と同居する謎の天狗から受ける転がし祭りという謎の、謎の遊び? なにやら楽しみにしているから恐らくは遊びだ。母ものほほんと笑っているので特に危険なものでもないのだろうが、それにしたって想像しきれなかった。杏寿郎には想像力が足りないのかもしれない。
「禰豆子さんには二人お兄さんがいまして、上のお兄さんがやってるそうですよ。元気がなかった時にしてあげたら気に入ったんだと天狗さんはおっしゃったのです」
 母まで言うのだからやはり天狗なのは確定のようだ。そして弟の友達の情報がまた開示された。禰豆子には二人の兄がいて、一番上の兄が転がし祭りを受けているらしい。どうやら元気づけるために始めたもののようだが、そんなに楽しいのだろうか。
「禰豆子さんも早くやりたいと」
「そうか……。……俺もしてもらえるよう頼んでみてくれないか?」
 気になって仕方ない。禰豆子の兄が何歳なのかはわからないが、杏寿郎もできる年齢であれば是非経験してみたい。一番上の兄だけしか受けていないのなら、小さい子供には少し危険なものなのだろう。
「わかりました! 今度会えたら聞いてみます、天狗さんはシンシュツキボツですから」
「しんしゅ……難しい言葉を知ってるな!」
「天狗さんから聞きました。僕たちは一緒に住んでないからそうなっちゃうんだと」
「そうか……よほど忙しい御仁なのだな」
 拙い言い方ではあったが、覚えたばかりの四字熟語を得意気に口にする弟はとても可愛い。そしてこの可愛い弟や禰豆子の夢を壊さずにいてくれる天狗はたいへんにユーモアのある人物なのだろう。転がし祭りは禰豆子の一番上の兄を元気づけるための行動ともいうし、優しい人物でもあるようだった。

*

「こんばんは、ようこそ」
「ああ、よろしくお願いします」
 インターホンが鳴って母が客人を出迎えに行った後、玄関先で声が聞こえてきていた。今日は千寿郎の友達が泊まりに来る予定だったので、杏寿郎も掃除を分担したところだ。杏寿郎の中でちょっとした有名人となった禰豆子が到着したのだろう。
「天狗さん、禰豆子さんこんばんは!」
「!」
 母を追いかけて玄関へ向かった弟の声が聞こえ、杏寿郎はつい玄関先を覗き込んだ。禰豆子のみならず天狗まで来ているらしい。送り迎えだろうか。
 母の背中の奥に誰かが立っている。弟の前には小さな影があるが、居間からではいまいち姿が見えなかった。
「何してる杏寿郎。良ければお茶でもいかがですか」
「ああ、いやおかまいなく」
 居間の戸から隠れるように覗き込んでいた杏寿郎の頭をはたいた父が、背後から玄関先へ声をかける。つられるように母の影からひょこりと顔を出したのは紛うことなく。
「天狗だ!!」
 あまりの衝撃に杏寿郎は思いきり声を張り上げ飛び出してしまい、追いかけてきた父からお叱りを受けてしまった。
 しかし、叱られたとしてもこの衝撃は内に秘めることなど不可能だったのだ。千寿郎がずっと天狗さんと呼んでいた禰豆子の保護者は、本当に天狗の顔をした人物だったのである。
 まあ、正確には天狗の面をつけた人物だったのだが、これは確かに天狗さんだ、と杏寿郎は大いに納得したのであった。
 凄い凄いと興奮しているのを、禰豆子からぽかんと眺められていたことに気づいて杏寿郎は咳払いをして誤魔化し、取り繕って居間へと案内した。
「千寿郎くんが三人……」
「申し訳ない、やかましくて……」
 そんな興奮をなんとか治めた杏寿郎を指して父は天狗に謝ってしまったが、彼はといえば懐の深さを惜しげもなく見せつけてくれた。ぼそりと呟いた禰豆子の言葉には父も苦笑いを溢していたが。
「いいや、元気があってよろしい。毎日賑やかそうだ。きみはいくつになるのかな」
「十二歳です! 六年生です」
「義勇さんと同い年だ。……義勇お兄ちゃんと!」
「そうなのか?」
「六年生だから一つ下だ。義勇は早生まれだからな」
 なにやら不思議な言い換えをした禰豆子に問いかけると、天狗と一緒になって答えてくれた。
 例のお兄ちゃんは杏寿郎より一学年上。弟と同じ保育園に通う禰豆子の家はきっとそう遠くないのだろうから、中学生になれば顔を合わせることがあるかもしれない。
「禰豆子さんは炭治郎さんがいない時は義勇お兄ちゃんと呼ぶんです」
「炭治郎? ……ああ、そういえば三人きょうだいなんだったか」
「ああ、真ん中の子だ。炭治郎が上の子をお兄ちゃんと呼ぶのを恥ずかしがるから……」
「あのねえ、私が呼んだら羨ましそうにするから、お兄ちゃんの前では呼ばないの」
「………? そうか! なんだか難しい子なんだな」
 いまいち理解が及ばず、杏寿郎は首を傾げながらも禰豆子へ一言感想を伝えた。仲が悪いということでもなさそうなので喧嘩しているわけではないのだろうが、妹には見せられないようなものなのだろうか。
「ううん、難しくないよ。本当は呼びたいんだけど私の前だと恥ずかしいの」
「何故だ? たくさんきょうだいがいてもお兄ちゃんと呼ぶものだろう?」
「うん。でもお兄ちゃんは長男だから」
 禰豆子のところと同じ三兄弟の友人もいるが、末っ子のクラスメートは愛称に兄をくっつけて呼んでいた。人数があると名前を呼ぶのがわかりやすい。杏寿郎たちは二人兄弟なので、兄と呼ぶのは一人だけだ。一度くらい杏寿郎お兄ちゃんと呼んでもらってもいいかもしれないが。
 それはそれとして禰豆子が口にした理由のようなものがいまいち理解できず、首を傾げたまま問いかけようとしたところで母が会話に入り込んできた。
「禰豆子ちゃん、千寿郎も。ジュースを買ってるから選んでいただけますか?」
「ジュース! ありがとうございます!」
 杏寿郎との会話からジュースに気を取られた禰豆子はその場を離れていった。千寿郎とともに母の後を追った背中を見送ったところで、天狗は小さな声で語り始めた。
「……一番上の兄と下二人は血が繋がっておらず、一緒に暮らし始めたのは去年なのです」
「そうでしたか。……それは、なんと申し上げてよいのか……」
「いいや、子供たちは皆理解した上で仲良くやってるので問題はありません。名字も変わっていないしな。すまない、空気を悪くして」
 こちらこそ申し訳ないと頭を下げる父に倣い、杏寿郎も放心しかけたまますみませんと謝った。それを見た天狗は慌てたように顔を上げるよう頼んできたので、杏寿郎も素直に従うことにした。
「まあ、なので元々炭治郎は長男だったものだから、妹の前でお兄ちゃんと呼ぶのが気恥ずかしいのでしょう。それを気にして禰豆子も炭治郎の前では呼ばないんです。……禰豆子がいない時は炭治郎も呼んでますがね」
「はは。下の子に対する意地のようなものですか」
「恐らくは。……三人とも良い子で、儂にも懐いてくれるし気遣ってくれる。杏寿郎くんも禰豆子と仲良くしてやってくれ」
「あ、はい! 千寿郎は毎日禰豆子さんの話を聞かせてくれるので、すっかり友達気分でした!」
「ははは、義勇とは歳も近いし、あの子とも気が合うといいな」
 性格は正反対に見えるが、と天狗は朗らかな様子で口にした。父からやかましいと称された杏寿郎と違い、義勇お兄ちゃんは大人しい人物なのかもしれない。
 大人二人の会話を聞きながら居間へと戻り、団欒に加わりつつ杏寿郎は未だひっそりと放心していた。
 なんだか未知の領域だったからだ。家族は血が繋がっているのが当然だった杏寿郎にとって、とてもとても心を揺さぶられたのだった。

*

 禰豆子が泊まりに来た日は衝撃に気を取られていたものだから、転がし祭りのことを天狗に聞くのを忘れてしまっていた。
 忘れていたのは弟もだったが、兄に頼まれたのは自分なのだから次の機会に聞いてくると鼻息荒く気合を入れていた。禰豆子と仲良くしているうちは天狗と会う頻度も上がりそうなのでそのうち聞けばいいかと楽観視しているが、弟が可愛いのでなんでもよかった。
 弟の友達である禰豆子とももうすっかり打ち解けた。
 今日は母とともに保育園の迎えに行ったのだが、友達と一緒に遊んでいたらしい禰豆子は笑顔を見せて駆け寄ってきてくれた。
「千寿郎みたいなフクロウがいる」
「ミミズクだって」
「動物扱いされたのは初めてだ!」
 禰豆子と一緒に駆け寄ってきたのは双子の少年たちだった。禰豆子の次に名前をよく聞くのが無一郎と有一郎だったが、どうやら彼らが本人のようだ。何故か片方は将棋の駒を首飾りにしている。
「千寿郎はどちらに?」
「中に居るよ。案内してあげる」
 杏寿郎にまとわりついていた三人の幼児たちに母が問いかけると、双子二人がまるでエスコートでもするかのように促した。連れてくると告げた母と双子を見送り、杏寿郎は残った禰豆子とその場で待つことにした。
「今日ねえ、皆でハンバーグ食べに行くの。三人で迎えに来てくれるんだよ。お兄ちゃんは鱗滝さんが採ってくれたタラの芽が大好きなんだけど、お店にあるかな?」
 なかなかに渋い好物だ。タラの芽とは山菜の一つだったはずだが、ハンバーグが出てくるような店にあったかどうか定かではない。時期的にも採取できるのかどうか。
「うーん、どうだろうな? さつまいもも美味いぞ! タラの芽がなかったら付け合わせにさつまいもはどうだ?」
「うーん」
「うーんなのか……」
「さつまいもは皆食べるよ! 天ぷらならお兄ちゃんも嬉しいかも」
 タラの芽の天ぷらがない代わりに別の天ぷらならと考えたようだ。ハンバーグの横にあるのはブロッコリーか人参ではないかと鋭い指摘も禰豆子から飛び出していたが、ということはタラの芽もさつまいもも店にはなさそうである。
「しかしハンバーグか、楽しみだな! いつ迎えに来てくれるんだ?」
「えっとね、鱗滝さんのご用事終わってからだから……いつも六時くらいに来てくれるの」
「そうか」
 現在の時間は五時。今日は普段より遅くなったくらいだ。禰豆子はいつもその時間まで待っていたのかと知った杏寿郎は、つい彼女の頭を撫でてしまっていた。
「兄上ー!」
 不思議そうにしながらも撫でられるのは嬉しいのか、禰豆子が杏寿郎の手を受け入れていた時、双子の先導で母と弟が顔を出した。杏寿郎は手を広げ、飛び込んできた弟を抱きしめて抱え上げた。
「おかえり千寿郎!」
 きゃあきゃあと楽しげに笑い声が上がる。うちの弟は世界一可愛い、とブラコンを発揮しつつ母へ視線を向けようとした時、双子と禰豆子がじっと杏寿郎たちを見上げていたことに気がついた。
「僕もしてほしい」
「むっ! いいぞ、母上と千寿郎を連れてきてくれたからな!」
 まだ離れ難かったが弟を下ろし、双子の一人を先に抱き上げる。片方はあまり乗り気ではなさそうな顔をしていたが、下ろしたその腕で抱き上げてやると頬を赤くしながらも大人しく収まっていた。照れていただけで抱っこ自体はされたかったのかもしれない。素直になれない性格なのかもしれないな、と杏寿郎は思い至った。
「禰豆子さんはどうだ?」
 弟につられてつい禰豆子にもさん付けで呼んでしまっていたが、指を咥えながら眺めていた禰豆子に声をかけて手を広げると、少しばかり躊躇うような仕草をしてからゆるりとかぶりを振った。
「義勇お兄ちゃんにしてもらう」
「そうか! きっと喜ぶぞ、俺は千寿郎に抱きつかれて嬉しいからな!」
 双子を下ろすたび控えめに裾を握ってきていた弟の手を繋いでやると、これまた嬉しそうに小さな手が握り返してくる。杏寿郎だって嬉しくて仕方ないのだから、義勇お兄ちゃんも抱っこしてくれと頼まれて嬉しくないはずがない。ぱっと表情が明るくなった禰豆子と双子に皆で手を振ると、三人とも振り返してくれた。
「俺もまた来るから会えたら紹介してくれ!」
 母が弟を迎えにくるよりもう少し後にならないと天狗たちには会えない。気になっていた兄二人と会えないのは残念だが、杏寿郎が来るのは今日だけというわけでもない。そのうち会えればいいと、転がし祭りと同様気長に待つことにした。
「千寿郎くんのお兄ちゃん、義勇お兄ちゃんキョウミシンシンだったのになあ……残念」
 などと禰豆子が呟いていたことを聞いたのは双子のみである。