家猫体験

 ひい、と悲鳴を上げようとした喉はか細い鳴き声を上げ、少し離れて立ち止まった影を見つけてカナエが手を振った。
 ベンチに座るカナエのそばには犬の散歩に来ている者が数人おり、知り合いだか何だか知らないが犬の頭を撫でながら談笑し始めた。犬と飼い主に取り囲まれたカナエの腕の中でしのぶは身動ぎすらできず、一刻も早く立ち去ってほしかったのだが、どうやらカナエも話しかけられて動くことができなかったらしい。
 学校内では男子生徒からの告白など日常茶飯事だが、下心を持って話しかける男性のそばにはペットがおり無下にすることもできないようだ。勿論男性だけではなくおばさまや女性もいたのだが、主に話しかけるのはそういった者で、彼女たちはカナエに擦り寄るペットを眺めながら二人で話をしていた。公園に来る美人な女子高生を誰が射止めるのか、などと無責任な話を。
 たまたま公園を通った冨岡を見かけてカナエが声をかけると、周りの男性が訝しむ目を冨岡へと向けた。当の冨岡はその場で立ち止まり、それ以上近づこうとはしなかった。
 早くこちらへ来てほしい。そしてしのぶを救い出してほしかったのだが冨岡は動かない。意を決してしのぶはカナエの腕から飛び出し、冨岡へと一目散に走った。
 制服のスラックスへとしがみついて騒ぐと、冨岡の手がしのぶの体を掴んで持ち上げてくれた。動物が無理だと知っている冨岡なら、あの場にいることがどれほど苦痛かはわかってくれるだろう。助かった。
「冨岡くん、あのね、ちょっと頼みがあるんだけど」
「近寄るな」
 カナエが動こうと立ち上がって歩き出すと、周りのペットもカナエについていこうとする。男性の飼い主は冨岡との関係性を問い、クラスメートだと口にしてまた近寄ろうとした。
「そう言わないで。お願いがあるのよ」
「そこで言え。聞いてるから」
 冨岡は蒼白になったまま、両手で掴んだしのぶを口元まで持ち上げた。
 近い。この前自覚したはずなのにまたしのぶと顔が近いのだが。少しずらせば当たってしまいそうな距離に唇があり、しかし暴れて地面に降りてしまえば犬たちがいる。これ以上近づけないでほしいと願いながら固まっていた。
「すみません、今日はこれで」
 寄って来ようとするペットたちを制し、カナエは挨拶をして冨岡へと近寄ってきた。不満げだった飼い主とペットはそれでもカナエの挨拶を受け入れ、冨岡を気にしながら散歩へと戻っていく。もう大丈夫だと言うカナエと周りのペットたちを見送り、冨岡は長い溜息を吐いた。
「しのぶで慣れたかなって思ったんだけど」
「慣れてない。こいつしか無理だ」
 安堵したように目を瞑って眉を顰めたまましのぶの腹へ顔を擦り寄せた冨岡に、どう反応するべきかを悩んでしまった。とんでもないところに顔を埋められたこととか、それをカナエに見られたこととか、冨岡の顔色が蒼白だったこととかしのぶしか駄目だとか、とにかく突っ込みたいところが色々とあったのだが、ぐるぐると考え込みながらしのぶはとりあえず慰めるように両手を冨岡の頭へと置いた。
「そう、それなら大丈夫そうね。今日しのぶを預かってほしいんだけどどうかしら」
 声音が非常に喜色を滲ませているのがわかる。別に風呂に入れてくれても構わないのだが、とカナエが驚くような言葉を口にした。
「今日は姉がいるから無理だ」
「いなかったら良いの? やだあ、冨岡くんたら大胆ね」
 落ち着いたらしい冨岡が顔を上げて眉を顰め、カナエへと視線を向ける。
 何故泊めなければならないのかと問いかけられ、カナエは笑みを向けて理由を話し始めた。
「親戚の家に行かなきゃならないんだけど、ペットに犬を飼い始めたらしくて、三匹もいるって話だから行かないって言い出して。でも今のしのぶの体質で一人残すのも不安でしょ? だから冨岡くんが見ててくれないかなって」
「………」
 子供の駄々のような理由はしのぶが聞いても情けないものだ。呆れられてしまいそうだが、こちらも引けない理由なのである。
 個人的には一人で家にいるくらいできるはずだが、妙に運のないしのぶでは何か起こる可能性がないとも言い切れない。それも正直不満があるけれど。
 何も知らない友人の家に泊まっても良いのだが、カナエは体質を知る冨岡の家に泊まろうと言って向かうところだった。公園を通ると散歩中の顔見知りに呼び止められてベンチに座っていたのだが、目的の冨岡が通ってくれて良かった。
「どう? 唯一触れるしのぶとひと晩同じ屋根の下。お風呂入れてくれても良いけど、お姉さんがいるんじゃちょっと無理よね」
「というか胡蝶の両親が駄目だろう」
「猫のふりして泊めてくるって言ってるから大丈夫よ。冨岡くん家とも言ってないし」
「……良いのかそれは」
 眉を顰めた冨岡は誤魔化しとも思えるカナエの言い分を窘めるように問いかけた。大丈夫だと楽観的なカナエは笑っていて、その笑顔に絆される者は老若男女問わず多いのだが、冨岡は頷く気にはならないようだった。
 まあ、どうせ冨岡も説得されれば頷くのだが。

 ——猫を満喫してみても良いんじゃない?
 動物の姿で満喫などできるわけがないのに、カナエは風呂場へとしのぶを連行していった。
 存分に撫でてもらうとか、膝の上に乗せてもらうとか、一緒に寝るとか。色々提案していたが、内容はしのぶにとっては刺激が強い。猫ならではのことだとはいうが、その猫の意識はまごうことなくしのぶなのである。カナエは重々理解しているはずなのだが。
 大体、撫でるのは少しにしてあげてと言ったのはカナエなのに。冨岡なら別に構わないと思っているのも彼女にはばれているけれど、撫でられてあんな状態になるのは正直恥ずかしい。本当は気持ち良さが忘れられないとかでは決してないし、またあんなふうに触ってほしいとか思っていないが。
 それともやはり控えめに撫でるだけに留まるのだろうか。注意をしてしまったから仕方ないのだが、たまにはあっても良いと思うのに。いやだから、してほしいなどとは思っていない。冨岡が触りたいのなら受け入れるというだけである。
 カナエの頼みで結局冨岡はしのぶを自宅まで連れて帰って来てくれたが、愛想のない顔が少し呆然としているようにも見える。やっぱり呆れているのかもしれない。
 リビングに入ると何かに気づいたようにポケットを探りスマートフォンを取り出し、冨岡が覗き込むのを肩から眺めていた。
「遅くなる……」
 どうやら冨岡の姉は本日遅い帰宅になるようだ。連絡が来たら最寄り駅まで迎えに行くらしく、その間大人しく待っているよう告げられた。
 食事も風呂も一応済ませて来ているのだが、冨岡は気にして逐一問いかけてくる。すべて必要ないことを猫の姿で首を振って伝えようとすると、案外伝わったらしく頷いて頭を撫でた。

 冨岡が姉を迎えに行って数十分、しのぶは冨岡の部屋のベッドの上で寝転んでいた。せめて初めて足を踏み入れるのは元の姿でありたかったが、こうなってしまっては仕方がない。人の時より聴覚も嗅覚も鋭くなっているせいで、冨岡の匂いが部屋中から感じられ最初こそ少々落ち着きがなかったのだが、一人でいると昼間の疲れからか安心できているからか意識はぼんやりして微睡みかけていた。
 猫を満喫できたかといえばそうでもないような気もするが、冨岡は頭や顎を撫でる程度の控えめな接触しかなく、少々物足りない気分になりそうだった。いや、認めたくないだけですでになっていたのかもしれない。
 意識の向こうで誰かの気配がして、冨岡が姉と帰ってきたのだろうことが察せられた。しばらくして静かにドアが開く音がする。出迎えてやりたくても眠気はしのぶを襲い、動くことなく意識だけがふわふわと向けられた。
 気分的にはうたた寝で、本格的に寝入るつもりはなかった。冨岡の気配がベッドのそばで止まり、布の擦れる音がした。頭に大きな手が乗せられ、指が額をそっと撫でる。すぐに離れた感触にしのぶは曖昧な意識の中、両手を伸ばして手を掴んだ。
 良く考えれば猫なのだから、きちんと手を掴めていたかは定かではない。意識もはっきりしていなかったし、無意識に手を伸ばしていただけだ。
「……まだ撫でて良いのか」
 良いからもっと撫でてほしい。寝言めいた鳴き声が自分の耳にも届き、冨岡の手がまた頭や背中を撫でていくのを感じた。気を遣ったのか言われたせいか尻尾の付け根は触れて来ず、まるで寝かしつけられているような気分だった。すでに力加減はわかっているのだろうが、優しく触れる手が心地良い。ああでも腹を撫でられるのは少し恥ずかしいのだが、付け根を叩かれた時のような腰砕けではなく心地良さだけを感じていたので、まあ良いかとしのぶは受け入れた。
 手以外の何かが口元に当たり、ようやくしのぶは瞑っていた瞼を上げた。数センチメートル先に冨岡の目が見えて、え、としのぶは思考を止めた。
「……やり直すのも難しいな」
 にゃあ、と無意識にしのぶの口から声が漏れ、冨岡の言葉に意識を戻した。ベッドに預けていたらしい頭を持ち上げ、冨岡は頬杖をついて口元を綻ばせた。
 やり直すという言葉と目と鼻の先にあった冨岡の顔。ぼんやりしていたしのぶの意識がはっきり覚醒し、何をされたか理解した。
 何で猫の姿の時にやるのか。しのぶが言ったやり直しは人に戻っている時にしてほしいという意味だったのに。わかってやっているような気もするが、満足そうな顔をしている冨岡に恨めしげに鳴き声を上げた。こちらは恥と照れと諸々の感情が入り混じり大変なことになっているのに、それも毛皮で気づかれてはいないのだろうけれど。
「義勇、あ、わあっ、この間の猫ちゃんね。しがみついて可愛いわね」
 ドアから顔を出した冨岡の姉の言葉にようやくしのぶは今の体勢に意識を向けた。腹に置かれた冨岡の手にしのぶの両の前足がしっかりしがみついていて、慌ててしのぶは体勢を変えてベッドに伏せた。姉が部屋へと入ってくると冨岡の手は離れ、代わりに冨岡の姉がしのぶを撫でた。頭や背中を撫でていく手は優しく温かい。
「名前何ていうの?」
「し、……ええと」
「し? しーちゃん?」
「そ、そうそれ」
 妙に焦っている冨岡は珍しい。本名を伝えるのもどうかと考えた結果なのだろうが、今まで呼ばれたことのない愛称をつけられてしまった。まあ猫なので何でも構わないが、愛称を呼ぶ姉にしのぶが短く返事をすると、彼女は嬉しそうに笑ってまたしのぶの頭を撫でた。
「お風呂入った?」
「うん」
「じゃあ姉さんも入ってくるわ。おやすみ。あ、一緒に寝るならしーちゃん潰しちゃ駄目よ」
 ドアを閉めて去っていった姉の足音を聞きながら、一緒に寝るという言葉にしのぶは固まった。
 猫なのだから別に意識などしなくて良いのだが、冨岡と一緒に寝るなどとうら若き乙女であるしのぶには刺激が強い。こちらを眺める冨岡の目が何を考えているのかさっぱりわからず、しのぶはつい不満げな声を漏らした。伝わってはいないようだったが。
「正直本当に潰しそうで怖いんだが」
 起きたら絨毯になっているかもしれない。冨岡の寝相が良いのか悪いのかもわからないし、同じベッドで寝るという行為にしのぶは悶えていたのだが、それが冨岡に伝わっているわけもなく、毛布がいるのかと問いかけられ、必要ないことしか伝わらなかった。
 ベッドのそばに置いていたクッションを引っ張り枕の隣へ置き、ここで寝ろと指示して冨岡はベッドから抜け出した。別に床でも良かったのだが、猫とはいえ一応客人の女子を床に寝かせるのはあまり良しとしないようだった。そこに気を遣わなくても良いのだが、まあ元の姿の時は女の子扱いは嬉しいけれども。
 すぐ近くに冨岡の顔があるのは落ち着かないが、用意してくれたクッションに飛び乗って体を落ち着けると、様子を見ていた冨岡は電気を消してベッドへと戻ってきた。
「丸くなって寝るのか」
 正しく猫だと呟く冨岡の、ベッドについた手を前足で叩くとまた少し笑みを見せた。寝転んで布団を被りながらしのぶへと顔を向け、冨岡は指で顎を撫でてから小さくおやすみと呟いた。
 学校で見るよりも風呂に飛び込んだ時よりも穏やかな様子は少し珍しい。家での普段の様子はこんな感じなのかとしのぶは納得した。
 猫扱いは不服ではあるが、動物に触れない冨岡が唯一触れるのがしのぶなのだし、そのあたりはもう諦めて受け入れることにしてあげよう。猫に触りたい時は、まあサービスしてあげるのも吝かではない。わざわざ泊めてくれたのだし、責任は取ってくれるのだし。普段なら猫になっている間、しのぶは不満や怒りのような負の感情が渦巻いていたわけだが、冨岡にばれてからはそういったことはあまりない。おかげで甘んじて触られるのも良しとしてしまっていた。
 まあ、できれば触られるのは冨岡だけにしてもらいたいものだけれど。

 翌週月曜の昼休み、しのぶは冨岡に礼と称して弁当を作ってきた。事前に冨岡の姉は弁当を作らないということを聞いていたので、冨岡も素直に受け取って中庭で並んで座っていた。冨岡家で見せた愛想は学校では殆ど見せず今も大して嬉しそうにも見えなかったのだが、纏う空気が少し柔らかい。このあたり、しのぶは少しわかるようになってきていた。
「何で猫の時なんですか」
 むすりと唇を尖らせて呟くと、おかずを頬張っている冨岡は飲み込むために咀嚼していた。じとりと眺めながらしのぶも卵焼きを口に運びつつ、恨み節のように言葉を続けた。
「そんな雰囲気ありました? 寝てたのが駄目だったんですか。犬に囲まれて疲れてたし、そこは大目に見てほしいというか、………っ、!」
「あ。……ごめん、間違えた」
 弁当に箸を置いた冨岡の手がしのぶの顎を擦り、思わず目を細めかけたしのぶは慌てて手を振り払った。無意識だったらしい冨岡から謝られたが、頬が熱くなって真っ赤になっているだろうことを自覚した。
「私を猫だと思うようになったんですか?」
「いや、今のは……、……しのぶイコール猫の頭がうまく作用しなかった」
「イコールじゃありません。そ、そりゃ何度も迷惑をかけたのは悪いと思いますけど」
 本体が猫だと思われてはしのぶも困る。冨岡に飼われて可愛がられたいのではなく、まあ少し興味はあるが、いや違う。そうではなく女子として見られたいのにこれは駄目な兆候ではないか。しかしこのままでは猫扱いが主になってしまいそうだった。
 だが。咀嚼しながら冨岡へ視線を向けた。一泊した翌日、カナエからの連絡が来るまでしのぶは冨岡の家にいた。というか冨岡のそば、肩にも膝の上にもいた。膝で寛いでいたら冨岡の姉に画像を撮られていたし、肩に乗っている時に撮られもした。確かにあの日はいつも以上に猫っぷりが出ていたかもしれない。
「この間は本当に猫だった」
 端から見てもそうだったようだ。冨岡の匂いが落ち着いて安心できて、ついしのぶはそばで過ごしたくて近寄っていた。冨岡も逃げず怒らずされるがままになっていたのでついやってしまったというのが本音だ。猫を堪能するという意味では一番堪能できたと思う。猫も冨岡も。
「ふうん。じゃあちょっと良いですか」
 食べ終えた弁当を鞄に突っ込み、不思議そうに首を傾げた冨岡のブレザーを開けて顔を埋めた。冨岡の体がぎしりと固まったのがわかったが、無視してしのぶは匂いを嗅いだ。
 猫の時よりは感じないが、それでもやはり冨岡の匂いは妙にしのぶが好ましく感じる匂いだった。ふと視線を上げると今まで以上に表情を歪めた冨岡がしのぶを見下ろしており、小さくやめろと呟いた。
「顎撫でたんだから黙っててください。冨岡さんの……匂い、安心するんです」
「……安心……」
 もう一度視線を向けると相変わらず顔は歪めたまま、不本意そうな不満そうな気配を感じ取った。安心する、ではあまりお気に召さなかったのだろうか。しのぶは褒めたつもりだったのだが。
「あらやだしのぶったら!」
 離れたところからこちらに声をかけてきた姿にしのぶは慌てて冨岡から体を離した。楽しげに笑うカナエが揶揄う材料を見せてしまうことになった。不死川と冨岡の友人は何ともいえない表情で頬を赤くしていた。
「胡蝶さんの妹凄い積極的だな……」
「ね、ね、猫のふりですから!」
 大して話したことのない男子生徒から突っ込まれると恥ずかしい。見えるところでやるのはどうかと思うが隠さなくても良い、などと気を遣われしのぶは耳まで熱くなっていくのを感じていた。
 まあ良く考えれば中庭だし、周りには何人か生徒が食事を摂っていた。時と場所を考えるべきだったと反省した。
「さっき冨岡くんが顎クイしてるとか言ってる子いたわよ。仲良いわねえ不死川くん」
「あァ、そう……いや興味ねェし」
「顎クイって何だ」
「ああ、知らないでしたのね? ちょっとごめんね不死川くん」
 こうかな、と手探りで始めたような素振りを見せつつ、カナエは不死川の顎へ指を添え自分へと顔を向けさせた。至近距離にいるカナエから触れられて不死川の体がはっきり固まったのが見てとれた。カナエの意識していない様子もはっきりわかってしまう。こちらは相変わらず関係に変化はないらしい。
「こうやって顎に手を添えて顔を向けるのよ、冨岡くんならしのぶ大喜びだったんじゃない?」
「そんなわけないでしょ」
 瞬いて不死川とカナエを眺め、冨岡は罰が悪そうな様子で目を逸らした。冨岡がしたのは顎クイなどというようなものではなく、単に猫と間違えて顎を撫でられただけである。嬉しいはずがない。やられた不死川は油断でもしていたのか顔が真っ赤になっていた。
「……いやわざわざ実践して見せる必要あったかァ!?」
「ちょっとやってみたかったのよね。でも男の子からされないと様にならないわよねえ、冨岡くんがやってるの見たかったなあ」
「いや、やってないんだが……」
「猫のふりだって言ったでしょ」
 きょとんとしたカナエが一瞬黙り込み、成程と少々困ったように眉尻を下げて笑った。カナエには猫にするように顎を撫でられたことは伝わったらしく、妙に労るような表情でしのぶの肩を軽く叩いた。
「猫……そういえば義勇、蔦子さんから画像送られてきたんだが、めちゃくちゃ懐いてるな。良かったな」
 友人から差し出されたスマートフォンを受け取って冨岡が眺め、何を考えているのかわからない表情のまましのぶへ画面を見せてきた。
 そこには冨岡家に泊まった翌日、迎えが来るまで寛いでいた時のしのぶと冨岡が写っていた。膝に乗ってごろごろしている様子は傍目から見れば間違いなく猫であるし、懐いているだろうと感じるようなものである。
「なっ、そ、こ、これは、」
「あれ、猫好きなのか?」
 慌ててスマートフォンを奪い取ったのだが、ばっちりカナエと不死川にも見られてしまった。興味深げに覗き込む二人から画面を隠すように胸へと押し付け睨みつけたのだが、カナエは心底楽しそうに口元に手を当ててにこにこしているし、不死川は不死川で冨岡へ視線を向けている。
 冨岡の友人とも連絡先を交換しているらしい冨岡の姉が画像を送ってしまったらしい。いやまあ、動物が苦手な弟と猫の様子を伝えたかったのだろうことは何となくわかってしまったのだが。
「……胡蝶の家の猫だ」
「ああ、そうなのか。そういえば義勇の家に連れてきたのって胡蝶さんの妹なんだっけ。へえ、可愛い猫だな」
「そうなのよ、すっごく可愛いの。この間預かってもらったんだけど、楽しんできたみたいねえ」
 冨岡の友人に顔を向けながら話す含みのある言葉がしのぶへと突き刺さる。きちんと堪能してきたようで何よりだと言外に伝わってくるのが恥ずかしい。何故しのぶが悶えているのか不思議そうにした冨岡の友人は首を傾げたが、カナエの言葉にまたしのぶは慌てる羽目になった。
「冨岡くんと仲良いからヤキモチ焼いたのよ」
「そんなわけないでしょ!」
「あ、ああ、そうなのか……何というか……ご馳走様」
 いたたまれなくなったのか単に用事があったのか、少々頬を赤らめた冨岡の友人は軽く挨拶をして四人から離れていった。もっときちんと弁解を聞いてほしかったのだが。
「で、冨岡くんはこのしのぶを猫扱いしたのね?」
「……間違えただけだ」
 それもどうなのかと思うが、猫の中身がしのぶだときちんと認識しているからこその間違いなのかもしれない。納得はいかないしやり直しは今度こそ元の姿でしてもらわなければならないが、猫相手にもキスをしてくれたのだし、まあやってはくれるだろう。
「さっきの画像、私も欲しいんだけど」
「俺は持ってない」
「ふふ、お姉さん冨岡くんに送らず冨岡くんの友達に送ったのね。しのぶも欲しいだろうから貰って送ってほしいわ」
 眉を顰めて黙り込んだままスマートフォンを取り出した冨岡は、それでもカナエの言葉に従って姉から画像を送るよう伝えてくれるようだった。自分の画像を自分で持っているのが変だと思っているらしいが、そのあたりは至って普通だと思うのだが。まあ冨岡は割と変わっているので気にしなくて良いだろう。
 中庭から廊下へと入った頃、冨岡はスマートフォンを確認した。操作しながら驚いたように目を丸くして足を止め、どうかしたのかと声をかけるカナエへ何でもないと首を振った。
「ありがとう冨岡くん! 二人とも可愛いわ」
 楽しげに不死川へと画面を見せるカナエに、しのぶは溜息を吐きながらもとりあえず落ち着いた。
 一人階の違う教室へと足を踏み入れ、本鈴が鳴るのを待ちながら授業の準備をしていると、スマートフォンが複数回通知を知らせて振動した。何事かと中身を改めると、冨岡から画像が複数枚送られてきていた。しのぶが目を剥くようなものばかりのものを。
 先程送られてきたものとは別の、恐らく、いや確実に姉から貰ったのだろう複数の画像。冨岡のそばに寄り添う猫がしのぶであることなど明らかで、自分の席に座ったまま頬を赤らめた。
 膝に乗っているもののほかに、背中にしのぶを乗せた冨岡の横顔だったり、いつの間に撮ったのか、冨岡のベッドで丸くなって眠るしのぶだったり、冨岡の姉と写るものだったりと様々だ。勘弁してほしい。こんなに撮られているとは思わなかったし、こんなのただの飼い猫ではないか。
 しのぶは人だし、冨岡とは責任を取ってもらう仲である。飼い主とペットでは断じてないのに、思い出すとやっぱりそばが落ち着いて離れ難かったのだ。