隣の席の他課の人・四
「今日はこれ掛けてください」
選んで手渡した眼鏡は義勇がひっそり欲しがっていた薄いレンズのものだ。フレームも選び抜いて瓶底よりよほどセンスのあるものである。
「いいのか?」
「家族に会うのに瓶底のままもちょっと……」
姉には強請られた時に普段の義勇の写真を送ったが、両親にも見せたらしく目元が見えないと文句を言われていた。
コンタクトにしてもらってもいいのだが、貰った物を使わないのも気が引ける。埃を被るほど使っていないわけでもないが、会社にはやっぱりいつもの瓶底を使うようしのぶは言っていた。
「義勇さんのお姉さんたちもこれ好評だったんでしょう?」
「コンタクトかどっちかにしろと言ってたな」
義勇の姉夫婦は少し前に式を済ませたと聞いている。コンタクトレンズに慣れていないならこの眼鏡を掛けてほしいと打診されたと言っていたし、式の当日はこれを掛けて臨んだのを写真で見た。普通に格好良さが際立っているような気がしたのはしのぶ目線だったからもあり複雑だったが、義勇の身内の意向のことまでしのぶが口出しできるとは思っていない。後日挨拶に行く予定はあるが。
だが今日はしのぶの家族への挨拶だ。そこはがっつり口出しをする。不可侵なのは義勇の身内にだけであり、他はしのぶが言えば義勇も素直に頷いてくれる。
「姉の婚約者も来るそうですけど、仲良くやれますかねえ」
実家には少し前に挨拶に来たらしい。代わりに見せてもらった写真は何だか強面だと思ったのだが、優しいと聞いているし仲良くしてくれれば良いのだが。
席を設けた店で無事挨拶と顔合わせは和やかに進んだ。
瓶底しか見ていない家族は目を丸くして義勇を見て、驚きつつも義勇を受け入れた。
同僚であること、普段はあの瓶底眼鏡を掛けているとしのぶが口にすると何故止めないのかと母から呆れられたが、姉にはしのぶの思惑がわかってしまったらしく笑われてしまった。じとりと目を向けると何でもないと言い、ばらすつもりがないようなのでしのぶも口止めはせずに様子を見ている。
「しのぶ、掛けてみたことある?」
和やかに話していた中で姉が視力の話題を出し、義勇の眼鏡について問いかけられた。
しのぶ自身も眼鏡は持っているし、度が合わないことはわかりきっていたので掛けようとしたことはない。今もコンタクトレンズが入っているのだが、興味が湧いたしのぶは義勇に眼鏡を貸してほしいと声をかけた。
外して渡された眼鏡を少し覗き込むと、掛けなくても非常に度が強いことがわかる。数十センチメートルも離していない距離まで近づかないと見えないと言っていたのを思い出し、これは毎日大変だろうと考えた。
「これは瓶底にもなりますね。目が悪くて良かったです」
「え? どういう意味?」
「別に」
母が問いかけた声にしのぶは適当にあしらいつつ、隣に座る義勇に見えているかと手を振った。ぼんやりとしか見えないと答えた義勇に、口元を押さえていた姉は大変そうだと呟いた。
「確かコンタクトって眼鏡より見えるんじゃなかったか?」
「そうね、視界丸々見えるから。まあでも慣れてる眼鏡のほうが良いですよ。ドライアイにもなるし」
「んふふっ……そうねえ」
父の質問にも一応返事をしたしのぶだったが、姉には笑う要素があったようだ。適当な事実としのぶの心情を混ぜて伝えたことがばれているのだろうが、とりあえず素知らぬ振りをしておいた。
*
「まあ義勇、こんな晴れ舞台にその眼鏡はちょっと……」
「でもしのぶが」
「しのぶさんが良いと言っても気を遣ってくれてるのよ。だったらあの薄いのにしなさいな。あれ格好良いわよ」
ううん。悩むように視線を天井へ向けた義勇に、姉は少々困った顔をしていた。
隣の義兄は自分も式の当日はめかし込んだと口にしてコンタクトにするよう提案してくる。個人的には義勇もそうしてしのぶのドレス姿を目に焼き付けたいところではあるのだが、何せしのぶがいつもの眼鏡にしてほしいと前々から言っていたわけで。
それを知らない姉夫婦は、せっかくなのだからとコンタクトレンズのケースを手渡してくるのだ。
「しのぶさんの晴れ姿は綺麗なんだから、ちゃんと義勇も格好良くしておかないと」
眼鏡があろうがなかろうが大して変わりはないだろうが、少しでも見栄えを良くしたいというのはわかる。しのぶの隣に立っても大丈夫なようになりたいとは思っているので、勧める姉夫婦に促されるまま、後で謝ればいいかと呑気に考えた。
何で眼鏡掛けてないのよ。
写真も撮り終わり、しばしの休憩時間にしのぶはじろりと義勇を睨みつけた。
あれだけずっと瓶底にしてほしいと伝えておいたのに。当日は確かに話す暇もなく眼鏡のことは言わず終いではあったが、バージンロードの先に立っている義勇を見て、はっきりいって晴れ舞台にあるまじき表情をしてしまったと思う。ベールの奥で唖然としたまま、号泣する父についていくのがやっとだった。
「瓶底にしてって言ったのに」
式は身内と友人だけだったから良かったものの、コンタクトを外して眼鏡に替えさせることもできないまま披露宴が始まろうとしている。扉の前に待機している状態で、しのぶは未だ恨めしげに呟いた。
「ごめん。姉さんたちがやめろと言ったし」
やはり義姉夫婦か。彼らは義勇が格好良いことを正しく理解しているし、それを周りにわかってもらいたがっているのは何となく気づいていた。確かに馬鹿にしている者に苛立ちを覚えることは多々あるのだが。
そうではない。今はそうではないのだ。できるだけ知る人ぞ知るような感じにしておきたいのである。何ならしのぶ以外は知らなくてもいいと思っている。何せ素顔を見た周りは皆騒ぐのだから。
「俺も眼鏡越しじゃなく見たかった。しのぶの綺麗な姿」
「………。……し、仕方ないですね……」
ちょろすぎる気もするが、こんなことを言われて不機嫌を長引かせようとは思わなかった。せっかく結婚式という晴れ舞台で、今から披露宴で、こうして義勇と登場を待っているのに。ただその言葉のせいで頬の赤みが強くなってしまったが。
「お前が俺の顔を好きじゃないのはわかってるが」
「はい!?」
何か妙な誤解をされているらしいが、微笑ましげな顔のスタッフに促されて会話は打ち切られた。
酷い誤解だ。そもそもしのぶは義勇の横顔も綺麗な曲線で目を奪われていたのに、顔が好きじゃないとはどういうことか。いや別に顔が良くて好きになったわけでも、顔が決め手というわけでもないのだが。
また何か説明を求めなければならないことがあるようだし、恐らくしのぶも伝えなければならないのだろう。あなたの顔が大好きですと。
扉の奥にいた会社の同僚上司たちはそれはもう驚いていた。本社の役員など目が外れるのではないかというほど。高砂席で写真を撮りつつ、女性社員たちは義勇を眺めてはひそひそしている。だから嫌だったのに。
必死で笑顔を取り繕いつつも、やっぱりしのぶの心中は全くもって穏やかではいられなかった。
「いつもの瓶底眼鏡にしてってしのぶが言ってたのよ」
「はァ……何で?」
式が始まる直前、親族席に座るカナエの隣に座った実弥は呟かれた言葉に疑問を持った。
普通あんなダサい眼鏡は嫌がる女が多いのではないのだろうか。自分好みに仕上げたい女もいるというのは実弥も聞いたことがあるし、カナエも割と好みの服を誂えてきたりする。義弟本人が慣れている眼鏡をつけさせてやろうという気遣いなのだろうか。
「ふふっ……格好良いからよ。しのぶ独占欲強いのねえ」
結婚式などという晴れ舞台で着飾っていて、更に眼鏡まで外したらどえらいことになる、という義妹の妙な嫉妬心から瓶底を勧めるという行動に出ているのだという。いや確かに端正な顔立ちはしていたようだが、それは義妹にこそ言われる言葉なのではないだろうか。
「職場で一度コンタクトにして来た時があったらしいんだけど、その時大騒ぎになったらしくて。しかも義勇さんは全く理解してないって管巻いてたから」
「ふーん。大変そうだなァ」
適当に相槌を打ちながら楽しげなカナエを眺め、式の始まりに促され立ち上がって後ろの扉が開くのを待った。他人事のように考えていたが、扉の奥に待機していた新郎の姿を見てカナエは息を呑んだし義母は小さく歓声を上げた。バカップルだなァ、などと考えていたが、成程、と義妹が心配していたことに心中で少し納得してしまっていた。
素敵だ。本当に素敵としか出てこなかった。
友人のしのぶはただでさえ昔から可愛くて美人だったのに、主役である今日はお姫様のように可憐だった。蜜璃の憧れる結婚式では妙な顔をしていたが、すぐにいつもの笑みを浮かべて誓いの儀式を進めていた。
何て綺麗なんだろう。この世で一番ではないかと思うくらい綺麗だった。集合写真を撮り終えた後二人を見送りながら、夢見心地だった蜜璃はふと思い出した。
控室に顔を出した時、あまりの綺麗さに感動しながら蜜璃は問いかけた。
しのぶがこれだけ美しいのだから、きっと夫となる冨岡も素敵な装いなのだろう。眼鏡で目元が見えないものや外している時の写真を見せてもらったことがあるが、しのぶと並んで撮った写真はお似合いだった。張り切ってお洒落にしているのだろうと。
「ああ、ええと、眼鏡してと言ったので地味な感じだと思いますよ」
「えっ、そうなの? 格好良い人だったわよね」
お姫様のしのぶはにこにこと笑みを浮かべて頷いた。せっかくの晴れ舞台なのだからしのぶと一緒におめかしすれば良いのに。眼鏡を外した素顔の冨岡は格好良く顔立ちも整っていて、並べばさぞ絵になるだろうにと考えたのだが。
「……だからです」
ほんの少しばかり照れたように頬を染めたしのぶに思わず歓声を上げそうになったが、蜜璃は言葉の意味を考えた。
格好良いからこそ眼鏡を掛けてもらう。控室にいて聞いていた彼女の姉が小さく笑っていた。
「……あっ! そ、そうなのね! しのぶちゃんたら可愛いわ!」
何て可愛いのだろう。冨岡が格好良いからこそ、こんな大勢が祝う晴れ舞台で顔を見せたくないのだ。式は親族と友人だけのこぢんまりしたものだというが、披露宴では会社関係の人たちを呼んでいると聞いた。その大勢の人に見られたくない。格好良いから隠しておきたい。
そんな可愛い独占欲がしのぶから教えられるとは思っておらず、蜜璃は頬を染めてはしゃいでしまった。
「じゃあ今度紹介してもらう時はお家に呼んでね!」
「ええ、ありがとうございます」
はにかんだしのぶは本当に可愛くて、蜜璃は後日の予定を楽しみに挙式に臨んだ。そうしたら冨岡は眼鏡を外して現れたのだ。
お姫様のしのぶと並ぶ冨岡は王子様のようで、蜜璃としては見たかったものが見られて満足だったわけだが、しのぶはもしかして気が変わりでもしたのか、それとも蜜璃にドッキリでも仕掛けたのだろうか。
それも後日聞けば教えてくれるだろうか。ともかく冨岡は今日しっかりめかし込んでいるので、きっと楽しみにしていたのだろうと微笑ましくなった。
「いやあ、地味なあいつがよく頑張ったわ。いや、割と向こうも惚れ込んでたな」
「そうなのか? 俺はまだ話したことがない!」
披露宴が始まるまでの空き時間、ドリンクを手に宇髄は妻ともう一人の連れと談笑しながら時間を待っていた。
挙式は友人と身内しかいなかったが、ちらほらと披露宴から参加する二人の同僚たちや上役のような年配の男が立ち話を始めていた。
「冨岡くんて特徴のないあの地味な子でしょ? 胡蝶さんみたいな子は見た目で選ぶのかと思ってたけど、そうでもないんだねえ」
「あー、それはまあ、そうだと思うんですけどお……でも冨岡は何というか……」
何やら複雑そうな返答をした男は冨岡の同僚なのだろう。確かに何とも難しい質問である。冨岡の嫁は顔が良いからという理由で惹かれていたわけではないようだが、だからといって顔は関係ないとも言い辛い。間違いなくあの嫁は冨岡の顔が好きだからだ。
宇髄とまきを、煉獄に向けられる視線は非常に多い。あの地味な男にこんな派手な知り合いが、なんて言葉が聞こえてくるようだ。まあ、それは本人も自覚しているが。
「もっと良い人いたんじゃないのかねえ。いや冨岡くんは仕事の評価も良いけどさ、地味で面白みもなさそうな子じゃない」
好き勝手言われてんなあ。あの瓶底では仕方ない上、そもそも性格は間違いなく地味でありただの天然なだけで、確かに面白みのない性格でもある。隣の煉獄とまきをは地味とは思わないと言い合っている。いや地味ではあるだろ、と宇髄は思いつつ、二人が言いたいこともまあ理解していた。
挙式を見ていない者たちからすれば、披露宴で度肝を抜かれることになるのだろうかと楽しみになった。何せ冨岡を差し置いてもあの嫁が着飾って出てくるのだ。まきをなど目を輝かせて感動していたし。
会場が開き席につき、しばしのざわつきの後新郎新婦の入場を司会が促し、拍手とともに扉は開かれた。一瞬BGMしか聞こえなくなったのは全員黙り込んだからで、その後すぐに騒然どころか悲鳴も上がっていた気がするが。
「今日ばかりは派手で悪くねえなあ。瓶底掛けてくるかと思ったけど、蔦子さんらグッジョブだな」
「新しい眼鏡は選択肢にないのか?」
「似合うと思うし格好良いけど。でもほら、お嫁さんの乙女心がね」
訳知り顔でにやついているまきをに煉獄が疑問符を抱え、宇髄も少々首を傾げたが、ふいに店へ現れた時のことを思い出した。そうそう、そうだ。冨岡の嫁は冨岡に惚れ込んでいると認識したきっかけでもある出来事だった。
「見せびらかさずに仕舞い込んでおきてえんだとよ」
「……ああ。成程、愛されてるらしいな!」
弟の良さを見せつけたい身内と人の目に触れずに内緒にしておきたい嫁ということか。蔦子はいつもの眼鏡を掛けていた冨岡を諭して外させたと言っていたし、冨岡の嫁はさてはわざとだったのだろう。何ともいじらしいことである。まあ目論見は良かれと思っただろう蔦子に砕かれてしまったようだが。
披露宴では上司と同課の同僚くらいしか呼ばなかったのだが、営業課の面々も込みで部署の面々も祝いたいらしいという話を部長から聞かされていた。確実にそれだけではないような気はするが、部長の頼みも無下には出来ず、二次会の幹事を宇髄と煉獄に任せて店を貸し切ることにした。
彼らは確実に義勇としのぶの友人目当てだ。しのぶの友人や家族ならばさぞ美人だろうと言っていたらしいというのは義勇から聞かされたし、義勇の友人は似たような地味さなのではないかと思われつつも、もしかしたらもしかするのではないかと期待されているらしい。まあ確かに、しのぶの友人も義勇の友人も派手だったのだが。
しのぶたちが登場する前から歓声が上がっていたのは、恐らく甘露寺や宇髄たちに対してのものなのだろう。あの三人は示し合わせたかのように全員が派手だし、義勇など埋もれてしまうのも無理はない。しのぶだってそうだ。
「本当度強えな。煉獄、大丈夫か?」
「大丈夫だ、ちょっとずらせば良いんだとわかった!」
何故か小道具扱いで義勇の瓶底眼鏡を装着している宇髄と煉獄が司会としてマイクを持って立っているが、全くもって派手さは隠しきれていなかった。義勇は眼鏡が心配なのか壊すなと忠告しているが、一番壊しているのは義勇である。一緒にするなと宇髄が憤慨していた。
「冨岡の擬態ぶりは凄えからな」
「擬態してない。元々だ」
「そうか? 確かに派手ではないが人目を惹くだろう!」
「そんなもん瓶底の下見たことある奴しかわかんねえよ。壊した時は面白かったよなあ、クラス全員顎外れんじゃねえのってくらいぽかんとしてな」
「そうなのか?」
「裸眼だと見えねえもんな、まあ見えててもわかってなさそうだが」
「俺の名前を呼びながら全然違うクラスメートのところに行った時はちょっと不安になったぞ!」
「車に轢かれそうになった時はさすがに恐れたわ。よく生きてるよな」
宇髄と煉獄の思い出話にむぐ、と口をまごつかせた義勇は、それでも二人が楽しそうだからか何も言うことはなかった。
やはり昔からドジはしていたらしい。本当によく無事にしのぶと同じ会社に入ってくれたものだと呆れとも安堵ともいえる溜息を吐いた。
「私、皆見るからって言いましたよね? 素顔は私だけが良いとも」
「確かに言ってたが……」
しのぶの気持ちは蔦子には伝わらず、気を遣っているのだと判断されてしまったが。義姉夫婦に諭されてコンタクトレンズに変更したのはもう理解して仕方ないとも思いはしたが、やはり文句はつい口から出てしまう。
皆見つめてしまうから眼鏡を外さないでほしくて頼んだのに、宇髄や煉獄も言っていた言葉を聞いていたくせに、本人はまだ理解していないらしい。
「で、そんなことを覚えておいて好きじゃないとは?」
「………。ちょくちょく目を逸らすだろう。見るに堪えないから適当に理由つけて外させないようにしてるのかと」
「ち、違いますよ! 瓶底外すと周りの人が色めき立つのが嫌なんです」
「実感もないし気のせいだと思うが。それにしのぶが目を逸らす理由になってない」
「ぐっ……」
何故実感がないのだこの朴念仁は。確かに眼鏡を置いてきたのは会社ではあの日だけだったが、あれ以来女性陣からのアプローチは大量にあったはずだろうに。
しのぶが納得していないのがわかったのか、義勇は少々眉根を寄せつつも小さく口を開いた。
「まあ、浮かれて周りの反応はどうでもよかったせいもあるかもしれないが」
「………!? 何それ。詳しく聞きたいんですけど」
「その前にしのぶが目を逸らす理由だ」
つい歯噛みしてしまったが、聞きたいことを聞くにはしのぶが理由を口にするまで言わないつもりだろう。こういうところだけは頑固なのだ。
「あのね、そこの瓶底眼鏡、目元が全然見えないんですよ。だから皆さんあなたが格好良いことに気づかなかったんです」
「……反論したくはあるが、それも理由にはなってない」
「なってます。……まだまだ見慣れなくて、照れるんです」
二人でいる時、義勇は以前宇髄からプレゼントされた眼鏡を掛けることもあったし、コンタクトレンズに慣れるためにと眼鏡を置いていた時もある。ランニングの時もコンタクトだ。並んで走っているのであまり顔は見ていない。
頻度は上がっても隠されていた目元が涼しげで、見つめられると照れて困ってしまうのだ。もう少し気づかれないよう逸らしておけば良かった。
「話は終わりです! さあ次の議題ですよ。浮かれてるって?」
「……付き合うようになってから」
不満そうではあったが、しのぶが照れているのを見た義勇もまた恥ずかしそうに目を逸らして呟いた。正にその仕草だ。しのぶは恥ずかしくて見つめていられなくなることがあるのだ。
いやしかし、聞き捨てならないことを言ったな。しのぶは驚いてつい吃ってしまった。
「い、今も?」
「夢でも見てるような気分」
「全然わかりませんけど……」
「隠してるからな」
嬉しいことを言ってくれたのに、隠しているとは何事だ。しのぶに見せずして誰にそんな浮かれた義勇を見せるのか。義姉夫婦か、それとも宇髄たちか。
「何で隠すんですか」
「格好悪いだろう。ただでさえ俺のようなのは」
散々言っても一つも自覚しないのはもはや治りようがない気がする。まあ宇髄のように自覚ありありになられても困るが、少しくらいは聞く耳を持ってくれても良いのに。
「はあ……格好つけられるよりはありのままのほうが見たいですよ。というか別に浮かれてるのは格好悪くないでしょうに」
「そもそも幻滅される頻度が多いし。これ以上はちょっと、妙なところは見られたくない」
「まあ、駄目なところがあるのは間違いないですけど。でも義勇さんが隠してることは私にとってはマイナスどころかプラスでしかありません。見せたほうが総合点高くなりますよ」
しのぶにはわからない男心というものだろうか。良いところだけを見てほしいというのはしのぶも理解できるが、やはり色んな顔を見たいというのは譲れない。
「……そうなのか」
頷くと何やら黙り込んだが、葛藤でもしているのだろう。悩んでいるらしい義勇を眺めつつ、しのぶは小さく笑みを漏らした。
「あと、もう自覚がないのは仕方ないですが、私はあなたの顔が好きです。好きだから目を逸らしてしまうので、そういう女心は理解してください。素直に喜んでください」
「……難しいがわかった」
これも頷いたので良しとしよう。せっかく披露宴も終えて新婚旅行の準備をしなければならないというのに、今頃こんな話をしているのは何だかおかしな話である。
「しのぶも可愛いものは素直に愛でてやれば良いと思う」
「………!?」
「好きなんだろう、ぬいぐるみ。何かキャラじゃないとか言ってるらしいが」
「な、な、何でそれ」
しのぶの独り暮らしをしていた部屋にはそんなものは置いていなかったはずで、義勇は知らないはずなのに。
リークした犯人が誰なのかしのぶにはすぐにわかったが、驚いてつい問い質すように聞いてしまった。
「お前の姉さんが教えてくれた。実家の部屋はぬいぐるみで溢れてたらしいな。今度馬鹿でかい熊でも買いに行こう」
「やっぱり姉さん……! 揶揄わないでください! そんなの買ったら、」
「素直に」
楽しそうに笑う義勇がしのぶを覗き込んでくる。目を逸らしたい気分も見つめていたい気分も味わったしのぶは、自分が義勇に求めたものを求められて俯いた。
「………、……きっとしがみついて部屋から出られない……」
「可愛い。買う選択肢しかないな」
ぐ、と言葉を飲み込んだしのぶは、やがて溜息を吐いて項垂れた。