茨の先に曙光は差すか—波紋

 死にそうになりながら鬼の頚を斬り落とし、深い深い溜息を吐き出した時のことだ。
 鬼を追いかけて現場となってしまったその家は広く、良い家柄の家族が住んでいたのだろうと予想できるほどの大きな屋敷だった。視界の端に何かが映った気がしてまだ鬼がいたかと怯えながら刀を向けたが、視線の先にいたのは隊服を着た隊士だった。
 恐らくは善逸より少し歳上だろう。珍しい二つの柄の羽織を着た長い黒髪を一つに纏めた男が、眉を顰めて善逸を見た。
「あ、すみません……もしかして合同任務でしたかね……」
「………、………」
 今まで会ったことのない隊士だった。躊躇うような動きをした口は、結局声を発さなかった。声が出ないのだろうか、と慣れない読唇術を試みようとしたが、ふと紙に書けばいいと思い立ち懐から半紙を取り出してあれと気がついた。
 大きな屋敷だが、目の前に人がいるのにやけに静かだった。普段から色んな音が聞こえている善逸の耳は、無意識に音がするものへと澄ましている。なのに人が発するはずの音が聞こえていなかった。
 背筋に嫌な寒気が走った。聞こえない、なんて初めてだった。だって人は生きていたら必ず音を発するもので、ない者など出会ったことがない。心臓の音も、呼吸音もしないのは。
「……俺が見えるのか」
「ギャアアアアッ! ユーレイいるとか聞いてないんだけどオォ!」
 音が聞こえない分思いきり悲鳴を上げた善逸は容赦なく騒いだが、隊士となってから無駄に鬼との戦闘実績だけは嵩んでいるせいで、気絶しようにもできなくなっていた。
 結局騒ぎ疲れて落ち着かせたような形になり、ぜえぜえと肩で息をする善逸をユーレイはただ静かに待っていた。この人絶対生前も静かだったに違いない、と頭の隅で考えた。
「落ち着いたか」
 善逸を待ってくれていたユーレイは意外といい人なのかもしれない。触れた瞬間すり抜けた時は更に悲鳴を上げたものの、目で見る限り足もあるし声は聞こえるのだから触らなければ人と変わらない。一先ず頷いた善逸は、蹲っていた身体を起き上がらせてユーレイへ向き直った。
「えっと……ここの家の人ですか? 隊服着てるけど……」
 確か表札は冨岡と書かれていた気がする。こくりと頷いたユーレイは名を冨岡義勇と教えてくれた。
 金だ。ふと胸元の釦の色が目に入り、ああ、柱だった人なのかと善逸は思い至った。どれだけ強くても人は死に、柱であってもそれは平等にやってくる。善逸はなんともいえない気分になった。
「……なんか、……未練、とか?」
「……どちらともいえない。用がない、わけではないが……ここから出られない。結界のようなものがある。狭霧山にいた時と同じだ」
「………? 前もあったってこと?」
 またひとつ頷いた。未練に対してどっちつかずの答えなのもどういう理由なのかよくわからなかったが、以前はあることを済ませたらその場を離れることができたらしい。ようやく彼岸へ向かうのかと思ったのに、この世に留まる羽目になるとは思わなかったそうだが。
「だから、ここでやることがあるのだろうとは思う」
「はあ……」
 死んでもやることが。
 ――そんなのしんどすぎない?
 しかもそのやることも何かわかっていない状況で、どうしてこんなに落ち着いていられるのだろう。ユーレイになるとそういうふうになるのだろうか。それとも、この人だからそうなのだろうか。
 陽が差してきたことに気づいたユーレイは、善逸に早く休んで次に備えろと屋敷から追い出した。夜の任務を考えて善逸はまた泣きそうになってしまったが、柱のユーレイのことも妙に気になってしまっていた。

「冨岡さんて俺にちょっと乗り移ったりして出ることはできないんですか?」
 初めて見かけた頃からそれなりの時間が過ぎて、気心知れた仲になっていたと思う。担当地区に入っているからと、通りがかった時は冨岡の屋敷を訪れるようになっていたからだ。
 ユーレイがいることを気にしなければ音に悩まされるどころか静かで落ち着くし、善逸が入り浸る理由にはもってこいだったような気もしてくる。彼は善逸の話を聞く側ばかりになっていたが、まあ、やかましさにも慣れたようだった。
 とはいえ、本当ならこんな提案恐ろしすぎて断固嫌がるところだが、善逸は冨岡が人の身体を乗っ取るなんてことをするようには思えなかった。そもそも柱だったであろう者が、善逸のような人間の身体を欲しがるとも思えない。いやまあ生身というだけで価値があるというのならそれは危険な賭けなのだが、今までの様子から見ても大丈夫そうだと思ってしまったのだ。これが騙されやすい理由でもあるが、善逸はやはり信じたい人を信じるのである。
「どうだろうな。気持ちは嬉しいが、出られたとして成仏できるかもわからん。彷徨ってこの世の事象に干渉することになったら危険かもしれない」
「それは……そうかもだけど……あ。で、でも、じゃあ、俺の身体鍛えてもらったりとか。俺だけならそんな干渉するようなことにはならないんじゃ? ……はは……そうでもないかな……」
 最初こそどうせなら可愛い女の子のユーレイだったら怯えずに済んだのになあ、なんて思いはしたものの、冨岡との関わりは不快なものではなかったことを思い返し、顔色を窺うように善逸は提案してみた。
「乗り移れたら身体の使い方を教わればいいんじゃないかって思ったんだけど……だって柱だったんだし。変なこと提案してるとは自分でも思ってますけど……」
「なんでそんなことを……」
「………。もうすぐ、同期が柱になるかもしれないんです。俺は全然そんな域にも達してなくて、最初なんてそれこそ気づいたら鬼の頚が転がってるなんてことばっかで。凄いよなあって……なんか……ちょっと、ユーレイにも縋りたい気分っていうか……」
「………」
 本当に、どんどん先へと行ってしまう背中を追いかけたいのに、自分は気絶してばかりで少しも役に立たないのだ。最近こそ気絶はしなくなったものの、それでも同期の討伐数には敵わない。怖くて寂しくて自分の階級なんて確認できなかった。
 本当は師のために柱を目指さなければならないというのに、善逸は兄弟子とすら仲良くできない落ちこぼれなのである。
「……なら試してみるか」
「へ、」
 返事をしようと顔を上げた時、冨岡の手が善逸へ伸ばされていることに気がついた。触れるか触れないかのその瞬間、全身が妙な感覚に包まれて畳へと倒れ込んだ。
 待って、せめて、心の準備はさせてほしかった。判断が早いというかなんというか、柱であったせいなのかこの人だからなのかはわからないが、とにかく試すと言って本当に善逸の身体に乗り移ってきたらしい。
 気持ち悪い。ような気がしたけれど、水の中にいるような感覚に近いかもしれない。しばらく唸りながらどうすれば楽になるかを悩んだ。無心になればいいだろうか。入り込んできた異物に身体を明け渡すような感覚を思い浮かべると、身体が水面に浮かんでいるような感覚になってきた。
 ――雷の呼吸は専門外だ。
 試すように手を開いたり閉じたり、勝手に身体が動くのを感じていると脳の奥で冨岡の声が響いた。そんなことまでわかるのか。柱だったなら当たり前なのかも、とぼんやり感心したが、だが、と続けられた言葉が善逸を襲った。
 ――……ここまで鍛え上げるのに相当な修練を積んだことはわかる。甘ったれな性根を捨てればもっと強くなる。
 甘ったれなのがバレている。まあ、あれほどユーレイに泣き騒いでいたし愚痴っていたのだからバレないほうがおかしいか。それはそれとしてはっきり言うなあ、と善逸は少々凹んだ。いやすべて自分が悪いのだが。そう考えてから、その前に響いてきた言葉に意識を向けた時だった。
 ――柱も目前だろう。
 俺なんか、そんな。
 ――お前が駄目なのは性根だけだ。
 ぼんやり心中で考えたはずの呟きに冨岡が返答し、乗り移られると思考も読まれてしまうのかと善逸はげんなりした。けなしているのか励ましているのかわかりにくいが、単に厳しいだけなのだろうなと善逸は考える。柱だったのだから、恐らくはそういう人なのだ。
 ――……ああ、型の問題があったか。だが……それも補える者がいるだろう。
 適当なこと言わないでくださいよ。あんたがどれだけ凄かったのかはわかった気がするけど、俺は。
 そんなふうに言い返そうとしたけれど、型のことまでバレてしまうのかと消沈した。壱ノ型しか使えないと知ったなら柱になどなれるわけもないとわかるはずなのに、きっとこの口ぶりは善逸の兄弟子のことも知っている気がする。乗っ取られたせいでそこまでバレてしまうのか。なんとなく、それだけではないような気はするけれど。
 ――お前は見えていないだけだ。耳に頼るばかりで己自身が見えていない。俺の言葉は過大評価ではない。
 理由などそれしか思いつかなかったけれど、どうでもいいかと考えるのをやめることにした。この人がどうしてこんなに善逸の評価を高く見積もるのかわからなかった。それでも。
 鬼殺隊に関わってから辛いことはたくさんあったけれど、善逸を評価してくれる人たちに出会ってきたのはこの上ない幸運だということはわかっている。
 ――お前、兄弟弟子がいるだろう。
「……そりゃいるにはいますけど、別に仲良くないし。あっちは俺のことなんか嫌ってる」
 そう伝えても冨岡はどこ吹く風のようだ。死んでほしいわけでもあるまい、とわかったような言葉を聞かせてくる。
 そりゃそうだ、不仲とはいえ兄弟弟子。同じ釜の飯を食った仲間であり家族である。たとえ向こうは善逸に死んでほしくとも、善逸自身はそんなことを思ったことはない。
 ――いないほうがいいという人間は存在しない。
「階級を示せ」
 冨岡の声が頭に響いた後、自分自身の声が室内に聞こえてきた。善逸は声を発そうとしていなかったが、どうやら冨岡が勝手に口を使ったらしい。まあ、乗り移っているのだから仕方ない。
「……んっ!? な、なんでこんなに上がってんの!? ――うわっ!」
 見えた階級に騒いだ瞬間水面から一気に宙へと引き上げられたような感覚に、善逸は驚きのまま悲鳴を上げた。身体はうまく支えられずにまた畳へと倒れ込み、無駄に息が切れて苦しい。どうやら冨岡が出ていったらしい。また心の準備をさせてくれなかったと文句を言ったら、なにやら善逸が騒いだせいか引っ張り出されたのだとか。すみませんね、と一応謝っておいた。
「まあいい。その階級はお前が地道に働いてきたからだ。そこまでの階級の隊士がいなくなって困ることはあっても、助かることなどありはしない」
「………」
「俺のようにはなるなよ。下手を踏むな。お前は俺とは違う」
「………。そりゃそうでしょうよ、柱にまでなった人に言われたって……」
「俺は死んでる。それが現実だ」
 相変わらず自分のこともはっきり言う人だ。皮肉のように善逸と違うのは当然だと言ってやろうとしたというのに、真逆の意味合いを込めて返されてしまった。善逸の心を奮い立たせたいのかは知らないが、とにかく淡々と自分を卑下してくる。柱にまでなったはずの人なのに。
「怖くてもいい、自分の強さから目を逸らすな。お前はお前が思ってる以上の実力を持っている。――それで、お前の兄弟弟子だが、一度この家に連れてこい。必ずだ」
「、え。は、はあ……」
 なんだか強く要望してきた冨岡につい頷いたが、善逸にやったように乗り移るつもりなのだろうかと想像した。先に許可を得るのは間違いなく難しいと思うが、というかそもそも獪岳は冨岡が見えるのだろうか。まずそこから始まる苦労が善逸をひどく憂鬱にさせた。
 しかし、冨岡は悪いユーレイではない。善逸を肯定してくれたのだから、言葉は厳しくても獪岳のことをどうにかしたいと思ってのことなのだろう。死してなお何かをしようと足掻く姿はしんどすぎると思うのに、何故かひどく眩しく見えるようだった。
「……わかったよ、獪岳を連れてくる。でも、……機嫌損ねたら厄介だよ。あいつは……壱ノ型が使えないから」

*

「来いっていうからわざわざ来てやったけど、なんだよここ? てめえ空き巣でもしたか?」
「してないよ。ここは水柱の生家」
「はあ?」
 遊郭での任務から目を覚まし、蝶屋敷に現れたところを捕まえて頭を下げ、何度も頼み続けてようやくその気になった兄弟子を連れて、善逸は冨岡家の門扉で立ち止まっていた。傷はまだ癒えていないが外出許可は得ている。獪岳をお目付け役としてなら、という理由で許可が出たのは少し納得がいかないが。
 勝手知ったるように敷地内へと入っていくところを咎められでもしたら、清掃の者だとか適当なことを言ってごまかすしかない。今まで見られることはなかったし、今日もなんとか入り込めたが。
「水柱は数年前に死んだだろ、知らねえのか? お前なんかが話すことすらかなわねえくらい強え人だった。先代の型を扱える剣士がいねえってんでずっと空席だっつの」
「………」
 そうなんだよなあ。
 知り合ってから隊士にちらりと噂を聞いてもみたけれど、冨岡は本当に凄い人だということしかわからなかった。普段は全然そうは見えない。音が聞こえればもう少しわかったと思うが、ユーレイなのが惜しいほどだ。生きていたら善逸なんかよりもっと頼りにされていただろうに。
 冨岡のいる部屋に辿り着いてもただ水柱の話と善逸のカスさを話し続ける獪岳が、冨岡の姿が見えていないということはよく理解できた。普段なら粛々と聞き続けるところなのだが、今回は冨岡の依頼で連れてきたので黙らせるのが先だった。しかしまあ、善逸の言葉で黙るかといわれればそれは首を振るしかない。なので。
「面倒なんでお願いします、冨岡さん」
「――で、はっ? ぐ、うっ!?」
 うわあ、判断が早い。善逸が頼むとほぼ同時に冨岡は獪岳に近づき、容赦なく乗り移ったようだ。身体の重さと感覚に混乱したらしい獪岳は善逸と同じように膝をつき、更には支えきれず畳へと倒れ込んだ。
「な、なん、……誰だてめえ! なんなんだよ、俺から出ていっ……は、はあ……? 冨岡……?」
 大丈夫だろうか。
 蹲って固まった獪岳は相変わらず混乱の音を発している。すぐキレるし手が出るし冨岡とは正反対の人間なのだが、気分が悪いからだろうか、暴れる気力もないまま対話をしているようだった。そういう乱暴な隊士は冨岡もたくさん見てきたのかもしれない。ぶつぶつと喋っている姿は普段からは想像もつかないものだった。
「稽古……? いや頭数ってなんだよ……最後っていつだよ物騒だなおい。……わ、わかったよ! やるよ! なんで初対面で鬼になるなとか言われなきゃなんねえんだよ! なるわけねえだろ!」
「――その言葉、忘れるなよ」
 身体から抜けると同時だったからとかだろうか。善逸の耳にまで冨岡の声が届いたと同時に、獪岳もまたその言葉に反応を示してから大きく息を吐き出した。
 鬼になるとかならないとか、えらく物騒なことを口にしていた。善逸にはそんな話をしなかったけれど、どういうことなのかさっぱりだった。
「冨岡さん、あの、」
「ど、どこだよ!?」
「……ここに座ってる。……信じるんだ?」
 やはり獪岳に冨岡の姿は見えないらしい。しかし善逸の問いかけに落ち着きを取り戻した獪岳は顔を歪めながらも頭を掻き、やがて項垂れながら溜息を吐いた。
「……一応な。最後の話はよくわからんけど、まあ、腐っても柱ってことなんだろうし」
 何を言われたのやらわからないが仏頂面のまま。表情と言葉が噛み合っているようには見えなかったが、とりあえず機嫌はさほど悪くはないようだった。まあ、見えていないところで冨岡は、望む結果になるかは本人次第である、なんてぼんやり突き放しているが。
「意識的な問題にも思えるが、そのあたりはお前がよく知ってるんだろう」
「………、何をですか?」
「こみ入った話は知らん。技術的な師としては宇髄がいいだろうな。雷の呼吸から派生させたのだから、詳しく知ってもいるはずだ」
 善逸と獪岳の確執の話をしているのだろうとなんとなく思い当たり、それが二人の感情の問題だと冨岡は言った。そんなのわかってるけどさ、と善逸は思ったものの、宇髄の名を聞いて殆ど反射の如く手を挙げた。
「是非行きます!」
「は? どこに」
「宇髄さんとこ! くノ一のお嫁さんに会える!」
「……これが本当に柱候補なのか、よく考えたほうがいいですよ」
 見えても聞こえてもいないはずの獪岳が、冨岡の様子をまるで見たかのように突っ込みを入れた。敬語になっているあたり、師と住んでいた頃のことを思い出して何故か善逸がくすぐったいような気分になりもしたが。
「……やる気が出るならそれでいい」
 表情のわかりにくい顔のはずなのに呆れきっているのが大変わかりやすく冨岡から感じられるが、それを無視して善逸は喜びを表に出すことにしておいた。
「しかし音柱様は引退するって話だし、話聞いてくれんのかね。交渉はこっちでやるんでしょ? カスに任せたら追い払われそうだし、大怪我だし稽古なんてつけられんのかね……」
「生身なんだからいいだろ」
「突っ込みづらいよ! 生身だからとかさあ!」
 冨岡の自虐のような何かに善逸は叫んだ。
 口のきき方がなっていないと獪岳が善逸の口を掴む。獪岳だってタメ口だったくせに、と恨めしくなんとか発すれば、殊勝にも冨岡のいる方向へ頭を下げて謝った。こういうところが尊敬できる点である。
「不死川から頼むという手もまあ、あるが……今のあいつなら頼めば恐らく協力してくれる。たぶん」
「仲良かったんですか……し、不死川さんかあ……不死川さんね……たぶんとかついてるし……そういや炭治郎と仲良かったっけ……?」
「………。俺がしてやれるのは乗り移って身体の使い方を知るくらいだ。稽古は生身にどうにか頼み込め」
 善逸は不死川が苦手だ。柱は満遍なく恐ろしくはあるが(甘露寺以外)、特にあの威圧感と凶悪面が善逸を萎縮させて困る。案外いい人だよ、と炭治郎は言うけれど、それでもやはり見た目は一番に伝わってくる印象なのだ。怖くても外見が可愛い女の子な胡蝶がいるとやはり近寄ってしまうし、懐いてしまう。冨岡に慣れたのは大人しそうだからというのもあったのだろう。ちらりと顔を覗き込んで、ふと端正な顔をしていることに気づき、善逸は恨めしげについ睨んでしまったが。
 しかし、不死川か。伊之助も炭治郎にくっついて稽古に行ったりしているようだが、柄の悪い男に善逸は近寄りたくなくて関わらなかった。炭治郎から不死川に頼んでもらうのもありかもしれないが、まあ遊郭の任務を終えた今なら善逸でも話は聞いてくれるだろう。継子がどうとか言っていたともいうし、宇髄なら悪いようにはならないはずだ、たぶん。
「じゃあ、まあ、とりあえず宇髄さんに聞いてみます……。あの、ありがとうございます。……冨岡さんは……何が見えてるんですか?」
 不思議そうに善逸を見る獪岳を無視して、澄ました顔をした冨岡を見つめた。気づくと端正な顔が気になって怒りがこみ上げてきそうになるが、今はそんなことをしている時ではないことくらいわかっている。
 言っていないのに知っていたり、それはまあ、乗り移った時に知られたのかもしれないけれど。
 それでもなんだか、気になってしまったのだ。
「――未来」
 しばし黙り込んだ冨岡は、やがて口を開いて小さな声で呟いた。