夜雨の君―本性違わず・壱―
「あの、師範。鬼殺隊に、えっと……髪を一つに纏めた綺麗な女の人はいませんか?」
「………。もう少し特徴が欲しいな!」
鍛錬の合間の休憩中、甘露寺は師へひとつ問いかけをした。
しかし、あまりにざっくばらんとした内容だったため、師からそのまま問い返されてしまった。
「すみません……ええーっと、隊士の方のはずなんですけど、剣技がとっても綺麗で。名前は知らないんです、雨の夜に見かけただけなので。たぶん水の呼吸を使ってたんじゃないかと思うんですけど……」
なにせ鬼殺隊に入る前の、鍛錬もしたことのない頃に見かけただけの記憶である。纏まらない見合いに疲れきっていた甘露寺が夜の雨を窓から眺めていた時、音もなくそのひとは現れた。
刀を振るった時に見えた幻は水だったと記憶している。当時は呼吸が何かも知らないまま、ただ視界に映る光景に息をするのも忘れるほど釘付けになったものだ。甘露寺が見ていることに気づかなかったのか、鬼の頸を撥ねると彼女は一瞥することもなくすぐにその場を去った。
鬼殺隊に所属してからしばらく経つが、甘露寺は未だ彼女を見つけられなかった。柱である師なら隊士たちのことも知っているかと思い問いかけてみたのである。
「雨? ……ああ、夜雨の君と呼ばれる剣士だろうか。雨夜に現れるという女隊士の噂がある。俺は会ったことはないが、柱に近しい実力だという話だな。剣技も水柱を彷彿とさせると聞く」
「夜雨……素敵、きっとその人です!」
「成程、是非会ってみたいものだな!」
師に聞いたのは正解だった。正しく甘露寺の求めていた情報をくれたのだ。
夜雨の君。通り名もまるであの日に見た彼女を彷彿とさせて、あのひとのことで間違いないと思わせた。
しかし隊内には彼女の素性を知っている者はおらず、遭遇した時に問いかけようとしても、捕まえること自体が至難の業なのだという。
雨の夜にのみ現れる女剣士。鬼の頸だけを落としては去っていく仕事人のようなひと。いつかもう一度会いたいと甘露寺は考えていた。
そのもう一度は甘露寺が甲になった頃にようやく訪れることとなる。
鬼殺隊は危険な仕事だ。最終選別の時点で命の保証は誰にもできず、生き残ることが大層難しいものである。隊士になってもそうして任務で命を落とす者は多く、柱ですら入れ代わりが激しい仕事だ。
知り合った翌日に亡くなってしまったことも少なくない。
いやまさか。あんなに凄い剣技を持つひとがそう簡単に死ぬはずがない。甘露寺は過ぎった想像にかぶりを振って追い出した。
生きているという希望にも近い予想が当たっていたとわかったのは、あともう少しで柱に手が届くという頃のことだった。
救援要請を受け、鬼が殺戮を繰り返しているという林に足を踏み入れた時のことだ。まだ息のある隊士に声をかけ、隊士たちの骸の中心にいる鬼へ攻撃を仕掛けるために刀を構えた時、視界の隅に人影が映った。
甘露寺が動くよりも速く鬼の頸へと到達した誰かの刃が胴を斬り離した後、恨みつらみを残して鬼が灰になっていく様に一瞥もくれず隊士たちの怪我の具合を確認していた。珍しい片身替りの羽織を纏っていた。
甘露寺の師――炎柱である煉獄は、同僚である柱たちの特徴を教えてくれたことがある。
中でも炎と並んで歴史が長いと教えてくれた水の呼吸の柱もまた、途切れることなく常にそこにいるのだと聞いた。呼吸法に型を増やし流麗な剣技を誇る、片身替りの羽織を背負う剣士が今の水柱。そう、冨岡義勇という名の男性だと聞いた。彼がそうなのだろうと確信した。
しかし。
――あのひとにそっくり。
冷えた眼差しと目を奪われるほどの剣技を目の当たりにした甘露寺は、あの雨の夜に窓の外にいた剣士に酷似した彼から目を離せなかった。
素人も素人だった甘露寺すら見惚れさせたあの剣技を持つひとが、あんなふうに戦うひとが他にいるわけがない。そう思うのに見逃すことのできない大きな疑問が立ち塞がっていた。
――でも、殿方だわ。
まるで性別を入れ替えたかのようにそっくりでも、現実にそんなことが起こるなんて聞いたことがない。
煉獄が教えてくれたとおり、片身替りの羽織を纏った隊士はどう見ても男である。甘露寺よりも上背があり、がっしりとした身体つきは女には到底見えない。不躾にじろじろと見るなどはしたないと思いつつ、探し人に似た人を見つけてキュンキュンする気持ちと一体何故? という気持ちがせめぎ合っていた。
「あっ、あのっ!」
駆け寄ってきた隠に何やら指示をした彼は、ぐるりと静かに周りを見回してからすぐにその場を去っていった。柱は忙しいので次の任務に向かわれたと聞き、確かに煉獄も忙しい人であると納得した。
甘露寺の推察では、少なくとも赤の他人ではないだろうと思う。双子とか、ごく近しい血縁者ではないだろうか。血縁だと剣技もそっくりになるのかもしれない。夜雨の君のことを聞いて教えてもらえないかと考えたのだが、そううまくはいかないようだった。
それに水柱は寡黙な方だと隠は教えてくれた。任務以外で口を開くことなどないのではと思うほどに話をしない、誰とも馴れ合わない孤高の人。隊士たちがそう噂しているともいう。
あまり人付き合いをしない人なのか。甘露寺はすぐにお喋りを始めてしまうし、黙って仕事を遂行する、行動で示す人というのはすぐ話しかけてしまう自分とは正反対である。
「仲良くなるのは難しいかしら……。……いや!」
何を弱気になっているのか、甘露寺蜜璃。自分はこの力を役立てるために、ありのままを受け入れてくれる人を探すために鬼殺隊へ入ったのである。添い遂げる殿方探しと一緒に水柱と仲良くなる目標も立てればいいのだ。むしろ柱全員と仲良くなることを目標にすればいい。
「そうね! 頑張るわ!」
「えっ?」
「あっ、ごめんなさい。つい考えごとが口に出ちゃって」
近くにいた隠を驚かせてしまったが、謝りつつ甘露寺は決意を新たに拳を握った。
そして水柱を初めて見かけた年の梅雨時。甘露寺はようやく探し人と再会することができた。
まあ、向こうからすれば初対面なのだが、一方的に探していた甘露寺は興奮してしまった。距離感を一足飛びに詰めたのは浮かれたのと気が急いてしまったせいである。
任務に赴いた先に、あの時と同様に雨に降られた女剣士が立っていた。すぐさま立ち去ろうとする彼女の手首を、思わず甘露寺は必死に捕まえたのだった。
細くて白い、女の腕だ。この細腕からあの流れるような技が出る。涼しげな目が不審そうに甘露寺を見た。甘露寺より少しだけ背は低いようだが、間近で見ても綺麗な女の子だった。甘露寺の目は輝いた。
「ご、ごめんなさい急に。えっと……お、お友達になってほしいの!」
「………」
綺麗な印象がぱちくりと瞬いたことで幼さが表面に表れる。可愛いわ、とつい覗き込みそうになったのを押し留めて返事を待っていると、やがて彼女の視線が外れて静かに泳ぎ始めた。困惑しているように見えた。
まあ、それはそうだ。突然見知らぬ妙な女が手を掴んで友達になってくれと迫ってきたら、誰だって困惑するだろう。ふいに我に返った甘露寺は反省し、しょんぼりしつつ謝った。
「私、鬼殺隊に入る前にあなたのこと見かけて、また会いたいなって思ってて……とっても綺麗だったから」
「………」
「え、えっとえっと……私まだ鬼殺隊に女の子の友達が少なくて、だからその、つい」
蟲柱の胡蝶とは仲良くなれたと思うが、ただでさえ忌避されてきた甘露寺では怖いと思われるのも仕方ないのだ。それに、鬼殺隊に所属する者は殆どが家族を殺されていて、当たり前だが皆友達を作るというような余裕がないこともよくある。甘露寺ではどうにもできない心の問題だ。
「……離してもらえるか」
「あ、ごめんなさい……」
やっぱり彼女も駄目なようだ。
しかし目の前でひどく落ち込んでしまった甘露寺を見て不憫にでも感じたのか、彼女は小さな声でひとつ呟いた。
「……雨の日だけでよければ……」
「……ほ、本当に!? ありがとう!」
予想していなかった言葉に甘露寺は嬉しくなり、離したはずの彼女の手を再び掴んで握り締めながら飛び跳ねた。夜雨の君がどんなひとか、甘露寺は今しっかりと目の当たりにした。綺麗で可愛くて強くて、優しいひとだ。
「じゃあ今日任務の後、」
「指令がある」
甘露寺が話し終わる前に一言言い放ち、彼女は甘露寺の手を外してその場を消えるように去った。一瞬の出来事すぎて反応が遅れてしまったが。
「……行っちゃった……。指令なら仕方ないかあ」
名前も聞きそびれてしまったが。
いやしかし、約束してくれたことには違いない。
探していたひとと再会し、雨の日だけの友人として甘露寺を認めてくれた。一歩どころか二歩前進だ。夢見心地のようだった。