夜雨の君―添う―
足音、気配。聞こえた音に客人が誰かを予想したものの、妙に焦る女房たちの気配に立ち上がった。
「天元さま、大変です! 女性が飛び込んできて……」
「なんだ、暴漢でも出たか?」
気配の先は縁側。覗き込んだ視界に真っ先に飛び込んできたのは特徴的な柄だ。今まで幾度となく目にしてきた羽織の柄。最近は身に着けることもなくなり、飾っているのだと聞いていたが。
かつての同僚、水柱。冨岡の羽織だ。見間違えようのない片身替りの羽織。だがそれを纏っているのは女だった。明らかに乱暴されてきたとわかるが、それを羽織で隠そうとしている。足音と気配はかつての水柱だと思ったのだが、宇髄がまず口にしたのは女についてだった。
「おまえ、夜雨の女だな? まさか冨岡に……いや。……だったら羽織被ってきたりしねえか」
雨の夜にのみ現れるとまことしやかに囁かれてきた噂の女だ。宇髄も会ったことがある。長い黒髪を一つに纏めて、雨の中鬼を斬り続ける。目の前にいるのは以前とは様相の違う姿だったが顔は同じだ。そんな神出鬼没の女が宇髄の屋敷に現れたのである。
「……風呂だけ貸してもらえればいい」
「………。まきを」
「はい!」
羽織を握りしめて乱れた衣服を隠しながら一言呟いた。
初めて口を開く姿を見たが、声すら涼しげな印象を植えつけてくるようだった。
声をかけたまきをが風呂場へと走り出し、雛鶴と須磨が身体を支えようと女へ手を伸ばした。
「何があった?」
「……寝込みを襲われた。不覚だった」
乱暴された直後という風体のわりにしっかりした受け答えだった。
肝が据わっていやがる、と宇髄は目を細めた。いくら元隊士といえど、元くのいちでもなければ死と隣合わせだった鬼狩りと違う恐怖を感じたのではないかと思うが、曲がりなりにも、いや、次期水柱と噂されただけはある。ひっそりと感心したところで、宇髄は女房たちに連れられていく女の後を追った。
しかし、やはりあの男を彷彿とさせる奴だ。足音、気配、話し方までもが冨岡を思い起こさせる。噂どおり、血縁であることは間違いなさそうだが。
しかし、見舞いに行った時も退院祝いに飯を奢った時も、口に出さなかったから宇髄も聞かなかったが、冨岡はこの女のことを話しはしなかった。ちらりと死んだ姉の話はしたことがあるがそれくらいだ。この女は隊士であるにも関わらず、すべてが終わった後は蝶屋敷にもいなかった。だからきっと皆死んだと思っていたはずだ。少しくらい話をしてみたかったと考えたこともあったが、宇髄も今目の前に現れるまでそう思っていた。
風呂の準備ができた時、女房に促されながら謝罪と礼を口にした女に、宇髄はやはり冨岡のような奴だと感想を抱いた。着替えは男物にしてほしいなどと言うあたり、さては男のふりでそこいらを旅でもしているのかと予想した。温泉好きの宇髄家とも、案外不死川とも気が合いそうだ、とまでぼんやりと。
「あれえ? お前いつ来た?」
やけに混乱した表情のまきをの後ろから現れたのは、宇髄もよく見知った顔だった。呼んでいないはずのかつての同僚、冨岡が、何故か湯上がりの状態で何故か疲れきった顔をしている。須磨は興奮しているし、宇髄とともにいた雛鶴は不思議そうにしつつも客人の茶を淹れ始めた。
「夜雨は?」
「俺だ」
「はあ?」
「百聞は一見に如かずですよお」
意味のわからない返答を受けた宇髄は素直に疑問符を浮かべたが、須磨の楽しげな言動に首を傾げながら目の前で繰り広げられる小競り合いを眺めた。傷でもこさえていたら手当を、と気を遣って準備していたはずの水を張った桶を、あろうことか須磨が冨岡にぶっかけたのだった。
須磨は怒っているのだろうか。いや興奮してはいるが楽しそうだ。ならば冨岡が嫌いだっただろうか。そうでもなかったはずだ。
そんな思考を時間があれば考えただろうが、水をぶっかけられた目の前の人間から視線を外すことができず、不覚にもあんぐりと大口を開けて間抜け面を晒していた。
「は、はあああ!? 冨岡はぁ!?」
「……俺だ」
水も滴るなんとやらとは、男だったか女だったか。宇髄は冨岡を名乗った眼前の女を眺めながら、逃避のように回らない頭で考えた。
「……お前なら……、……呪泉郷というのを聞いたことはないか」
冨岡を名乗る夜雨の女は、冨岡のような話し方で問いかけた。問いかけられているのが自分であるとふと気づいた宇髄は、一拍置いて逃避から記憶を手繰り寄せようとした。
ジュセンキョウ。
確かにどこか聞き覚えのある言葉だ。どこぞの山奥、奥深くにある知る人ぞ知る秘境。呪泉郷。そうだ、忍だった頃に聞いたことがあった。
「ああ、願いが叶うだか呪われるだかなんていう曰くつきの……、――まさか」
「そのまさかだ」
目の前で水分を拭う女を凝視した。風呂に入らせてやったというのに不憫なものだが、現実に見てしまったものは飲み込まなければ話も進まないことに気がついた。そう、宇髄は冨岡が夜雨の女に変貌する様を目の当たりにしたのである。逃避してもそれが現実だった。
呪泉郷とは呪いの泉。一度入ると体質が変わってしまうなんともはた迷惑な代物なのだとか。冨岡はその曰くつきの泉にドジを踏んで落ち、水を被ると女になる体質になってしまったのだという。今ならあり得ると頷けるが、ろくに話さなかった頃なら冨岡がドジを踏むなど絶対に信じられなかっただろう。
雨の夜に現れる女隊士。血縁と思えるほどの似た姿。足音と気配。成程なあ、と宇髄は深く納得した。
「それはわかったけどよ、だとしたらもっと謎だわ。一体今回は何があった? 中身がお前なら襲われたってどうにかできるだろ」
そもそも夜雨の女は隊士だった。次期柱を噂されるほどの剣士だったのだ。今考えれば柱が女になっているだけなのだからそれは当然だが、片腕がなかろうと女のなりであろうと、冨岡はそこいらの人間に押し負けるほど鈍ってなどいないし耄碌してもいないはずだ。よほどの相手だったとでもいうのだろうか。例えばそう、同じ元柱だとか。
「薬を盛られていなければな。不覚だった……というか、そんなことになるとは思ってなかったというのが本音だ」
「随分物騒じゃねえか」
曰く、墓参りのついでに遠出していた冨岡が路地を通りがかった時のことだ。
路地といってもしっかり舗装などされていたわけではなかったらしく、今思えば割と治安の悪そうな場所だったかもしれない、とぼんやりしたまま呟いた。今なら人相も悪かったと思い出せる男が、ちょうど通りがかった冨岡にひしゃくで水をぶっかけた。あれもわざとだったのだろうと冨岡は勝手に納得していた。
要するに、身なりやら何やらで追い剥ぎの標的にでもされた冨岡に掛けた水のせいで性別が変わる様を見られて焦り、人当たりもよく休んでいけという男の言葉に甘えた。風呂は今から沸かすから、と言った男は使用人らしき男に食事を用意させ、まんまと薬を盛られて二人がかりで襲われたという話らしい。馬鹿だ。
女が一人でこんなところ通ってたら云々、なんて言葉を発していたらしいので、冨岡が男であったこともそいつは見間違いだと考えていたのだろう。カモにしようとした良い身なりの男だと思ったら別嬪の女だったことでやり口を変えたといったところか。鬼殺以外はポンコツのドジっ子め。元柱に疑いを向けたことをひっそり心中で謝罪した。
「ま、とりあえず未遂なんだな?」
「当たり前だ。なにを怒ってる」
「そら怒るだろ……」
「天元さま、話終わりました? 濡れちゃったし冨岡さんの着替えもう一度してあげたいんですけど」
「濡らしたのお前だけどな。まあいいぜ、今日は炭治郎も来るし着替えとけ。心配するだろうからなあ」
須磨が着替えさせたいものなど宇髄はもうわかっているが、冨岡は困った顔をしてからすまないと小さく頭を下げた。この後どんな格好をさせられるかも知らないまま。
ついでだ、疑いを向けてしまった元柱も呼んでやることにした。あいつは夜雨の女について気にしていたこともあったのだから、生きていることを教えてやってもいいだろう。弟弟子にだけ教えるのも不公平だし。本当ならどちらにも黙っておきたいところであったが、ちょっとした罪滅ぼしである。
*
夜雨の女が来ている。そう鎹鴉に言伝を頼むと、疾風の如くそいつは家に顔を出した。
随分お早いお着きで。揶揄うと不死川は顔を歪めたものの、黙って縁側へと腰を下ろした。奥では女四人がやいのやいのと騒がしいのだが、そわそわしているのが丸わかりである。
何故こんなことになったのかと嘆いている冨岡だったが、現場から比較的近かったのがここだったからといって、あの体質を持って宇髄家に逃げ込んできた時点で未来は決まったようなものである。
不死川が現れてからしばらくして炭治郎たちも到着し、逃げていた冨岡を三人がかりで引っ張ってきた須磨たちは随分やり遂げた顔をして晴れやかだった。冨岡を見た炭治郎たちと不死川は固まり、目を剥いて驚いたのはいうまでもない。炭治郎が夜雨の女を知っていたとは思わなかったが。
死んだと思っていただろう夜雨の女がここにいて、尚且つ隊服ではなく年頃の娘のように着飾っているのである。夜雨の女の表情が死んでいるのはご愛嬌だ。どうせ冨岡はいつもこんな顔をしていた。
「あ、あの! 俺以前雪山で」
「こら、お触り禁止だ近寄んな」
「おい、」
放心から先に復活した炭治郎が話しかけようと乗り出した。予想していなかったらしい宇髄の言葉で冨岡が制止の言葉をかけようとした時、不死川の目の色が変わった。何故お前がそんなことを言うのかとでも言いたそうな顔だったが、一先ず宇髄は客人全員に座布団を勧めてやることにした。このままでは誰も座ろうとしないだろう。
「んなキレんなよ、こっちだって驚いてんだからな。なにせこいつどこぞの一般人に襲われそうになりやがったから」
「そいつ捻り殺せばいいんかァ?」
「落ち着けよ」
禰豆子は女の姿である冨岡に目を輝かせたものの痛ましげに表情を翳らせ、善逸は首を傾げつつ女相手である故か大人しくしている。伊之助はわざわざ猪頭を上げてまで訝しげに冨岡をじろじろと眺めていた。炭治郎と一緒に来た面々は多種多様な顔をしているが、一先ず様子を見ることにしたらしい。
血走った目にまきをが少々引いているが、不死川は女子供には案外に優しい。襲われたなどと聞いて黙ってはいられないのだろう。それが気になっている女ならば当然でもある。中身を知ってどう考えるかは知らないが。
「でな? こいつ今一人なんだけど、もう誰かと一緒に住んだほうがよくねえかと思ってよ。要するに結婚したらいいんじゃねえのって考えたんだけど」
「はあっ?」
誰より先に反応したのは冨岡だった。女房三人がかりで着飾られた冨岡は、街を歩けばそれはもう目を惹くだろうと想像できる出で立ちだ。わざわざ化粧までしたのはやり過ぎな気もするが、どうせやるなら完璧にしてみたいとは宇髄も思う。我が女房ながら素晴らしい出来映えだった。そんないい女に出来上がっている冨岡は、顔を歪めて信じられないようなものを見る目で宇髄を見た。
「何考えてるお前、そもそもこんなこと言わなくていいだろう」
「お前も落ち着けって。大丈夫大丈夫、収まるところに収めるつもりだし」
結果的に引っ掻き回すことにはなるかもしれないが。
何が、と不思議そうにしながら冨岡は宇髄を睨む。客人たちを尻目にこそこそとしたやり取りだったが、それをお気に召さない者がいたらしい。まあ、それも宇髄はわかっていた。
「……お前ら仲いいなァ。知り合いだったんかァ」
機嫌が悪い。機嫌どころか暴れ出しそうなくらい敵意丸出しである。ちりちりとした気配が宇髄へ向けられている。知り合いなら何故教えなかったのかとでも言いたいのか、もっと踏み込んだ嫉妬を撒き散らしたいのかは知らないが。
まだわからねえか、そらそうだよなあ。
まあまあ、と不死川を宥めながら宇髄は口を開いた。
「この面子で一人いない奴がいるよな。実はな、冨岡の羽織を被ってうち来たんだよこいつ」
「――相手は冨岡かァ?」
「義勇さんはそんなことしません!」
「被害者だぞ」
むすりとしたまま冨岡が呟いたことで、不死川の殺気立った空気と炭治郎の否定が止まった。
冨岡を見つめる面々の顔を宇髄は眺めた。善逸は気がついたのか、顔面が蒼白になっておりいっそ可哀想なほどだった。認めたくないのはなんとなくわかったが、随分葛藤しているらしい。
「……ずっと思ってたけどよお。そいつどう考えても気配が半々羽織だぜ!」
「こ、こら伊之助!」
「えっ? 義勇さん?」
俺様の感覚は誤魔化せねえ、と一斉に視線を集めた伊之助は吠えた。驚愕に満ちた視線は禰豆子と不死川で、炭治郎は少しばかり眉根を寄せて冨岡へ目を向けた。善逸は伊之助を止めようとしたが、やっぱりそうなのかと唸り声を漏らして頭を抱えた。
「………。別に、隠してない。いや任務中は隠してたが」
「………! 変だなって思ってましたけど……本当にぎ、義勇さん……?」
「ああ」
澄ました顔が頷いた。悲鳴にも似た叫びが家中こだまして、禰豆子も善逸並に声がでかいなと耳を押さえてぼんやり考えた。不死川は驚き過ぎて声が出ないようだし、代わりに叫んでやったようにも思えるほどだ。まあ、それはともかく。
「――はあ、成程……そんな泉があるんですね……」
「お前も気をつけろ」
「はあ……」
そんなものにうっかり落ちるのは冨岡くらいではないかと突っ込んでやりたくなったが黙っておいた。
冨岡からの説明に、どうにかこうにか状況を把握して落ち着きを取り戻した炭治郎だったが、今は腕を組んで難しい顔をしている。どうやら鬼になった禰豆子を見逃したのは女の冨岡だったようで、不思議に思ってはいたらしい。炭治郎の場合は禰豆子を見逃したその一度きりしか会わなかったし、禰豆子を見逃した当時のことを男の冨岡は覚えていた。だから女と見間違えたかと考えてはいたようだ。どうにも納得しきれてはいなかったらしいが。
「………、……ぐうう……」
そして、驚愕と落胆、意気消沈した不死川は畳に拳を叩きつけて蹲っていた。なにせこの男が夜雨の女に気があることは宇髄の目にも明らかだったので仕方ないとは思うが、中身が冨岡であることを知ったこいつは立ち直れるだろうかと少々心配になった。隊士時代は水と油の関係、犬猿の仲だったくらいだ。今は普通に食事に行く程度に仲良くしているので昔の話ではある。
「大丈夫か不死川……?」
あまりに茫然自失、いや絶望しているようにも見えたのか、目に余ったらしい冨岡が覗き込み、不死川の肩を叩いて顔を上げさせた。こうして並んでいるだけならどこぞの令嬢と荒くれ者、かろうじて用心棒あたりに見えるかもしれない。顔を上げた不死川と冨岡が数秒見つめ合った後、ようやく身体を起き上がらせた不死川に手を握られたのを宇髄は見ていた。
「結婚するかァ」
「は?」
「それはちょっと複雑です……」
「お兄ちゃん初恋って言ってたもんねえ」
炭治郎は炭治郎で初対面の冨岡に淡い恋心を抱いてしまったらしい。冨岡が男であると理解した炭治郎はその感情を仕舞い込んでいたらしいが、性別を見間違えた初対面の冨岡が初恋相手であると禰豆子には教えていたようだ。結局見間違いではなく、紛うことなく外見は女だったのだが。
「義勇さんうち賑やかですよ! うちで一緒に生活しましょう!」
「……静かなほうがいいだろォ」
「でも実弥さんは騒がしい人ですよ」
「騒がしくねえわ!」
「いや騒がしいですよ、ほら」
「ぐっ」
冨岡の処遇をどうするか、本人を差し置いて周り――主に不死川と炭治郎が騒ぎ始めた。一緒に住めると考えて興奮したのは伊之助もだったようで、禰豆子とともに炭治郎の援護をし始めたが、善逸は非常に難解な顔をしている。女が増えるのは歓迎しても中身は冨岡だからだろう。しかも普段の生活は男の冨岡である。
「落ち着け。誘いは嬉しいが俺は男だ。世話にならんでもやっていける」
ついでにいえば隠時代から担当だった使用人もいるのだから片腕でも問題ない、と呆れた顔を見せて断り始めた。
だが不死川も炭治郎も、果ては宇髄もそんな冨岡の言い分は聞くつもりは毛頭ない。そもそもここに来た原因は冨岡のこの体質のせいである。
「そうかもしれませんけど」
「かもしれないってなんだ……」
「いやでも、そうじゃない時もあるじゃないですか。その時に襲われてしまったわけですし……」
「………」
冨岡が押し黙った。黙りを決め込むのはこいつの悪い癖だが、今回ばかりは本当にぐうの音も出なかったのだろう。宇髄家の面々は自ら襲われたと冨岡が言うのを聞いていたわけで、明らかに襲われましたという風体だったのも確認済みである。
「いくら元柱でも片腕だし、薬盛られて二人がかりだったんだっけ? 呼吸も使ってなかったし、縄もあった? いやあよく抜け出せたな」
「うるさい」
そう考えると隊士の頃より力が落ちているのは間違いないし、鈍っているし耄碌していたのだろう。呼吸がなかろうと一般人に負ける男ではないが、まあ、不覚だったと本人も言うのだから油断もあった。
「だから一人は危険です。一人で住んでるのは不死川さんと義勇さんくらいですし」
「だから二人で住めば解決だろがァ。人数多いお前らん家は狭ェだろ」
「う。で、でも、」
「いくら冨岡でも年下に素直に頼るかってんだァ」
「義勇さんは頼ってくれますよね!?」
「頼らない」
にべもない冨岡の返事に大層愕然とした顔を晒した炭治郎は、先程までの不死川のように項垂れて畳に拳を叩きつけた。大人げなく勝ち誇った顔をする不死川が阿呆に見えてしまいそうだった。
「不死川もだ。俺は、……宇髄の家に住む……」
「なんだとこらァ!」
「ええーっ! だったらうちでもいいじゃないですか! 部屋くらい空けますよ!」
世話にならないと言っていたはずが、なにやら複雑な顔をして冨岡は一言呟いた。
予想外に本人からそんな言葉を引き出せるとは、隠してみるものである。
「もしかしてさあ、なんか危機感抱いてる? 不死川に」
「なっ! なんでだよォ!?」
「いや……そりゃそうだろ。明らかな下心じゃん。冨岡相手なのにな〜」
「うるせェ!」
下心がないとは言わせない。正に先程目の前で求婚する様を見せられたこちらとしては、冨岡が不死川に引くのも理解できるのである。冨岡からすれば元同僚がとち狂ったようにしか見えなかっただろうが、かといって不死川の気持ちも宇髄は理解できていた。
「炭治郎もか」
「お、俺は本当に義勇さんが心配で!」
「それはわかってるけどさ、あわよくばもないとは言えねえだろ? こいつは感じ取ったんだよ、女の勘みたいにな」
結局炭治郎も指摘に否定の言葉を出せず。馬鹿正直な人間だから隠しごとなどできないのだろうが、このあたりをもう少しうまくやれれば生きやすくなるだろうにと宇髄は呆れた。真面目くさった人間でなければ炭治郎ではないけれど。
「そんなものはない」
「まあまあ。でもさあ、ちっと詰めが甘え。――うちに住んだら俺の女房になるってことだからな?」
肩を組んで引き寄せると、まったく警戒していなかったらしく比較的軽い力で冨岡の身体は宇髄へと倒れ込んだ。至近距離から顔を歪めて見上げてくるところは少しも可愛げがないが、女房三人が嬉しそうにはしゃいだので許してやることにした。
「全員揃って頭を打ったか。俺は男だと言ってるだろう!」
「はははー。そりゃ仕方ねえな、全員夜雨の女に狂わされたんだし」
「……てめェもかよォ……」
ここまできて未だに中身が冨岡であることを問題にしている者は同居を誘ったりなどしない。混乱したことは確かだろうが、不死川も炭治郎も相手が冨岡であり男であることを理解して誘っているし、宇髄とてそうである。いくら腕が立とうと一人にしておきたくないからそう言っただけのことだ。
この体質ごと冨岡をうちに連れ込みたい。
冨岡がこれを理解する日が来るかどうかは知らないが、選ばなければ逃げるほかない。まあ、元忍である宇髄から逃げられると思われるのは心外なので、逃がすつもりはないことを理解してもらおうとは思っている。
そして、不死川にも炭治郎にも任せるつもりは更々ないということも。