夜雨の君―好天―

「……何か祝い事か」
 両手に抱えるほどの大きな荷物をどかりと目の前に置き、冨岡は首を傾げて問いかけた。
 祝い事の品といえばそうなのだが、冨岡からすれば誤解から来ているものである。
「うん、結婚祝いを頂いた」
「……否定しろ」
 誰との結婚祝いかを冨岡も理解しているからこその突っ込みである。中身を改めると酒や末廣、衣類だ野菜だと結婚祝いに選ばれるような品がこれでもかと包まれていた。隊士の噂を聞いたからと渡してきた宇髄は派手にやったな! と自分事のように喜び背中を叩いてきたが。
「否定する前に去られてしまった。どうも婆様に会った日に食事していたところを見た隊士がいたらしくてな」
「あれは鮭大根に釣られたせいだ」
「それもわかってるが」
 親族との顔合わせに協力してくれた時のことだ。
 あまりに引き留めて話をしようとする老婆からぼろが出る前に退散し、手間をかけた詫びと礼に食事を奢ることにしたのである。事前に聞いていた好物を出してくれる店を探し出して連れていった。冨岡の前に現れた鮭大根を目にした時、彼――あの時は彼女だったが――は普段の仏頂面をどこに置いてきたのかというほどの眩しい笑みをお見舞いしてくれた。煉獄が呆気にとられていたところもその後の様子も隊士に見られていたと思うと少々気恥ずかしかったが、普段見ることもなくこれからもあるかわからない着飾った姿で、冨岡はそれはもう目を奪われるほどの笑みを見せたのだから仕方なかった。
 その衝撃に惚けたまま美味いかと問いかけると頷き、そんなに好きかと問いかければまた頷く。それならうちで毎日食べるといい、と口にすると、冨岡はこれまた嬉しそうなままうんと頷いたのであった。
 まあ、その後すぐに我に返った冨岡が珍しく慌てながら弁解しようとしたが、冷めるぞと言ってやれば大人しく箸を動かし始めた。とどのつまり、本人が言うとおり好物に釣られたのである。煉獄の前だと笑うんだって? とにやつきながら宇髄に言われてしまったおかげでつい浮足立ってしまい、祝いの品を返しそびれたというのが顛末だった。
 あれから冨岡が我が家に足を向けたのは本日が最初だ。食べ終えた後は逃げるように去っていったのを忘れたわけでもあるまいに、それでもうちに来るあたり本当に落ち着ける場所がないのだということが窺える。まったく役得である。
「せっかくだから貰ってはくれないか?」
 結婚祝いなのだから煉獄一人で抱え込むわけにもいかない。嫁いでくれるなら我が家に置いておけばいいが、そう簡単にはいかないのが冨岡だった。
 しかし、好物に釣られたとしても頷いたのは事実なわけで、煉獄としてはもう一度絆されてくれはしまいかと思ってしまうのだ。
「………」
「! 冨岡?」
 上等な品物の中へ冨岡の手が伸び、その内のひとつの末廣を掴んで袂へと仕舞い込んだ。驚いた煉獄が声をかけると、音もなく立ち上がった冨岡はちらりと煉獄へ目を向ける。
「あれ宛なんだろう。渡しておく」
 釣られたとはいえ頷いたのは事実だからと冨岡は続けた。煉獄の反応を見て、なかったことにはできないと悟ったのかもしれない。そのまま世話になったと部屋を出ていこうとする冨岡の手首を思いきり掴み、煉獄も立ち上がって顔を突き合わせた。
「それはきみの物でもあるぞ」
 他人事のような言い方をしたが、彼自身が夜雨の君なのである。煉獄がずっと嫁いで来いと言っているのは冨岡義勇というただひとりの人物にだけだ。
 深い水底のようにも見える冨岡の目を覗き込んだ時、吸い込まれてしまいそうだとふと煉獄は考えた。じいと見つめているとふいに水底が揺れて顔を逸らされ見えなくなってしまったが。
「……渡しておく」
 逸らされたことで視界に映った冨岡の耳が薄っすら染まっていることに気がついたが、驚いている間に腕を振り払われて去られてしまった。
 やがて放心から戻り瞬いた煉獄は、今のは明確に冨岡が逃げたのだと思い至る。
「……そういえば、雨は降ってなかったな」
 昨夜の任務の最中も隠すべき正体はなかったはずで、我が家に現れた時も普段の男の冨岡だったのだから、煉獄家に立ち寄る必要もなかったはずである。自覚があったのかなかったのかは知らないが、会いに来てくれていたのかと気づくとにやけるのを止められなかった。
「ようやく通じたか、良かった!」
 何がきっかけかは知らない。先程目を覗き込んだ時急に狼狽えたような気もするが、はっきり意識してくれたとわかったのだから浮かれてしまうのは仕方のないことであった。